在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.35 (2005.11.5発行)


第10回釜山国際映画祭で
受賞を喜ぶイ・ヒジャさんと
古川さん
(10月10日・プサン)

   

「あんにょん・サヨナラ」が釜山国際映画祭
    「最優秀韓国ドキュメンタリー賞」を受賞!


 10月17日、小泉首相は5度目の靖国神社参拝を強行しました。福岡地裁に次ぐ、大阪高裁の「違憲判決」を無視する暴挙に強く抗議します。(太平洋戦争被害者補償推進協議会の声明を別掲)何より心配なのは、「国内問題に中国や韓国は干渉するな」という世論誘導に少なくない国民が同調していることです。貧富の拡大と不安定就労の中であえぐ若者が、「自分」「日本人」の存在意義を確かめる過程でナショナリズムに煽られている現実があります。そんな若者に見てほしいのが、靖国問題をテーマに日韓共同で制作してきた「あんにょん・サヨナラ」です。戦死者を褒め称えて「あとに続け」と教育した靖国の本質と、李熙子さんの悲しみと怒り、そして日本人との未来への展望を描いた作品です。
 10月11日「あんにょん・サヨナラ」が第10回釜山国際映画祭で、最優秀韓国ドキュメンタリー賞「ウンパ賞」を受賞。独立系ドキュメンタリー映画祭の開幕作品にも取り上げられました。この映画を武器に靖国問題の本質を日本はもとより、アジア、世界に広げていければと思います。ぜひ皆さんの身近な場所で上映運動を取り組んでください。
 次回GUNGUN裁判は来年2月15日(水)11時東京地裁711号法廷です。いよいよ結審を迎えます。

第19回口頭弁論
「靖国合祀」取下げ原告に24名を追加

いよいよ2月15日最終意見陳述・結審!

 10月20日、第19回の口頭弁論が開催されました。今口頭弁論は、9月1日の証人・原告本人尋問を踏まえ、靖国合祀原告追加の為に、当初予定に追加され、もう一度持たれたもの。同時に次回期日が2月15日で、この日最終意見陳述が行われ、結審することが明らかにされました。

「靖国合祀」取下げ請求の24名追加し、117名に!

 前回9月1日の原告本人尋問で証言した李洛鎮さんは、父がフィリピン・ミンダナオ島で戦死したものの日本政府からは一片の通知もなく、靖国神社にだけは合祀され、靖国神社への合祀を知ったのは、本裁判提訴後で、本裁判の「靖国合祀」原告とはなっていませんでした。
 今回、このような原告について「合祀済」と記載されている旧陸軍部隊留守名簿や旧海軍身上調査表を添付して「靖国合祀」の原告に追加。追加原告数は24名で、一次提訴55名、二次提訴38名なので、総計で117名になりました。戦死したと思われるものの創氏名が分からずに合祀の有無がわからないもの、今なお行方不明で生死認定さえされていないものなど、全ての原告についての調査が終わったわけではないですが、一審最後の局面で判明したできるだけの原告を追加したものです。

靖国合祀、日韓協定の不当性明らかに

 併せて、甲号証として、これまでも証拠として提出してきた「靖国神社忠魂史」を台湾の討伐・理蕃政策を含めて提出、また、1964、65年2度にわたる戒厳令を中心に当時の日韓会談関連の新聞記事の写しを提出しました。これについて、大口弁護士から「靖国神社は、このような植民地の決起した義兵を弾圧し、殺した日本軍将兵を祭っている。遺族にとっては限りない恥辱であり、二重三重の意味で民族的人格権の侵害である」と意見を述べました。さらに、日韓条約についても「この新聞記事にあるとおり、韓国民衆の大弾圧・独裁政権の戒厳令下で強行された。日韓政府は犠牲者のことを全く考慮していなかった」と強調しました。
 裁判は、次回2月15日午前11時からとなった。この日、最終意見陳述(最終準備書面を提出)し、結審となる。いよいよ、2001年6月29日一次提訴、2003年6月12日二次提訴(一次提訴に併合)の一審での最終段階を迎えます。
 結審、そして、勝利判決を勝ち取るために、グングンの支援を、日韓共同制作ドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」を国内外に広げ、非人道的な日本政府の戦争犠牲者切捨てを断罪しましょう!
 


本人尋問9・1−原告たちの証言−

【金景錫さん】
 韓国を滅ぼした日本兵と一緒に合祀、恥辱だ!
                 戒厳令下の日韓条約は無効だ!

 
   

* 強制連行したものとされたものと一緒の器の中にいるということは、同じ神でも心苦しいと思います。そこには、朝鮮独立運動を弾圧して死んだ日本兵も祭られております。けど、それを同じ社に入れ祀るということは常識外の問題です。(国を滅ぼした日本兵と一緒に合祀)恥以外のなにものでもない。
* (元大統領の朴正熙は)戦前日本の士官学校を出て満州国の士官になり、その後、軍事クーデターを起こして韓国の大統領職に強引に就いた人なんです。彼らがいることによって日本をけなすことも日本に対して悪口をいうことも余りできなかった時代です。
* 日韓条約なるものを、私どもは贓物協定と呼んでいます。つまり、国民の意志とか権利を奪い、銃剣を押し付け、戒厳令をしいて、その上に奇襲的に、一瞬に通過させたという法律、これは認めない。そういう手段を相手にした日本政府にも問題がある。
* いつも戦後補償裁判になると思うんですけど、被告側の反対尋問がないんですね。何か一言言って、物の道理、人間の生きる道とかいうものをお互いにひざを接して語り合うのが裁判の質を高める上でも重要なことではないでしょうか。
 

 

羅鉄雄さん(左)と李洛鎮さん

 

【羅鉄雄さん】
息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせない
  父は日本軍に徴用されてからですけど、大変な苦労をしました。それで、こんな苦労を自分の子供たちには、日本の軍隊によるこういう苦労はさせないという風に言っていました。ですから、息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせないようにする、という話は聞いていました。
 父と我々の家族を大変苦しめた日本よ。お前に耳があるのか、もし、耳があるのなら、この絶句をしている声が聞こえないのか。多くの罪を犯した日本よ、原爆のつらさを言ってみろ。二度と考えたくないだろう。私も父がなく暮らしていたこんなつらさを二度と思い出したくもない。強圧的に私の家庭の平和を踏み倒した日本よ、真実な顔で、私のほうを見ろ。良心的な支援団の美しい姿を見習え。歴史を歪曲することなく、一日も早く補償せよ。純粋な人々を連れて行って、10年もの間、監獄生活をさせるようにした日本は、一日も早く補償しろ。

【李洛鎮さん】
60年もの間戦死通知の1枚も送ってこない。これが日本の良心か!
  (韓国での補償申告について)法律には1945年8月15日を基準とし、その前に亡くなった人ということだったので、私たちはそれを受けられませんでした。
 (生きているのではないかと)すごく期待しました。ですから、戸籍のほうも整理せずに、そのままずっと、ただ年月だけが過ぎていったわけです。
 (遺族会を通じて死亡記録を入手して)もう、怒りがこみ上げました。もし、戦死したのであればすぐに知らせるべきではないですか。それを50年もたってからですよ。我々が請求してやっといやおうなしという感じです。それに、謝罪の一言も思いやりも全くなくい血の通っていないもの。
 我々の家の大黒柱である父の香山文雄を帰ることができなくなった戦場に送っておいて、これまでどれだけの涙を流したであろうか。25歳の知のあふれる若者を本人が望んでいない戦場に追いやり、そして殺しておいて60年もの間、戦死通知の1枚も送ってこない。そのような行為が日本の良心なのか。」

石を運び、砂利を敷き詰め、馬耳山のお坊様の指示に従って・・・
慰霊塔の建設に協力させていただきました!  「腰が痛い〜」 
(小川)

 金景錫さんが、日本全国を回っても探すことのできなかったお兄さんの遺骨の代わりに、韓国名がわからないまま日本の各地に納められていた547体の遺骨を引き取って、納骨堂を建設されたのが6年前。その後GUNGUNも草刈りボランティアや合同慰霊祭に関わらせていただくようになって、今年は5周年目にあたる記念すべきツアーでした。
 金景錫さんは、9月に手術をされたばかりでしたが、今年は何としても供養塔を建設するという強い意志をお持ちでした。「私の財産といえるものはすべてこの納骨堂に注いできた。もう私には何もない。ここが私の運動と人生の証だ。死ぬまで、私がここを守っていく」と、語られました。金景錫さんは、今年引っ越しされましたが賃貸です。9月の入院費も長男さんが用意されました。私財を投げ打って、納骨堂の建設に尽力されてきたのです。石積み作業を見つめる景錫さんの目は、かわいいお孫さんを見つめるときの慈愛に満ちた眼差しでした。
 韓国の山々からの情報を集め、選び抜いた石が馬耳(マイ)山のお坊さんの指示で、GUNGUNの私たち、真相究明法の委員さんたち、ソウルの推進協議会の人たち、春川の原告のかた、みんなの力で2日がかりで石積み作業を行い、供養塔が完成しました。(よーく、写真をご覧ください)一方でたっぷり伸びた草もきれいに刈り取り、納骨堂全体がきれいになりました。
 慰霊祭も例年になく盛大でしたが、私はソウルの李熙子さんやオモニ達と春川の地でともに語り笑いあえたことが、忘れられない思い出です。推進協議会の皆さんも、ソウルから大挙して慰霊祭に参加されたのです。「チング!」「キムチー!」あとはジェスチャー。片言のハングルと身振り手振りで、不思議ですね、心は通いあっていくようです。
 こんなに同じ顔をして、同じような生活習慣を持つ民族を、なぜに迫害し苦しめ殺戮してきたのか・・・人として考えている限り、答えは出ない。それならば、私は徹底して「人間として」を原点にGUNGUNの運動に関わり、「人間として」許されないことは清算し、過ちを起こさないためにアジアの人の、世界の人の中で考えることを、忘れないようにしよう。

「あんにょん・サヨナラ」  Woonpa賞
      釜山国際映画祭で、最優秀賞を受賞!

出品作品の全監督プロフィールポスター

会場周辺でポスターを発見

上映後の舞台挨拶

音楽担当の作曲家が歌う

 さて、今年のツアーの2つめの目玉は? そうです! 釜山国際映画祭での「あんにょん・サヨナラ」の上映でした。
 開催地の海雲台(へウンデ)は、弓形の美しい白砂ビーチがあるロマンティックな町でした。
 会場はおそらく年配者が多いだろうとの私の予想を裏切り、若い人が多かったのは驚き。日本の右翼の発言に私の隣席の若者は「?」「あは?」と声を漏らし、李熙子さんの慟哭には嗚咽していた。途中何度も会場をぐるぐる見渡しましたが、皆真剣に食い入るようにスクリーンを注視しているという感じでした。
 8月の大阪での上映と比べると、さらに良くなっていたことが驚きでした。「心に刻む集会」に間に合わせるための、未完成上映だったことが今更のように実感されました。
 靖国が何を象徴しているのか、戦争賛美・戦争に身を捧げることへの賛美、それ故に小泉は靖国を参拝し続ける。という靖国思想を明々白々と浮かび上がらせながらも、映像は人を映し出し、人と人とのふれ合い、物語を紡ぐ。李熙子さんの慟哭、古川さんの悲しみ、そしてみんなの怒り・・・美しい音楽とともに、私たちが向かう共通の対象が明らかになる。
 上映後活発に質問が出されました。日本の休日ということもあって、日本人も鑑賞していました。ある日本人男性は「私は1年間で100本の映画を見る。『あんにょん・サヨナラ』は、今年見た中で最高の映画です」と感想を述べてくれました。うれしかった。
 上映後の打ち上げでは、音楽を担当した人、歌っている人、アニメーションを書いた人などの紹介がありましたが、皆さん若い!釜山で彼や彼女らと出会えた私たちはとっても得した気分です。
ともかく、心から「見てください」と薦められる映画です。上映活動がんばりましょう。

10月20日「あんにょん・サヨナラ」東京上映会

 
   

 前日台湾の映画祭に出席し、小泉の靖国参拝への抗議声明(台湾、日本、沖縄、そして、韓国の4カ国地域)を発した李熙子さんも合流し、「あんにょん・サヨナラ」上映が行われました。鑑賞者は会場にあふれるばかりで、107分の映画にもかかわらず、途中退席者は一人もいず、映像に見入っていました。加藤共同監督、サポート役の古川事務局長に続いて登場した李熙子さんは、中国南部で戦死した父のことを思ったのか、一瞬声を詰まらせながら「日本政府は一切知らせてこなかった。これがどんなに遺族にとって大変なことか分かっていない。」「父の名を靖国神社から取り消すまで闘う。一人でも多くの方が支えて欲しい。」と訴えました。(御園生)

『アンニョン・さよなら』を観て
   小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団 山内小夜子さん

 8月のプレ上映に続き、10月22日の大阪上映会も参観させてもらいました。釜山映画祭では、ドキュメンタリー特別大賞を受賞!やったぁー!
 とりわけ心に残ったのは、李熙子さんのお父様が亡くなられた中国・柳州での号泣です。現地に着き、車から降りて、お父様の姿を追うようにカメラを構える熙子さん。やがて、その場が亡くなれた場所とわかると、地の底から悲しみが立ち上がり、「アボジ」と呼びながら、泣き崩れられました。もう一つは、靖国神社にお二人の兄の合祀取消に行かれた時の古川佳子さんの「兄が愛おしいからこそ、靖国にはいてほしくないのです。」という言葉。そして、古川雅基さんが、南京の遺骨館にある子どもの遺骨に向かって、「ごめんね、ごめんね」とつぶやかれた言葉が、心に残っています。

 

翌日の団結まつりで
アピールするイ・ヒジャさん

 

 上映後の挨拶で、李熙子さんは、「この活動を初めて17年かかってやっと映画が完成しました。」そして、「すべてをさらけ出してしまって、力が抜けてしまった」とも語られました。その反対に、私は、この映画から、どんな力にも負けないような、柔らかなモノを届けられたように思います。私は、これほど死を悲しみ、亡くした身内を愛おしんできたかと、問われます。靖国に祀られ、敬意や感謝で、大切な人を愛おしむことも、その死を悲しむ力も奪われてしまっているのではないかと考えさせられました。各地で上映会が実現することを祈っています。

9月30日小泉靖国参拝アジア訴訟で違憲判決!

 
 

台湾原告のチワス・アリさん

 裁判終了と共に出てきた支援者の手に「不当判決」の字が見えた。原告たちは足早に裁判所を出て、道路脇まで来ると「ウォー」という怒りの声をあげた。遠くまで来させておいて申し訳ないという気持ちがこみ上げてきた。しかし後を追いかけるようにして、事務局の人が「実質勝訴だ!」と叫んで出てきた。訳の判らないまま集会に向かう。そこで初めて、控訴は棄却で国の勝利ではあるが、判決内容で参拝は違憲という判断を下したことが判った。参拝が、公用車を使用、秘書官を随行、また私的参拝と明言したことがないこと等をあげ、「首相の職務として行われた」と認定。小泉首相の3度にわたる参拝で、国は「靖国神社の宗教を助長、促進する役割を果たしたことが窺える」とし、憲法20条3項の禁止する宗教的活動と明言した。台湾原告のチワス・アリさんは、「違憲かどうかは日本人の問題で、私たちにとってはさほど大きな問題ではない。関心があるのは、日本の反省、謝罪、倍賞だ。そして靖国に合祀されている祖先の霊を返してほしい」と語った。
 10月17日またもや小泉首相は靖国神社参拝を強行した。しかしスーツ姿や賽銭で粉飾をせざるを得なかったのは違憲判決の重みだろう。原告の重いが実現し、過去の過ちを繰り返さないための新たな出発点にしていきたい。 (木村)

民族問題研究所・太平洋戦争被害者補償推進協議会の「小泉首相の靖国神社参拝に伴なう抗議声明」(全文)

 ビデオ案内

 『未だ癒えぬ傷年の孤独』平頂山事件 生存者の今   
    監督・撮影・編集/高部優子  2005年 23分 2500円上映権付き

 1932年満鉄が経営していた撫順炭坑を抗日軍に襲撃された報復として、日本軍は平頂山の住民約3000人を一ヶ所に集め虐殺しました。機関銃掃射と、銃剣による刺殺。死体の焼却とダイナマイト爆破による事件の隠匿。わずかな生存者のうちの3人が日本政府を相手に裁判をおこしています。このビデオは、生存者の今なお続く苦しみを裁判官に知ってもらうために、東京高等裁判所の最終弁論の時に法廷で放映されたもの。中国侵略の事実を法廷の外でひろめていかねばと思います。監督は「あんにょん・サヨナラ」スタッフの高部さんです。(大幸)

【連絡先】中国人戦争被害者の要求を支える会気付 高部
                tel:03-5396-6067 fax:6068


GUNGUNインフォメーション
9「戦後60年・過去を克服して共生のアジアをめざす戦後補償共同行動」
11月19日
(土) プレフォーラム(13時 日本キリスト教会館:地下鉄早稲田駅)
12月 4日
(日) デモ(詳細未定)
12月18日
(日) 日韓会談文書公開を求める会結成式
        (13時半 
在日本韓国YMCA9階:JR水道橋駅) 
 2月15日
(水) 11:00〜 GUNGUN裁判第20回口頭弁論 東京地裁711号法廷