岩渕さん ソウルの国会議員会館で講演(同行記 上田)
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講演する岩渕さん |
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6月21日から3日間、太平洋戦史館会長、岩渕宣輝さんとともに、韓国を訪問しました。目的は22日の「韓日過去事清算のための強制動員韓日遺骨問題」招請講演、23日は韓国の12の市民団体が集まって行われた韓日過去清算市民運動報告大会に参加、報告することです。
既に、グングンニュースでは、ニューギニア遺骨問題および郵便貯金問題について、日本での取り組みを報告していますが、今回の訪韓はその2つの取り組みを韓国の中でも、問題化・焦点化させるという大きな成果を得ました。
韓国で先の戦争に動員されて死亡した方は22,000人といわれていますが、その内、5,000人弱の方が、パプアニューギニアで死亡されているのです。ニューギニアに限らず遺骨問題は韓国ではほとんど手付かずの状況です。岩渕さんは東部ニューギニア(パプア)から、パプア政府と協力し1万柱の遺骨帰還事業を成功させ、政治的・地理的に困難といわれてきた西部ニューギニア(インドネシア)から1100柱の遺骨帰還を実現し、今もなお継続しています。岩渕さんのエネルギー、経験、実績が韓国の遺骨返還運動に結びつく今回の岩渕さんの訪韓は、それ自体が画期的なことです。
主催者の韓国国会議員と面談
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ハンギョレ新聞の記事 |
順を追って報告します。21日、推進協事務所に到着して、ハンギョレ新聞の取材が来ました。岩渕さんへのニューギニア遺骨問題への取材です。岩渕さんは、遺骨問題のことを聞くと、靖国問題のことを話し出します。私たちが、初めて戦史館を訪問したときもそうでした。後日、人欄に「ニューギニアの遺骨問題のことを聞くと、思いもよらず靖国神社のことが返ってきた・・・」という書き出しの記事が出ました。
22日は、国会議員会館の立派な会議室で、同時通訳で、岩渕さんの招請講演がありました。講演会の前に、主催者のカンチャンイル国会議員に面会しました。岩渕さんからは、@日本の遺骨返還事業に韓国側からも参加する。A硫黄島にも170人弱の朝鮮人兵士の遺骨があるはず。これに関与してはとの提案がされました。「日本政府はどうするのか」と繰り返していたカンチャンイル議員でしたが、政府の委託事業としてニューギニアの遺骨収集事業が行われているのを聞くと、「可能性があるということだね。」と、急に様子が変りました。
22日の講演会参加者は80名程度。遺族は50人。その内ニューギニアの遺族は10人程度でした。この3日前、ニューギニア遺族会の方が推進協に来て、「自分たちが知らないのに何がニューギニア問題か」と抗議に来られたそうで、それならと韓国ニューギニア遺族会も共同主管になったそうです。とにかく注目されているということです。
遺族の一体感を生み出した講演会
講演は韓国の遺族に大きな衝撃を生んだようです。岩手放送のDVDが韓国語字幕入りで10分にまとめ流され、現地の遺骨の状況が映し出されました。そのあと、岩渕さんはゆっくりした口調で遺族に語りかけました。自分も父がいなくて幼少期、日本で苦労した同じ仲間であること。そして、お父さんは今どこにいるのだろうかと問いかけました。また遺族のお子さんたちが亡くなられたお父さんの年齢を超えている事実もみんなで確認しました。死者は動けない、死者は語れない、だから私たち遺族が迎えに行って上げなきゃならない。と語る岩淵さんの言葉に会場は大きくうなづいていました。また岩渕さんが中学生のとき、靖国神社に行って、父がいると思い、多くの参加者の中で、1人大声で泣いたそうです。後で、父がそこにはいないと知ったと語りました。ニューギニアと靖国、一言では語れませんが、岩渕さんにとって靖国こそが、父たちを故国に帰すことを妨げている原因であると感じた一場面であったのだと思います。参加者が「日本人がここまでがんばってくれているとは、感謝する・・・」と絶句し、涙する発言もありました。
皆さんの感想を事務局の方に聞くと、「遺骨問題と言っても、みんな今まで壷に入った遺骨しか知らなかった。DVDをみてびっくりした」「ニューギニアだけでなくほかの地域の方も何とかしなきゃと、言ってました」「泣いてる人もいましたよ」と、大成功のようでした。国会議員も3名が参加し、民主党の院内トップの議員もいたそうです。あとで、李ヒジャさんと話をしましたが、「DVDも東京で見たが、今回まったく違うように見えた。みんな集中していた」それと「日本政府の責任を民間人が肩代わりしている」とか「なんでニューギニアだけ」とかの反発が起こらなくてよかったと言っていました。岩渕さんの同じ遺族としてのニューギニアでの具体的な活動・実績そして映像を通して目の前にせまる事実が、家族としての死者(父・兄)への責任・遺族の一体感を呼び起こしたのだと思います。
郵便貯金問題に大きな関心
翌日は、韓国の12の市民団体が集まって行われた「韓日過去清算市民運動報告大会」。市民運動の活動家たちが集まった報告大会ですが、ここでも戦史館の報告は注目を引きました。
ここでは、郵便貯金の報告を、私がしました。@38件の回答がゆうちょ銀行から出ており、軍事郵便貯金に限れば40%の方の貯金の存在が確認されたこと、A日本政府は韓国政府から要請があれば「特別の理由がある場合。」として郵貯銀行から回答をする用意があり、すでに900件については韓国から照会が来てゆうちょ銀行は日本政府に回答したこと。だから、6月30日の未払い金、申請期限は延長されなければならない。Bこれらの成果は3人の遺骨・記録を求める遺族証言集会より始まったことであり、郵貯の記録は行方不明者にとっても重要な資料になりえることを具体的に報告しました。「何で6月30日が締め切りなのか」「サハリンの場合どこに申請すればいいのか」と続けて2つの質問が出ました。さすがに最初の質問は李ヒジャさんが「延長はされなければいけない。韓国支援委員会は900人の照会を行い、さらに3000人を追加紹介したと言っている。ところが上田さんの確認によれば、ゆうちょ銀行は900人は日本政府に答えたが、3000人の照会は知らないといっている。どうなっているのか?誰かがうそを言ってるのか明らかにしなければならない」などと現状を説明しました。またサハリンのことについては、「ご依頼いただければ責任を持って取り組みます」と答えました。
東亜日報が取材 詳細な調査記事でうやむやにさせない機運が!
そうこうしていると、東亜日報に記者がインタビューしたいと申し入れがあり、集会中に1時間以上の取材を受けました。予定には無かったけれど、話を聞いていて記事にしなければと突如の取材になったようです。このインタビューは週間東亜という雑誌に「特別公開―日帝徴用被害者達の“郵便貯金”現況―日本ゆうちょ銀行に残っている。遺族がお金をうけ取る決定的根拠:政府は“日本から資料を受け取れない”と弱腰な対応」という特集記事になりました。資料も載った詳細な記事で、政府間のやり取りも2012年4月の2次照会が3300であったこと。更に5月に3次として2400を追加照会していることなどが正確に記されています。また、対日強占期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者など支援に関する特別法19条が「委員会が存続期間を満了すれば当時の委員会の所管事務は行政安全部長官がこれを引き継ぐ」という規定を根拠に、委員会審査第3課長から「今年の末に委員会は終了するが、承継する部署が日本政府からの資料をもらえば被害者に補償出来る。」との言質も引き出すに至っている。今まで韓国でもマスコミになかなか取り上げられなかったが、東亜日報という大きな新聞社に、大きく詳細に取り上げられたことで、うやむやにできない問題になったことは確実である。韓国の新聞記者から難解なテーマだとなかなか取材に応じてもらえなかったそうだが、今回、行方不明の遺族の記録調査資料という運動の端緒が記者の心にすっきり落ちたようです。
有意義な交流会でのできごと
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参加者全員で |
22日、23日両日集会後に行われた交流会のことにもふれなければならない。交流会には、遺族の方ほとんどが参加していました。私のほうは軍事郵便貯金で回答のあった方たちのところに案内されました。20人ほどのグループです。挨拶をし、お話をしていると次々調査のリクエストが来ます。聞いていると、やはりお父さんの消息のことなのです。「日本の病院で亡くなったのだろうか、トラック諸島でなくなったのか?芝浦とは何か?どこか?」と聞かれるのです。政府の調査報告では、「芝浦海軍施設部に所属し、トラック諸島で、赤痢で死亡」となっており、芝浦は海軍の基地で、亡くなったのは、トラック諸島の野戦病院であろうと思われると説明しました。後日、芝浦海軍についても調べて送ると約束しました。また銀行の預金はどうなるか調べて欲しいと、銀行名などもいただきました。またニューギニアのどこで亡くなったのか調べて欲しいとの依頼も。私のサイドバックはいただいたメモやコピーでいっぱいになってきます。これは翌日の集会後の交流会も同じで、「サハリンの軍事郵便貯金について、原簿がないけれども申請可能か調べて欲しい」との宿題もいただきました。後日戸籍謄本・委任状などを送っていただく予定となりました。グングン裁判には負けたけれど、支援する会はグングン裁判で要求していた被害者・遺族の要求は一人一人の要求として消えていないし、具体的な解決を進めていく責任がますます高まっているのを感じます。
まずは、8月25日からの韓日合同パプア巡礼民間外交使節団の成功に向け皆様のご支援をよろしくお願いします。 |