在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.58 (2010.5.15発行) |
長野県中川村の皆さんと交流 |
植民地支配の清算は国際社会の潮流 |
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日朝・日韓関係、そして韓国・朝鮮関係が、今、足踏みをしています。
一方、李明博政権の対朝鮮強硬政策や韓国海軍哨戒艦「天安」沈没事件などで南北の緊張関係も激化してきています。このような時だからこそ、改めて隣国である韓国・朝鮮とどう向き合うかが問われています。東アジアの平和構築を射程に入れた韓国・朝鮮との関係正常化のキーワードはやはり「植民地主義」の克服です。
例年8月15日は、日本にとっては「敗戦」の日であり韓国にとっては「解放」の記念日です。65年前の1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾しましたが、米英に対して無条件降伏を受諾したという「意識」はあっても、中国、朝鮮に対して「無条件降伏」したとは決して思っていません。朝鮮への植民地支配、中国をはじめアジア各国への侵略に対して全く「反省」をせずに、「脱亜入欧」の近代化路線の末路=植民地主義の破綻としてのアジア太平洋戦争における敗北が、克服されないまま、戦後は「脱亜入米」にどっぷりと漬かることで、日本社会の侵略主義的・排外主義的構造を克服することができませんでした。また、8月に向けては、植民地主義の「残滓」である天皇の訪韓で幕引きを図ろうとする動きも活発化していくと考えられますが、戦後補償の重要性を広く社会にアピールしていかなければならない重要な時です。
運動の飛躍的な前進を勝ち取るためにも、私たちは、所属政党に関わらず、戦後補償を推進する国会議員を7月の参議院選挙で一人でも増やす取り組みを今から始めて、戦後補償の立法化への展望を切り開いていかなければなりません。そして、今年の8月22日は、韓国強制併合条約「締結」の日、8月29日は施行の日からちょうど100年を迎えます。8月22日は、東京では、植民地主義の克服と未来の日韓関係を築くための集会として「韓国併合100年共同行動日本実行委員会」が主催する日韓市民共同宣言集会が開催されます。関西では、8月7日〜8日の2日間の連続企画として、記念講演や「文化」の側面から見た植民地支配の学術シンポジウムと強制連行企業の責任追及と立法化の展望を探るシンポジウムの開催や、映画祭、演劇やコンサートなどの文化行事の取組みの計画が進みつつあります。いまから韓国強制併合100年の山場である8月に向けて様々な取り組みを展開していきましょう。 | ||||||||||||||||||||||||
真相究明ネットワーク事務局長として、韓国の真相糾明委員会や市民団体と日本の市民運動との架け橋として活動されてきた福留範昭さんが、5月5日、急性心不全のため逝去されました。(享年60歳)。福留さんは、逝く前一週間韓国で会議やシンポジュームに出席しており、急な訃報に私は絶句しました。李熙子(イ・ヒジャ)さんも「韓日の過去事清算運動の大きな損失だ。20余年間自費を投入して日本と韓国の市民運動をつなぐ架け橋の役割をしていた大黒柱が崩れた」と、死を惜しんでいます。 |
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中川村の曽我村長たちと交流してきました(木村章子)
3月18日、ノーハプサ口頭弁論の為に来日された李熙子(イ・ヒジャ)さんは、裁判の後信州中川村へ。大阪から私と古川さんが中川村で合流し、19日村長さん&地域の方々と交流会を持ちました。 |
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前回の裁判で、原告側は靖国神社が「争う」と言いつつ原告側の求釈明に一切答えない不誠実な訴訟態度を追及し、裁判所にも「調書にとってほしい」と強く求めた。これに対し、靖国神社は「円滑な審理促進の観点も踏まえ、上記原告らの主張を争うことを明確にするため」と称して、引用箇所についての認否のみを行う準備書面8を2月5日付けで提出しました。ばかにするにもほどがあります。国はというと、1月29日付で大阪訴訟判決、グングン訴訟高裁判決に関して「共同不法行為」論の準備書面5を提出しましたが、意気込んでいた割には、簡単な内容であり、12月の期日に間に合わなかった理由は不明です。 原告は靖国の準備書面7に対する反論の続行を準備書面22として、準備書面8への反論を準備書面23として3月8日付けで提出しました。 |
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キャンドル行動・併合100年の事前企画連続開催される!(東京・御園生) |
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「同化」と「差異化」を狙った創氏改名
創氏改名とは、「朝鮮名を取り上げて日本式の名前をつける同化政策」ということとして、一般的に知られていますが、その狙いは、朝鮮の人々を「皇国臣民」として仕立て上げるためにありました。それまで朝鮮社会では父系の宗族集団を表す「姓」によって一族が強く結びついていて、家族が始祖を敬い大切にされてきました。それは、天皇を頂点とする日本の「家」制度とは相容れないもので、皇国臣民をつくる上では大きな妨げでした。そこで、朝鮮総督府は氏制度を創るため1939年に朝鮮民事令を改正し、40年2月11日(紀元節)から施行しました。8月10日までの届出期限を設けましたが、当初思うように進まず、朝鮮人官吏、有力者、行政機関や各種団体(愛国班)、学校などを通じて督励し、期限後は「戸主の姓を氏とし、家族全員が同じ氏を名乗る」ことで強制的に創氏を進めました。しかし創氏にあたって、警察局長は「改名すると誰が誰なのかわからなくなるので困る」といった反対論もありました。それに対して法務局は、「日本にある苗字にならうのではなく姓・地名・本貫などからつけること、また戸籍に姓・本貫を記載し、源流を把握できるので問題ない」と反論。改名は「なるべく従来の名を使用し、訓読みをする」という方針をとりました。要するに氏も名も日本人とは区別できる「差異化」を図ったのです。統計上は最終的に7割の人々が創氏改名をしましたが、すんなりと受け容れたわけでない事例も多くあります。仕事上は日本名を名乗っても、通常生活では本名を使っていたとも言われています。 |
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ソウルからの手紙(姜庚旻さんから)【1】
はじめまして。私は韓国のソウルに生まれ、住んでる姜庚旻(カン・キョンミン)と申します。この春ソウルにある法学専門大学院、いわゆるロースクールに入学し、弁護士を目指しています。学部では韓国文学と社会学を専攻しました。グングンの古川さんとは、兵庫県にある関西学院大学で交換留学をしていて「あんにょん、サヨナラ」上映会で出会いました。その後グングンの通訳と翻訳をさせていただいてます。古川さんには「人権派弁護士の卵(ひよこでもなく)」、「グングンの歩くソウル事務局」とも呼ばれてますが。(笑)こう皆様に手紙を書けることが嬉しいです。「過去清算に関係あることないこと、織り交ぜながら日頃感じたことを自由に」、そしてグングンの皆様へ手紙を書く気持ちで楽しく書きたいと思います。皆様が「あ、韓国の若者はこういう考えをし、日常を過ごしてるんだ」と、楽しく読んでいただくと何よりです。 |
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『今、「韓国併合」を問う』
「韓国併合」100年市民ネットワーク 編 |
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