2001年8月14日〜15日

靖国合祀取消を求めて連続行動


 8月14、15日、太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長金景錫氏、GUNGUN裁判原告李熙子さんを迎えて靖国合祀絶止を求めての行動を展開しました。この行動は対靖国の「本格的な第一歩」(大口弁護士)を記す行動でした。

<8月14日> 靖国神社申入れ

 今回の行動は、8月15日の小泉首相の靖国参拝に合わせ、参拝に反対すると共に、靖国合祀の取下げを求める行動。小泉首相は、内外の批判により15日の参拝を避け、13日に参拝したものの行動は予定通り行なわれた。

 14日午前中内閣府に、午後は靖国神社への要請を行なった。「この問題は、民族全体の問題。」と訴える金景錫氏。あくまで亡き父の靖国合祀の取消しを求める李熙子さん(李煕子さんの裁判陳述書)。行動の先頭にたって訴える。内閣府では、政府が靖国合祀の責任を明らかにし、「本人も遺族も合祀を望んでいない。死んでまでも辱めを受けるいわれは全くない。夫を父を兄弟を奪われた遺族は二重三重の苦しみを受けている。」と合祀の取消しを訴えた。(日本政府への申入れ書)

 午後は靖国神社。集合場所の大鳥居門下には、事前に神社側が手配したと思われる右翼が待ち構えている。午後2時、李熙子さん(写真中央)、大口弁護士(写真右)を先頭に集合場所に集まり、神社敷地に入ろうとするやいなや右翼、警察がストップに入る。靖国神社関係者が出て来てここで要請書を受け取るという。韓国からわざわざ来日している原告に門前で要請書を受け取るという非礼は許されない。押し問答が続く。「反日朝鮮人は帰れ」と叫ぶ右翼、50名を超える支援者は口々に「遺族の妨害をするのか。遺族を通せ!」「靖国は遺族に礼を尽くせ!」と訴える。約20分。神社はついに代表4名を社務所に案内することを約束。この間、第2鳥居門で待機していた金景錫氏は、要請書を神社に手渡した。神社に通された4名の代表は、約30分間要請を行なった。(靖国神社への申入れ書)
 「右翼の妨害等があったが、暴力が靖国神社の本質であることを示した。今日が闘いの第一歩。」(大口弁護士)、「正面から入れなかったのは口惜しいが要請ができたのは支援の皆さんのおかげ。」(李熙子さん)とまとめの集会で挨拶。6月29日の提訴に続き、靖国合祀取消しへ大きな第一歩を踏み出した。

 

 

<8月15日> 参拝抗議行動

 15日は朝から、8・15小泉首相の靖国参拝抗議行動実行委員会主催の行動に参加した。9時30分、300人近くの抗議行動参加者が13日の小泉首相の参拝に抗議し、静かに千鳥が淵墓苑から靖国神社に向かう。太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会、太平洋戦争被害者補償推進協議会の大きな横断幕が注目を集める。第二鳥居門の手前から右翼が妨害に入り、警察は殴りかかる右翼を本気で止めようとはしない。抗議行動参加者はやむをえず、千鳥が淵に引き返した。まとめの集会で日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会森山委員長は「境内に入れない状況を右翼と警察が作り出した。こんなことは初めて。だからこそ抗議行動の意味がある。」と訴えた。さらに小泉首相の靖国参拝違憲訴訟の提起もなされた。
 夜の「戦争国家づくりを許さない!アジアとの強制をめざす集い」には、金景錫さんと李熙子さんがそろって参加。金景錫さんは日本の全体的な状況にふれて「小泉首相は、コネズミのように参拝した。人気も下火になる。日本が覚醒し償うまで余命の限り闘う。」と、また、李熙子さんは「靖国はチンピラとやくざに守られている。こんな靖国に父を置いておくわけにはいかない。」と訴えた。
 今回の行動は、GUNGUN裁判の合祀取消し要求を社会的にも大きく広げていった行動でした。この間マスコミ各社は靖国問題の報道の柱として、GUNGUN原告の特集を組み、ドキュメント番組を制作しました。GUNGUN支援する会ではさらに運動を広げ、靖国・政府を追及していきます。(御園生)