在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.32 (2005.5.14発行)


「韓国でも若い人に関心が広がっている」
と語る咸楊根さん
(4月13日・東京)

   

加害者と被害者が向き合うことなしに未来はつくれない

 戦後60年3〜4月、教科書・靖国問題をきっかけに起こった、韓国と中国での抗議行動や反日デモは、戦争の総括に欠ける日本政府への当然の結果です。戦後日本が主権を回復した1952年のサンフランシスコ講和条約第11条には、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」とあります。少なくともA級戦犯を裁いた東京裁判の判決を受け入れることが、国際社会に復帰する最低条件だったのです。小泉首相の靖国参拝は、サンフランシスコ条約を根本否定する意味合いを持つのです。また日本政府とマスコミは、アメリカの保護の下、戦後すぐに受けることのなかった戦争被害民衆の「怒り」を、今ようやく浴びていることを認識すべきです。最近のJR事故でも共通しますが、加害者と被害者が向き合うことなしに問題は解決しないし、そこで解決した中身こそが歴史認識になるのです。4月末、こうした動きを受けて日本政府はシベリア等海外での遺骨調査・収拾や墓参に韓国人を含む姿勢を打ち出しました。一歩前進です。

 次回GUNGUN裁判は、7月14日(木)李熙子さん(靖国)、李炳柱さん(シベリア)、金幸珍さん(南方戦線)というアジア太平洋戦争を検証する原告を迎えての証人尋問です。(13時東京地裁710号法廷) 戦後60年を問い直す機会として、ぜひ法廷と報告集会にご参加ください。加害国と被害国の市民がともに議論し、靖国問題を題材に制作するドキュメンタリー「あんにょん・サヨナラ」の取り組みにご支援をお願いします。

4月13日、第16回口頭弁論
咸楊根(ハム・ヤングン)さん意見陳述!

 4月13日、グングン裁判第16回口頭弁論が開催されました。韓国でのダイナミックな過去史清算・戦後補償実現の動きを受けて、50代前半の原告が来日。法廷で意見陳述しました。

涙をこらえての意見陳述

 
 

裁判所で感想報告

 来日の原告・咸楊根(ハン・ヤンゴン)さんは50代前半。今まで来日した原告の中で一番若い原告です。咸楊根さんは、父の弟・咸百天さんを徴用により亡くしました。そして、今回の裁判とは直接関係ないが、父の兄も北海道の炭鉱に強制連行され、亡くしています。ところどころで涙を抑えきれない様子で、意見陳述を行いました。「健康な青年が連行され、紙切れ一枚になって無残な人生を終えました」「わが国の大統領は、『日本の態度は人類社会で共に追求すべき重要な価値に合わない』『侵略と加害を過去の栄光と思っている人たちと共にすることは世界的に不幸なこと』と言っています」と。今なお、両叔父の詳しいことはわからないのです。

厚生労働省で調査 ― 叔父はバシー海峡で戦死 −

 

大口弁護士と握手する咸楊根さん

 

 これまで咸楊根さんは、厚生労働省で軍歴証明を取りよせています。しかしそこには、戦死場所が書かれていないのです。「請求がなかったから」という言い分が聞こえてきそう。戦死場所さえ遺族に積極的に知らせようとしない姿勢こそが問題なのです。戦争に動員しながらその後始末は全くといっていいほど行っていないのです。確認したところ、叔父さんは九州の門司から高雄(台湾)を経て、フィリピンへ向かう「豊岡丸」に乗船中、豊岡丸は米潜水艦の魚雷攻撃により沈没。戦死と認定されたというものでした。北海道に連行された伯父のことは別途調査することになりました。

本人尋問を決定―金景錫氏の証人だけは持越し 
 
 第16回口頭弁論の中心課題は、本人(証人)尋問の決定にありました。原告側からは、両遺族会との協議を踏まえて、事前に5名の原告と、原告を代表して太平洋戦争韓国人遺族会会長の金景錫さんの証人申請をしました。しかし被告政府は、文書で意見を表明するという姿勢を崩さず、次回に持ち越しとなりました。このグングン裁判の原告は一次、二次提訴あわせて400名を超えます。その内容も、名も知らない南洋の孤島への動員から、戦後シベリアへの抑留や、BC級戦犯まで千差万別であり、今なお続いている靖国神社合祀問題まで含んでいます。この原告全員への尋問を不可能とする以上、被告・日本政府は金景錫さんの証言を認めるべきです。来日した咸楊根さんは、「この問題はこれまでになく注目されている」と言います。

◇◇◇ 本人尋問 1回目 ◇◇◇
日時:7月14日(木)13:30〜17:00
場所:東京地裁710号法廷(変更)
李熙子(イ・ヒジャ)さん
金幸珍(キム・ヘンジン)さん
李炳柱(イ・ビョンジュ)さん

◇◇◇ 本人尋問 2回目 ◇◇◇
日時:9月1日(木)13:30〜17:00
場所:東京地裁710号法廷
李洛鎭(イ・ナクチン)さん
羅鐵雄(ナ・チョルウン)さん
金景錫(キム・ギョンソク)さん(申請中)


7・14本人尋問傍聴へ13時30分から、東京地裁710号法廷)

【原告:李熙子(イ・ヒジャ)さん 】 >>>靖国合祀取消し!<<<

 
   

 李熙子さんの父親・李思R(イ・サヒョン)さんは、1944年陸軍軍属として徴用され、同年3月中国の特設建設勤務101中隊に配属、翌45年6月11日広西省全県(桂林北東)で戦病死した。中国戦線において無謀極まりない「大陸打通作戦」(44年から50万人を動員、北京とインドシナを結ぼうとした)に動員された結果であると思われる。戦後も父は帰らず、母は再婚をせざるをえず、父の顔さえ知らず育った。90年代に入り、原告は父のことを調べ始め、上記の死亡の事実や供託金のことを知った。そして、99年になり、父の陸軍部隊留守名簿に記載された「合祀済」の意味をはじめて知り、靖国神社に「李原思蓮」の名で合祀されていることを知った。この戦争に父を動員し、命を奪った戦争を賛美する神社にその戦争の責任あるA級戦犯と一緒に合祀されていることに耐え難い苦痛 を感じている。海外の死亡者を祭る「望郷の丘」に、合祀の取消しを勝ち取り、父の名を刻むお墓が待っている。

【原告:金幸珍(キム・ヘンジン)さん】 >>>ブ島で餓死寸前!未払金返還を!<<<

 
   

 金幸珍さんは、42年令状が来て陸軍に入隊、高射砲部隊に配属された。同年12月頃、輸送船に乗せられ、釜山から佐世保を経て、ニューギニア方面に行き、最終的にソロモン諸島のブーゲンビル島のブイン飛行場に行き着いた。ブーゲンビル島は別名ボーゲンビル島ともいわれ、「墓」島ともいわれたほどソロモンで最大の戦死者を出した島であった。「44年頃からは補給が全然なされず、通信も途絶え、食料もなくなり、へびやとかげ、草や木の根を食べて」(陳述書)命をつなぐ過酷な状況であった。多くのものがマラリアや餓死で死んだ。日本の敗戦を知ったのは、46年1月。米軍によってであった。強制的に徴兵され、若くして辛酸の限りをなめなければならなかった。正当な補償と謝罪、未払い賃金の支給を求める。

【原告:李炳柱(イ・ビョンジュ)さん】 >>>戦後もシベリアに抑留!<<<

 
   

 満州での現地徴集にあったのは、日本の敗戦の直前45年8月のことであった。軍服に着替えていたところにソ連軍の侵攻があり、興安嶺で終戦を迎えた。李炳柱さんの戦争はここから始まった。武装解除され、捕虜となり、日本国籍と日本名で捕虜名簿が作成され、45年9月下旬、貨車に荷物のように積まれ、シベリアに連れて行かれ、15日目にクラスノヤルスクに到着し、第5収容所に収容された。零下40度の酷寒の初めての冬で、餓死者と凍死者が続出した。日本は捕虜労働を容認し、韓国人日本兵のことなど一顧だにしなかった。脱穀、煉瓦工場、道路工事など奴隷のような重労働。酷使につぐ酷使であった。48年12月末ようやく 解放され、帰国した。しかし、共産国帰りということで、帰国後も「要視察人」として監視状態が続いた。自由にものがいえるようになったのは、90年に韓国・ソ連の国交が回復してからのことであった。戦後に韓国人でありながら日本人として強制労働につかされたのだ。南方の日本人捕虜には期間中の賃金が日本から支給されたのだ。

「あんにょん・サヨナラ」撮影記(4月編)

 
 

関東スタート集会での韓国スタッフ

 戦後60年の2005年、日韓市民が共同でドキュメンタリーを制作します。歴史認識問題で必ず登場する「靖国」をテーマにタイトルは「あんにょん・サヨナラ」。韓国側スタッフが4月のGUNGUN口頭弁論にあわせて来日し、撮影を行いました。次回来日取材は、5月19日から約10日間の予定。

【4月12日】 ホテルで日本側スタッフとシナリオ、制作過程の問題点に関して議論。

【13日】 朝から靖国神社で撮影。GUNGUN裁判参加後、夕方行われた裁判報告&ドキュメンタリースタート集会で日韓両スタッフが発言。

【14日】 平和遺族会の西川重則会長を自宅に取材。飛行機で関西へ。神戸に宿泊。

【15日】 ソウル在住で西宮に帰省中の丁智恵さんが通訳をしてくれる。この日神戸市西区にある王塚古墳、渡来系の赤羽神社を撮影。夜はGUNGUN古川宅で懇親会。加藤さんはこの後の議論のために東京から駆けつける。議論は朝方まで。

 

 

菱木さん

 
 

関西スタート集会

【16日】 昼から神戸の湊川神社、阪神大震災のメモリアルパークを撮影。震災と戦災の違いはあるが、犠牲者を追悼するための無宗教施設。

 夕方から大阪で、小泉靖国参拝違憲アジア訴訟団の菱木政晴事務局長に取材。「一般の神社は豊作や豊漁に対する感謝と祈願、不作と災いを取り除く祈願が基本的。決して靖国のように死んだ人が神になることはない。靖国は死んだ人を褒めて見習いなさいという宗教。鳥居など形は似ているが他の神道とは違う。なぜ宗教にしたかといえば、崇高な超越的なものにした方が民衆の心の中に深く入るから。A級戦犯を祀っているのは本質ではなく、全ての戦没者を褒め称えているのが本質。被害者と自覚しない限り加害者のまま。お釈迦様の言葉に『全て命ある者は命が惜しい。だから殺させてはならない』というのがある。いつまでも殺させる側についてしまうと見抜くことが大事」などの話しに納得。

 その後、関西スタート集会。丁さんの知り合いをはじめ若い人が参加してくれ、靖国をめぐって「韓国にも死んだ兵士を称える場があるのではないか」と議論になる。活気ある集会になった。

 
 

古川佳子さん

 
 

箕面忠魂碑

【17日】 朝から箕面忠魂碑訴訟原告の古川佳子さんを取材。まず自宅で啓介さん(上のお兄さんで45年ビルマで戦死)と博さん(下のお兄さんで44年台湾沖に沈む)の写真や戦地からの手紙などを見せていただく。お母さんが書きとめた日記帳には「なぜ戦死の日、夢枕に子どもが立たなかったのか」嘆く悲痛な文字が。両親が移り住んだ淡路の川の土手に咲き誇っていた宵待ち草に母は「けいすけー、ひろしー、ご飯だよー」と呼びかけた。その宵待ち草が自宅の庭に今年も芽を出している。今年も母の命日の6月に咲くことだろう。

 小学校の正門を見下ろすように聳え立つ忠魂碑を撮影後、近くの公民館で偶然開かれた古川佳子さんが参加する婦人民主クラブの会合に参加。「中国のデモは当然」「敵対関係を煽るメディアの操作が問題」「戦争世代がいなくなると日本は反動化する」「戦前と今を比べると今のほうが自覚的な人が圧倒的に多い」などポンポンと意見が飛び交う。

 夕方から心に刻む集会代表の上杉聰さんに取材。ご自身の幼児体験から部落問題そしてアジアへの戦後補償問題に関心が広がる話しや、今の韓国中国からの抗議行動を受ける日本とドイツとの違いに触れながら、わかりやすく語っていただいた。終了後、鶴橋のアリラン食堂でGUNGUN事務局主催のフェアウェルパーティー。この場でも事務局スタッフへのインタビュー。韓国側スタッフは翌日無事帰国しました。

日韓スタッフのスタート集会での発言より

 
 

加藤久美子さん

 
 

高部優子さん

 
 

金兌鎰監督

 
 

崔眞娥さん

 
 

丁智恵さん

【加藤久美子さん】
 日韓の共同作業が本当にできるのか?と当初思ったが、今はできると確信している。それはスタッフ全員が尊敬できるから。真剣に未来につなげていこうとしている。今まで靖国の何が問題かを考えたことがなかったが、ようやくわかってきた。そういう学んできたことを作品に込めたい。今回の制作は真の友好。制作過程自体がドキュメンタリーになる。シナリオ論議を通じて「このテーマはアジア全体の問題だ」と言われた時に日本の若者だけに見せることを考えている自分に気づかされた。この作品でアジア全体の悲しみ、怒りを表現し、靖国が何を象徴しているのかを「合祀」を通じて描きたいと思う。(東京で)

【高部優子さん】
 私も勉強させてもらっている。学ぶ姿勢を学ばされる。(東京で)

【金兌鎰監督】
 2005年、60年という節目だからこそ過去の問題を解決するために作業に入った。両国の過去をどう解きほぐすか?GUNGUN裁判を通して未来への架け橋になるのではないかと思う。日韓の共同作業といっても簡単にはいかない。言葉や距離に壁がある。一緒にやると決めて4か月になる。この問題は日本だけの問題でなく、アジア全体の問題。日本の右傾化が進んでいる。戦争が起こる脅威を感じている。この作品で平和の大切さを伝えたい。(大阪で)

【崔眞娥さん】
 3か月間日韓で会議し、いろんな違いに気づく。しかしお互いの違いを認めた上で配慮しあう過程自体に意味がある。この過程が「作ることができる」という確信になった。世界中の人に見てほしい。(大阪で)

【丁智恵さん】
 日韓それぞれの国に対するそれぞれの国民が持つイメージがゆがめられている部分がある。根強い蔑視もあるし、意図的に作られたもの、反日感情を煽る風潮もある。韓国政府は民衆の怒りを日本に向けさせることをやってきた。今回の作品を通じてお互いの誤解している部分を何とかしたいと思う。(大阪で)

高橋哲哉著 『靖国問題』に出てくる「靖国神社忠魂史」を読む
  日韓併合抵抗運動(明治39年〜44年韓国暴徒鎮圧事件)弾圧者も合祀!

 在韓軍人軍属裁判の原告の父らが合祀されている靖国神社には、侵略戦争に直接責任のあるA級戦犯が合祀されているのみならず、韓国併合に対する韓国民の激しい抵抗運動の弾圧戦争のために戦死した日本軍人も合祀されていることがわかりました。

 靖国神社が昭和10年前後に発行した「陸軍大臣官房・海軍大臣官房監修 靖国神社忠魂史」(全5巻)に台湾、韓国の抵抗の弾圧状況が詳しく記述され、合祀者も記載されています。第4巻の第22編には「自明治39年至明治44年 韓國暴徒鎮圧事件」が。明治39年:日本が韓国の外交保護権を剥奪した乙巳協約の翌年1906年から、明治44年:日韓併合の翌年・1911年までの、各年度の戦死者(合祀者)も記載されています。

 併合への抵抗運動を「日露戦役後わが国勢俄かに伸張し、韓国はその兵馬外交の権を委ねてわが国の保護下に入るや、権臣、儒者の間に排日を企てる者あり、また韓国兵の解散に伴って反乱をする者あり、いずれも時勢を見るの明なき守旧頑迷の徒 に依って隠に民心は扇動され、」と表現しています。そのような「暴徒」を鎮圧した軍人とともに、韓国人が合祀されていることを再確認したいと思います。(御園生)

「植民地支配」=根本的な問題清算こそが日本政府の義務
  太田修さん関西講演会「日韓請求権協定とは何だったのか?」開催

 
   

 3月30日、大阪でも佛教大学の太田修さんを招いて日韓請求権問題の学習会を開催しました。

 長期間にわたる日韓交渉の結果、日韓両政府のそれぞれの「思惑」のために切り捨てられたのが「従軍慰安婦」・軍人軍属・強制連行被害者であったことを改めて確認できました。最後まで植民地支配の責任を否定(あくまでも合法的で、植民地支配のおかげで朝鮮は結果的に発展した!)しようとする日本政府と、日本から経済協力を引き出し経済発展を実現し「朝鮮」に対して優位に立とうとした韓国独裁政権との妥協の産物の最大の犠牲者が、本来救済されるべきであった強制連行の被害者の人たちだったのです。

 太田先生からは、請求権問題を検証するとき、「日韓交渉を規定したサンフランシスコ講和条約自体の問題点を見逃してはならない」と指摘。韓国政府は、日本の植民地支配・過去清算の問題を訴えようとしたが、世界各地に植民地支配を有する連合国は自らの植民地問題に飛び火するのを恐れ、第4条において日本の植民地支配清算の問題を2国間交渉に委ねてしまった点です。つまり、日韓交渉は交渉が始まる時点からすでに「植民地支配の清算」の視点が骨抜きとされていたのです。カイロ宣言で謳われた「朝鮮の解放」ももはや、列強諸国の思惑と冷戦構造の過程で戦争犠牲者の救済が放置されたのです。しかし国際社会も2001年8月、南アフリカで開催された「人種差別反対世界会議」の政治宣言の中で「奴隷制」や「植民地支配」について、遺憾の意を表明するところまで到達しました。日本の軍国主義が犯した「誤り」の根源にある「植民地支配」という根本的な問題を清算するという視点での解決こそが「人類普遍の原理」として、日本政府が果たさなければならない義務です。

 今、日本はアジアから国の「あり方」を問われています。中国での反日デモや、ノムヒョン政権の「政策変更」をもたらした根本的な原因が日本にあることに気づき、舵を切りなおすことが求められています。(中田)

韓国人遺骨収拾・シベリア等墓参事業に韓国人の参加拡大へ
(以下は福留さんに翻訳いただいた韓国マスコミ「プレシアン」の報道です)

 4月27日の時事通信によれば、日本政府は第2次大戦当時シベリアや南太平洋地域などで戦死した旧日本軍遺骨収拾事業で、朝鮮出身の戦死者の遺骨も収拾対象に含ませることにし、具体的検討作業に入った。日本政府は「同胞遺骨の迅速な収拾」を骨子とした1952年衆議院決議に基づき、この間海外で戦死した旧日本軍の遺骨を収拾してきたが、強制徴集され日本軍として参戦した朝鮮出身の戦死者の遺骨はその対象から除外されてきた。日本政府は同時に、遺族がシベリアなど戦没地を訪問する際に補助金を支給する慰霊巡礼事業にも、韓国の遺族を含ませる方針を立てていると伝えた。 

 
   
 読書案内

  『靖国問題 』
         高橋哲哉著 ちくま新書 720円+税

 


 本書では、「台湾理蕃」(先住民「討伐」)等、植民地支配のための日本の戦争を栄光の戦争として顕彰し、靖国神社の「英霊」たちを植民地帝国確立のための「尊い犠牲」として顕彰している事実を明らかにしている。また、「お国のために死んで天子様にほめていただいとると思うと、何もかも忘れるほどうれしゅうて・・・」(感涙座談会より)。また「靖国信仰は、国家儀式により遺族の感情を悲しみから喜びへ、不幸から幸福へまるで錬金術のように変えてしまう。そしてお国のために死ぬことを自ら希望する国民を生み出していく」とある。今、「靖国」を必要とする動きにストップをかけるためにも必読。(木村)


GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
 5月20日(金)〜21日(土) 
「戦後60年・被害者と共に日本の過去の清算を求める国際集会
in Tokyo
  20日 18:30〜21:00 全体集会T(YMCAアジア青少年センター・水道橋)
  21日 9:30〜12:00 分科会・グループ討議(社会文化会館)
   
@「慰安婦」 A真相糾明・虐殺・遺骨 B強制労働・POW・抑留 C教科書・歴史歪曲
     13:00〜16:00 全体集会U(社会文化会館)
       主催:日本の過去清算を求める国際集会(03-3237-0217)
 5月24日
(火)「日本政府にILO勧告履行を求める5・24行動」
     9:15日本経団連申入れ〜16:30新日鉄本社前要請行動
 5月25日
(水)「加害責任を果たし共生のアジアを!戦後60年フェスタ実行委員会」
     18:30 全造船会館第3会議室(JR水道橋西口徒歩3分)
 7月14日
(木)GUNGUN裁判第17回口頭弁論」(東京地裁710号法廷)
     13:30〜17:00 李熙子氏、金幸珍氏、李炳柱氏の本人尋問
  16日
(土)「若者がつくる未来への架け橋・関西GUNGUN報告集会」
     14時 クレオ大阪西(
JR環状線「西九条」徒歩3分)