在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.19 (2003.4.26発行) |
「78歳の私が死ぬ前に夫の生死確認を!」 |
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一連の最高裁決定―戦後補償の幕引きを許さない!
3月末、最高裁判所は6つ(関釜訴訟、静岡女子挺身隊訴訟、対日民族訴訟、江原道遺族訴訟、金順吉訴訟、宋神道従軍慰安婦訴訟)の戦後補償裁判に対して、一斉に上告棄却および上告受理棄却の決定を行いました。この最高裁による門前払いは、今の日本政府によるイラク戦争支持や北朝鮮に対する姿勢と無関係ではありません。アメリカの新たな植民地支配を肯定(支持)し、一方で自らが行った過去の植民地支配を正当化するための圧力があったに違いありません。北朝鮮との外交駆け引きのために、戦後補償問題の幕引きを図ろうとする政府の意図を感じます。私たちは三権分立をかなぐり捨てた最高裁の決定に強く抗議します。
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4・16GUNGUN第6回口頭弁論報告
「夫の生死を確認して!」来日の原告が訴え!
4月16日、グングン裁判の第6回口頭弁論が開かれました。本口頭弁論には、原告・崔乙出(チェ・ウルチュル)さんが78歳の高齢にもかかわらず、「徴兵され、帰ってこない夫・韓韓国(ハン・ハングク)の生死を確認したい」と強い思いを胸に来日しました。
2時半からの厚生労働省との交渉では、あらかじめ問い合わせていた崔さんが一番望む夫・韓韓国さんの消息についての回答がなされた。厚生労働省からは、所属したと思われる関東軍部隊の説明はされたものの、韓さんのことになると「資料がない」との返答。部隊への所属の資料もないというのだ。「あと1ヶ月半で解放という時期に引っ張っていき、わからない、資料がないですむことなのか。調べ尽くすのが義務ではないか」(崔さん)と追及。最終的に、名前だけでなく、本籍などから捜すことを確認し、今後も捜しつづけることを要求した。
最後に、今回高齢の崔さんに付き添って来日された閔然秀(ミン・ヨンス)さんから韓国内での真相究明法の取り組みについて発言があった(ソウルにある民族問題研究所のスタッフ。真相究明法の成立のために奮闘中)。「崔さんのような戦争被害者に私たちができることは、日帝強制動員真相究明特別法を成立させること。そして、補償をさせることです。被害者は希望を捨てていません。在日の洪祥進さんが韓国で公開した死亡者41万人の名簿の展示を行ったところ、問合せが多くありました。全国での巡回展示の必要性を感じます。生存者は高齢化し、遺族からの問い合わせも多くあります。今、3世=若い世代層の会が作れないかと構想を練っています。真相究明法は今年のうちに何とかしたいです。今日、一日行動をともにして、戦争によって被害を与えたのも日本なら、癒そうとしているのも日本人であり、その矛盾を感じざるをえませんでした。被害者は今なお希望を捨てていません。今からでも真相を明らかにし、補償を実現したいと思います。」
この日、ハードスケジュールを最後までつきあってくれた崔さん。「日本人が韓国人のことをどう思っているのか分からない。何の説明なく連行し、その消息さえ分からないまま。こんなことが許されるのか。辛くて苦しい一日だった」という言葉が心に突きささる。真実を覆い隠してきた日本政府の姿勢に加え、戦後60年という時間の壁が解決を困難にしている。しかし、被害者の希望に応えるためにできるだけのことはしなければならない。
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6つの戦後補償裁判弁護団とそれぞれの支援する会による 最高裁決定に抗議する共同声明(要旨) この度の決定は、原告の文字通り命がけの訴えを無視し、今も身体の痛みに耐えながら正義と人権の回復がなされる日を待ちわびている、他の多くの原告らの最後の望みも踏みにじる、非人道的かつ非人間的なものであった。国を奪われ、名前を奪われ、「日本人」として、ある者は兵士に、ある者は「慰安婦」に、そして小学校の少女らが軍需工場に動員され、日本の侵略戦争遂行のため酷使された挙げ句、もはや「日本人ではない」という理由で、戦後は日本人と区別され、何らの償いも最低限の治療も受けられずに放り出されてきたのである。そしてその戦争に駆り出されて命を落とした遺族らもまた、日本の戦争協力者の子として白眼視される中で、親兄弟を亡くした悲しみを表出することすらできずに、解放後の韓国でひっそりと生きてきた。二重、三重の差別の中を生きてきた被害者だからこそ分かる真理を、原告らはこの国の司法に、政府に、そして市民に示してくれたのである。しかし、司法はこれを学び取る機会を逸してしまった。 また今回の一連の棄却決定は、上告の内容をきちんと検討することなく、“最高裁への上告の要件を欠いている”として原告の訴えを退けたものであり、怒りに堪えない。原告側は下級審で、日本が「強制労働条約」に違反して「慰安婦」や「産業強制労働」を行ったことの違法を訴えてきたが、“国際法は個人には適用されない”というおかしな理由で、訴えが退けられてきた。なぜこの下級審の判断が憲法(98条2項)違反でないのか、理由も言わずに最高裁は原告たちを門前で蹴飛ばしたのである。 われわれは、このように人権感覚も、歴史認識も、責任感も欠如した判断を、日本の司法の最高機関が出したということに、改めて驚愕と憤りを表明し、司法が人権の砦としての役割を自ら放棄した今、被害者らの命あるうちにその被害回復措置がなされるよう、改めて政府及び立法府に求めるものである。 2003年4月16日 |
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寄稿 「グングン裁判」と「朝鮮村」 紀州鉱山の真実を明らかにする会 佐藤正人
「朝鮮村」は、海南島南部の三亜市の郊外の村ですが、日本の敗戦が迫ったころ、そこで強制労働させられていた朝鮮人が1000人近く、日本海軍海南島第16警備隊の兵士たちによって虐殺されたのです。2001年1月に現場の一部から、109体の遺骨が「発掘」されました。その「発掘」のさなか、父(朴聖南さん)の軌跡を尋ねて朴奎秉さんが2人の弟さんとそのつれあいさんの6人で現場に来られました。韓国の新聞で「発掘」のことを知り、急いで来たとのことでした。朴聖南さんは、治安維持法違反で逮捕され、海南島に送られたが、そのまま帰らなかったといいます。「朝鮮村」に埋められているのは、「南方派遣朝鮮報国隊」の隊員として、1943年から44年にかけて、朝鮮各地の刑務所から海南島に強制連行された人たちです。 紀州鉱山の真実を明らかにする会は、1998年6月にはじめて「朝鮮村」にいき、村人から虐殺の事実を聞きました。その後、毎年「現地調査」 を続け、来年夏に、大阪人権博物館で日本軍の海南島侵略と「朝鮮村虐殺」にかんする「企画展」を開くことになりました。「朝鮮村」に埋められている人の名は、まだ一人も明らかになっていません。「企画展」の前、来年2月に、わたしたちの会は、韓国の民族問題研究所とともに、あらためて厳密な「発掘」をし、虐殺の事実をできるだけ詳細に明らかにしたいと考えています。
遺骨返還をひとつの重大な目的とする「グングン裁判」は、「朝鮮村」に60年ちかく埋められてきた人たちの故郷への帰還、そして責任者処罰につながる運動だと思います。 |
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春の青空の下、多文化共生サッカー決勝(神戸)
3月23日青空の下、神戸ユニバー記念競技場で多文化共生サッカーの決勝が行われ、GUNGUNと交流のあるアボジチームは6位でした。優勝はブラジルで、2位はペルー。終了後の交流会では優勝のブラジルチームとアボジチームが交流。代表の李英好さんが、自分達の言葉や文化に誇りを持ち、次世代に受け継ぐために民族学校運営の意義をスピーチ。民族教育の必要性は共通で、ニューカマーへの激励メッセージは、大きな喝采を浴びていました。終了間際にボリビアの選手が「今後も一緒にサッカーをしましょう」と試合を申し込むなど今後につながるいい機会だったと思います。 |
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『シベリア抑留ーいま問われるもの』 堀江則雄 著 東洋書店ユーラシアブックレットbQ5 600円+税 1997年、シベリア強制労働に対する国家補償を求める裁判で最高裁が出した判決は「上告棄却」。理由は「国民が等しく負担すべき戦争損害である」という不当極まりないものだった。現在は、シベリア抑留の「未払い賃金」を求める運動が生存者を中心に展開されているが、元抑留者の受けた心の傷はその要求が実現しても容易には癒されないほど深く鋭く刻み込まれているだろう。抑留の地獄体験をくぐりぬけた帰還者に対するさまざまな差別的待遇。そして「関東軍文書」で明るみに出た棄兵・棄民政策。それに対して戦後政府が何ら責任をとろうとしないことへの怒りは消えることはない。 本書は、民間の人たちの運動の中で得られた成果・資料をもとに「シベリア抑留」問題が簡潔にわかりやすく書かれている。シベリア抑留の実態、帰還後の処遇、死亡者名簿の入手、埋葬された地域、抑留者への国家補償、強制抑留の原因と背景、など。戦争にかりだされた兵士が国策による駒のひとつとして扱われていることがよくわかる。(大幸) |
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GUNGUNインフォメーション 6月12日(木) GUNGUN第7回口頭弁論(10時東京地裁710号) 6月12日(木) 小泉首相靖国参拝「おかしい人」発言訴訟(13時半 大阪地裁) 6月12日(木) GUNGUN第2次提訴(東京地裁)AM 記者会見 6月13日(金) 第2次提訴関西報告集会(18時半 エルおおさか) |