在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.6 (2001.9.8発行)

靖国合祀の不法性追及を突破口に!

 8月22日、浮島丸訴訟(京都地裁)で一部勝訴の画期的な判決を勝ち取りました。判決は国の安全配慮義務を認め、生存者15名に4500万円の賠償金支払いを命じました。
 劉連仁裁判に引き続き、戦後の国の不法行為を断罪したことで、戦後補償裁判全体への影響は大きいといえます。その戦後処理の不法性を存分に問うのがGUNGUN裁判です。小泉首相の公式参拝でいやがおうにも脚光を浴びた、朝鮮出身軍人軍属の靖国合祀問題こそがその象徴です。靖国への合祀は戦後も戦前・戦中と同じように手続きが進められました。その証拠が1956年(S31年)厚生省引揚援護局長通達「靖国神社合祀事務協力要請」です。合祀事務を円滑に進めるために各都道府県宛に出したもので、明らかに憲法違反のものです。原告の李煕子(イ・ヒジャ)さんのお父さんは、この後1959年(S34年)に合祀されています。遺族に死亡通知すらせずに靖国合祀を優先させた国の行為は断罪されなければなりません。
 GUNGUNの靖国合祀絶止を求める原告の数はどんどん増える見込みです。李淡泰さんのお父さん、李箕斗さんはニューギニアから生還したのですが、1959年に靖国に合祀されていることが今回判明しました。本人は1999年に交通事故で亡くなるまでの間40年間、生存者が靖国に合祀されていたことになります(李箕斗さんの陳述書)。「合祀絶止」の要求に対し、「神になった人を合祀取り下げるなど侮辱だ」と言っていた靖国神社がどんな対応をするのかが注目されます。靖国合祀の矛盾、国の戦後処理の矛盾をどんどん広げ、原告の要求を勝ち取る決意です。今後ともご支援をよろしくお願いします!

 

ドキュメント8月14〜15日 靖国合祀取消しを!

 8月14、15日、太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長金景錫氏、GUNGUN裁判原告李熙子さんを迎えて靖国合祀絶止を求めての行動を展開しました。この行動は対靖国の「本格的な第一歩」(大口弁護士)を記す行動でした。

<8月14日> 靖国神社申入れ

 今回の行動は、8月15日の小泉首相の靖国参拝に合わせ、参拝に反対すると共に、靖国合祀の取下げを求める行動。小泉首相は、内外の批判により15日の参拝を避け、13日に参拝したものの行動は予定通り行なわれた。

 14日午前中内閣府に、午後は靖国神社への要請を行なった。「この問題は、民族全体の問題。」と訴える金景錫氏。あくまで亡き父の靖国合祀の取消しを求める李熙子さん(李煕子さんの裁判陳述書)。行動の先頭にたって訴える。内閣府では、政府が靖国合祀の責任を明らかにし、「本人も遺族も合祀を望んでいない。死んでまでも辱めを受けるいわれは全くない。夫を父を兄弟を奪われた遺族は二重三重の苦しみを受けている。」と合祀の取消しを訴えた。(日本政府への申入れ書)

 午後は靖国神社。集合場所の大鳥居門下には、事前に神社側が手配したと思われる右翼が待ち構えている。午後2時、李熙子さん(写真中央)、大口弁護士(写真右)を先頭に集合場所に集まり、神社敷地に入ろうとするやいなや右翼、警察がストップに入る。靖国神社関係者が出て来てここで要請書を受け取るという。韓国からわざわざ来日している原告に門前で要請書を受け取るという非礼は許されない。押し問答が続く。「反日朝鮮人は帰れ」と叫ぶ右翼、50名を超える支援者は口々に「遺族の妨害をするのか。遺族を通せ!」「靖国は遺族に礼を尽くせ!」と訴える。約20分。神社はついに代表4名を社務所に案内することを約束。この間、第2鳥居門で待機していた金景錫氏は、要請書を神社に手渡した。神社に通された4名の代表は、約30分間要請を行なった。(靖国神社への申入れ書)
 「右翼の妨害等があったが、暴力が靖国神社の本質であることを示した。今日が闘いの第一歩。」(大口弁護士)、「正面から入れなかったのは口惜しいが要請ができたのは支援の皆さんのおかげ。」(李熙子さん)とまとめの集会で挨拶。6月29日の提訴に続き、靖国合祀取消しへ大きな第一歩を踏み出した。

 

 

<8月15日> 参拝抗議行動

 15日は朝から、8・15小泉首相の靖国参拝抗議行動実行委員会主催の行動に参加した。9時30分、300人近くの抗議行動参加者が13日の小泉首相の参拝に抗議し、静かに千鳥が淵墓苑から靖国神社に向かう。太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会、太平洋戦争被害者補償推進協議会の大きな横断幕が注目を集める。第二鳥居門の手前から右翼が妨害に入り、警察は殴りかかる右翼を本気で止めようとはしない。抗議行動参加者はやむをえず、千鳥が淵に引き返した。まとめの集会で日本キリスト教協議会靖国神社問題委員会森山委員長は「境内に入れない状況を右翼と警察が作り出した。こんなことは初めて。だからこそ抗議行動の意味がある。」と訴えた。さらに小泉首相の靖国参拝違憲訴訟の提起もなされた。
 夜の「戦争国家づくりを許さない!アジアとの強制をめざす集い」には、金景錫さんと李熙子さんがそろって参加。金景錫さんは日本の全体的な状況にふれて「小泉首相は、コネズミのように参拝した。人気も下火になる。日本が覚醒し償うまで余命の限り闘う。」と、また、李熙子さんは「靖国はチンピラとやくざに守られている。こんな靖国に父を置いておくわけにはいかない。」と訴えた。
 今回の行動は、GUNGUN裁判の合祀取消し要求を社会的にも大きく広げていった行動でした。この間マスコミ各社は靖国問題の報道の柱として、GUNGUN原告の特集を組み、ドキュメント番組を制作しました。GUNGUN支援する会ではさらに運動を広げ、靖国・政府を追及していきます。(御園生)

 

沖縄全交で権水清さん念願の供養を実現

 原告の一人、権水清(クォン・スチョン)さんのお父さんは、徴兵されたまま何の連絡もなく、お母さんは心労の余り火病(ファビョン)で亡くなられました。厚生省への調査要請でも生死不明と記録があるのみで家族への連絡は、一切なかったということです。除籍謄本には1948年に死亡して、1967年に死亡申告をしたと、覚えのない記録が残っています。その後、お父さんと共に徴用された人の話から、沖縄で隊が配置された洞窟に行く途中に爆弾が落ちて死亡したことが知らされました。(権水清さんの陳述書)
 全交で権さんは、「私は皆さんにお願いがあります。父の正確な生死確認と父の遺骨を探してください。遠く離れたここ沖縄から故郷に帰れないでいる父を思うと胸が締め付けられます。日本が起こした侵略戦争によって隣の国の韓国人がどれほど苦痛に満ちた歳月を送らなければならなかったか、また今もその苦痛が消えない状態だということを皆さんに知ってほしいのです。ただ私が死ぬ前に父母の霊魂を慰労できることを望むのみです。」と話されました。お父さんの供養をしたいと初めて沖縄の地を訪ねたのです。
 南部戦跡・ガラビガマから平和の礎とフィールドワークをした後、韓国人犠牲者慰霊塔の前で参加者40名全員で権水清さんのお父さんの供養をしました。バスから持ち出された箱の中から、供養物が次々と取り出され並べられていきました。りんごや瓜等の果物類、韓国のおもちや菓子も数種類と、碑の前が色とりどりの供養物でいっぱいになりました。お父さんの記録書には黒いリボンがかけられ、葬儀の装束に身を改められた権水清さんは お酒を供え、地面に額ずく韓国式のお参りをされました。参加者も続いて同様にお参りをしました。供養まではたんたんと準備をし、お参りをしていた権水清さんが、記念写真を取り終えるや堰を切ったように嗚咽されました。参加者に肩を抱かれしばらく碑の前で立ち尽くしていました。後に「思いを遂げることができてよかった」という言葉を聞き、胸をなでおろしました。権さんの深い悲しみに触れ、いまだに生死確認もしない、遺骨も放置したままの日本政府に怒りを新たにしました。一日も早く原告の思いが遂げられるように取組んでいきたいと思いました。(木村)

 

古川佳子さん(箕面忠魂碑訴訟元原告)との交流学習会報告
物言わぬ「骨」を都合よく解釈して、戦争を美化することは許されない

 古川佳子さんから紹介された、竹内浩三さんの詩『骨のうたう』を読み、私は強い衝撃を受けました。34行にこめられた言葉一つ一つに、わずか23年で人生を終えなければならない哀しみ,虚しさがこめられています。故国を離れるころの戦況はすでに敗色濃厚で、戦地に臨んでも武器、弾薬はおろか食料の補給路も断たれていた頃ではないでしょうか。兵士が「白木の箱」になって帰ることが日常化する中で「英霊」と人々が称えることをきっぱりと拒否する思想を感じ取りました。特攻隊の方が残された遺書に「われ護国の鬼となって」とか「悠久の大義」という文言がありますが〔勇ましい言葉であるがゆえにより傷ましいのですが〕、まさに対極をなすものですね。古川さんが、「『骨を』ではなく『骨の』なんです。」と強調されていました。物言わぬ「骨」を都合よく解釈して、戦争を美化することは許されないとあらためて思いました。
 竹内浩三さんの詩はインターネットでも紹介されています。一度検索されてはいかがでしょうか。(大幸)

「骨のうたう」竹内浩三(一部)
戦死やあわれ/兵隊のしぬるや あわれ/遠い他国で ひょんとしぬるや/だまって だれもいないところで/ひょんとしぬるや/ふるさとの風や/こいびとの眼や/ひょんと消ゆるや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や

 

浮島丸・舞鶴フィールドワーク

 8月24日、浮島丸殉難追悼集会に参加のため再び舞鶴を訪れました。前回3月には、浮島丸犠牲者真相究明会のリ・ビョンマンさんから碑の前で「夢にまで見た故郷や肉親との再会を翌日にひかえて強制連行された朝鮮人労働者とその家族が、予想もしなかった大惨事により生命を失われた。真相はいまだ不明」とうかがい、深い憤りを感じました。
 今回の再訪は、事件の解決を求める被害者・遺族・支援者等と気持ちを共有し、GUNGUN原告にも生存者・遺族がいるため、学習を深めようと企画しました。
 折しも、浮島丸裁判の京都地裁の判決翌日ということで、かつてない多数の参加者とマスコミの注目の中での集会でした。判決は、国の安全配慮義務違反を幅広く解釈し、一部生存者に対し国に賠償責任を命じました。勝訴を確信していた国に痛打を与えた点で意義は大きいものの、原告・遺族たちにとっては、国の謝罪なし、真相究明なし等根本的な要求に何ら答えていない点で不満足なものでした。(国は9月3日に控訴決定)
 集会は、白い菊花に包まれた殉難の碑の前で、200余名の参加者が周りに集い黙祷から始まり、追悼する会の余江氏から追悼の言葉。続いて在日本韓国民団舞鶴支部、在日本朝鮮人総連合会三丹支部から追悼の辞。朝鮮・日本高校生から追悼の歌の合唱。最後に全員が菊花を海に献花しました。
 集会後、リ・ビョンマン氏と交流を持ち、その中で、前日の判決の評価や真相解明に必要な資料を行政側が出さない問題点、教科書問題等の本当の意味での解決のために真実を明らかにすることが是非とも必要である等話を伺いました。
 午後、青葉山山麓公園・スポーツセンターを訪れ、整備されたキャンプ場を見学。まぶしい緑の芝生の中央の赤レンガの建物が実は、旧日本海軍の火薬庫であったことを聞き、舞鶴は今も戦争の歴史が消えていない町であることを知りました。最後は、五老岳に登り、港を一望。上から見ると鶴が羽を開いた形に見えるということが町の由来と言われる美しい舞鶴港の島の間を白いフェリー船がゆっくり動くのを見ながら、参加者の誰かが「この港には、戦争や軍艦は似合わないな」とつぶやいた言葉が、心に残りました。(大釜)

 

みんなの平和の意志(石)を持ち寄って「未来への礎」をつくろう!!
「納骨堂清掃ボランティアツアー」(11月8〜10日)へのお誘い

 次の文章は、原告団代表の金景錫さんの手記「わが人生わが道」の一部です。
 「私は春川(チュンチョン)市内の山の一角に納骨堂をつくりました。兄貴の骨を捜しに北海道に行ったが、あの山この寺に捨てられた主のいない骨が山とあった。日本がわれわれに対して無残な仕打ちをしたことを後の世の戒めとするため、骨とお寺にあった過去帳の写しを持ち帰りました。どこにこの骨があったのか、なぜ死んだのか、納骨堂を建ててその旨をちゃんと記し、実証として残したかったのです。」
 納骨堂には513柱の物言わぬ遺骨が眠っています。
 ワールドカップ共同開催を前に、教科書問題や小泉首相の靖国参拝で冷え切った日韓関係の中で、何が必要なのかを考えたときに「これだ」と企画しました。ドイツの「記憶・責任・未来」のように、「決して忘れてはならないもの」を記憶して未来の友好へと引き継ぐため、市民レベルのアクションを起こしたいと考えます。
 全国から平和の意志(石)を持ち寄り、11月9〜11日(予定)で春川の納骨堂を訪れ、草刈や清掃をし、その石で「供養塔」をつくりたいと考えています。また、サッカーの交流試合も計画中です。建築士の有資格者や草刈機を扱える人、サッカー大好き人間大歓迎です!! ぜひ大勢で参加しましょう!

《行程案》
11月9日(金) 春川へ 納骨堂作業下見・草刈準備 夜金景錫さん・原告の話
   10日(土) 午前:作業(草刈・不要物処理・雨漏り対策等) 午後:慰霊祭
         夕方:サッカーかソフトボールの交流試合 
   11日(日) 鉄原の38度線休戦ラインを見学した後ソウル・空港へ
          安重根記念館等を見学後空港へ
   12日(月) この日まで休める人はどうぞ ソウルで自由行動
《費用》  
   約7万円(行程中の交通費・宿泊費・食費等)

 

ハングル講座
(パイティン!)(ファイティン!)
 以前にも応援する言葉を紹介しましたが、今日はややくだけた、やわらかい応援言葉を紹介します。日本でも運動会や仲間を励ますときなど「ファイト!」といいますよね、それと同じ感覚です。発音は「パイティン」「ファイティン」どちらでもOK。韓国では年上の人には必ず敬語を使う風習があります。しかし私は「ファイティン」の方が気持ちを込めやすく好きです。ということで「チャラセヨ」と年上に対する礼儀を守りつつ「ファイティン」とさらに気持ちを込めて応援するのはいかがでしょうか?

GUNGUNインフォメーション(お問い合わせ:古川090-1135-1488まで)
・9月16日(日) 反核フェスティバル 10:00大阪長居公園(GUNGUN出店)
・9月23日(日) 戦没船資料館フィールドワーク 10:00JR元町駅西口改札集合
          (午後は神戸港強制連行フィールドワークに合流)
・10月24日(水)戦後補償実現総行動(仮称)
あらゆる戦後補償の実現をめざし、対政府、企業の責任追及の一日行動を行います。
《呼びかけ人》土屋公献(戦後処理の立法を求める法律家・有識者の会)、俵義文(教科書ネット21'事務局長)、大島孝一(戦後補償実現市民基金代表)、西野留美子(中国人元「慰安婦」裁判を支援する会共同代表)、花房俊雄(戦後責任を問う・関釜裁判を支援する会事務局長)、梁澄子(在日の慰安婦裁判を支える会)、永村誠朗(強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク代表)、有光健(戦後補償ネットワーク代表世話人)、坂内義子(戦後補償実現!日韓市民連帯共同委員会共同代表)