在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.28 (2004.9.12発行)

韓国国会議員による「靖国合祀取り消し署名」を
持って来日した李煕子さん
(8月6日・東京)

   

ドキュメント「戦犯タクシー」を一緒につくりましょう!

 GUNGUN裁判は日本の「理不尽な戦後処理」を問う裁判として闘ってきました。その象徴的な朝鮮人BC級戦犯問題をわかりやすく、未来を担う若者に知ってもらうために、来年2005年(戦後60年)に向けてドキュメントを制作します。
 ドイツはニュルンベルク裁判以降も自国のナチスによる犯罪を追及しつづけ、90年代に至るまで6千件を超える有罪判決を出しています。そうした積み重ねが「記憶・責任・未来基金」に結実しました。しかし日本ではどうでしょう? 東京裁判で裁かれたA級戦犯は有罪が28人。他の容疑者は50年に朝鮮戦争が始まるや否や、警察予備隊(自衛隊)の創設準備要員等で釈放されていきました。民間人虐殺や慰安婦などの戦争犯罪は裁かれないばかりか、731部隊の犯罪はアメリカへの情報提供の代わりに免罪されたのです。こうした戦争犯罪の放置が、謝罪と補償を遅らせ、誤った歴史認識を温存し、先日中国アジアカップでのブーイングにつながっているのです。
 東京裁判で裁かれたのはA級だけでなく、ほとんどが捕虜虐待容疑としてその監視要員が裁かれた、いわゆるBC級戦犯でした。上官の命令に逆らえない、軍の末端におかれた人が戦争犯罪人として、一国の責任を負わされたのです。有期刑以上が3419人。そのうち148人が朝鮮人、173人が台湾人です。朝鮮人148人のうち23人が死刑になっています。戦争犯罪人の汚名を着せられ、日本人としてサンフランシスコ条約以降も刑に服した一方、外国人だからといって補償の外におかれたのです。こうした理不尽な運命をたどった人たちにはドラマがありました。(P6に続きます)
 このドキュメントを未来の日韓友好のためにつくりあげたいと思っています。プロに委託する余裕はありませんので、手弁当です。ぜひご支援をよろしくお願いします。

GUNGUN裁判は10月15日進行協議(非公開)以降、証人尋問に入っていく予定です。

GUNGUN裁判・8月31日に進行協議
   《立証計画などを協議》

 GUNGUN裁判の進行協議が8月31日に東京地裁で行なわれました。協議では、主張および立証計画について議論され、もう一度、10月15日に進行協議が行われることになりました。
 裁判所は、来春からにも証人尋問に入りたいこと、原告証人は4〜5名を考えているとのことでした。 2001年に提訴したGUNGUN裁判も、山場に入ってきています。法廷での闘いと共に、法廷外での闘いもより一層重要になっています。証人尋問で法廷を一杯にするために一層のご支援をよろしくお願いします。証人の来日を支えるために会員の紹介・カンパへのご協力を!

韓国国会議員の合祀取消署名をもって
         靖国・政府・議員へ要請行動!

   ―GUNGUN提訴から4度目の8月― 李煕子さん

 戦後60年(日韓併合100年)を来年に控えた8月6日、「小泉首相の靖国参拝中止と朝鮮人合祀取消しを求める韓国国会議員署名」を携えて、韓国から李熙子(イ・ヒジャ)さんが来日し、ともに一日行動を行いました。
 韓国国会議員の署名は32名。開かれたウリ党21名、ハンナラ党9名、新千年民主党1名、民主労働党1名と超党派の署名。7月末からの短期間の取り組みであったため、今回の署名数は32名ですが、「9月までには299名の全国会議員から署名を集める」と李熙子さんは力強く語りました。

靖国神社に対する申入れ

 9時30分、合祀取消し申入れのため、靖国神社を訪問。今回は、靖国側が「もう会っても同じこと。文書があれば受けとる」と社務所の門前で応対。これまでの「(遺族の方々は)いつでもいらしてください」という対応から大きく変わり、門前で遺族とその申入れに応対するという、全く失礼な話です。支援する会の抗議で、最終的には応接室に通して応対せざるをえませんでした。
 李熙子さんより韓国国会議員の署名を手交し、その趣旨を説明。また門前で応対するという失礼な対応であれば、「署名は提出せずに持ち帰ろうと思っていた」と抗議しました。靖国神社の山口権宮司は「みなさんのような気持ちを持った方がいるのは理解している。しかし、合祀は変えられない」と繰り返しました。短時間の申入れでしたが、最後に李熙子さんは「私たち遺族は靖国に祀られることを望んでいない。理解してほしいというのであれば、理解できるように靖国神社も研究し、納得できるようにして下さい」と訴えました。
 

小泉首相の靖国神社参拝中止と靖国神社朝鮮人合祀取消しを
求める大韓民国国会議員署名(抜粋)      【⇒全文】

 合祀されている韓国人の遺族に生死すら知らせないまま一方的に靖国神社に合祀させたことは、強制動員されて日本帝国主義の侵略戦争で犠牲になった人々に対して丁重な謝罪や反省はおろか、日本の天皇の忠臣として讃えられることで、父母が2度犠牲を受ける結果となった。靖国神社は私たちにとって民族性が否定されるものであり、天皇の臣民として侵略戦争の道具にさせるために使った恥辱の象徴なのである。私たち大韓民国の国会議員は、東北アジアの平和と韓日両国問の信頼関係を阻害している小泉総理の靖国神社参拝をやめることを要求し、韓国人遺族たちの同意なく無断に靖国神社の祭神として合祀させたことを日本政府が公式謝罪し、靖国神社側が即刻合祀を取り消すことを求める。

民主党・日本共産党・社会民主党の国会議員へ協力要請

 11時、衆議院第二議員会館第4会議室で、民主党の国会議員に要請を行いました。靖国合祀問題で、国会議員に直接申入れするのは初めて。石毛えい子議員、岡崎トミ子議員、藤田幸久議員(党国際局長)、初当選した白眞勲議員に参加していただき、約1時間の申入れを行いました。1993年に日本から韓国に引渡された旧陸軍の資料により合祀されて いることがわかったこと、政教分離が規定されている新憲法が制定された後、1959年に厚生省からの通知により合祀が行われていること、などを説明し、合祀取消しへの協力を要請しました。
 午後1時30分、参議院議員会館にある日本共産党の吉川春子議員事務所で、吉川春子議員、緒方靖夫議員(党国際局長)に要請。吉川議員は、一昨年合祀問題で国会質問をしてくれています。合祀問題について「明らかに植民地支配の問題で、許すことの出来ない問題」(緒方議員)と賛同してくれました。
 その後、社会民主党事務所に福島党首を訪問。李熙子さんと福島議員は、10数年前にも会っているとのこと。合祀問題で可能な協力をしていただけることになりました。
 

 

民主党議員を前に訴える李熙子さん

 

社民党・福島みずほ党首に要請

内閣府に対する申入れ

 
   
 最後に、内閣府に小泉首相宛の韓国国会議員の署名を提出し、申入れを行いました。韓国国会議員の署名は端緒についたばかりであり、これから全員の署名を集める予定であることを説明。内閣府担当に「話されたことを含めきちんと官邸に報告する」ことを確認しました。
 今回の行動は、短時間の準備であったが、大きな成果を得ることが出来ました。なによりも、韓国国会議員の「靖国合祀取消署名」を実現したこと、そして、これに対応できる日本の民主党、共産党、社民党国会議員への要請を実現したことです。2005年解決へ向け、大きく前進していきましょう!
 

皆さんへ調査協力のお願い
近くの県立公文書館で「靖国合祀」関連の文書を調べてください

 GUNGUN裁判の大きな争点が靖国合祀絶止です。靖国合祀は戦後も戦前のやり方を踏襲し、憲法の政教分離規定を無視して、手続きが行われました。1956年には厚生省から援護局長通達「靖国神社合祀事務協力要請」が都道府県知事向けに出されます。それはまさしく行政ぐるみで宗教に関与していたことになります。今まで東京都、沖縄県、大阪府、兵庫県、京都府の公文書館で合祀に関する文書を調査してきましたが、残念なことに政府と地方自治体との関与を証明する決定的証拠文書(例えば県から厚生省への公文書)が出てきていません。そこで会員の皆さんにお願いです。お近くの公文書館でそういう文書の存在を調べていただけないでしょうか?どんな資料でも構いません。調査後は下記までご一報ください。


京都府立総合資料館に行ってきました(木村)

 公文書はパソコンに入力されておらず、「靖国」をキーワードに京都100年史等から年譜を追って調べましたが見つかりません。諦めかけたころに、新しい索引の中に靖国神社合祀名簿が見つかりました。1969年になってようやく整理されたようです。閲覧申し込みから1時間が過ぎた頃係りの方から「名簿には本籍地の記載があり、お見せできません」の返事にはがっかりしました。気の毒に思ったのか、他の資料の探し方を教えてくれました。「戦没者遺族靖国神社参拝者(団)名簿」昭和32年11月と昭和39年11月の2冊が見つかりました。昭和39年度の表紙には、第12回京都府主催とあり、参拝団名簿には引率者として府の民生労働部長を団長に28名の府の職員、医師、保健婦を伴い、各回500名の遺族が参加していました。3泊(車中2泊)で、参拝以外の観光コースには‘皇居(二重橋)拝観’も入っていました。後に「靖国合祀名簿がどんなものか、ざっとご覧になりますか?」と、9冊中の1冊目(昭和20年4月〜昭和29年10月合祀)を見せてもらいました。7〜8センチもある厚い名簿で、靖国神社の便箋が使われていました。京都府の公文書として保管されているのに、いったいどういう経過で届いたものなのか、添付書類は一切付いていませんでした。尋ねると「まだ、こちらには着ていないのでしょう」と。謎は深まるばかりです。戦前から戦後へ何ら変わりなく流れてきたことを思い知らされる一日でした。本当に平和な世に変えるためにグングン裁判支援頑張りましょう。  

ドキュメント「戦犯タクシー」の制作に向けて

(主張から続く)
 
BC級戦犯遺族の羅鉄雄さん  
 朝鮮出身のBC級戦犯者は、スガモ刑務所を出ても身内もいない。職もない。せっかく死刑台から生還して釈放されても生きていけない。将来を悲観した人は自殺に追いやられていきます。そんなとき一人の日本人医師が運動のためにと多額の寄付をします。その資金を元に設立したのがタクシー会社「同進交通」でした。死んでいった仲間の無念を晴らすために、また仲間を一人も脱落ささないと誓い合い、戦犯者みんなが株主になって運営したこのタクシー会社は軌道に乗り、成功します。1980年代半ばまで続いたこのタクシー会社は巷では「戦犯タクシー」と呼ばれたのです。
 一昨年、GUNGUN裁判でBC級原告の羅鉄雄さんが来日し、在日生存者である李鶴来さんと交流し、この話を伺いました。以降ずっと思い暖めていたのが映画をつくるという企画です。2005年に向けて、まずドキュメントからと方針化しました。映像を通じて若い人に真実を広げ、運動を広げたいと思っています。理不尽な戦後処理シリーズ第2弾は「靖国」、第3弾は「シベリア抑留」を考えています。夢は日韓合作の劇映画です。
 できるだけ多くの人の協力で完成させたいと願っています。具体的には撮影、編集、音楽、効果など映像面でのノウハウを持っている方のご協力、また手弁当といってもお金が必要ですので資金面でのご支援をよろしくお願いします。

企画説明会を開催

●9月25日(土) 19時〜21時 エルおおさか
●内容
   ・ドキュメント「趙文相の遺言」上映
   ・ドキュメント「戦犯タクシー」企画の説明・質疑・交流
(18時からのボランティアツアー説明会のあと引き続き行います)


『イ・ハンネさんから感じること』
(小川)

 
李鶴来(イ・ハンネ)さん  
 李鶴来(イ・ハンネ)さんは、BC級戦犯者として巣鴨プリズンに収容され、 56年6月になって、やっと釈放。生まれて初めての東京の街に、どんな縁故もなく放り出された。 韓国人で、戦犯となったイ ・ハンネさん達を雇うところなどなく、その苦労はいかばかりであったでしょう。しかし、イ氏ら韓国人戦犯者62人は刑務所の職業訓練の過程で取得した運転免許を元手にして、58年に板橋区蓮根にタクシー会社を設立した。何事も一緒にやるという趣旨で「同進会」を作り、会社の名前も「同進交通」とした。85年に株主たちが代わるときまで20余年間その会社は存続したのです。私はその話も聞きながら、国労の闘争団を思いました。みんなで生活費を分かち合い、互いを家族の気持ちで支え合い、そして自分たちを苦しめている原因(国家権力)と闘う為に、ともに進む。生活づくりと同時進行で闘う。イ ・ハンネさんも、補償を求めて闘い、補償のための立法化を求めています。 「今後も、この問題の解決のための立法運動を続けていく。私はわれわれの運動が軍隊慰安婦など未解決な問題の解決にも役立つものと信じている。」日本の植民地政策の犠牲者として、非常な苦労を強いられながらも、「人として」闘い続けているイ ・ハンネさん達の生き様を、私たち日本人は知らなければいけないと思います。「戦犯タクシー」をドキュメントにしたいと考えている私たちの責任は大きいと感じます。

「共生のアジアを!フェスタ8・7」に300名参加
     30名を越える日中韓の若者が積極的な議論!

 

平和遺族会・西川代表と李熙子さん

 

 8月7日、2005年キャンペーンの第2弾として「共生のアジアを!フェスタ8・7」が明治学院大学で開催されました。来日の李熙子さんも証言に立ちました。
 「共生のアジアを!フェスタ8・7」の会場には、「慰安婦」問題、強制連行問題、シベリア抑留、毒ガス、731部隊、細菌戦などの写真、パネル展示、ビデオ上映が。若者の取り組む劣化ウラン問題のパネルも。グングン裁判を支援する会はパネル展示を行いまし。途中からは、韓国人記者がとった前日の行動(靖国申入れ等)の写真・報告も飾られました。

 

   

 

 証言する李熙子さん

李熙子さんが証言
 大中の4教室などを確保した会場では、様々な取り組みが。ある会場では「慰安婦」問題のパネルとビデオ上映。ある会場では731部隊展も。大教室ではコンサートが。中国残留孤児らは劇「わたしたちはなにじん?」を上演。全抑協もパネルをもって参加しました。
 午後は李熙子が証言。「父を失った戦後は苦労の連続であった」「今なお、父が日本に支配されていると思うと口惜しくて夜も充分に眠れない」と訴えました。

 

 
   

30名を越える日中韓の若者が議論
 高橋哲哉・東大大学院教授、趙寛子・中部大学講師のコーディネイトで行われた「日中韓若者は語る!異なる過去−共通の未来」は、30名を越える若者が討論。時間がすぎるのも忘れるほどでした。アジアカップのこと、その異常な取り上げ方のこと、各国の加害(日本の植民地支配・侵略戦争、韓国のベトナム戦争派兵、中国の文化大革命等)の歴史とどう向き合い克服していくか、日本の加害を忘れてはならないこと、日の丸・君が代のことなどなど。中国若者の参加者は「自分の住んでいる村は日本軍に爆撃された。こんなことを考えて欲しい」と訴えました。

 終了後ある参加者は「もっと話したかった。こういう機会をもっと作って欲しい」(日本)、「こういう取り組みをもっとして欲しい。参加する。」(韓国)と話していました。
 戦後補償問題の2005年(朝鮮植民地支配から100年、終戦60年)の解決へ向けて、がんばりましょう!

ボランティアツアー2004に参加しませんか?

 

昨年の納骨堂草刈りボランティア

 

 今年も韓国・春川の納骨堂の草刈りをやります。このツアーをやり始めた頃は春川で日本人を見かけることは、まずありませんでした。それが今では観光客の人の多いこと・・・。
 アジアカップでのブーイングは、戦争の傷跡を再確認するとともに、どうすれば加害国、被害国の市民が手をとりあえるか、考えさせてくれました。まだ韓国へ行ったことのない方!  この機会に一緒に行きませんか?

                          10月1日(金)〜3日(日) 詳細

                          ※ツアーの説明会を行います。
                      9月25日(土)18時 エルおおさか(19時よりドキュメント映画「戦犯タクシー」企画説明会あり)

 
   
 読書案内
 『冬のソナタから考える 私たちと韓国のあいだ
              

   
高野悦子・山登義明 著  岩波ブックレット(480円+税)

 2001年にボランティアツアーを始めた頃、春川(チュンチョン)市のことを知っている人や訪れたことのある人が日本にどれほどいたでしょうか? 「冬のソナタ」ブーム以降、ドラマの舞台春川を訪れる日本からのファンが途絶えることはなく、「冬ソナ」をきっかけに韓国の言葉や文化に関心を寄せる大きな流れも。本書は、「冬ソナ」特番3本を制作した山登義明さんが、視聴者からの便りと出演者・監督の発言を通して「冬ソナ」の魅力や日本人の韓国観の変化を解き明かしています。また韓国映画の紹介に力を注ぎ、今は「冬ソナ」に惹かれているという岩波ホール総支配人の高野悦子さんが、「冬ソナ」との出会いを語り、一過性のブームに終わらせることなく、日韓の相互理解と友好の道を育てていこうと提案しています。「冬ソナ」ファンにおすすめの一冊です。春川のロケ地にとどまらず、「納骨堂」とその歴史に多くの人の目が向けられることを祈って。(塚本)

GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
  9月25日(土) ボランティアツアー説明会・戦犯タクシー企画説明会
        (18時エルおおさか)
   26日
(日) END THE OCCUPATION!9.26世界共同行動
        【東京】14時 渋谷・宮下公園 15時ピースウォーク
        【大阪】13時 扇町公園 14時ピースウォーク
 10月 1日
(金)〜 3日(日) ボランティアツアー2004(韓国・春川)
    9日
(土)〜11日(月) 朝鮮人・中国人強制連行強制労働を考える全国交流集会
        (札幌かでる2・7他)
   15日
(金) 日鉄第一次供託金裁判判決(13:15東京地裁606号)
        
GUNGUN裁判進行協議(非公開14:30東京地裁)
   24日・25日 日本の過去の清算を求める国際連帯協議会(平壌)
   31日
(日) 東京・団結まつり(10時 亀戸中央公園)
 11月 7日
(日) 大阪・団結まつり(10時 扇町公園)