在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.76 (2014.2.15発行) |
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ノー!ハプサ2次訴訟原告と弁護団 |
戦争被害者の傷口に塩を塗る行為、発言を許さない! |
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李煕子さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)から
また、グングン裁判の過程で製作されたドキュメンタリー『あんにょん・サヨナラ』を通して遺族たちの悲しみと願いを多くの人びとに見せることができ、靖国神社の隠された問題が本格的に暴露されるようになった点があります。これを機に、私たちが共にやらなければならないことが何であるのか、広い視野に立って思い悩むようになりました。被害者たちは被害者であるだけであり、自分の力でやれることはありません。心の中には日本に対する怨念と憤怒が残っているだけです。心の中にからみついた糸を少しずつ少しずつほどいていくことが、私たちが共にやらなくてはならない民間交流の役割であり、すでに私たちはそれをしていると思います。 日本に引っ張って行かれ何の連絡もない父の行方を捜す活動や、父がおられた現場を訪ねて行く巡礼、放置されている犠牲者たちの遺骸問題を解決するための努力などを通してグングン裁判を支援する会の皆様との連帯が益々固くなることを祈ります。また、韓国の被害者と遺族たちが支援する会の皆様の温かい心を感じて理解する契機を広げていきたいと思います。日本と韓国の政治的環境が変化したとしても強制動員問題に対する被害者たちと遺族たちの気持ちは変わるはずがありません。被害を被ったという事実はなくなりはしないからです。こうした時であるほどグングン裁判を支援する会の皆様の温かい心が間違いなく必要だと思います。私は過ぎ去ってゆく歳月が無情であると思うときがたくさんあります。しかし流れゆく歳月をとどめておくことはできませんから、与えられた時間の中で最善を尽くそうということが私の覚悟です。 グングン裁判を通して失ったことは何でしょうか。裁判の結果です。しかし全くの損失であるとは思っていません。裁判を通して多くの事実が明らかにされましたし、残された宿題が確認され、その宿題を解決するための色々な分野の新しい活動が活発に進められています。そして裁判の過程で残されたたくさんの資料は記録として残り、強制動員被害問題を解決するうえで礎石になるだろうと思います。そのような歴史的な足跡を残した皆様との出会いと活動は被害者たちにとって息苦しい気持ちをすっきりさせる契機になりました。皆様と会うたびに残されていく思い出は大きな力となり慰めとなりました。皆様の助けがあったからこそ持続的な活動をしてここまで来ることができたと申し上げたいと思います。そしてこれからもたくさんの交流を通して平和を築いていく活動が続いていくことを祈ります。2014年は皆様のご家庭に健康と幸せが満ち溢れますよう手を合わせてお祈りいたします。 2014年2月 太平洋戦争被害者補償推進協議会 共同代表 李煕子 |
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姜宗豪(カンジョンホ)さんの父の記録見つかる!
戦没した船と会員の資料館(神戸市)での調査を手始めに、韓国に引き渡された供託金資料の再確認、そして日本での軍事郵便貯金・通常郵便貯金の個別申請運動などもおこした。軍事郵便貯金では多くの個人の記録が出てきて、韓国政府に2000倍のウォンに換算しての請求が行われた。400万円が支払われた人もいたが、3人の記録は出てこなかったが、昨年全国の地方紙の1面に、通常郵便貯金の存在が強制労働の証拠と大きく報じられた。この個別申請運動は今も継続して行われている。強制労働の証拠である通常貯金の該当者はまだなく、現存確認がされれば大きな波紋を再度呼ぶことになる。 何としても、記録を見つけ出すべく我々の取り組みは、年金調査に進んでいる。郵便貯金と同じように年金記録も簡単には出てこない。グングン裁判開始当時韓国遺族側から厚生労働省に年金記録の問い合わせがなされたが、ほとんどが「会社がわからないから調査できない」という回答だ。行方不明だから探してほしいという韓国の遺族に「働いた会社を示しなさい」これが日本政府の態度なのである。 行方不明の父や兄の記録は、遺族にとってかけがえのないものである。記録を見つけても徴用され亡くなった父は帰っては来ない。しかし「どこへ連れていかれ、どこで亡くなったかだけでも、探すことができなくては子としての道理に反する。死ぬこともできない」これが遺族の切実な思いである。姜宗豪さんの場合、生まれてから父と会ったことがなく、父の死が原因でお母さんとも生き別れた。加えて8歳のとき、済州島の4・3事件(政府による左翼狩り、島民の大虐殺)が起きた。父が連行されたことを示す記録や、死亡したという通知さえなく、戸籍上生きているはずの父がいないため逃亡したとみなされ、その代わりに祖父母が連行され銃殺されたのである。その後の少年期・青春期の苦労も、筆舌に尽くしがたいものだった。 日本政府は、また日本社会は姜宗豪さんたち遺族の苦しみにこたえなければならない。そして私も「日本の家族となって記録と遺骨を探し出す」約束を果たしていくつもりだ。 現在、その後「記録」のない韓国人遺族から託された資料をもとに、グングンスタッフで年金事務所や郵便局で調査交渉を続けています。数が多いこともあり、手助けしていただける方を募集しています。メールで事務局までご一報ください。 |
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「遺骨と記録に解決済みはない−戦没者の遺骨を故郷・家族のもとへ」
まず、パプアや沖縄でのこの間の取り組みを紹介した映像を上映し、塩川さんにご講演いただきました。以下は発言の要旨です。 塩川正隆さん
靖国合祀と遺骨問題は、一つのものです。靖国神社に名前はあっても実態は戦場に野ざらしのままです。遺骨を家族の元に戻すという取り組みを希望を持って活動しています。 明日、権水清さんと私のDNAを厚労省に受け取らせるために行ってきます。DNAは50年保存がきくのです。例え自分の代で遺骨が見つからなくても、次の世代に託せばいい。硫黄島の発掘事業は終わっているので、次はニューギニア、フィリピン、沖縄での発掘に取り組ませ、戦没者の遺体を家族の元へ返していくよう厚労省に迫りたい。DNAのデータベース化は国がやろうと思えばできるものです。また遺骨収集法の制定にも力を尽くしたい。現在、政府は発掘した遺骸を焼いて白木の箱に入れて日本に持ち帰った後再度焼いて、千鳥が淵に収めていますが、墓地ではないところに埋葬しているのは違法であり、言うならば「仮安置が60年続いている」事です。そこで、遺骨収集法を実現するために議員への働きかけを強めていきたい。 <韓国から参加のお二人の訴え> 李煕子(イ・ヒジャ)さん 会場に飾られているニューギニアの写真を見て、高仁衡(コ・イニョン)さんのことを思わずにはいられなかった。どんなに行きたかったであろう父親の最期の地に足を踏み入れた一か月半後、急逝してしまった。なぜそんなに早く亡くなったのか。骨のかけらでも探し出して、お母さんのそばに置いてあげたいという願いも果たせずに。90年頃から共に活動し、共に多くのことを計画し、裁判でも共に闘った。相談しながら多くの遺骨を探すはずだったのに。 グングン裁判は最高裁で棄却されましたが、私たちの名前を外してほしいという要求は間違っていない。棄却されたとは思っていない。南英珠さんをはじめ27名の原告が第2次訴訟を始めた。靖国のことをもっと多くの人に知ってもらいたい。 南英珠(ナム・ヨンジュ)さん ニューギニアに行ってより一層感じました。「兄を取り戻して先祖の墓に名前を刻みたい」と。ちゃんとしたチェサをして祀ってあげたい。そのために、ヤスクニからどうしても名前を取り戻したい。そういう思いでノーハプサの2次訴訟に参加することにしたのです。 日本政府はなぜ遺骨を探そうとしないのか理解できない。身内のところへ戻すのが当然ではないでしょうか。遺体も名前も祖国に返してもらえない。両親の気持ちを考えると悔しくてなりません。力の限り闘っていきたい。
<会場からの発言> 松岡勲さん 父は1944年に大阪港から中国へ送られ、1945年1月に河北で戦死と知らされた。遺骨は返って来ているものと思っていたが、最近になってそれが石ころだということがわかった。「遺骨を」との韓国遺族の思いがわかった。 吉田文枝さん 戦後も日本では、戦死者を国家が独占してきたが、法的権利はない。政教分離、信教の自由が憲法で規定されているからだ。しかし靖国神社の例大祭には、天皇からの勅使が参加して供え物を献上している。親族が靖国神社に合祀されているが、精神的苦痛を受け続けている。肉親の死を悲しむことから立ち上がることで、ヒジャさんの怒りと連帯していきたい。「靖国合祀イヤの声」を遺族の中で積み上げていきたい。 証言集会を振り返って 昨年12月、安倍首相は靖国参拝を強行し、「英霊を讃えることは当然。どこの国でもやっている」と発言。教育面では高校の日本史を必修科目として、「竹島」「尖閣諸島」「北方領土」を「日本固有の領土」と教え込もうとしています。また遺骨収集事業に強い意欲を見せ、硫黄島に関して厚労、防衛、外務省による作業チームを結成。10年間で約500億円を投入し、自衛隊基地の滑走路下にある遺骨収集に26年度から着手、30年度をめどに滑走路を移設したうえで作業を本格化する方針を決めました。安倍が遺骨収集事業を利用して、アジア・太平洋戦争で散っていった兵士を誉め讃えるキャンペーンを展開していくだろうことは容易に想像できます。「美しい日本を守ろう。自信を取り戻し、国のために行動をおこそう。かつての兵士のように」と。しかし、その中には祖国を日本としない兵士の骨が無念に置き去りにされているんです。遺骨の返還を要求する遺族が韓国で待ち続けているのです。戦争美化のための遺骨の利用を許してはならないと思います。 |
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12月7日の証言集会の翌々日、塩川さんが行なった厚生労働省へ交渉に同席しました。 簡単にまとめると、 1 朝鮮人軍夫の行方不明者の調査については、 「権水清さんに何ができるか、上司と相談してお答えしたい」 2 日弁連意見書について(火葬は続けるか?DNA鑑定は?)は、 厚労省が行なっているDNA照合の方針がH15年に定められた方針のため、その「DNA検討会」代表の属する東京歯科大の先生に塩川さんが意見を聞く。また東北大震災の被害者身元特定にどうDNAが生かされているのか、双方で確認することに。 3 来年度遺体収容予算の概要については、 沖縄への予算獲得に向けて次回交渉することに、それぞれなりました。 次回は2月13日(木)に行い、GUNGUNから上田さんが参加します。 |
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不当判決乗り越え、新たな闘いへ(ノー!ハプサ事務局長 山本直好)
また訪韓期間中に聯合ニュース及び中央日報英字新聞の取材を受けました。そして、柳基洪(ユ・キホン)議員とも面会し、支援を訴えました。昨年10月23日の東京高裁不当判決に対して、韓国政府が初めて「韓国人の強制徴兵・徴用犠牲者の意志に反して帝国主義侵略の歴史を美化する靖国神社に合祀する行為は、当事者とその遺族の名誉・人格に対するとてつもない侵害だ」とコメントし、韓国人合祀問題を外交問題へと押し上げました。 韓国人合祀問題への理解を広げることは靖国神社の本質を世界に広げることにつながります。運動の軸は2次訴訟に移りますが、1次2次原告含む韓国の被害者の皆さんと一緒に靖国合祀の不当性を広く世界に訴えて行きたいと思います。今後ともご支援よろしくお願いいたします。 |
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「沖縄戦没者遺体収容の旅」に参加して(木村)
その後、明日作業に入る糸満市真栄里へ。野戦病院のあった壕を見に行く。スタッフにより事前に藪の刈られた道を進む。壕の入り口から梯子を伝って下りると、這い這いの状態で奥へ進む。持参した膝サポーターが役に立つ。何度もヘルメットがゴツンゴツンと音をたてる。屈んだまま中に入ると、通路の右側に人が2,3人横になれる場所がある。蟻の巣の様に通路の左右にこのような場所があるという。ここが明日の発掘場所だ。
夜の交流会で自己紹介、近くに座った方は何度も参加されていて少し話もでき緊張も解けた。交流の後、国吉さんの自宅兼資料館に連れてもらう。発掘された遺品は20万品という。種類別に整理され、薬ビンなど、大きさ、色別にきれいに並べられているのに驚く。最近見つかった「李自強」と名前の彫られた印鑑もあった。名前のわかる物は、塩川さんが遺族を探すことになっているようだ。
翌朝ホテルを出発し、遺体収容へ。長靴をはき、ヘルメットをかぶり、昨日行った壕へ。通路から最初に右手に広がった場所を掘ることにする。50センチぐらい土が後から被さっているらしく、そこまで掘り上げることが最初の作業となる。始めは中村さん夫妻と私の3人で、後から事務局の清藤さんが加わった。まず「ここを掘らせてもらいます」と手を合わせてから始めるが、固くて土が動かない。大きな石を片脇にのけて、とにかく土面をたたいては除く作業の繰り返し、20〜30センチ掘ったところで、1センチ四角柱の物が出てくる。回って来られた具志堅さんに見てもらうと、当時のバッテリーだと。一つ見つかったことで、掘る手にも力が入る。午前中には、3人が入って各々掘り進めることができる程の穴となり昼からの作業場所ができた。 昼食を終えもう一度壕に入るが、中の暗さに戸惑う。これほど暗い場所だったとは。昼からの作業で 薬のアンプルが一つ 中に薬液が入ったまま出てきた。周囲からアンプルのガラス片が多数見つかる。ここが病院壕であったことを証明するように。こんなゴツゴツしたところに、傷を負った人だったろうか、病気で動けなくなった人だったのか、ただ横たわっておられたのか、この壁にもたれておられたのかと思うと、胸が痛む。終わるころには、深さ50センチ程で3人はスッポリ入れる穴ができていた。 各々の発掘場所から出てきたものがビニールシートの上に並べられた。私たちの壕から出たバッテリー数個、木炭、アンプル 他の場所からもアンプルが6本箱に入った状態で出てきた。スコップ、軍人のアルマイトの食器、照明弾、米製の地雷の一部等々、そして 人骨も二片出てきた。これはDNA鑑定にかける。この壕は 2月国吉さんが学生アルバイトと共に最終的な発掘調査をするそうだ。 帰りのバスの中で、塩川さんは「防空壕の暗い中で一日作業をしていたことは戦没者の方には必ず届いていると思います」と参加者を労ってくださった。
1月19日 平和祈念公園で追悼式典と報告会 摩文仁の丘にある国立戦没者墓苑の仮安置所の前に祭壇が設けられる。毎年準備されているスタッフで手際よく組立式の佛壇が備え付けられ、香炉やお供え物が並べられ花が供えられる。昨日壕の前にも来られていた糸満市長谷寺の岡田住職がお経をあげ、参加者一人一人が線香を供えた。 報告会は、平和祈念資料館の会議室で行なった。参加者からの感想が続く中で、若い女性の一人中村さんからの感想が印象的だった。昨日壕の入り口で怖くて入れなかったそうだ。その時前日仲程さんに聞いた話「壕の中に明りはあったのか」と聞くと、「明りはなかったが、水さえあれば幸せだった」と聞いたことを思い出したことで、中に入ることができた。「体験された方が残っている内に生まれて来た私たちは、今は生き方を選択できる時代だが、どう伝えるか、どう生きていくか今後考えていこうと思った」と声を詰まらせながら語った。今回初めての経験で不安も大きかったが、最後まで気持ちよく参加させてもらえた事に感謝したい。塩川さんは「戦後70年 国が戦没者をどう扱ってきたか。焼骨した骨は東京湾に捨てられていることを見ればわかる。英霊を二度とつくらないということで 突っ走っていきます」と参加者に決意を語りかけられた。安倍の靖国参拝、NHK新会長の「慰安婦はどこにもいた」発言、NHK経営委員の「南京虐殺はなかった」と歴史を改竄する発言が後を絶たない。戦争の事実からまだまだ学ぶべきである。
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『60万回のトライ』
監督 朴思柔 共同監督 朴敦史 製作コマプレス106分 |
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