在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.18 (2003.3.8発行) |
「父は1945年4月15日より栄養失調で病院に収容され、6月1日戦病死しました」 |
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世界世論を無視する開戦を許さない 戦争責任放置を許さない国際包囲網を!
今、米ブッシュ政権は対イラク攻撃を最終局面として、開戦合意の工作に躍起になっています。しかし圧倒的国際世論は戦争NO!です。1000万人を超える2月15日世界同時デモは、戦争にはやる米英への足かせになりました。そんな時に対北朝鮮での「国益」を理由に攻撃支持を表明する小泉政権を、そして戦争そのものを私たちは許しません。
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第5回口頭弁論報告 地裁・内閣府・靖国神社で訴え
「私が死ぬ前に遺骨くらいは返してほしい」(呂明煥さん)
「物事にはみな結末があるのです。その結末をつけずにこのまま見過そうとすれば同じ過ちを繰り返すことになるに違いないと思うから、私はこうしてここに立っているのです」「せめて、私が死ぬ前に遺骨くらい返して欲しい」
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関東 みんなでワークショップ
2月8日、関東でも“メイク・ア・ウィッシュGUNGUN版で”のワークショップを持ちました。第1回目で6人の参加でしたが、初めてわかること、難しいこと?肩のこらない集まりがもたれました。
(第2回は3月8日。第3回以降のお問い合わせは090−4220−5427ミソノオまで)
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原告・呂明煥さんを迎えてのワークショップを開催!(1月21日大阪)
1月21日GUNGUN関西では、翌日に第4回公判での意見陳述のために来日された原告・呂明煥さんを迎えて、ワークショップを開催しました。
まず、呂さんのお話し。呂さんが満5歳の1942年春、父の呂昌寛さんは強制徴用されました。1945年6月1日、南洋諸島のトラック諸島夏島で死亡したと連絡があり、知らせと共に髪の毛、手足の爪が同封されましたが、遺骨はありません。若い母と幼い息子を残して死んだ父の心情を思うと胸がつまると語る呂さん。何よりも遺骨と、未払い金を返して欲しいと強調されました。
次に、私たちが呂昌寛さんの死亡時の事実関係について調べた内容を報告しあいました。
呂さんが、韓国大田にある政府記録保存所で手に入れた「海軍軍属身上調査表」(別紙陳述書の裏面参照)の記載内容からは、呂昌寛さんは「1945年4月15日より栄養失調で病院に収容され、6月1日、栄養失調症で戦病死した」ことが読み取れます。おそらく前年から武器などもなく戦うにも戦えない状態で、一方で「よその縄張りからサツマイモ一本でも盗んだら銃殺しても文句は言わないという暗黙の了解があった」というほどの極度の食糧不足状態で栄養失調になり、最後は病院で亡くなられたのでしょう。
呂さんの、望んでいる「遺骨返還」は、お父さんが死亡した病院での埋葬場所等の記録が確認できれば、可能かも知れません。(現在、夏島には日本人向けの戦跡ツアーコースがあり、当時の建物跡等もいくつかは保存されているらしい) また、調査表には「遺骨は23.5.31に送還」との記述があることから、厚生労働省に、もっとあるはずの資料を開示させ、日本人遺族にしてきた遺骨収集などの取り組みをGUNGUN原告たちに対しても行うよう、要求を突きつけることも必要だと感じました。一方で私たちサポ
ーターが生存者から話を聞き取ったり、現地調査に取り組むなどできることをやろうといった意見が出されました。 |
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国会図書館・関西分館フィールドワークを実施 2月1日、マンツーマンサポートのために、関西にオープンした国会図書館へ出かけました。ゆったりとした館内で、各々が思い思いの書棚を見て回りました。初めてで、あまり多くは期待できないと思っていましたが、過去の新聞等の資料がそろっていることや、日本軍関連の書籍、日本の戦後賠償に関する資料等も多いことがわかりました。厚生省発行の「援護行政の50年」には、日本人の軍人軍属にはいかに丁重な援護がなされてきたかが記録されていました。原告の「生死確認すらない」という陳述の多い南洋群島では、日本人遺族の為に遺骨収集や慰霊碑建立等の記録や、一つ一つの島の写真と説明がありました。資料は館内閲覧のみなので、何度も足を運んでいきたいと思います。そして、二、三行にしかならない陳述書を埋める「事実」を見つけたいと思います。(木村)
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シベリア抑留生存者が 小雨の中「近畿地区シベリア抑留者未払い賃金要求の会」の署名行動が大阪難波で行われ、GUNGUNも参加しました。終了後、顧問の池田幸一さんにお話しを伺いました。現在池田さんたちは生存者有志で「カマキリの会」を作り、最高裁で闘っています。
●池田さんのお話●
シベリアからの引き揚げ時に舞鶴港で金を渡されたが、後で聞くと抑留中三年間の給料であったらしい。しかしヤミ市で巻き寿司二本に忽ち消えてしまった。裁判では国に対し国際法で定められた強制労働の賃金を支払うよう求めているが、国は"放棄したのは外交保護権であって、個人請求権は放棄していないから支払の義務はない。"と主張する。一方アメリカやオランダの捕虜に対しては"サンフランシスコ条約で相互放棄しているから払う必要はない"と突っぱねて訴えを退けている。つまり「両方とも払わない」というダブルスタンダードである。終戦時、日本の支配層は天皇制を存続させるため、我々を役務賠償としてソ連に引き渡した、その真相を明らかにするため、それをひた隠しにして逃げようとする国の不条理を糾すため、老兵は闘っている。
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多文化共生サッカー
3月2日・23日にかけて神戸で多文化共生サッカー大会が開催。GUNGUNと交流のある大阪府アボジサッカー連盟(朝鮮初中級学校生徒のアボジたち)の選抜チームが出場。この大会は、多文化共生の取り組みの一環で、「NGO神戸外国人救援ネット」の主催。コリアのほか、ペルー、ブラジル、ボリビア、日本のアマチュアチームが出場。2日に明石公園球技場で行われた予選では、惜しくもペルーチームに敗れましたが、23日にも親善試合と決勝戦が行われます。会場は収容6万人の神戸ユニバー記念競技場(三宮から地下鉄で25分)です。ぜひ応援に来てください。
今回、在日外国人の交流の場に参加できることを嬉しく思っています。元はと言えば、GUNGUNチームとの「草の根サッカー交流試合」から始まりましたが、事務局の方々との交流を通じて今では心の底から信頼できる親しい友人ができて嬉しい限りです。己のテロ行為を正当化するブッシュの低次元の言動や、日本国内の様々な情勢を見るとき、GUNGUNニュースからの情報は崇高な見地からの知的で冷静な判断として重要な参考材料となっています。これからもお互いに力を合わせて、真実を直視し、揺るぎない信念を持って、共に歩んでいきましょう。 |
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4月に「過去から未来へのエキスプレッション」 |
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『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』 樋口雄一 著 総和社 3000円+税 40万人もの朝鮮人青年たちは、どのようにして日本軍の兵士や軍属になり、そして傷つき、死んでいったのか? 本書は、戦争末期の1944年から45年、軍と警察権力により強制として遂行された徴兵の過程を、史実にもとづいて実証したものである。犠牲を強いられた軍人・軍属の正確な事実調査と個人補償が急がれることを著者は訴えている。(塚本) 月刊誌『世界』(岩波書店)の連載に注目を! 「連続討論 戦後責任」(編者:田中宏・内海愛子・大沼安昭) 1月/東京裁判 2月/BC級戦犯裁判 3月/在日の国籍・参政権 4月/指紋押捺制度 5月/サハリン残留朝鮮人 6月/一連の戦後補償裁判 7月/中国と戦争責任 |
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GUNGUNインフォメーション |