在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.35 (2005.11.5発行) |
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「あんにょん・サヨナラ」が釜山国際映画祭 |
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第19回口頭弁論
本人尋問9・1−原告たちの証言− *
強制連行したものとされたものと一緒の器の中にいるということは、同じ神でも心苦しいと思います。そこには、朝鮮独立運動を弾圧して死んだ日本兵も祭られております。けど、それを同じ社に入れ祀るということは常識外の問題です。(国を滅ぼした日本兵と一緒に合祀)恥以外のなにものでもない。
【羅鉄雄さん】 |
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石を運び、砂利を敷き詰め、馬耳山のお坊様の指示に従って・・・
金景錫さんが、日本全国を回っても探すことのできなかったお兄さんの遺骨の代わりに、韓国名がわからないまま日本の各地に納められていた547体の遺骨を引き取って、納骨堂を建設されたのが6年前。その後GUNGUNも草刈りボランティアや合同慰霊祭に関わらせていただくようになって、今年は5周年目にあたる記念すべきツアーでした。
さて、今年のツアーの2つめの目玉は? そうです! 釜山国際映画祭での「あんにょん・サヨナラ」の上映でした。 |
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前日台湾の映画祭に出席し、小泉の靖国参拝への抗議声明(台湾、日本、沖縄、そして、韓国の4カ国地域)を発した李熙子さんも合流し、「あんにょん・サヨナラ」上映が行われました。鑑賞者は会場にあふれるばかりで、107分の映画にもかかわらず、途中退席者は一人もいず、映像に見入っていました。加藤共同監督、サポート役の古川事務局長に続いて登場した李熙子さんは、中国南部で戦死した父のことを思ったのか、一瞬声を詰まらせながら「日本政府は一切知らせてこなかった。これがどんなに遺族にとって大変なことか分かっていない。」「父の名を靖国神社から取り消すまで闘う。一人でも多くの方が支えて欲しい。」と訴えました。(御園生) |
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『アンニョン・さよなら』を観て
上映後の挨拶で、李熙子さんは、「この活動を初めて17年かかってやっと映画が完成しました。」そして、「すべてをさらけ出してしまって、力が抜けてしまった」とも語られました。その反対に、私は、この映画から、どんな力にも負けないような、柔らかなモノを届けられたように思います。私は、これほど死を悲しみ、亡くした身内を愛おしんできたかと、問われます。靖国に祀られ、敬意や感謝で、大切な人を愛おしむことも、その死を悲しむ力も奪われてしまっているのではないかと考えさせられました。各地で上映会が実現することを祈っています。 |
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裁判終了と共に出てきた支援者の手に「不当判決」の字が見えた。原告たちは足早に裁判所を出て、道路脇まで来ると「ウォー」という怒りの声をあげた。遠くまで来させておいて申し訳ないという気持ちがこみ上げてきた。しかし後を追いかけるようにして、事務局の人が「実質勝訴だ!」と叫んで出てきた。訳の判らないまま集会に向かう。そこで初めて、控訴は棄却で国の勝利ではあるが、判決内容で参拝は違憲という判断を下したことが判った。参拝が、公用車を使用、秘書官を随行、また私的参拝と明言したことがないこと等をあげ、「首相の職務として行われた」と認定。小泉首相の3度にわたる参拝で、国は「靖国神社の宗教を助長、促進する役割を果たしたことが窺える」とし、憲法20条3項の禁止する宗教的活動と明言した。台湾原告のチワス・アリさんは、「違憲かどうかは日本人の問題で、私たちにとってはさほど大きな問題ではない。関心があるのは、日本の反省、謝罪、倍賞だ。そして靖国に合祀されている祖先の霊を返してほしい」と語った。 |
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『未だ癒えぬ傷年の孤独』−平頂山事件 生存者の今 監督・撮影・編集/高部優子 2005年 23分 2500円上映権付き 1932年満鉄が経営していた撫順炭坑を抗日軍に襲撃された報復として、日本軍は平頂山の住民約3000人を一ヶ所に集め虐殺しました。機関銃掃射と、銃剣による刺殺。死体の焼却とダイナマイト爆破による事件の隠匿。わずかな生存者のうちの3人が日本政府を相手に裁判をおこしています。このビデオは、生存者の今なお続く苦しみを裁判官に知ってもらうために、東京高等裁判所の最終弁論の時に法廷で放映されたもの。中国侵略の事実を法廷の外でひろめていかねばと思います。監督は「あんにょん・サヨナラ」スタッフの高部さんです。(大幸) 【連絡先】中国人戦争被害者の要求を支える会気付 高部 tel:03-5396-6067 fax:6068 |
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