在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.86 (2017.1.21発行) |
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韓国国会議員会館内での集会で |
「韓国人遺骨を家族の元へ」を確認した韓国国会内集会を開催! |
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ようやく韓国国会での動きに展望!(訪韓報告 古川)
まず主催者であるカン・チャンイル国会議員が「戦後73年が経とうとしているのに解決できていない問題がある。アメリカは遺骨一つでも探し出すために平壌まで行っているのに日本では見つけられない。国家は国民の人権を守らなければならないといけない。次期大統領選挙が大切」と挨拶。続いて太平洋戦争被害者補償推進協議会のイ・ヒジャ代表が「今回は議論する場として開催し、次回は日本の国会議員に来ていただいて遺骨返還を実現したい」と決意表明。集会参加のカン・チャンイル議員とソ・ビョンフン議員が今後遺骨の話を引き受けてくれるようです。
続いて上田さんが、推進法成立過程の国会行動を通じた成果と厚労省の行っているDNA鑑定の問題点について報告。現在厚労省が行っている方針では、頭蓋骨がなければ個体性なしと判断され、手足の骨が残っていてもDNA鑑定の対象にならずに焼骨されてしまうことや、沖縄で遺族とのDNA照合呼びかけが始まっているが、そもそも朝鮮半島からの動員者は「行方不明」が多く、韓国政府からすべての遺族が照合対象であること、何よりも焼骨をやめさせることを強く主張すべきであることなどを報告しました。 私は15年3月ニューギニア遺骨調査の写真を映しながら、現地の人が畑を耕せば遺骸が発掘される状況を報告。韓国人遺骨返還の突破口としてクエゼリンなど小さな島での発掘遺骸とのDNA照合が鍵になることを説明。保田さんが沖縄戦に動員された朝鮮人の部隊が今回の鑑定対象地域に含まれている可能性を詳しく解説しました。 会議には、韓国の行政自治部のヤン・イモ課長も参加。これまでの返還遺骨の成果を誇張する一方、日本側から「韓国人の遺骨が発見されれば対応する」方針だけしか持っておらず、「DNA照合しなければ韓国人だとわからない」という問題意識がないことがよくわかりました。会場から課長に対する質問や批判が飛び交っても、のらりくらりと答弁してその場を切り抜けました。唯一よい話しとして、「DNA検査対象遺族の検体採取費用として、8000万ウォン(約800万円)の予算を確保し、不足があれば他からの流用を考えている」ことが確認できました。 集会には沖縄戦遺族の米本さんも参加、「一番近い皆さんとの対話を怠ってきた日本が恥ずかしい。希望を失わずチャンスをつかみましょう」と発言。最後に具志堅さんから「沖縄県議会への要請を粘り強く行ってきたことが成果につながっている。間違っていないからあきらめないことが大事」と韓国遺族へエールを送りました。 カン・チャンイル議員は「日本の右翼的政治状況の中、感動した」と話されたそうです。集会内容は、さっそく聯合ニュースが写真付きで配信。大統領選出後、日本政府との協議に向け、問題意識を韓国国会内に植え付ける集会になりました。 予期せぬ韓国国防部でのDNA鑑定に関する交流で大きな成果 国会内集会の翌日、素晴らしい展開が待ち受けていました。 日本では推進法施行後も、DNA鑑定のハードルが高いですが、私たちは韓国での朝鮮戦争犠牲者の遺骨を家族の元へ返すための取り組みが参考になると確信していました。5月19日参院厚労委員会で川田龍平議員の「四肢骨からのDNA鑑定で実績のある米韓両国と、歯でこれまでやってきた日本とで技術交流を行うべきではないか」との質問に、堀江政府参考人が「米国や韓国の取組等につきまして情報収集等を行う」と答弁しています。そしてこの日、チャン・ワニク弁護士に立ち会っていただき、韓国国立墓地内にある韓国国防部中央鑑識所へ突然訪問しました。
まず1階のレクチャールームに通され、広報のカン・イル将校から全体概要説明用のDVD映像を交え説明を受けました。韓国国防部遺骸発掘鑑識団は2009年に中央鑑識所を設置し、朝鮮戦争戦没者の発掘・鑑定事業を行っているとのこと。その後、私たちに対応していただいたのがチャン・ユラン所長。民間人で法医人類学博士の所長から直接話を伺うことができた。以下はそのやりとり。
訪韓から帰国した週の24日、共同通信は「日米で戦没者遺骨収集・来年度から科学調査で協力」の見出しで「今年10月には、旧ソ連による抑留犠牲者の遺骨収集作業中に、DNA鑑定の検体として採取した61柱分の歯を誤って焼却したとされる問題も起きた。政権内からは「本腰を入れて対応しないとまずい」(与党筋)との声が漏れる。米側の取り組みは進んでいる。国防総省は専門機関として「戦争捕虜・戦中行方不明者捜索統合司令部」(DPAA)を置く。米兵の遺骨を発掘して持ち帰り、鑑定し、遺族の元へ引き渡す任務を担う。歯を伴わない遺骨のDNA鑑定も行っている」と報じました。 明らかに私たちの問題提起が「骨は焼いてすべて千鳥ヶ淵へ(魂は靖国へ)」という戦後一貫して行ってきた「安上がりな戦後処理」の根幹に変化を与えつつあります。 今後も韓国人遺族への遺骨返還に門戸を開かせるためにご支援をお願いします。 「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会のHPができました。 http://kazokunomotoe.webnode.jp/ |
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心のぬくもりを感じた初めての韓国訪問 (米本さんから寄稿)
果たして韓国の皆さんの懐は私を深く温め、遺族同士と想いを重ねてくださった。「戦争という最も悲しい肉親の失い方をしたことは共通だ」と李煕子さんに言っていただいた。その懐の大きさは戦後のご苦労から来ると思いを馳せた。国際会議では立派な席が用意されており躊躇した。大勢の御遺族の前で「皆様のご先祖様の生きた証に耳を傾けに日本から来た」思いを示そうと末席を汚した。集会では海を隔ててなお肉親を求める深い愛と勇気に圧倒された。私の発言に皆さんは熱心に耳を傾けて下さった。なんと純粋で辛抱強く温かな人びとだろう。中にはご主人の御尊父様のために、長年お姑さんの介護をされ御主人亡き後もご活動を続けておられる愛の固まりのようなご遺族にもお目にかかった。また祖父と同郷に生まれた方の話しも伺えた。韓国人の父と日本人の母の間に生まれた彼の、父なき戦後の苦労をお聞きした。このたび出逢った韓国遺族の皆さんからいただいた心のぬくもりは、今も私を温め続けている。
沖縄戦戦没者 孫 米本和歌子 |
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第3回厚労省交渉・画期的な国会内集会開催の報告(古川)
韓国人遺骨の交渉は3回目。「戦没者遺骨収集推進法」成立後初めての今回は、既に沖縄で開始されている沖縄戦遺族へのDNA鑑定呼びかけ内容と、対象となっている地域に朝鮮人軍属がいた可能性があることを確認するために行いました。まず推進協・李煕子代表から厚労省社会援護局事業課の吉田課長に要望書を手渡しました。現在厚労省は、沖縄本島4地域(平川・幸地・経塚・真嘉比)から出土した遺骨の鑑定を行い、その地域に関係する軍と一般県民被害者に鑑定呼びかけを行っています。そのうち264遺族から鑑定依頼の回答が返ってきているとのこと。 沖縄へ動員された朝鮮人軍属は政府の記録でも4000名を超えます。その中心部隊の特設水上勤務隊(水勤隊)が4地域に関連していなかったのか。水勤隊は4つの中隊で朝鮮人軍夫2646人と、指揮する日本人軍人が各中隊に60名程度いたことがわかっています。ノーハプサスタッフ保田さんの史実資料等の調査で、4地域に関連する部隊として、「62輜重隊」(重量物を運搬する兵站任務)に、102中隊が編入されていたことが判明。今回その資料を提出しました。厚労省は「知らなかった」と資料を受け取りましたが「中隊の日本人に4地域での戦死記録がないので対象にしなかった」と言い逃れました。 沖縄戦での朝鮮人戦死者を考えるとき大きな問題が浮かび上がってきます。ほとんどが「行方不明」のまま放置されているのです。日本人の場合は沖縄県民を含めて、戦傷病者戦没者遺族等援護法の遺族年金支給の関係で戦死事実と、(信憑性はともかく)戦死場所が確定しています。しかし援護法の蚊帳の外に置かれた旧植民地出身者は「不明」、留守名簿にも「○不」のゴム印が押されたままなのです。戦後、韓国政府に手渡った「特別水上勤務102中隊・朝鮮人不明者名簿」(1948年)には「終戦時沖縄本島軍人はほとんど玉砕・軍夫は不明なれど、ほとんど戦傷病死したと思われる。大部分死亡か?」というメモ書きがあります。水勤隊で死亡記録のある人は、102中隊で100名、104中隊で68名が確認できますが、その他は、「○不」です。予想どおり、厚労省は「行方不明の場合、連絡できない」と回答。私たちは「DNA鑑定を通じて探すのが日本の責任」と繰り返し要求しました。一方、戦後の引き揚げ時に、戦闘や戦死者把握のために港で聞き取り調査したことがわかっていますが、その記録が残っているか質問すると「調査して相原事務所に回答する」と約束しました。70年間行方不明のまま放置してきた問題を避けて通れないことを厚労省に強く認識させる交渉となりました。 翌13日、ガマフヤー主催で国会内集会を開催 翌13日には同じ会場で、ガマフヤー(具志堅隆松代表)主催で「戦没者遺骨返還のあり方に関する国会内集会」を開催しました。沖縄戦遺族へのDNA鑑定呼びかけが始まっているにも関わらず、広く知れ渡っていないこと、地域の限定に問題が多いこと、DNA抽出する対象が「歯」だけで「四肢骨」は焼却してしまっていることなどの問題点等を国会議員に知ってもらうために開催したものです。日本遺族会長水落議員からのメッセージをはじめ、自民から共産まで30人を超える国会議員、秘書が参加、10人の議員に挨拶いただきました。また太平洋戦史館の岩淵宜輝代表理事や、シベリア抑留者支援・記録センターの有光健さんなど遺骨収集団体が参加、思いを一つにする画期的な集会になりました。 集会全体を規定したのは遺族からの発言でした。兄が沖縄戦で戦死した北海道千歳市の渡辺鶴雄さんは「毎年沖縄に通っているが遺骨が見つからない。4地域に該当しないためDNA鑑定に参加できず残念だ。地域を限定せず沖縄全体でDNA鑑定をしてほしい」と要望。千葉市の米本登志子さんも「島尻郡方面で戦死としか分からない。DNA鑑定に加えてほしい」と発言。町田市の田畑一夫さんは、発掘された遺骨がDNA鑑定の結果、家族の元へ帰った方で、「今年1月に母が101歳で亡くなり、父の遺骨の横に母の遺骨をぴったりとつけている」と報告しました。具志堅さんは「戦死通知では山川方面で戦死とされているが、実際遺骨が見つかったのは浦添市前田。誰がどこで死んだかわからない沖縄戦の特徴を如実に物語っている。これまでDNA鑑定で4体の遺族が判明しており、うち2人に聞くと2人とも戦死通知の場所と異なっている。沖縄のような狭い場所を細かく区切ってDNA鑑定をする必要があるのか。現在沖縄で保管されている600体のうちDNA鑑定対象になるのが87体だが、これは歯がある遺骨。歯以外からもDNAは採れる。歯の有無によって帰れる、帰れないでは不公平が生じる」と補足発言しました。集会には遺骨収集団体である太平洋戦史館の岩淵宣輝さんや、シベリア抑留者支援・記録センターの有光健さんも発言。最後に川田隆平議員が「国の責任において遺骨を収集するだけでなく、ご遺族にお返しするということが法律に明記された。しっかり国としてやっていくことが大事」と締めくくりました。 この2つの行動後10月28日、シベリア抑留被害者61人分の歯が誤って焼却され、DNA鑑定が不可能になったとの報道がされました。歯だけを検体としていることの問題点が広く明らかになり、さっそく川田議員が11月7日の厚労委員会で塩崎大臣に質問しました。今後も「歯だけでなく四肢骨を対象にすべき」「希望する全遺族から検体採取を」の声を広げていきましょう!
集会内容は、「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会のHP http://kazokunomotoe.webnode.jp/ で公開しています。ぜひご覧ください。 |
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ノー!ハプサ第9回口頭弁論の報告(山本)
金さんは、1944年7月にお父さんの金応斗((創氏名、金村珍佑)さんが徴兵されて、2カ月後に生まれ、お父さんの顔を知りません。一人で子供たちを育てたお母さん。中学校を卒業後一旦は諦めた勉強。ソウルに出た金さんは昼間は働き、夜間高校を苦労の末卒業しました。 戦死通知も来なかったため、戸籍では1947年に自宅で亡くなったことになっていました。お父さんの記録を探すため遺族会の活動に参加するようになり、2001年にようやく記録を見つけることができました。記録によるとお父さんは1945年2月15日にビルマ戦線で頭部を銃撃されて戦死していました。金さんは訴えました。「父がヤスクニに合祀されているという事実を知って、とても腹が立ちました。ヤスクニは侵略戦争を起こした戦犯が合祀されている侵略神社ではありませんか?なぜ、私の父が彼らと一緒に合祀されているのでしょうか?父は天皇のために死んでいった人ではありません。侵略戦争に連れていかれた被害者です。結婚し、妻の腹中にいる子どもと会う前に、戦場で死んでいくことは、どれほど悲しかっただろうか、想像してみてください。私は、父が侵略神社ヤスクニに合祀されていることを、到底許すことはできません。私は、今からでも直ちにヤスクニから父の名前を取り消すことを求めます。」 今回、原告側は、情報公開請求で入手した「靖国神社合祀事務協力要領関係書類」等の書証を提出し、準備書面13(情報公開請求で入手した文書に基づく国の関与の実態)、準備書面14(被告の主張に対する反論、求釈明)を提出しました。やり取りの中で、裁判所も人格権の問題であると認識しつつあるようで、裁判は重要な局面に差し掛かっていることが弁護士からも報告されました。次回は、2月15日(水)午後2時から東京地裁103号法廷で行われます。引き続くご支援をお願いします。 第10回口頭弁論期日 2017年2月15日(水) 午後2時 東京地方裁判所103号法廷 第11回口頭弁論期日 2017年4月25日(火) 午前10時30分 東京地方裁判所103号法廷 いずれの期日も、傍聴券の抽選が行われる可能性がありますので、30分前には裁判所にお出でください。また、裁判後は総括集会を開催する予定です。 |
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映画案内 建設工事には、連合国捕虜6万余と25万人以上の現地アジア人労務者が動員され、捕虜約1万3千人 労務者推定数万の犠牲者を出した。その贖罪と和解に生涯を捧げた永瀬隆と妻佳子の20年にわたる慰霊の旅を追う記録映画だ。 「復員する日本軍12万人全員に タイ政府が「米と砂糖」を支給してくれた」恩返し。 一方、陸軍の通訳として 直接犠牲者に手をかけることはなくとも、虐待現場に立ち会った記憶と罪が語られる。「泰緬鉄道の後始末をするのが僕の務めだ。」「戦争から帰った時には心身ともにボロボロ。そのボロボロになった自分を立て直すための一つの努力。それが人から見れば反戦運動になり、個人的な戦後処理になりここまできた。」 国が戦争を始めるが、戦場で殺し殺されるのは個人、その罪を生涯背負うのも個人だ。国がやらないからとつぶやくシーンも何度か出てくる。見終わった後、自らどう生きるかをも考えさせられる映画だ。 (木村) |
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読書案内 1)『現場を歩く 現場を綴る―日本・コリア・キリスト教―』 (かんよう出版 2016.6 四六版 250頁 1620円) 2)『心に刻み、石に刻む―在日コリアンと私』 (三一書房 2016.11 四六判 255頁 1944円) 3)『旅行作家な気分―コリア・中国から中央アジアへの旅―』 (合同出版 2017.1 四六版 272頁 1620円) GUNGUN裁判の呼びかけ人でもある神戸学生青年センターの飛田雄一さんが3冊の本を出版されました。「ヘイト」が蔓延する時代によい参考書ができました。以下飛田さんからの案内です。 「私は、出版社社長(センター出版部、むくげ出版)としていろんな本を作ってきましたが、今年は自分の本を作ろうと作業を進めてきました。そして以下の3冊ができあがりました。それぞれ飛田直営店で発売中です。1)1500円、2)1800円、3)1500円。(いずれも送料込)e-mail hida@ksyc.jp で申し込みください。郵便振替用紙を同封してお送りします。」 |
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