在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.4 (2001.6.10発行)

いよいよ6月29日提訴!東京・大阪集会に参加を!

提訴に向けた弁護団訪韓・原告集会でスタートを確認!

「間違いなく総括的・究極的な裁判になる」(大口弁護士)

 いよいよ在韓元軍人軍属・遺族による戦後補償裁判を、6月29日東京地裁に提訴します。提訴に先駆けて5月26〜29日、弁護団5名全員と支援する会(準備会)7名で訪韓し、春川約80名、ソウル約120名参加の原告集会に参加してきました。原告集会では、「歴史を歪曲してはいけない。私たちが証人だ」と教科書問題に怒る声の一方、私たちの韓国語で行ったアピールに「日本は今まで近いけど遠い国だった。日本にもこんな人がいるのだと思った。ありがとう」など、裁判の意義を確認し、戦後補償実現に向けた思いを共有することができました。  今回の裁判では、「時効」「日韓請求権協定によって解決済み」と言えない「遺骨未返還」「靖国合祀」といった人格権の問題を突破口に、「給与未払い」や「軍事郵便貯金未払い」、さらに「BC級戦犯」を代表とする賠償を争います。まさに今までの総括的・究極的な裁判になります。歴史の歪曲を許さない闘いのスタートをぜひ一緒にきりましょう!!

[5/26〜29弁護団訪韓行動報告]

ソウル・春川(チュンチョン)で原告集会に参加!

 5月26日から29日にかけて、「在韓軍人軍属裁判」の弁護団訪韓行動が行われました。訪韓の目的は、原告集会を通じて裁判の意義を共有し、原告、弁護団、支援者の連帯を深めること。日本側からは、李宇海・大口昭彦・鶴見敏男・古川美・殷勇其の5名全員の弁護士が参加。支援する会からも7名が参加しました。  27日は春川(チュンチョン)で「太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会」主催の集会。参加した原告は約80名。遠くは全羅南道から泊りがけの参加者も。支援する会が韓国語で「原告の皆さんは、歴史の歪曲を許さない生き証人。韓日市民の共同行動でがんばりましょう」と呼びかけると会場から大きな拍手が。その後原告たちがただ働き同然の仕打ちや戦犯にされたことへの怒りが語られ、会場が騒然とした時原告の一人蔡錫奉(チェソッポン)さんが「日本というと近くて遠い国だと思っていた。今日この場に皆さんが来て下さり、うれしい。私たちのためだけでなく、日本のためにもがんばって下さい。」と語ると会場が拍手に包まれました。  28日はソウルで「太平洋戦争被害者補償推進協議会」主催の集会。約130名の参加。ここでも遠く済州島からの参加者も。支援する会からのアピ−ルの際に『アリラン』『ひとひらの花』を歌う。皆さんがじっと耳を傾けてくださる。涙をぬぐう姿に歌は国境を超えると実感しました。金銀植事務局長から『戦死記録や供託や遺骨に関する記録を日本政府から韓国政府に引き渡してほしいが、裁判でそういう請求はできないか。提訴希望者がどんどん増えている。ドイツでも1万人が提訴した例がある』と意見。大口弁護士から『1965年の日韓協定の壁を打ち破らねばならない。ノテウ政権の時に不充分ながらも資料が韓国政府に引き渡されている。遺骨にしても資料にしても要求を両政府にぶつけることが必要。日本人は日本政府と闘うが、韓国でも韓国政府に対し明らかにせよと声をあげてほしい。』と共同行動を深める必要が述べられた。終了後、事務局長は「2週間前開いた説明会の2倍の参加者が集まった。いよいよ裁判が始まるという気構えができた集会だった。」と感想を語った。  2会場の集会を通じて、固く握手を交わした原告のゴツゴツした、でも温かな手の感触が忘れられません。日照りつづきで作物の生育が最も気になる大事な時期に、駆けつけてこられたその思いに応えなければという思いが深まった行動でした。(大幸)

韓日両国の民衆の運動を!

 ソウルでの太平洋戦争被害者補償推進協議会の原告集会にも、約130名の原告が参加しました。集会の進行と共に参加者は増え、会場が埋まっていきました。協議会より、李煕子さんの挨拶、大口弁護士の挨拶の後、私たち「支援する会」から、メッセージや歌でアピールしました。会場のあちこちで涙される方が見られました。父親の無念、家族のたどった苦しみが思い起こされたのでしょう。その後、発言された女性は支援メンバーに向かって、「父は徴用に連れて行かれたが、生死の確認もありません。母も亡くなり墓参りするたびに涙が出ます。補償も大切だが、生死確認と遺骨返還をまずやって欲しいです」と訴えられた。続く発言でも、「過去の責任を取らない国を、善隣国とは思えません」「なぜ、裁判までしなければならないのでしょう。必要なときに強制連行しておいて、いらなくなればゴミのように捨てるのですか」と。積年の思いが吐き出されるのを感じました。  熱気に満ちた集会の中で、韓日両国で民衆の運動を起こして日韓両国が各々の政府に対して、要求を突きつけていこうということが確認されました。(木村)

裁判支援の物販に協力を!

 私は大口弁護士の、「この裁判は日本を活性化させる運動」という言葉が胸におちました。日本が植民地にしていた時代の皇国教育のすさまじさに思いを馳せて、ハングルに対しての学ぶ意識のないまま今回のツアーに参加したことを大いに恥じました。今後の裁判闘争を考えると、莫大な運動資金が必要になります。職場で今回のツアーで「仕入れした品物」を披露して、協力をお願いしてみたら、生死不明、遺骨もないという実状には、誰もどんな反論もできないという反応を感じました。今後、裁判支援のための「物販」も取り組んでいきたいと思います。ご協力をお願いします。(小川)

訪韓の心を「歌」に託して・・・

 夢をひとつに

青い空をこえてきた 愛しい君に会うために

花の色に身をつつみ 涙色に染めていた

君の大切な 人はどこに

待ちわびた花が 枯れないように

私の歌をとどけよう

長い時を 越えてきた 哀しい君の年月と

打ち捨てられた 花びらを

ひとひら ふたひら ひろいあげよう

昔に戻って 手をとりあって

幼な子のように 踊れるように

君の心 抱きしめよう

青い空の下 夢をひとつに

青い空の下 夢をひとつに

 たった一人の父親が、日本に連れて行かれ、その生死もわからず遺骨も返らない。そして、その大切な人の無念さをいだいたまま、この世を去った、母親。墓前にたたずみ涙にくれる遺族の人の話を聞いて、どうしようもない憤りに心が固まってしまいそうになりました。  この日本という国の、この「人道的」という言葉を乱発するこの国の政治は、一体、数十年間、何をしてきたのでしょうか、それとも、戦争でけちらした朝鮮の花びらなど痛くもかゆくもないのでしょうか。  思えば、この遺族の人たちの人生を知るために、奪われた半生を取り返す方法はないのかを探すために、この地を訪れたのでした。うち捨てられた花は百や二百ではなく、幾千幾万とあるに違いありません。今、そのひとつひとつを拾い上げる作業を、韓日の心ある人達で取り組んでいます。それは少なくても、この数え切れない人々の無念を晴らし、もう一度、子どもの時に戻って、あの時に止まってしまった人生を取り返すための力となるのです。一人の人間としてあたり前の人生のあたり前の夢を見るように、そして、私たちがひとつにつながっていくようにこの歌を広げていきたいです。(西野)

内海愛子さんを迎え、第1回グングン連続講座開催!

 5月18日、東京で第1回目のグングン連続講座が開催された。当日は、BC級戦犯として死刑に処せられた「チョウムンサンの遺言」(91年NHKドキュメンタリー)を見たあと、内海愛子さんの話を聞きました。俘虜監視員・BC級戦犯問題は、まさに軍人軍属問題の象徴ともいうべき問題です。多くの朝鮮人軍属がタイ、マレー、ジャワ俘虜収容所の俘虜監視員として動員され、戦後129名が戦犯として有罪判決を受け、死刑や懲役刑を執行されました。日本軍の国際法違反の政策(捕虜の労役への強制)の最前線の執行者として使い、有名な泰面鉄道の建設や捕虜の2/3が死亡したといわれるハルク島の飛行場建設などに捕虜を動員する役割を担わせたのです。そして、戦後はその末端の監視員にその責任を押し付けるという全く卑劣な行為を行ったのです。本裁判の原告にもBC級戦犯として巣鴨刑務所での服役を余儀なくされた方がいます。 (参考文献:「朝鮮人<皇軍>兵士たちの戦争」(岩波ブックレット)、「朝鮮人BC級戦犯の記録」(勁草書房)、「赤道下の朝鮮人反乱」(勁草書房)など)

アジア沖縄平和まつりに原告・金幸珍さんが参加!!!

 5月19・20日に原告の金幸珍さんが参加して、まつりが盛大に開催されました。 金さんはガダルカナルの激戦に九死に一生を得た体験を語り、「歴史は正しく伝えられなければならない。韓国では全国民が神経を尖らせている」と教科書問題と裁判支援を訴えました。また滋賀から参加した在日元軍属裁判を闘った姜富中さんとともに教科書問題のひろばでも議論に加わりました。

沖縄で開催の全交(7/28〜30)の分科会を主催します。

 今年の全交(平和と民主主義をめざす全国交歓会・実行委員会代表:山内徳信さん)は、平和の発信地・沖縄読谷村で開催されます。GUNGUNも戦後補償分科会・分散会をともにつくろうと考えています。会員の皆さんもぜひ一緒に沖縄へ行きましょ う! (全交ホームページ:http://www2r.biglobe.ne.jp/~zenko/

 

ハングル講座