在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.33 (2005.7.3発行)


60年目の父の命日に中国を
訪れた李熙子(イ・ヒジャ)さん
(6月11日・中国)

   

60年目の今、日韓市民の共同行動で
          「過去」を克服しよう!


 間もなく60年目の戦争終結、アジアから見れば解放を迎えようとしています。

 6月20日にソウルで小泉首相と盧武鉉大統領が日韓首脳会談を開きましたが、ほとんどの時間を費やした歴史認識、靖国問題で合意されたのは、教科書の相互研究のみだけでした。日本マスコミには、「盧武鉉の態度硬化は韓国内世論に規定されている」的な取り上げ方もあり、中国での反日デモのときと同じように相手国の国内問題に矮小化しています。何が問題かを考える時、保守議員や一部マスコミが口にする「国益」という言葉が浮かび上がってきます。国益のために侵略し、国益のために戦後補償を棚上げにし、国益のために歴史事実を歪曲する。イラクへの自衛隊派遣もそうですが、誰のための「国益」か問い直すためにも、日韓中市民の直接交流がますます重要です。韓国の真相究明法に呼応する日本の強制動員真相究明ネットワークが7月18日に結成されます。

 そして7月14日、いよいよGUNGUN裁判も大詰め、原告の本人尋問が行われます(13時半〜17時東京地裁710号)。これからの未来を担う世代が原告との「60年後の出会い」を通じて考え、行動するきっかけになればと思います。日韓共同ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」も中国撮影でほぼ全ての撮影を完了し、編集作業に入りました。引き続きご支援をよろしくお願いします!
 

靖国合祀、ブーゲンビル、シベリア抑留
原告・李熙子さん、金幸珍さん、李炳柱さんが証言!

7月14日(木)13:30〜17:00 東京地裁710号法廷

7月14日午後1時30分から午後5時まで、李熙子さん、金幸珍さん、李炳柱さんの3人が証言します。3人の証言は、アジア太平洋戦争をいかに日本が美化しようとしてもすることのできない真実を明らかにします。歴史の歪曲を許さぬ証言を是非、傍聴してください。

【李熙子さん】 靖国合祀は戦後!
 合祀が行われたのは、1959年。韓国が解放されて14年もたってからのこと。すでに日本に新憲法もあり、植民地はなくなったはずなのに、植民地時代の合祀が行われている、それも日本政府が通知した結果だ。6月には父が戦病死した中国桂林近くの全州(全県)をはじめて訪問。父が死亡した病院跡を確認した。証言では父を失った悲しみと、遺族への通知は行われず靖国神社への通知は行われた事実を明らかにする。
 

 
   

【金幸珍さん】 未払い金を返せ!
 配備されたブーゲンビル(ボーゲンビル)は戦死者約8000人をはるかに超える3万人が死に追いやられた。そのほとんどは、飢餓、栄養失調、マラリアだ。「墓」島とも呼ばれた所以である。金幸珍さんはこのブーゲンビルの数少ない生存者。このような過酷な戦地に配備したにもかかわらず、未支給給与金を1247円を勝手に供託している理不尽な戦後処理を証言する。
 

 

【李炳柱さん】 シベリア抑留の責任を!
 韓国シベリア朔風会30名の原告を代表して法廷に立つ。先月、抑留地であるクラスノヤルスクを帰還後はじめて訪問。収容所跡は赤の広場となり、重労働を強いられた脱穀所は大きくなっていた。李炳柱さんが、召集されたのは45年8月9日。この日満州で300人の朝鮮人が招集されていた資料が明らかになった。この資料も今回裁判所に提出する。
 

【東京集会】 戦後60年 戦争・植民地支配責任が問われている!
7月14日(木)18:30〜
  東京しごとセンター地下講堂(旧シニアワーク東京)(JR飯田橋駅7分)
  講演:荒井信一さん(日本の戦争責任資料センター代表)

【関西集会】 「60年後の出会い」ハラボジ・ユジョク(遺族)を迎えて
7月16日(土) 14時〜17時
  クレオ大阪西(JR・阪神「西九条」駅徒歩3分 06-6460-7800)

         

7月18日に「強制動員真相究明ネットワーク」発足へ

 昨年韓国で「日帝強占下強制動員被害真相究明法」が成立し、今年2月から植民地支配下の強制動員の被害申告の申請が始まって以来、申告件数は17万件を突破しました(170,200件6月28日現在) 。この膨大な被害申告の真相を明らかにしていくためにも、日本政府が保有しながらいまだに公開をしていない資料(供託名簿など)の情報公開と、日本の市民団体・研究者など「民間」で持っている資料を集約して、この委員会の活動を支えることが重要です。

 これまで全国各地で行われてきた強制動員・強制労働の調査結果、遺骨問題に取組んできた市民団体が蓄積してきた資料、また、国や企業が行なった強制連行の「事実」を明らかにした戦後補償裁判の支援団体が持つ資料、数多くの専門家の調査・研究の成果などすべてを一つに束ねてこの「真相究明委員会」に集中していくことが、緊急に求められています。そのためのこれまで運動にかかわってきた人たちの相互の情報交換を密にし、資料を集約していくために「強制動員真相究明ネットワーク」を結成する運びとなりました。

 呼びかけ文で、5つの重点的な活動方針を提起しています。(1)日本政府に、政府および公的機関、そして企業の保有する強制動員関係の資料の提示を促進することを求める活動をする。(2)日本における強制動員の真相究明のための活動を通し、日本の世論が強制動員問題に関心を向けるようにする。(3)韓国で構成される被害者団体を含む「市民ネット」と連帯し、交流や可能な行事を行う。(4)日本における真相究明法である「恒久平和調査局設置法案」の制定運動に協力する。(5)ネットワークで集約された資料を保管・展示する空間を作る。

 7月18日にはこのネットワークが結成されます。GUNGUNもこのネットワークの事務局に参加しています。この運動をぜひとも成功させましょう!(中田)

【結成集会の案内】 7月18日(月・祝) 午後1時半、
  「在日韓国YMCAアジア青少年センター」(東京・水道橋)
【ネット会費】 個人 5千円 団体 1万円 
  郵便振替口座 : 真相究明ネット 番号 : 00930−9−297182
【問い合わせ】 電話・FAX : 092−732−3483(福留さん)

 

「あんにょん・サヨナラ」記者発表に大きな反響(ソウル)

 

 6月24日、ソウルのYMCAで「あんにょん・サヨナラ」制作記者会見が行われました。民族問題研究所所長のイム・ホニョン氏、チャン・ワニク弁護士、パク・ハンニョン研究室長、そしてイ・ヒジャさんが参加。司会はキム・ウンシク氏。日本からはGUNGUNとして矢野さん、情報工房スピリトン代表として本田さんが参加。制作スタッフとして、キム・テイル監督と加藤も壇上にのぼりました。プロデューサーのチェ・ジナ氏、キム・イルクォン氏、シナリオライターのホン・ソンファ氏、撮影担当のジヘ氏、翻訳で大活躍の難波幸司さん、丁智恵さん、サーチボランティアの松井さんなど制作スタッフも会場に勢ぞろい。会見では、今迄の経過や制作委員会の代表団の挨拶が行われました。日韓会談で靖国神社問題が大きく取り上げられたすぐ後の会見ということもあり、当日のMBCのテレビニュースで流れ、次の日の新聞では何紙にも取り上げられました。韓国での関心は高いです。戦後60年の節目の年、日本でも盛り上げ、良い作品に仕上げたいと思います。(加藤)
 

「あんにょん・サヨナラ」撮影記(5・6月編)

 日韓共同ドキュメンタリーも6月の中国撮影で一区切り、現在は200時間に及ぶテープの編集作業に入っています。試写会は8月15日(心に刻む集会・大阪)に決定しました。ぜひこの記念すべきプロジェクトの制作サポーターになってください。 (古川)


《5月 東京〜名古屋〜大阪〜金沢〜沖縄》

 5月に東京で行われた「戦後60年・被害者とともに日本の過去の清算を求める国際集会in Tokyo」にあわせて韓国側スタッフが来日。

【20日】 2班に分かれて集会班は各国(韓国・フィリピン・中国・台湾・オランダ・アメリカ・日本)参加者を取材。私は、拓殖大学の佐藤健生教授にインタビュー。過去清算を巡って比較されるドイツについて、「ドイツでは第1次大戦の反省から被害国との『青少年交流』を位置づけたがナチスの台頭で実らなかった。そこで、第2次大戦後は加害者追及、補償、再発の防止に力を入れ、『青少年交流』を盛んにやっている」「記憶・責任・未来基金は来年で終了するが、ドイツの場合、やると決めれば必ずやる『道徳的な敏感さ』がある」「ドイツでは『過去清算』でなく『過去の克服』と いう」という話しが印象的。

 

 午後からは新右翼「一水会」元顧問の鈴木邦男さんを取材。とてもリベラルで、「植民地政策は間違っていた。戦後独立したとしても日本がさせたなど言うべきでない。アジアともっと仲良くすべき」と言う。靖国合祀も「当時は合祀しないと差別になると思ったのだろう。取り消してほしいと言うのであれば、取り消したほうがいい」との意見。今の日本に何が不足していると思うか?との問いに「余裕のなさが心配」と答えられた。右翼にもこういう人がいるんだと率直に驚いた。
 

 

フィリピンの元「慰安婦」被害者

 

【21日】 国際集会の分科会参加者を取材。各国の被害者に「靖国」について尋ねたが、正確な知識を持っている人は少なく、「お墓」だと思っている人も。全体集会で李熙子さんが「父の戦死を知らされないまま靖国に合祀されている意味を問い直したい。後世に恥のない運動を残したい」と発言。


【22日】 朝から中国の呉雄根さんにインタビュー。呉さんはシベリアに抑留され、解放された後、故郷近くの中国に住んだ。中国では医師となり働いたが、1964年文化大革命で歴史反動分子とされた苦い記憶が蘇る。「神社は私の民族にはない」と当時の集団参拝を振り返った。

 その後、靖国神社で韓国参加団が首相参拝中止と合祀取り消しを求める韓国国会決議を靖国側に伝えるデモンストレーション。歩道上で横断幕を広げると靖国に常駐する右翼が押しかけてきて、ゼッケンや横断幕を引きちぎり、我々につかみかかる大乱闘に。その後警察が駆けつけたが、右翼を守るような姿勢に抗議の声が飛んだ。李熙子さんをはじめ代表団が神社側と面会したが、玄関から上げない非礼な態度に抗議し、「再度来る」と言い残し退去する。

韓国国会での「靖国神社の韓国人合祀取下げおよび
日本の閣僚等の靖国神社参拝中断を求める決議」(5月4日決議) ⇒全文

大韓民国国会は、日帝侵略期に強制動員等を通じ犠牲になった韓国人21,181名が、遺族たちには何の通報もなく、太平洋戦争の主犯等と共に靖国神社に合祀されていることは、我々の伝統的な宗教観念と民俗精神に照らし、決して容認されえない点に、深く留意し、現日本総理が2001年就任以来、毎年靖国神社を参拝していることは、日本が侵略戦争に対する真の反省なく、むしろ戦争挑発国としての責任から逃れるために、日本の戦後世代に意図的に歪曲された歴史観を植えつけるためのものと理解し、これは、未来志向的な韓日関係の構築と東北アジアの平和定着に否定的影響を及ぼすのみでなく、我が国の国民を初めとする 汎アジア人たちの甚大な抵抗に直面することは勿論、日本自ら外交的孤立を招くものであることを厳重に警告し、次のごとく決議する。(以下略)

 

 
   

 午後から2班に別れ、私は名古屋へ。「福沢諭吉のアジア認識」の著者である安川寿之輔さん(名古屋大名誉教授)取材のためにご自宅を訪問。「現在の福沢諭吉像は丸山真男氏が偉大な民主主義者として描こうとしたことが大きい」故にその誤りについて語っていただく。日清戦争の際に1万円という当時2番目の多額献金をして、強兵富国に貢献した話や、その過程で先駆的に靖国を利用すべきと提起した話し。また朝鮮、中国を文明開化させるために武力行使の主張を行っていたこと。労働運動を警戒するために、貧しい者には教育の機会を減らし、官立学校を全廃せよと主張していたこと等々、目からうろこの話しが次々飛び出す。今に続く日本人のアジア蔑視の源流を福沢諭吉に垣間見ると同時に、その人物が最高紙幣の肖像になっていることの意味の重大さも再認識。


【23日〜26日】 韓国チームは金沢の大東亜聖戦大碑の反対派、賛成派(右翼)をそれぞれ取材。東京チームも右翼への取材のほか、姜徳相さんにインタビュー。

 

 

【27日】 2班に分かれ、大谷大学の鄭早苗教授を取材。もう一つの班は、自民党元幹事長の野中広務さんを京都の事務所に訪ねインタビュー。「子どもの時、近くのマンガン鉱に連行されてきた朝鮮人に子守してもらった」と切り出す野中氏。「植民地支配が誤っていたのは間違いない。歴史の検証をしないまま来ている」と。靖国に関しては、「自分は墓参りのような感覚で参拝しているが、韓国人の合祀は矛盾している。サンフランシスコ条約を承認している以上、A級戦犯は分祀すべき」と語る。迫力のある人だった。

 その後、西宮で取り組まれている「無防備地域宣言」署名運動を取材。

 

 

【28日】 伊丹空港から沖縄へ飛ぶ。目的は沖縄戦での犠牲者やその傷跡の撮影。那覇空港で東京チームと合流し、糸数壕へ。そこで松永光雄さんを取材。松永さんは今も遺骨収拾や、平和ガイドを続けており、この日は神戸からの修学旅行生に対して、糸数壕に一緒に入って沖縄戦の実相を説明した。住民を守らない軍隊の本質、生き残った兵士と住民との交流、命こそが大切だという沖縄戦の教訓・・・。その後、一緒に平和の礎へ。

 

 
   

【29日】 朝、松永さんがホテルに具志八重さんを連れてきてくれる。具志さんは、ひめゆり学徒が最後に自決した際の婦長さん。自分がなぜ生き残ってしまったのか、という思いで「沖縄戦の語り部」となった具志さん(87歳)と13年ぶりの再会。「私を覚えてくれていてありがとう」という具志さんに感無量。「海岸では戦艦が一杯で、出てきなさいという。生徒は自決したほうがいいと自決してしまう。生きれば生きれたはずなのに。日本兵は投降者はスパイとみなすと後ろから銃を構える。当時、死んでも靖国に祀られるから死ぬのは怖くなかった」と沖縄戦の中の精神状況と靖国の関係を話してくれる。感謝。

 
   

 その後2班に分かれ、松永さんと南風原陸軍病院跡、国吉部落、白梅の塔を訪れる。一家全滅の祠が多く残っている国吉部落には月桃の花が咲いていた。午後は魂魄の塔の花売りのおばあさんにインタビュー、荒崎海岸、斉場御嶽を撮影。

 

 夕方、宜野湾市の嘉数高台で天久仁助さんと待ち合わせ。天久さんは契約拒否(反戦)地主で、今年校長を退職されたばかり。沖縄戦の激戦地である嘉数高台に立つ右翼が立てた朝鮮人軍人の碑と、普天間基地を背景に契約拒否の思いを語ってもらった。
 


《6月 韓国〜中国》

 
   

【9日】 仁川空港に迎えに来てくれた李熙子さん、韓国スタッフと天安にある「望郷の丘」へ。ここに李熙子さんのお父さんのお墓があるが、墓石に刻銘はない。「靖国合祀が取り消されれば、魂を呼んで刻銘する」という李熙子さん。


【10日】 空路、桂林入り。道には、自転車とバイク、オートバイを改造した幌つきのタクシー、オート三輪トラックが行き交う。この日は桂林の七星公園へ。ここには戦時中800人の中国人が日本軍に殺されたことを示す「八百壮士の墓」がある。

 

 
 

【11日】 朝から亜熱帯性の蒸し暑さの中の雨。桂林から120キロほど北の方に全州という町(戦時中は全県)に車で向かう。目的地には今は使われていない中国軍の「164病院」跡(一部地元の人が居住)があり、日本軍が兵站病院として使ったとすればそこしかない、と訪れた。李熙子さんのお父さんは「全県181兵站病院」で45年6月11日死亡したことがわかっている。日本軍の中国戦線での方針は「現地調達」。病院も現地病院を占領して使っていたとのこと。今も平屋建てのレンガ造りの建物が残り、食堂跡の前はちょっとした広場になっている。最初は李熙子さんも食堂跡の中に入り、カメラを向けていたが、そこを出て、祭祀を行う場所を探していたときに、彼女の心の底からの父への思いが極まり、はじけた。道端にしゃがみこんで「アボジー!」「アイゴー!」「アー!」と・・・。それはふりしぼるような悲しみの叫びだった。

 食堂として使われていた場所に祭壇を設け、「60年後の命日」に祭祀を執り行った。最後はみんなで食事。その頃には李熙子さんはサバサバした表情だった。

 

 
 

【12日】 桂林から今度は南へ200キロの柳州へ。駅前に、中国軍の兵站病院跡があり、今も一部を軍が宿泊所として使用している。45年5月21日に敵の弾にあたって、最初に運ばれたのが「柳州183兵站病院」。ここも「おそらく」ということで、訪ねた。昔を知る女性が「この木は昔からここにある」というと、李熙子さんの目からハラハラと涙が。そっと木に手を差しのべ、さわってみる李熙子さん。路地の奥にある古い平屋建てのレンガ造りの建物は、当時からそのままとのことだった。

 その後、柳州からさらに南に20キロほどの柳江へ。「六道郷」という村が李熙子さんのお父さんが撃たれた場所。「この山が激戦地だったそうです」という場所で石を拾う李熙子さん。「その当時日本軍を狙撃した」という老人の話では、村の自衛のために日本軍から奪った鉄砲で高い場所から反対側の山に潜む日本兵を撃ったと言う。李熙子さんはあとで、「あの老人に恨みはない。悪いのは日本」と答えた。

 

   

【13日】 侵華日軍南京大屠殺遭難同胞記念館へ。虐殺でなく「屠殺」。動物のように殺されたことを静かに訴えているのが、万人坑という展示館。ガラスの向こうには累々と遺骨が何層にも横たわっている。見えるだけで208人分の遺骨。手前には遺骨のアップ写真があり、遺骨の状態の説明書きがある。子どもの手に打ち付けられた「釘」がそのまま錆びている。首がはねられている遺骨や、尾てい骨に刀のささった跡のある女性の遺骨もある。遺骨は何も言わずに当時の状況を静かに、しかし鮮明に我々日本人に訴えかけている。

 

 
   

【14日】 午前中、李熙子さんとホテル近くの儒教のお寺に入って鍾をついたり、民族音楽を聴いたり、買い物をしたり。そして最後に李熙子さんへのインタビュー。しばらくの沈黙のあと、「父の死亡の詳細を早く知っておきながら、今まで他のことを優先したのを反省している」「中国に碑を建てたい」と。李熙子さんは次の目標をすでに立てていた。そしてこのドキュメンタリーの企画を支えてくれた日本のみんなに感謝しているとのこと。
 ソウルへの飛行機の中では、金兌鎰監督と金銀植さんと私でビールを11本空けた。(古川)
 

 読書案内

 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史
    日中韓3国共通歴史教材委員会編 高文研 1600円+税

 


「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択問題(2001年)をきっかけに、日中韓3国の研究者・教師・市民による「歴史認識と東アジアフォーラム」が開かれ、3国共通の歴史教材を共同で作ることを確認。度重なる会議の結果ついに実現したのが本書。欧米列強圧力下での3国の開国への対応、日本帝国主義の膨張主義の結果もたらされた各国民衆の生活や文化の変化、都市の繁栄と農村の疲弊、侵略に抗する人々への虐殺、戦争反対への弾圧など、とてもわかりやすく編纂されています。(大幸)
 


GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
 7月14日(木)GUNGUN裁判第17回口頭弁論」(東京地裁710号法廷)
     13:00〜17:00 李熙子氏、金幸珍氏、李炳柱氏の本人尋問
     18:30〜 東京集会
      「
戦後60年 戦争・植民地支配責任が問われている!
        
演:荒井信一さん(日本の戦争責任資料センター代表)
        会場:
東京しごとセンター地下講堂(旧シニアワーク東京)
                 (JR飯田橋駅7分)   
  16日
(土)「60年後の出会い − ハラボジ・ユジョク(遺族)を迎えて
     14:00〜17:00 クレオ大阪西(
JR環状線「西九条」徒歩3分)
 7月30日
(土)、31日(日) 平和と民主主義をめざす全交 IN 横浜(鶴見会館)
   戦後補償分科会が、31日午前10時から行われます。
   韓国からの参加:金景錫さん(太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会会長)
           金銀植さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会事務局長)