2018年6月22日〜23日 22日は名護で説明会を開催 「少しでも情報を」切実な遺族の声 6月22日、沖縄名護でガマフヤー(具志堅隆松さん代表)主催で「戦没者遺族DNA鑑定集団申請説明会」を開催した。説明会は昨年6月に中部の浦添市で、今年3月に南部の南風原町で行ったのに続き3度目。北部では初めての開催。 国が民間人の遺骨も含めてDNA検査をすると認めてからほぼ1年が経った。厚労省へ直接申請した人も合わせると、約300人が申請している。しかし遺族の高齢化に対し、鑑定作業は進んでいない。この時期は、沖縄各地で追悼式がある。地域の追悼式が同じ時間帯にあり、参加が困難な中、集会に16名の遺族が参加された。 参加された普天間いと子さんは、「父は防衛隊として動員された。どこで亡くなったかも分からない。石を拾ってきて墓に埋めてある。一万分の一でも見つかったらいいと思って参加した」と。名護市の女性は「防衛隊だった祖父と、スパイと疑われ日本軍に殺害された曽祖父の遺骨を探している。殺害されたという場所で遺骨を探したい」と。大城まさ子さんは「父は防衛隊に取られ戦死。中学の頃戦死公報が来たが、自分の中で受け入れられなかった。祖母は真嘉比で亡くなったと言っていたが、公報には別の場所が書かれていた。具志堅さんが真嘉比で遺骨収集されていると聞き、今日来た」と、次々に証言や質問が続いた。語りたい、少しの情報でも得たい、という遺族の方々の思いが会場を包んだ。 具志堅さんは、「声を上げなければ、国がやったことを認めることになる。戦後処理というだけでなく、再び戦争に巻き込まれないためにも大切だ。また、遺族にとってDNA申請は、亡くなった方を決して放ったらかしにしていないというメッセージ、子どもとしての務めを果たすことになる」と、申請参加を呼びかけた。集会後も具志堅さんに集会の中では話し足りなかったことで質問をされる遺族の方々の姿があった。
23日は梅雨明けの日差しを浴び摩文仁で申請受付 23日は、摩文仁の平和祈念公園と魂魄の塔周辺で、チラシ3000枚を配り、集団申請を呼びかけた。 開始前に沖縄恨之碑の会の沖本富貴子さんと一緒にGUNGUNの沖縄戦遺族、権水清(クォン・スチョン)さんの父、云善(ウンソン)さんの名が刻まれた平和の礎に向かい、花とごはんを供えた。礎にはそれぞれ家族の方がお参りに来られている。誰も来られないだろうからと、沖本さんが供物を用意された。近づくと数人の人影が。話を聞くと琉球大学の学生で、先輩の一人が後輩数人連れと、九州からの女性(映画「あんにょん・サヨナラ」でヒジャさんを知ってますという)2人だった。ここに権さんがおられたら、どんなに喜ばれたかと思った。権さんは待ち望んだ刻名をまだ見ていない。 その後、梅雨が明けた沖縄の突き刺さるような日差しの下、集団申請の呼びかけを行った。各地からピストン運行のバスが到着すると、降車する人にチラシを配布。今年はその場で申請書が書けるよう、机を二つ用意した。遺族36人の申請があった。チラシを配ると お一人お一人が亡くなった家族の話を聞かせてくださる。「船が沈んだから、探すことはできない」という方も。沖縄ではマスコミが具志堅さんの活動を伝えている。23日の朝もNHKで具志堅さんが登場するドキュメンタリーが放映されていた。チラシを受け取りながら、「具志堅さん知ってるよ」「頑張ってね」と声がかかる。「本当は国がやるべき事ですよね」と応えながら、炎天下申請を呼びかけた。
|