羅鐵雄(ナ・チョルウン)さんの陳述書より

 私が三歳の時(1943年)に父・羅三柞(ナ・サムチョウ)が徴用されました。
 当時、父・母・兄・兄・私の5人家族で、父は慶尚北道のチルゴク・ウェガン変電所に勤務していて、生活は苦しかったそうです。
 徴用され、慶州から釜山へ行き、インドネシア、スマトラ、ジャワへ連れて行かれ、そこで英国人捕虜収容所で勤務しました。終戦と同時に収容所の中と外とが逆転し、父は収容所に入れられました。
 BC級戦犯として10年の刑を受け、東京巣鴨刑務所で1945年から1955年まで10年もの間、収監されました。
 刑期満了で釈放されましたが、病弱になり、1982年韓国の慶北委谷郡で亡くなりました。
 一方、徴用後残された家族の生活は、言葉では言い表せないほど悲惨なものでした。
 父が韓国を出発する際には、月給の金額が決められていたのに、実際にはもらうことなどとんでもなく、死ぬほどの苦労をして帰ってきました。
強制的に徴用された挙句、終戦後も10年間、人生の大切な時期に刑務所に入れられた苦痛に対する補償と、未払い給与の返還を要求します。