2018年6月8日〜10日
植民地歴史博物館がオープン間近! 6月8日から3日間、植民地歴史博物館がオープン間近ということで、建設基金寄贈式に招かれた。ソウル駅から地下鉄4号線で一駅の淑大前駅10番出口を出るとすぐのホテルに集合。民族問題研究所や太平洋戦争被害者補償推進協議会が入る博物館まで徒歩で7〜8分。まずスタッフの野木さんと姜ドンミンさんから1階から順に説明を受けながら昇った。1階の玄関にはオープンに向けて多く募金してくれた方の名前を彫るそうだ。玄関を入った広い、100人くらいが集会できそうなホールにはキッチンも備わり、自由で開放的な空間になっている。いろんな催しもできるし、李煕子(イ・ヒジャ)さんが言っていたキムチ作り教室もできそうだ。2階は植民地博物館の常設展示スペース。3階は資料書庫。4階は民族問題研究所の事務スペース。一人ひとり区画されている中で研究や事務に集中できるようになっている。そして5階は20人くらいの会議室と、推進協議会の事務スペースがある。ヒジャさんの机の後ろの窓からは目の前に南山(ナムサン)タワーが見える。6階の屋上にはその南山を背景に気持ちのよい広い空間があった。
植民地支配の歴史遺産が残る南山・龍山エリアの中心に位置
博物館を出てFW開始。まずは博物館から西方向へ徒歩5分にある孝昌公園へ。ここにはもともと朝鮮22代王たちの墓があったところ。龍山に日本軍が入り、ここを公園に作り変えてしまった。光復(独立)後、金九(クム・ク)がここに整備したのが、植民地支配中に樹立した「韓国臨時政府」の主人公、「李奉昌」「尹奉吉」「白貞基」の墓で、まだ遺骨は入っていないが、安重根の墓も用意されている。墓を下りて回り込んだ場所に建っているのが金九博物館だ。すでに入館時間を過ぎていたが、交渉の末、退館時間厳守を約束し入館させていただいた。韓国臨時政府樹立の背景の充実した展示が無料!今度時間をとって見にこようと思った。2階の大きな窓からは李承晩政権に暗殺された金九の墓が目の前に見える構造が印象的だった。その後は夕食タイム。おいしいプルコギを食べ、その後2次会でチョッパル(豚足)の店へ。これが実においしかった。 2日目はホテルから地下鉄で忠武路駅下車。駅からすぐ南の観光地、南山韓屋村へ。ここ南山一体は、1905年に乙巳(ウルサ)条約に基づいて日本が統監府を置いたエリアだ。忠武路から昌徳宮に至る一直線に延びた道路は、昌徳宮にいる朝鮮の国王が統監府に拝謁するために作った道路だという。韓屋村の上に抜けた先にあるトンネルの奥には軍事独裁政権下、KCIAの建物があった。そこで行われた北のスパイと決めつけた政治犯の拷問の方法は、植民地支配下で日本の警察が行った方法と同じだそうだ。日本は戦後も負の遺産を残し続けてきたのだ。南山の北から西へ回り込むと、小さな公園が。そこが統監府のあった場所だ。ここで私は思い出した。2010年日韓併合100年の年に大雨の中、統監府跡を記録する碑の除幕式に参列したことを。統監府の玄関にあった銅像の礎石をその後発見してモニュメントにしている。韓国では解放後、植民地支配下での記憶を「国恥」と呼び、記録を消してきた歴史がある。民主化と並行して、歴史を正しく検証し、記憶することの必要性が認識されてきた。今回の植民地歴史博物館もその延長線上にある。その先頭に立って切り開いてきたのが、民族問題研究所である。古い統監府の写真に写っている大きなイチョウの木や取り付け道路は現在も同じ場所にある。その後、日本赤十字社の跡や、小学校の校庭の片隅に残る「乃木神社」の手水鉢を見学。山菜ピビンパの昼食後は、いきなり長い階段を上る。視界が開けた場所は、朝鮮神宮があった場所の上で、遠くから見えるように、巨大な日章旗を取り付けた鉄塔があった場所だ。坂道を下っていくと安重根記念館があり見学。その後、植民地博物館に戻った。
植民地歴史博物館のキーワードは人権・平和・未来 1階ホールで建設基金寄贈式典が行われた。日本側の賛同者から寄せられた1034万円5千円の基金を「つなぐ会」代表の徐勝(ソ・スン)さんと庵迫由香さんから贈呈。 韓国建設委員会の李離和(イ・イファ)委員長が「植民地歴史博物館のキーワードである人権・平和・未来をテーマに日韓市民が交流し、未来につなげていく空間にしたい」と挨拶。李煕子さんは、太平洋戦争被害者補償推進協議会としての歴史を振り返り、「活動の痕跡である資料が散逸して捨てられてしまう心配がなくなった」と胸中を語られた。
式典の後は、いよいよ博物館の常設展示を見学。これまで韓国内や日本から収集してきた貴重な植民地支配下での品々が展示。治安維持法での検察資料なども展示されている。本来、日本人が他国で何をやったのかを日本国内で展示すべき品々である。2階フロア全てを常設展示に使い、以前の展示に比べて広くなった分、見やすく、また映像なども交えて小学生にもわかりやすく工夫されている。今後、テーマを定めて展示内容に変化を加えていくという。展示も最後に差し掛かったとき、野木さんが私に「ヒジャさんへの贈呈式をしてください」と言う。先日東京でこの式典に合わせて、GUNGUN裁判の横断幕をヒジャさんに寄贈したのだった。2003年の追加提訴の際に九州の岡添さんから贈られた黄色の「靖国合祀やめて!遺骨を返して!」という横断幕は、当時新聞の一面を飾った。その後も不当判決の際などで原告の背景にあったものだ。今後もGUNGUN裁判や「あんにょん・サヨナラ」の資料などを整理して寄贈したい。
博物館お披露目の後は、推進協議会の会員の皆さんが準備してくださった夕食会。ビュッフェ形式でおいしい料理を食べながら交流を深めた。 博物館は8月29日正式にオープンする。龍山・南山エリアへのFWとあわせて、積極的に活用していきたい。
|