2017年6月22日
「戦没者遺骨を家族の元へ6・22沖縄集会」を開催!(木村)
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集会に70名余りの参加者 |
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白真勲議員(左)と |
6月22日、沖縄県浦添市社会福祉センターで、ガマフヤー主催「戦没者遺骨を家族の元へ」沖縄集会を開催した。沖縄戦遺族へDNA鑑定集団申請を呼びかける集会だ。事前に琉球新報を始めマスコミが大きく取り上げたが、遺族参加がどこまで広がるか未知のまま当日を迎えた。受付を始めると参加者が次々と見え、たちまち会議室は一杯になった。家族での参加も多かった。遺族、マスコミ等で参加者約70数名。(高齢で参加者名簿にお名前を書かれなかった方もある)韓国からは太平洋戦争被害者補償推進協議会の李煕子(イ・ヒジャ)さん、張完翼(チャン・ワニク)弁護士等4名。国会議員の赤嶺政賢議員、白真勲議員も参加した。(川田龍平議員は集会メッセージ)
まず具志堅さんが遺骨DNA鑑定申請に至る経過を報告。「ガマの中から遺骨を探して遺族に返すことをやってきた。国は名前の書かれた遺品が一緒に出てくる条件をつけたが100体中5体もない。2008年シベリアの遺骨を全部DNA鑑定した。沖縄もやってくれとずっと要請してきたが、国は南方だから難しいと言ってきた。ところが、2009年真嘉比から出た172体のうち記名のある万年筆と一緒に出た遺骨があった。平和の礎で名前を検索し千葉の方とわかり、地元新聞で呼びかけると遺族から連絡が入りDNA鑑定の結果、遺骨を遺族に返すことができた。DNA鑑定で返った初めての人だった。沖縄では県の仮安置所に遺骨が700体ある(その後、南北の塔から600体も加わり計1300体)。DNA鑑定が昨年7月から始まり、国は遺骨の出た所にいた日本軍部隊名簿から戦死者遺族301人に呼びかけ、調べたが1件も合わなかった。先ほどの千葉の人も遺骨は、戦死通知に記載された地名とは違う場所から見つかっている。問題は、国が呼びかける遺族を決めてしまっていること。遺骨から歯だけを検体にしているが、外国では歯を重要視せず、四肢骨から取っている。沖縄戦の特徴は、誰がどこで亡くなったかわからないこと。兵隊の犠牲より住民の犠牲が多かったこと。国は住民も鑑定に参加できると言っているが、国や県に任せておけない。7月に厚労省に集団申請をするので、今日申請書を書いて出して欲しい。申請は遺族が亡くなった身内に近づこうとすること。亡くなった身内を自分の所へ引き寄せようとすること、そのことが、亡くなった人にとって供養になる」と申請を呼びかけた。
次に白真勲参院議員から議員として遺骨問題にかかわってきた経緯が話された。「厚労大臣にDNA鑑定の為には焼骨を止め保存すべきだと追及すると、千鳥ヶ淵にお納めしご供養するのが遺族のご意向ではないかと答弁された。米・韓ともDNAをデータベース化し遺骨を家族の元へ返している。一人でも多くの方をご家族の元へ返していかなければならない。具志堅さんと遺骨収容現場に立った時、木々が鬱蒼と茂った中にあるガマの横に、手榴弾と米軍の薬きょうがあった。72年間どういう思いでそこにおられたのか胸が痛くなった。何としてもお骨だけでも家族の元へ返してあげたい。私たちは国会でがんばります。皆さんと一緒に大きなうねりにしていきましょう」とエールを送られた。
参加者の胸を打った遺族からの発言
安田さん:「沖縄でDNA鑑定という新聞記事に飛びついて一昨日電話し、今日の集会を知った。沖縄戦で兄と父、祖母とその兄弟12名が亡くなった。一つの遺骨も見つからない。具志堅さんがボランティアとしてガマフヤーをなさっていることに感激している。国に沖縄の人がもっと声を上げることを希望します。故郷に帰りたいのはみんな同じ思い。国がもっと早くしてくれていれば、遺族の亡くなる前にできたと思う」
野原さん:「1944年生まれで生まれた時には父は亡くなっていた。祖母と姉2人の4名が亡くなった。伯父と兄で父の遺骨を探しに行ったが見つからず、近くの石を拾って墓に納めた。戦争というのは惨たらしい。いまだに遺骨が遺族の元へ返されていない。一日も早くDNA鑑定で遺族の元へ返して欲しい。たくさんの遺族が待ちわびている。学校で保護者と言えば親父だが、同級生で父は3分の1。大多数は母の名だった。それぐらい激戦地だった。戦争は二度とやって欲しくない。辺野古に新基地建設、けしからんことを政府はやろうとしている。沖縄の自然を壊してほしくない。遺骨を遺族の元へ一日も早く返して欲しい気持ちでいっぱいだ」
上里さん:「とにかく情報を得たいと思って来た。親は師範学校に行っていた兄の死を信じなかった。いつも水屋の中に洋服がきれいに畳んで入っていた。いつでも帰ってきたらすぐ着させられるように。それを昨日のように覚えている。2年前に墓を作ったが、中は空っぽ。力を貸してください。遺族の願いをかなえてください」
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発言する遺族 |
遺族の言葉が胸を打つ |
遺骨を家族に返すことは、国の戦争責任を全うさせること
具志堅さんは集会の中で何度も「国は住民への戦争責任を果たしていない」と繰り返された。「国が決めるのではない、私たちが主権者。そういう姿勢で厚労省に対してきた」と訴えられた。戦争に一家の柱である父や息子を連れだし、あるいは住民を巻き込みながら、国の戦争責任の取り方は不完全だ。今も戦場に遺骸を放置し、追悼式では決まってうわべだけ戦死者に「尊崇の念を持って」と言う。今回の沖縄集会は戦争遂行の為に封印されてきた遺族の感情を表に出す機会だったと思う。私は今まで沖縄の人々の被害を分かったつもりでいたが、集会で、また翌日6.23戦没者追悼集会でDNA鑑定申請呼びかけチラシを配る中で、お一人お一人の凄惨な話を聞き、これほどのことかと思い知ることになった。
具志堅さんと申請される沖縄の遺族の方々と共に国が責任を果たせるよう働きかけ、全ての戦没者遺骨を家族の元へ返していきたい。
集会での李煕子(イ・ヒジャ)さんの発言
約30年間、父を日本に奪われた子の道理として、父の記録を探し続けてきた。責任を取るべき国家が口実をつけて逃げている話を聞いて、怒りがわいてくる。しかし逃げても逃げ切れるものではない。2013年から焼骨をしないという進展があったと思う。遺族を探して、一人も見つからなくても最後まで探すのが国の責任だ。今回沖縄の空港で入管に1時間以上調べられたが、遺族が記録を探すノウハウを韓国で伝える活動をしてきたのが罪なのか?犯人のような扱いを受けた。これまで沖縄戦軍夫の方と一緒に活動してきたので、沖縄戦がいかに残酷なものであったかよく知っている。民間人の被害も大変だったと聞いている。昨日、本部町の朝鮮人軍夫が埋葬された場所へ行き、地元の方々の証言も聞いた。戦争が終わって70年も経ってなぜ今になって出たのか、胸が痛んだ。しかし今からでも発掘され家族の元へ遺骨が返るよう皆さんと協力していきたい。皆さんお元気でがんばってほしい。私も韓国の遺族に遺骨を戻すまでがんばっていきたい。
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