12・8「不戦の日」を前に日韓での
靖国合祀拒否の決意を新たに!
先日大阪団結まつりでのできごと。GUNGUNの店に少し興奮気味の青年がやってきて、「補償は解決済みなのではないか。日韓政府間で決着していることを裁判で穿り返すのはおかしい」とまくしたてました。聞くと彼なりに勉強した上での意見らしい。話は平行線のまま靖国の問題に移り、「鹿児島の知覧で特攻隊の資料館へ行って感動した。特攻兵のおかげで今の平和があると感じた」という。小泉首相の靖国参拝の中でよく言われ、若い人の心にも浸透しやすい理屈。そこで私は彼に聞いてみました。「死んでいった彼らが残った人に《自分の後に続け》と考えたと思いますか?」と。靖国神社は天皇の国のために戦い戦死した人を「神」として崇め奉り、《後に続け》と教育した施設。「特攻兵に限らず多くの戦死を余儀なくされた人は『もう二度と自分と同じ境遇を味あわせたくない』という思いで亡くなっていったのではないか。日本人にとって太平洋戦争の被害が総括されていないことが、戦後補償問題を通じてよく見えるからこそこの運動が大切だと思う」と話すと、青年のトーンも落ち着いてきました。「どう考えればよいのかよくわからないんです」という彼も真剣に考えているのがわかりました。最後に彼はGUNGUNの支援物販を買って帰りました。
もうすぐ12月8日「不戦の日」がやってきます。軍人軍属だけでも約240万人の戦死者のうち、半数近い約100万人はフィリピン、中国戦線です。補給を無視した無謀な作戦の結果で、多くは栄養失調による病死、餓死。そんな「無駄死に」が靖国という装置によって「名誉の戦死」として英霊化されてきたのです。今、イラクで日本人戦死者がいつ出てもおかしくない状況だからこそ、靖国の役割と、朝鮮人合祀の理不尽さを訴える意義が高まっています。一方韓国では10月末、国会議員主催による「小泉首相靖国参拝中止と韓国人合祀取下げを求める決議案」討議の公聴会が開かれました。(報告別掲)
次回GUNGUN裁判第14回口頭弁論はその12月8日「不戦の日」(11時東京地裁710号)。来日原告は浮島丸遺族の林西云さんに決定!傍聴をお願いします。
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2回の口頭弁論の後、5月連休前後で証人尋問が決定!
第14回口頭弁論:12月8日(水) 第15回口頭弁論:2月16日(水)
11時から東京地裁710号法廷(12月8日)、722号法廷(2月16日)
6月31日の第13回口頭弁論以降、皆さんに裁判が「見えない」状況が続きましたが、8月31日に続き、10月15日に進行協議がありました。進行協議とは、裁判所と原告・被告の代理人が今後の裁判の進行を協議するもので、裁判の節目で開催されるものです。この進行協議の結果、今後の口頭弁論、証人尋問の概要が明らかになりました。
第14回、第15回口頭弁論と6名の証人尋問!
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第13回口頭弁論報告集会
原告の李炳柱さん(右) |
まず今後の予定として、2回の口頭弁論が行われます。太平洋戦争開戦の日12月8日、そして、2月16日です。午前11時から東京地裁の710号法廷
(12月8日)、722号法廷(2月16日)で開催されます。この口頭弁論で、原告・被告双方とも残された主張を行い、書証を提出することになります。
そして、その後、5月の連休を前後して2回にわたり、6名の証人尋問を行うことが予定されています。この証人尋問は、この間の主張を証人により立証するもので非常に重要なものです。
現在、原告団、弁護団、支援する会でこの証人尋問を誰にするか検討しているところです。この裁判は、靖国合祀取消、遺骨返還、死亡結果未通知、未払い金(供託金)、軍事郵便貯金返還、浮島丸、BC級戦犯者、餓死・戦病死、そして、シベリア抑留など軍人軍属がかかえた問題を多岐にわたり、原告も252名(一次)+164名(二次)と多数にのぼることから、慎重に検討しています。
これからが支援の一番必要なとき 年末カンパにご協力を!
裁判は一審の最終段階に入りました。
主な論点は第一に、靖国神社への合祀問題です。政府は、合祀通知は「援護事務」の一環であり、憲法違反ではない、また、実態的な侵害はないと答弁しています。しかし、厚生省からの合祀通知(1956年)、戦後厚生省が管理していた旧陸海軍の留守名簿、身上調査表に「合祀済」「靖国神社合祀手続き済」「靖国神社合祀済」という記載がなされている事実は政府・厚生省が合祀に直接的に関与していたことを明らかに示しています。
第二に、シベリア抑留者への補償、労賃の支払い問題です。1907年ハーグ条約(日本も批准)以来、どこの国で決済するかの問題は別にしても、一貫して捕虜の労賃の支払いが義務付けられています。しかし、シベリア抑留者には何の補償もされていないのです。
第三に、今なお供託されている未払い金の問題です。この未払い金には、給与とともに葬祭料、遺族扶助料も含まれてます。戦後、通信が復活してから多くの時間がありました。現に供託されているのですから各人に返還すべきです。「日韓請求権協定・法律144号で解決済」と政府は言いますが、日本の法律で韓国人の権利を消滅させるとは理不尽極まりないことです。ほかにも重要な問題があります。
証人尋問に向け、傍聴・原告招請年末カンパなどご支援・ご協力をお願いします。
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12月8日 第14回口頭弁論に浮島丸遺族が来日
夜に報告集会(18時半 シニアワーク第1セミナー室:JR飯田橋駅下車5分)
原告の林西云(イム・ソウン)さん |
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死亡告知書(公報)すら遺族に届かなかった |
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(小泉靖国参拝違憲アジア訴訟の陳述より要約)
解放されても父は帰ってこず、父が死んだという便りを受け、祖母は怒りから心の病気になり51歳で亡くなりました。母は私が4歳になる年に実家に戻って再婚し、私は孤児になりました。今考えても、私たちの家族を破綻させ、幼い歳でさまざまな苦痛の中で暮らさなければならず、学ぶ機会を奪った日本に対する恨みは、とうてい言葉で表現できない程です。1970年代に父の遺骨を受け取り、故郷に葬りましたが、それが父の遺骨だとは今でも思っていません。父の魂が靖国神社に祀られているという事実を知り、とても驚きました。父を強制的に連れて行った人たちと一緒に祀られていることに対して、父は心が安らかでないだろうという思いで、眠れない日がたくさんありました。 |
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林西云さん(左) |
関西では林西云さんと一緒に舞鶴を訪ね、追悼行事を営んだあと、囲むつどいを行います。
12月6日(月)19時 エルおおさか
※舞鶴へは5〜6日に行きます。同行希望者は古川(090-1135-1488)までご連絡を!
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小泉靖国神社参拝糾弾・韓国人合祀取下げ決議案の上程へ
韓国・国会―靖国問題公聴会報告(矢野秀喜)
10月26日、韓国国会内の図書館会議室で「靖国問題」に関する公聴会が開催された。この公聴会は、「過去史清算のための国会議員会」(ウリ党の姜昌一、金元雄議員ら)と「強制動員真相究明市民連帯」が主催した。この公聴会の目的は以下の2点であった―@小泉首相の靖国神社参拝の政治的意味を明確にする、A韓国人戦没者(軍人・軍属)の靖国神社合祀とその「絶止」(=取下げ)の方向性を探る。
この公聴会に日本からは高橋哲哉氏(東京大学教授)、大口昭彦弁護士(GUNGUN裁判)や小泉靖国参拝違憲アジア訴訟(大阪)の原告・弁護団、GUNGUN事務局の私が参加した。
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公聴会を準備した金銀植さん |
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公聴会の冒頭に、主催者を代表して姜昌一議員らから挨拶がされた。姜議員は「日帝時代の『親日派』問題の真相究明のための努力が続けられている。これは過去志向ではなく未来志向の活動である」と前置きされた上で、小泉首相の靖国神社参拝、韓国人合祀問題について韓国国会として意思表示を行うことを予定していると述べられ、公聴会への期待を表明された。金テウォン、林インジョン議員からは、独・仏等における過去の清算の真摯な取り組み、それと対照的な日本の現状についての批判が述べられ、この作業の重要性を訴えられた。
その後、梁美康氏(教科書運動本部)の司会で4人のパネラーが「靖国問題」について報告。靖国神社という施設が持つ意義、小泉首相の靖国参拝の意味については高橋哲哉氏と金広烈氏(光云大学副教授)が報告され、韓国人合祀とその取下げ(絶止)に関しては大口弁護士、金銀植氏(真相究明市民連帯事務局長)から提起がされた。
公聴会では、パネラーによる以下のような提起とともに、靖国参拝違憲訴訟の原告・弁護団から違憲訴訟の意義が報告され、また供託金問題についての報告も行われた。国会審議が急に入り、国会議員の公聴会参加は限られてしまった。しかし、韓国人の靖国合祀問題が国会内で論議されたのは恐らく初めてのことであり、非常に大きな意義があった。TV局の取材もあり、MBCは姜昌一議員のコメント、公聴会の内容を放映した。韓国内で靖国問題に対する関心が高まっていくことは間違いないと思われる。韓国国会で会期末までには、小泉靖国神社参拝糾弾、韓国人合祀取下げの国会決議も上程される。真相究明委員会の発足とともに、この決議が採択されることを期待したい。
〔靖国神社の意義と小泉首相参拝の政治的目的〕
・ 靖国神社は戦没者を「追悼」する施設ではなく「顕彰」する施設である。「国のために戦死すること」が「尊い」行為であり、「国家的名誉」であると「顕彰」することによって、はじめて国民を戦争に動員し、これを支える「国民精神」を形成しうる。靖国はそのために設けられた装置。
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小泉首相が靖国に「私人」ではなく「公式参拝」を繰り返すのは、イラク戦争参戦の下で、新たな戦争への国民の支持をとりつけ、「国民精神」を作り出していこうと狙っているからだ。
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「靖国=A級戦犯合祀」―だから参拝は許せない、という捉えかたは全く不十分。A級戦犯とは東京裁判(1928年以降に日本が行った戦争の中での犯罪について管轄)で裁かれた戦犯。1928年以前に日本に戦争犯罪者はいなかったのか、江華島事件、3.1独立運動弾圧等の中での戦死者(日本軍)は犯罪を犯さなかったのか。1905年から1910年までの間、朝鮮半島では毎年1700〜1800件の戦闘が日本軍と朝鮮・義兵との間で起こった。この戦闘での戦死者(日本兵)と太平洋戦争における朝鮮人軍人・軍属戦没者がともに靖国に合祀されている。靖国神社は植民地主義・国家主義そのものである。 |
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合祀取下げを拒否し続ける靖国神社 |
〔韓国人戦没者靖国合祀と取下げの方向性〕
・ 太平洋戦争中、朝鮮半島から「皇軍」兵士として多数の軍人・軍属が徴兵・動員された。そして、戦没者は靖国神社に合祀された(21,181柱)。これは遺族の了解を得ることはもとより、連絡・通知すらなく強行された。韓国人にとって屈辱、悲惨以外の何者でもない。
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GUNGUN裁判で、遺族が合祀「絶止」を求めている。靖国神社は、「日本人として戦われ、亡くなられた英霊」であるとして合祀取り下げを拒否。裁判では日本政府に対し、靖国に対し行った「祭神名票」送付の撤回を求めている。しかし、裁判で勝訴したとしても、靖国(今は一宗教法人)側が、合祀を取下げる可能性は殆どない。また、靖国に強制する方途もない。
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合祀絶止を実現するためには、韓国側で「霊」を故国に迎え入れ、追悼するための事業を何らかのかたちで具体化していくことが必要ではないか。日帝下強制動員真相究明法には、法に基づいて実施する事業として「慰霊」事業もあげられている。この一環として「霊」の「帰国」事業を具体化していくことはできないか。 |
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チュンチョンでの合同慰霊祭
このツアーも今年で4回目。今までは11月中下旬の開催でしたが、今回は金景錫さんの意向もあり、旧盆に近い10月2日に春川にある納骨堂の草刈りと、合同慰霊祭を行いました。
納骨堂には、金景錫さんが日本の各地に眠っていた身元のわからない強制連行犠牲者のお骨を集めて、513体が納められています。秋晴れの青空のもと、夏の間に生い茂った雑草を夢中で引いていると案内の李相賛さんが、近くにいるおじさんを指さして「飛び入りの人ですよ。日本人がこうしてわざわざ草を刈りに来ていると教えると、感激して手伝ってくれているのです」と教えてくれました。見るとにこにこしながら「ありがとう」と話しかけてくれたので、あわてて「とんでもないです。こちらこそカムサハムニダ」と言いました。2時間もすると、すっかり草も抜かれ美しくなりました。
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慰霊祭でお坊さんが読経 |
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そのあとは合同慰霊祭。祭壇の上には餅、くだもの、お菓子、ごちそうとともに、赤や黄色の装飾がつけられ、三人のお坊さんの読経が始まりました。太鼓をたたき、鐘や鈴を打ち鳴らしながら唱和される歌はリズミカルで思わず聞きほれます。お坊さんはシンバルを頭の上でたたきながら軽やかに舞い、読経が続くなか、紅葉の始まった木々と爽やかな秋空を眺めながら、納骨堂に眠る人々がどんなにか故郷に帰りたかっただろうかという思いが胸をよぎりました。
慰霊祭には、春川市長、江原道保健福祉局長(道長代理)も列席しあいさつを述べました。この慰霊祭は今年で11回目ですが、金景錫さんが私財を投じて建てた頃は屋根もなかったそうです。毎年少しずつ手を加えたお堂も今はコンクリート製になり骨壷を納めるケースもガラスの扉のあるものに変わり、大変立派なものになっています。この慰霊祭を多くの日本人に知ってもらい、戦争がもたらした事実を伝えていかねばと改めて感じました。(大幸)
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ソウルの原告集会で李侖哉さん |
ソウルでの交流
翌日ソウルでは、新しいソウル駅の中にあるおしゃれな店で原告集会&交流会が持たれました。今までに裁判の証言のために来日された懐かしいお顔が次々見えました。日本側事務局からの「いつも印鑑を送ってとか戸籍謄本をとってとかのお願いばかりで申し訳ない」の発言に、「それは逆だ。こちらがやるべきことで、100%応えられていないことこそ申し訳ない」という応答。原告の李侖哉さんからは、「日本に対して父を殺した国だと憎しみをもってきた。原告として日本へ緊張して行ったが、皆さんにお会いしてその気持ちが間違いだったと思った」という発言には胸のつまる思いがしました。食事を取りながら、隣席の金源穆さんからは、「自分は20歳で北支派遣軍に徴兵されたが17歳の弟は出先からトラックに乗せられ三菱重工に徴用された。お金を上官にお願いして家に送金したが帰ってみると一銭も届いていなかった」ということを聞きました。原告の方々の思いを充分聞けたとは言えませんが、私たちへの熱いエールを感じる交流でした。
今回のツアーでも、難波さん、丁智恵さん、金ボラさん、松井さんたちソウル在住の日韓の若いメンバーが活躍してくれました。また民族問題研究所のスタッフ、シベリアドキュメント制作スタッフ等、若い人に支援が広がっていることを力強く感じました。忙しいツアーでしたが、おいしいご馳走をいっぱい食べて、心も身体も満足のツアーでした。(木村)
参加者の感想 |
はじめての韓国旅行 北田衣代さん
韓国と日本の歴史を考えると、この国を訪れるには、どこか『玄関』で、こころをこめて、深々とまず、一礼をしないと、入ってはいけない感じをもっていました。GUNGUNの納骨堂参拝とボランティア活動をかねたスタディツアーは、そんな希望を満たしてくれました。出会った方々は、原告関係者の方々もボランティアの方々も、本当に心を開いて受け入れてくださっていることを強く感じました。私たちへのメッセージは強固かつ明確で、しかもしみじみ伝わるものでした。「あなたがたは、日本が犯した罪の歴史を忘れてはいけないし、認めることからしか先に進めない」と、納骨堂に込める思いを語ってくださった金景錫さん、この裁判へのかかわりを「若い人に導かれた、運命的な出会い」と謙虚に表現された李熙子さんは、凛として、しなやかで、どこまでも原告の方々によりそって
闘いぬかれるだろう、全身からあふれる意思を感じました。同じ女性として、とても敬意を覚えました。突然ですが、実はなんといっても、何もかも美味しい旅でもありました。若い学生ボランティアの笑顔の素敵だったこと!
3時間も銭湯につきあってくれた金ボラさんは、次は、大阪に来るそうです。出会ったすべての人にまた会いたい!そう、思う旅でした。
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日韓の学生が交流(右が金ボラさん) |
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汗をかいて交流に感謝! 石川陽子さん
私にとって韓国は今まで「近くて遠い国」という印象がありました。というのも、祖父が菓子職人として一家で京城(今のソウル)に転勤になり、日本が支配下においた1910年に父が生れたのです。南大門近くの三越百貨店(今の新世界百貨店)の向いに祖父の働いていた菓子店があり、6歳まで暮らしていたということを聞かされていました。戦後、韓国は独裁政権が長く続き、政情が不安定で再びソウルを訪れることはなかったということでした。学生時代の韓国のイメージも相当暗いイメージしかありませんでした。今回親子でボランティアツアーに参加する機会を得、運がよかったと思います。春川の自然はとてもきれいでした。私たちを歓迎していただいた1日目の夜の豪華な韓国宮廷料理は、辛いのもありましたが、おいしく食べられました。翌日、金景錫さんが私費で建てられた納骨堂の敷地をみんなで草刈をし、汗を流しました。娘たち二人も初めてでした。納骨堂は山の斜面にあるため、振り返ると景観が素晴らしくて、いい所に建てられたなあという印象でした。春川市長や道知事の代理
の方とか来賓も来ていて、MBCなどのテレビ局も取材に来ていました。金景錫さんの「日本政府が戦前にしたこと(強制連行)を未だに謝罪していないのは許せない」の言葉を聞き、日本が行った過ちに対しても何も応えてきていないのはおかしいという思いを強くしました。単なるツアーではなく、汗を流し、ともに交流でき
たツアーになり、とても感謝しています。娘たちもそれぞれ感じた想いを大切にしていってほしいと思いました。また参加してみたいです。
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金景錫さん(納骨堂の前で) |
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納骨堂で大変な作業 石川歩実さん(12歳)
私は、母と妹で韓国へ行ってきました。韓国は日本よりも寒く、夜はすごく長かったです。昔、韓国の人たちが日本人に強制的に連れて行かれ、そして、無理に働かされた。日本で死んだ方も多かったそうです。キム・ギョンソクさんが韓国の人の骨を集めて納骨堂を建てました。私たちはそのお墓の草かりをしにいきました。納骨堂に行ってみると草がたくさんはえていて大変な作業になるなと思いました。予想はあたっていました。背の高い草を何本も何本も引っこ抜いていきました。私は稲刈りはしたことはあるのですが、草かりは初めてでした。きれいにかりおわると、3人のおぼうさんが赤と白の服を着て、おきょうを唱えながらおどりなどをおどっていました。そのあと、お昼をたべました。私はおでんの「汁」が最高においしかったです。ここでおでんの「汁」がのめるとは!韓国の方が私たちを歓迎してくれました。納骨堂からのながめはきれいでした。
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今年の草は刈りがいがありました |
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友だちができました 石川結生奈さん(9歳)
10月1日から10月3日までかん国に行きました。10月2日の日にキムチづくりをしました。はくさいの1まい1まいの間に大根と長ねぎでできているキムチをはさんで一番外がわのはくさいの葉をまいておわりです。自分で作ったのを持ってかえりました。からそうでした。かん国人の友だちができました。キム・ボラさんというつうやくさんです。ボラさんは大学生で19さいだそうです。えいごと中国ごと日本ごとドイツごとかん国ごがはなせるそうです。かん国で友だちができてよかったです。ナミソムの林にいったらリスがいました。かわいかったです。かん国のおはしはおもかったです。日本は木でできているのに、かん国はてつでできていました。かん国のりょう理はとてもおいしかったです。つまようじがとうもろこしでできていました。おどろきました。10月3日朝食はたべにいきました。それでボラさんのEメールアドレスを聞きました。
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みんなでキムチづくり |
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不安と期待のなかで 大里幸子さん
韓国への興味を示していた私に、友人よりツアー参加の誘いがあり、「行く」と即答したものの、当日まで不安と期待で一杯でした。仁川空港まではあっという間で、本当に近いと実感しました。何よりも嬉しかったのは、はじめて顔を合わせた人々(日・韓)がずっと昔からの知り合いだったかと錯覚するほど親しく暖かく感じられたことです。納骨堂での清掃ボランティアは、天候に恵まれ、心地よい汗をかくことができました。追悼祭、昼食会でのふるまいの笑顔・・・。納骨堂から見るまわりの景色は、日本の地方のどこにでもある景色のようでした。3日間はあっという間に過
ぎ去り、もりだくさんの初めて経験する貴重なものばかりでした(緊張の中の38度線、キムチづくり、あかすり等々)。また、韓国人の情けの深さ、明るさ、若者のエネルギッシュさにもふれることが出来たことに感謝します。自分の勉強不足を反省すると共に、もう一度機会があれば、訪れたいと思います。有難うございました。金景錫さんのご健康とご活躍をお祈りしています。
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38度線が通る春川 |
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秋のGUNGUNフィールドワーク
大阪コリアタウン探訪 〜 朝鮮の風を感じて歩こう
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春の大阪城フィールドワーク |
春の大阪城フィールドワークに続く、秋の関西GUNGUN企画。空前の韓流ブームの中、より身近な日朝の歴史を、より深く学ぶためのフィールドワークです。
国内最大のコリアタウンは今や朝鮮の文化を日本にいながらにして味わえる街として、多くの人が訪れています。4人に一人は朝鮮半島にルーツを持つ町となった歴史も学びながらウオークしてみませんか。最後に訪れる洪家食工房は、チマチョゴリをきることもできる素敵なお店です。
講師:宮木謙吉さん(全朝協事務局長)
11月23日(祝)14時 JR環状線 鶴橋駅改札口集合
行程(案:変更あり)
ヒメコソ神社 〜 国際市場 〜 疎開道路 〜 コリアタウン 〜 平野川 〜 つるはし記念碑 〜 洪食工房(お茶しませんか?) |
読書案内
尹東柱詩集
『空と風と星と詩』
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ボランティアツアーで
訪れた西大門刑務所 |
10月3日、ボランティアツアーで訪れたソウルの「西大門刑務所」は、日本の支配に抵抗した独立運動家たちに対する凄惨な拷問と虐殺の歴史を今に伝えているが、弾圧の嵐は日本国内においても吹き荒れていた。同志社大学に留学していた抒情詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)は、1943年「独立運動をした」として逮捕され、治安維持法違反で2年の懲役刑を言い渡された。福岡刑務所に送られたが、刑期の終了を待たずに1945年2月16日、獄死する。27歳であった。不審な死の真相は闇に葬られたままだ。尹東柱は日本語の強要に抗し、官憲の目を避けてひそかにハングルで詩を書き残していた。その美しい詩句と詩人の精神は今なお韓国で愛され続けている。(塚本)
<日本語訳>
●伊吹郷訳(影書房/2300円+税):全詩集に加え、人と作品・年譜・資料などを豊富に収録
●金時鐘訳(もず工房/1800円+税):主要な作品を在日詩人が新しく翻訳 |
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GUNGUNインフォメーション
9月10日(水) 関西GUNGUN原告を囲む集い(18時半 エル大阪)
11月18日(木) 日鉄釜石裁判控訴審(10時半 東京高裁824号)
23日(祝) 秋のGUNGUNフィールドワーク
「大阪コリアタウン探訪〜朝鮮の風を感じて歩こう」
(14時 JR鶴橋駅改札口集合)
28日(日) シベリア抑留かまきり訴訟・池田さんとの交流会
(14時 大阪市西区民センター)
12月 5日(日) 強制連行全国ネット全国集会(10時 港区立芝公園福祉会館)
6日(月) GUNGUN原告・林西云さんを囲むつどい(19時 エルおおさか)
8日(水) GUNGUN第14回口頭弁論 (11時東京地裁710号)
報告集会(18時半 シニアワーク第1セミナー室:JR飯田橋駅5分)
11日(土)・12日(日)イラク国際民衆法廷第3回・第4回公判(結審)
(11日13時、12日10時 日本教育会館ホール)
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