在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.71 (2012.12.2発行) |
太平洋戦史館の岩淵さんを訪問した韓国チーム |
日韓会談文書公開訴訟で画期的勝訴。未解決分野の検証を! |
|||||||||||||||||||||||
李熙子さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)からのメッセージ
2012年の年が暮れる
12月が近づいています。矢のように流れゆく歳月を心残りに思いながら私たちはその後を追っているかのようです。やらなければならないことはとてもとても多いのに、振り返ってみると歳月がとても速く過ぎていくと思いながら一日一日を過ごしています。しばしばお目にかかっている方々には長年にわたる厚い親しみを感じ、
忘れずに関心を持ってくださっている方々には有難いという気持ちで一杯です。この間、グングン裁判を支援してくださった多くの方々の有難い真心があったから、誰も行ったことのない新しい道を切り開いてここまで来ることができました。その道を皆さんが一緒に進んでくださり、一緒に学びながら活動する幸せがありました。この間、私たち被害者を助けてくださった方々にお一人お一人ごあいさつ申し上げることができずに申し訳ありません。その代わりとして、ここに心の中から深い感謝の気持ちをお伝えします。 |
|||||||||||||||||||||||
今回、パプアへ行った南英珠さんと同じく、お兄さんを戦争で奪われた古川佳子さんからお手紙をいただきました。 |
|||||||||||||||||||||||
「遺骨調査」の法的根拠をご存知ですか?
回答からわかるとおり、国は戦争犠牲者の遺骨調査のための法律を、過去も今後も作る意思がないのです。戦前の体制が戦後も続いた靖国合祀と同様なのです。
以下は軍歌として有名な「海ゆかば」のフレーズです。 |
|||||||||||||||||||||||
さらなる韓日遺族の共同行動に向けて交流
仙台空港に韓国から太平洋戦争被害者補償推進協議会の李煕子(イ・ヒジャさん)共同代表、金敏普iキム・ミンチョル)執行委員長、そして今回パプアニューギニアへ訪問し兄の祭祀を現地で行なった南英珠(ナムヨンジュ)さんが到着。関西からの私と上田、そして東京に留学中の東北歴史財団の南相九(ナム・サング)さんが出迎えた。
開口一番に岩渕さんは南英珠さんに「精神的な変化はありましたか?」と尋ねた。南英珠さんは「なぜこんなところまで行ったのかと考えると心が痛んだが、行ってよかった。また行きたい」。李煕子さんからは「本当にご苦労さまでした。ありがとうございました。支援する会の募金も含め、協力してくれた人に感謝の気持ちでいっぱいだ」と感謝の言葉が続いた。南さんは「韓国に帰って遺族の集まりで報告しているが、皆にうらやましがられている」と、帰国後の変化を報告した。岩淵さんは「来年は1944年に亡くなった人にとっては七十回忌になる。韓国のお坊さんもニューギニアや戦地へ行ってお参りするのも意義があると思う」と。翌日は次の取り組みに向けた話し合いを行うことを決め、この日はホテルへ向かった。ホテルで南英珠さんは、今回のパプア訪問を「兄が歩いたであろう土を自分も踏めたことが一番よかった」と、亡くなった場所での祭祀の意義を熱く語った。
そして今後の方針について話し合われた。岩淵さんから「一人でもニューギニアへ行きたいという人を核に広げていけばよい。今回韓国大使館にもよくしてもらったし、今後に続ける種はまけたはず」と展望を語った。「韓国で岩淵さんを囲む集会を来年5月にやろうと思うがどうか」との問いには、「問題ない。この取り組みはずっと続く。これは人権問題。李煕子さんのお父さんが亡くなった中国も40万人以上が亡くなっているが、遺骨が戻っていないので、探さないといけないと思っている」と語った。「展示の遺品を見て、遺族が個人で資料館をここまで作ったということに尊敬の念を持つ。新しい活動をやってみたいという気持ちがわいた。家族の目線で何ができるか考えていきたい。以前から岩淵さんの話を伺っていたのに、もう少し早くここに着たらよかった」と言う李煕子さんに、岩淵さんは「遅きに失したということはない。今日がスタート」と激励した。
翌日、帰国の日は朝早く旅館を出発し、津波で大きな被害を受けた南三陸町を目指した。町の山手にある仮設住宅や店舗を過ぎると平野部へ。そこには破壊された鉄骨がむき出しの建物以外何もない。かつて家屋があったであろう基礎が残っているだけだった。被災地に一軒だけ仮設店舗が開いていた。店長の女性はカウンターに並べた写真を見せながら「店の裏に自宅があったが流された。目の前のアパートも流された。住宅は建築制限があって建てられないが、仮設店舗は建てられるので細々と経営している」と私たちに説明してくれた。昼食用のおにぎりやお菓子をいっぱい買った後、3階まで鉄骨だけになった南三陸町防災庁舎を訪れた。そこは多くの人が訪れる祈りの場になっていた。「家族が引き裂かれたであろうと思うと胸が痛む」と李煕子さんは語った。韓国人にとって日本は「恨み・怒り」の対象だった。しかしグングン裁判をはじめ多くの 戦後補償を求める闘いを通じて、痛みを共有する対象に変化していることを実感した。南英珠さんも「嫌いだった日本人が好きになった」と言う。日韓市民の絆をさらに強くして、遺族の望む遺骨調査、戦地追悼が行えるよう、日韓政府への働きかけを強めたい。
|
|||||||||||||||||||||||
パプアへ同行して感じたこと (上田)
驚いたのは物価の高さだ。首都ポートモレスビーでスーパーマーケットに入った。品揃えは十分な大きな店舗である。PNGの通貨はキナというが1キナで40円ぐらい。よく見ると牛乳の小さなパックが120円ぐらい。中ぐらいの500ccほどのパックが200円を越える値段だ。どう計算してもどの商品も日本で買うより同じか少し高い感じがする。いったいどのような階層の人たちがこのような高い商品を買いに来るのだろうか?一方外では公園や、いたるところに個人の市場が出ている。値段は確認できなかったが、普通の人はおそらく道端の市場で買い物をするのだろう。 |
|||||||||||||||||||||||
「強制労働被害者補償立法をめざす日韓共同行動」結成報告 (御園生) 第二部のシンポジウムは、タイムリーで非常に興味深いものだった。 |
|||||||||||||||||||||||
『レイシズム・スタディーズ序説 』
鵜飼哲・酒井直樹・テッサ・モーリス=スズキ・李孝徳 |
|||||||||||||||||||||||
GUNGUNインフォメーション |