2019年5月24日

崔洛さん家族による
「お父さんの足取りをたどる旅」をコーディネート
(古川)



 

 2010年証言集会で崔洛(チェ・ナックン)さんから「日本の炭鉱に動員されたあと行方不明のお父さんの足取りを調査してほしい」と依頼され、上田さんがお父さんの年金記録を発見し、福岡県貝島炭鉱に一緒に行き、チェサをしたのが2014年。そして今回、「家族と一緒に法事をしたい」というナックンさんの要望に応え、5月24日上田さんと二人で福岡空港へ行き一行を迎えた。韓国からの参加は、ナックンさん夫婦、弟さんたち家族6名と推進協議会の金鎮英(キム・ジニョン)さん。まずは中福岡年金事務所へ。担当の方は親切で、新しい情報がないか丁寧に検索していただいた。残念ながら5年前の発見後の情報はなかったが、今後協力を快く引き受けていただいた。
年金事務所で 貝島炭鉱跡を背景に

 翌日は朝から、貝島炭鉱跡にある炭鉱記念館を訪問するとスタッフの方が「案内しましょう」と当時の寮跡などを案内してもらう。2014年に現地を訪れた際、偶然当時のことを知る山中勇さんと出会ったが、今回も電話してみると、「すぐに行きます」と駆けつけてくださり、急遽公民館で交流会。山中さんは当時11歳という少年時代の記憶から家族の皆さんからの当時の様子や光景などの質問に答えてくださった。「寮には朝鮮人・中国人がいた。朝鮮に人は長いパイプで家の前に座りタバコを吸っていた。葬儀の光景が印象的。大きなのぼりを立てて、泣き手がいた。貝島炭鉱から逃亡した人の集まっていた炭鉱が近くにあった。労働者は相当圧迫があったと思う。当時の学校には朝鮮の子も来ていた。子供同士にいじめはなかった。こういう日韓市民の交流が大事、政府間がもめているだけ。私が生きている間はいつでも来てください」と言ってくださり、最後は公民館前の坑口碑で記念撮影した。その後、別の第5坑口記念碑まで移動し、家族によるキリスト教式での追悼会。碑にお父さんの写真と帰国を待ち続けて亡くなったお母さんの写真を並べ、家族のメッセージを読み上げる。ナックンさんの感動的な手紙に皆が感涙。涙、涙。法事の後はきちっと会食したいという弟さんの要望で、和食の店で寿司会席の食事。その後、「温泉に入りたい」という一行の要望に応えて別府へ向かった。翌日は別府の地獄から、阿蘇火山を経て熊本へ抜ける九州の大自然を満喫していただき、福岡へと戻った。
 「お父さんお母さんを追悼したい」という家族の絆を感じる感動的なツアーだった。
 
お父さんとお母さんの写真で追悼 家族みんなで 九州の大自然を背景に