在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 提訴報告特別号 (2001.7.20発行)

在韓軍人軍属裁判スタート   生き証人252人が提訴!

 「タンジェハラ!(断罪しろ)」6月29日東京地裁前に金景錫さん(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長)発声のシュプレヒコールがこだまする。「日本の良心を犠牲者の両手に」の横断幕を先頭に6人の原告団・支援の仲間が地裁へ歩いていく。韓国人元軍人・軍属とその遺族252人が原告となり、日本政府に靖国神社合祀の取りやめと遺骨・未払い金の返還、謝罪広告の掲載などを求める訴えをついに提訴しました。21世紀初、そして最大規模の戦後補償裁判のスタートです。

 「私たちは戦後五十年以上も見捨てられてきた。日本の良心を信じ、百年訴訟・二百年訴訟になろうとも非を正す」と金景錫さんが語るとおり、21世紀を迎えた今に至るまで、日本政府は戦後補償を拒みつづけてきました。20世紀中に補償を制度化したドイツと比較しても恥ずかしい限りです。今、小泉政権は改憲・有事立法制定を視野に入れながら、靖国神社に参拝し、侵略の歴史を歪曲する教科書を検定合格させました。再び戦争できる国・人づくりが進んでいます。今回の提訴はこうした動きにくさびを打ち込むための日韓市民の共同行動です。

 「補償の前に生死確認を。遺骨を返して!」「父が加害者と一緒に靖国に合祀されていると思うと夜も眠れない」といった犠牲者・遺族の心からの訴えが直接訴状になりました。中でも靖国合祀を、被害民族としての「民族的人格権」の侵害として告発した点が大きな特徴です。人格権に「時効」や「日韓請求権協定で解決済み」は通用しません。

 ワールドカップの日韓共同開催を来年に控え、本当に「近くて近い国」になるために、必要なこと。その大きな取り組みが、このGUNGUN裁判です。多くの良心を集中させて戦後補償を実現させましょう! ぜひ未来への架け橋のためにサポートしてください!

靖国合祀で矛盾をついて勝利しよう  弁護団・大口昭彦弁護士

 今回の裁判は、日本国の戦争責任、戦後補償を追及する裁判の一つの到達点。戦争責任をあいまいにしようとする教科書を決定し、総理大臣が靖国神社を公式参拝するという。韓国・中国からの抗議も受け付けない厚顔・危険な日本の中での裁判提起は、大きな意義と責任を持っている。

 252人の原告の皆さんが必死のおもいで作成された陳述書自体を訴状の内容とした。事務的に整理しまとめるよりは、裁判官自身もこのような血の叫びを聞くべきだと考えた。志願兵として参加したという内容の方の陳述も全て訴状に入れた。それは当時の朝鮮における志願兵制度そのものが支配の結果、事実上の強制であったからだ。

 特に大きな意義をもっているのが、靖国神社合祀の問題。戦後補償裁判は必ずしも楽観視できないが、この裁判は勝利の展望を持っていると確信している。我々は、民族的人格権という概念を強く打ちだした。強制的に連れ出し、殺し、それを遺族の意思も無視して勝手に祀っていることが許されるのか。憲法上の人格権、民族的人格権という立場からこの靖国合祀問題に真っ先に切り込んでいける。民法723条すなわち名誉毀損の場合「単なる金銭的な損害賠償のみならず、名誉を回復するための具体的な適切な措置を講じなければならない」という条項がある。靖国は一言で言えば天皇制護持の神社。被害者でありながら、加害者を守るための神社に祀られているということはいかに悔しいことであるか。さらにそのような事態をそのままにしているということ自体が、韓国社会において名誉毀損である。

 天皇の赤子であり英霊だと勝手にまつりながら、一方では、日本人じゃないから一切補償もしないというのは全く矛盾しているし、勝手な傲慢性が日本政府にある。日本政府はこの矛盾の解決に困るだろう。ここを徹底的に追及していくことによって、他の課題も内容を高め、勝利できると確信する。

金景錫(キム・ギョンソク)さん (太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長)

 靖国にはわが同胞が5万人も眠っている。彼らはひどい行為を受けたにもかかわらず、殺した人と一緒に眠っている。こんなことは絶対にならないことだ。人には人の道があり、国には国としての道がある。未払い金の問題などは当然解決しないといけない。しかし裁判で日本政府は時効だと主張している。

 しかし、今日皆さんの顔を見て安心した。不二越の裁判もNKKも最初は漠然としていた。しかしこれらは勝利した。私はこの252名の裁判も勝利すると自信を持っている。何よりも重要なのは、正義は必ず勝つという信念だ。私は高齢で、最後を見届けられるかどうかわからないが、一本のリンゴの木を植えていく。みなさんが木を守り育ててください。

張完翼(チャン・ワニク)弁護士 (太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)

 今、韓国ではいろんな立法運動がある。済州島の4・3事件に関するもの。民主化運動で犠牲になった人への補償立法。今推進しているのは、日本による強制労働被害者への特別立法。6月に国会で発議する予定だったが、教科書問題問題の対応で遅れ、9月に発議する。大統領が真相究明委員会を設置し、3年間で被害状況を調査する内容。また、1965年の請求権協定がどのように結ばれたのか、その全体を調査しようと思っている。

原告 羅鉄雄(ナ・チョルウン)さん

 私の父は、ジャワで英国軍の俘虜監視員として勤務した。日本は狡猾にも連合軍捕虜に直接接触する仕事を韓国人にさせた。戦争が終わると、監視員は全員逮捕され人民裁判を受けた。148人中23人が死刑判決を、125人が懲役刑を受けた。その後父は終身刑になり、巣鴨刑務所に移された。1952年サンフランシスコ条約により、国籍を喪失したが、最高裁は「支障なし」として刑が続行された。日本人の戦犯には援護法の適用で、恩給や遺族年金などを支給しながら、韓国人には一切支給しなかった。父は私が3歳の時出ていき、21歳の時帰ってきた。その間私たちは教育も受けられず、本当に苦労した。収容所で拷問を受け身体を悪くし68歳で死んだ。彼らを戦犯にしたのは誰か? 一日も早く補償すべきだ。  羅鉄雄さんの陳述書

<写真>左から羅鉄雄さん、金幸珍さん、李英燦さん

原告 李英燦(イ・ヨンチャン)さん

 9歳の時父は徴用され、私は今66歳。私は両親なく育ちとても大変だった。日本政府はそんな苦しみを知っているのか問い正したい。父も靖国に合祀されている。日本によって強制的に引っ張られ、殺しておきながら、殺した側と一緒にいなければならないことに胸が痛む。小泉は誰のために参拝するのか聞きたい。父は靖国にいることを望んではいない。父を帰してくれないといけない。

 父の死亡を隠したまま、74年遺骨が返還された。この裁判の資料調査の過程で、父が靖国に合祀されていることを知った。通知もせずにそれでいいのか!私は今、アメリカの市民権を持っている。一人でアメリカの国連前で、プラカードを掲げてデモをした。アメリカで6回歴史歪曲の集まりを持った。アメリカ各地で同時に行った。皆さんが関心を持ってくれていることに感謝したい。 李英燦さんの陳述書

原告 金幸珍(キム・ヘンジン)さん

 ソロモン群島のガダルカナルの激戦で、やっと何人かが生き残った。軍隊ではひどい差別を受けた。日本人が2回ぶたれるところを朝鮮人は10回ぶたれた。下級兵の靴を舌で磨けとも言われた。悲しくひどいめにあったが、こうして大きな助けを得て、裁判を闘いたい。 金幸珍さんの陳述書

飛田雄一さん (支援する会呼びかけ人・神戸学生青年センター館長)

 中心の要求に靖国合祀中止がある。国内外の批判をあびて歴代首相は公式参拝しないことが定着していたのに小泉は参拝表明している。靖国問題を根本から問う重要な裁判。研究で防衛庁図書館に行ったことがあるが、一番腹がたったのは名簿を入れていた封筒だけを残して中身が残っていなかったこと。証拠隠滅以外の何ものでもない。

土屋公献さん (戦後処理の立法を求める法律家・有識者の会会長)

 韓国朝鮮の方々は無理やり引っ張り込まれ、尊敬もしていない天皇のために軍人軍属としての奉仕を強いられた。金幸珍さんのように生存されている方、そして、多くの方々は海の底、地の底で不本意な亡くなり方をした方、特に靖国神社という牢獄の中では、本当に悔しい涙、地団駄を踏み、泣き喚いていると思う。失われた人間の尊厳を取り戻さなければならない。皆さんが、二十一世紀の初頭に、有意義な裁判を起したことは、今後のアジアの平和のため、日本と韓国との永久的な友好と平和関係の樹立のために大切な意義ある行動だ。心からご声援申し上げたい。

李鶴来(イ・ハンネ)さん (在日BC級戦犯裁判元原告)

 戦時中、俘虜監視員として勤務した。俘虜の恨みは自然に目の前にいるコリアンの監視員にいく。この裁判は大きな仕事。羅さんの話を聞いて自分のことを言っていると感じた。植民地下で行われた徴兵・徴用の問題だ。原告団・弁護団・支援者が一致結束して進んでほしい。

姜富中さん (在日元軍属裁判原告)

 私は裁判を9年闘った。弁護士に任せてはいけない。日本は差別の一等国。われわれを人間だとは思っていない。裁判の結果、一般の人に200万円、障害を負った人に一時金200万円の法律ができたが、金目当てにしたわけではない。死んでもはがき一枚こない。団結こそが大事。(写真・左)

李秉萬(リ・ビョンマン)さん (浮島丸犠牲者真相究明委員会代表委員)

 浮島丸事件に関して、日本政府は今まで一度も悪かったと言ったことがない。韓国から何人が徴用され、今何人がいるのか、調査を続けている。原告の皆さんの悔しさは私の悔しさと同じ。

有光健さん (戦後補償ネットワーク)

 裁判だけではことはすまない。今度の相手は企業でなく国。どう揺さぶって世論を沸き起こすか。国はハンセン病では控訴断念したが、その後の在韓被爆者問題は控訴した。風がまだ足りない。韓国政府とあわせてアメリカ政府も動かさないといけない。国際的な世論を沸き起こそう!

永村誠朗さん (強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク代表)

 靖国合祀問題は、このチラシで初めて知った。運動の上でも発展させやすい闘いだ。50年も前のことが未解決なわけで緊急。一人でも被害者が多く生きているうちに解決させるためにがんばろう!

 

GUNGUNN連続講座第2回

靖国フィールドワーク報告(東京)

 6月16日、内海愛子さんを招いて行った「BC級戦犯」講座に続いて、第2回目講座を行いました。この日は、靖国神社のフィールドワーク。長年にわたり靖国神社問題に取り組んでこられた平和遺族会全国連絡会の西川重則事務局長に案内していただきました。

 大鳥居門前に集合。大鳥居門を出発点にし、約2時間かけて、靖国神社をぐるりと一周した。第二鳥居門横にある軍国主義教育の教科書にでてくる海軍、陸軍の「英雄」のレリーフが飾られ、神門の二つの大きな菊の紋、軍馬に大砲、人間魚雷“回天”の実物の一部が置かれ、また、悲惨を極めた泰面鉄道を走っていた機関車も「地域開発に貢献」したものとして堂々と置かれている。裏には、各部隊とともに憲兵隊の慰霊碑もある。展示のある遊就館は工事中で入ることはできなかったものの、まさに、天皇の神社であり、侵略戦争を肯定し、たたえる神社である。アジアの犠牲者のことなど一顧だにしていないのである。

 この霊璽簿に原告たちの父親の名が記載され、合祀されている。父らを死に追いやったその侵略戦争を賛美する神社に、そのために命を捧げた「英霊」として祀られているのである。

 戦後、靖国神社は政教分離により、表面上は一宗教法人として再出発したことになっている。しかし、国と一体の関係は戦後も続いている。

 1956年4月19日の厚生省援護局長名の「靖国神社合祀事務に対する協力について」という各都道府県への通知において「なしうる限り好意的な配慮をもって靖国神社合祀事務の推進に協力する」としている。

 政府は、戦後も明らかに憲法に違反して靖国合祀を一体になって推進し、原告らに苦痛を与えつづけているのである。

歌に見る靖国の本質

 戦前の歌に「上野駅から九段まで 勝手知らないじれったさ 杖を頼りに一日がかり 倅来たぞや 会いに来た」(九段の母)があります。「自分の息子じゃない、神様だという考えを持って戴ければなりません」(靖国神社宮司)。最愛の子どもを戦争で亡くした母が、靖国神社か夢の中でしか会えなかった。命を奪い、魂まで天皇制国家に奉仕させたのが「靖国神社」です。

(参考)『靖国神社』大江志乃夫著 岩波新書

 

読書案内

もうひとつのわだつみのこえ−朝鮮人学徒出陣

姜徳相 著(岩波書店 1997年 3675円)

戦後半世紀埋もれていた史実を初めて掘り起こす衝撃の本

 日本の敗戦色濃い1944年1月、侵略戦争遂行の兵員調達のため植民地朝鮮にもいよいよ徴兵制が施行されることとなった。それに先立つ43年10月25日から11月20日までのわずか27日間に当時の朝鮮人学徒の7割、4000人余りの学生が「志願兵」となった。しかも朝鮮半島の大学からは96パーセントの高率で。日本語を話せない「日本兵」を教育し、監視するためには「内鮮一体」の思想を「体得」した「日本軍人」を養成することが必須であった。当時の朝鮮人学生は、まともな教育が行われていなかった朝鮮においてはまさに国の将来を担うエリート的存在であった。彼らの「皇民化」こそ皇民化教育の総仕上げであった。