戦没船から原告を見ると? | ||||||||
戦没船フィールドワーク報告から
2001年9月23日、私たちは「戦没船フィールドワーク」に取り組みました。目的は、私たちのGUNGUN裁判の原告が関係する戦没船についての調査でした。「戦没した船と海員の資料館」は、神戸元町の全日本海員組合関西地方支部のビル2階にあります。「開館から1年、毎日遺族の人が訪れない日は一日もない」そんな研究員・上沢さんの説明を聞いている時にも、広島から一人の女性が父の乗船した船の行くへを求めて、来館されていました。
上沢さんの協力を得て、原告の関係する戦没船を探し始めると・・・ 「あったー!」・・・座っているすぐ後ろの壁に「辰武丸」の額縁が。原告・張学順さんの父、張在珞さんが乗っていたという船が、何とすぐに目に飛び込んできました。1943年5月10日トラック島付近で米軍の魚雷で撃沈。陳述書に書かれている内容が、その額の絵の中に書かれていたのです。 |
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GUNGUN原告の陳述書 |
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日本政府から死亡通知も受け取っていません!
私の父親・金福童は1942年5月初め、強制徴兵され釜山港を出発、日本下関で軍事補給物資を積んで(5月17日)帰港中、米軍の魚雷攻撃を受け、2発が父の船に命中し、沈没したとわかっています。 |
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太平丸は祖父を乗せたまま沈んだ! |
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浮島丸に乗った父は、帰国途上に海に沈んだ。その上、靖国神社に合祀している。日本は本当に悪辣だ! 浮島丸・・・終戦直後謎の沈没。昨年京都地裁で、国の「安全配慮義務」を認める画期的判決が出された! 原告 イム・ソウン(林西云)さん
私は1942年2月28日、忠清南道公州郡モクトン面モクトン里79番地で生まれました。祖母、父、母、叔父二人、叔母一人、そして本人が一緒に住んでおり、父は農業と商売をして、飯は何とか食べれるほどの家庭状況でした。 |