2014年6月23日
国会議員立会いのもと厚労省への「遺骨調査」申し入れ行動(上田) 「厚労省とは会いたくない」李煕子(イ・ヒジャ)さんは、昔を思い出して言った。1990年代厚労省と遺骨問題で話し合いをした時、厚労省の担当者に「韓国人のことは知らない」と言われ、遺族が椅子を投げつけようとして持ち上げたという。NPO法人「戦没者追悼と平和の会」の塩川正隆さんは13年12月、14年2月と韓国人遺骨問題で厚労省と話し合いを持ち、今なら厚労省はそんなことは言わないし、言わせないとして、李煕子さんに遺族代表として話し合いへの参加を促した。結論として、要望書を提出しその答えを見ることになった。
厚労省援護企画課外事室長からの回答は官僚答弁 回答は、その場で行われた。「韓半島の遺骨は700体を祐天寺に保管している。それ以外の韓国人遺骨は無い。1、遺骨帰還事業は日本の事業なので韓国人の参加は困難。韓国人の遺骨があれば(韓国人と分かる名前もしくは遺品が横からでた遺骸)、外交ルートを通じて話をする。2、すべてではないが、検体を生で持ち帰りDNAをとって保存している。3、骨と一緒に遺品があること、遺骨からDNA検出が可能なことなどの条件があれば遺族からもDNAを取る。4、上記3と同じ考え。5、上記3と同じ考え。日本人遺族からでも先にDNA検査を先にしろという意見もあるが、韓国人も日本人もできない。総じて平成15(2003)年DNA検討会の基準に沿って行う。DNAについては高度の個人情報なので簡単にはできない。」というものだ。 この回答に対し、参加した塩川さんからは、「官僚答弁としては100点だが、遺族としては0点だ。こんな回答で納得できるはずがない。特定失踪者800名のDNA検査が行われたことが報道されている。国の命令で死んだ人たちのためにはなぜしないのか」と厳しい追及が行われた。 また、この場で2次の具体的要請3点が厚労省に行われた。 1、報道されたクエゼリンの遺骨流出について早急に調査を行い、6名の韓国人遺族のDNA照合調査を行うこと。今後の計画を明らかにすること。 2、16名の遺族について、その地位の遺骨収容状況の報告(DNA調査も含め)と今後の方針を明らかにすること。 3、沖縄の行方不明遺族、権水清さんについて、豊見城市のDNA調査(10体の遺骨が確認)に参加させること。 特に2番についてはビルマ、フィリピン(ルソン島マンヤカン)、ニューギニア(ギルア・ヤカムル)、ブラウン島(メリレン島、エンシャビ島)、ベリリュー島、タイ、ミレ島、メレヨン島、ミンダナオ島(バタン)等16名の戦没者を代表として具体的な報告を求めた。 韓国の金敏普iキム・ミンチョル)さんから、「クエゼリンで韓国人と推定できる遺骨が出た場合どうするのか」との質問に、厚労省は「日韓の遺骨が混ざっている場合、手は付けない。韓国政府と交渉する。現在米軍基地の島であり、マーシャルギルバート政府と調整中」と答え。遺骨収集を韓国政府と共同で調査する見込みについて問われると「現段階ではない。韓国の皆さんは要請したことがあるのか?」と答えがあった。「文書での回答を受けてから検討する」とミンチョルさんは答えた。今回の回答は後日、文書で行われる見込みになっている。ヒジャさんからは、「遺族の要望は伝えた、今後塩川さんや日本の支援者に任せる」と厚労省に伝え、申し入れは終わった。約40分間の申し入れであった。その後、議連との懇談会が行われた。遺族からは思いが1人ずつ述べられた。白真勲議員から韓国語で「皆さんが求めているのは日本人と同じように扱ってほしい。それ以上でもそれ以下でもない。そういうことでしょ」と繰り返し述べられたのが印象的だった。
遺骨問題に取り組む日本人と連携した運動の成果と今後を象徴する今回の意義 この申し入れは、遺骨問題の再スタートの場であり、それだけに過ぎない。しかし10数年前、グングン裁判が始まる前、遺族が椅子を投げようと持ち上げたという厚労省申し入れの時とは違う再スタートになった。 まず、沖縄、韓国で大きく報道された。6月23日は沖縄慰霊の日である。DNA鑑定の申し入れと、権水清さんの「いつ、父の遺骨が見つかるのか気の遠くなる話だ。死ぬ前に、私たちの恨を解決してほしい」との訴えが報道された。韓国ではテレビ各社で、また連合ニュースがクエゼリンの遺骨流出問題でDNA鑑定を求める6名の韓国人遺族のことを大きく伝えた。韓国では日鉄・三菱などの大法院判決などを経て戦争被害者の苦悩の声をしっかり伝えるようになっている。 2つ目は、韓国人遺族の取り組みが、日本人が取り組んでいる戦没者の遺骨を家族に返す運動と手をつないでいることだ。厚労省は、「韓国人は知らない」とは、今は言わない。「DNA鑑定は、条件がそろわなければ韓国人遺族だけでなく日本人にもしない」と我々の前で言う。これは「遺骨を家族に戻す運動」は日本人と韓国人が連帯して取り組める課題になってきたことを示す。私たちは日本人の遺骨を家族に返す運動という大きな応援団と手をつないできた。厚労省も認める岩淵宣輝さん(東・西部ニューギニア)、塩川正隆さん(沖縄、フィリピン、遺骨収容法運動)、具志堅隆松さん(沖縄、DNA鑑定要求運動)、という力強い応援団だ。今回の申し入れも、塩川さんの協力で厚労省と韓国人遺骨問題に関して3回の事前折衝が行われたからこそ成功したものである。 3つ目は、グングン裁判の過程での裁判資料整理が大きな力となっている。グングン裁判で、日本の司法は、遺骨返還要求に対し「日本政府は遺骨を持っていないから返すことはできない」という世界に恥じる判決を出した。しかし、この裁判の資料整理の中で軍人軍属に関する被害者の資料は十分に整理された。クエゼリンの遺骨流出問題が出れば、すぐさま6人の遺族の資料が提出できた。 4つ目は、申し入れ後の厚労省との関係だ。追加要請項目の2番についてクエゼリンを含む22名の戦没者の戦没地域の遺骨収容状況・今後の方針などについて、厚労省とメールで直接やり取りが行えている。今回来日した、蘆載元さんは、持ってきた資料でお父さんが中国の捕虜になったことを初めて知った。ヒジャさんのお父さんも蘆さんのお父さんと同じ部隊であり、亡くなった病院も記録されている。蘆載元さんのお父さんが捕虜になった後どうなったか、ヒジャさんのお父さんの遺骨がどうなったかなども厚労省に調査を依頼した。南英珠さんは、「山に向かって祭祀をしたのは、もっと山の奥に遺骨があると思う」と言う。チェサの場所をじっくり考慮してもらい海岸で行なったが、初めて理由が分かった。「前回十分にご飯を持って行けず、もう一回一杯ご飯を持って行ってあげたい」と言う。厚労省にはニューギニア・ヤカムル村の遺骨収容状況の調査も依頼した。厚労省は作業を始めている。 江田さつき議員、相原久美子厚労委員の力も、お借りし、「韓国人は知らない」と言っていた20年前とは大きく違う状況を作り出している。調査結果の公表は、さらに大きな反響を生み出すことになるはずだ。 3年半前、私たちは大阪で遺骨と記録を求める3人の被害者遺族を迎えて証言集会を開いた。はるか遠いニューギニアに遺族を連れての祭祀実施、軍事郵便貯金の申請・徴用労働者の郵便貯金問題の暴露から個別申請・沖縄での行方不明と調査DNA鑑定要求・年金調査による行方不明徴用者問題そして、今回の厚労省への遺骨問題申し入れ。すべて姜宗豪(カン・ジョンホ)さん、南英珠さん、崔洛(チェ・ナックン)さん3人のために行ったことである。日本に徴用されてどこで亡くなったかわからない、ニューギニアで戦没し遺骨を返してほしい。3人の遺族の苦悩に寄り添い我々は我々ができるすべてのことを行ってきた。一人ひとりの遺族の苦悩を解決することがすべての被害者の解決につながっていくことを信じて。 一つ一つの山が困難であったが、今回の山はとてつもない大きな山である。徴用労働者の行方不明調査に加えて遺骨問題。今回参加された南英珠さんが言った「私たちには希望が必要だ」と。権水清さんにそのことを伝えると。「そうだ、希望が大事だ」と、同じ言葉が返ってきた。あまりに大きな山だが、遺族と希望を分かち合うために、あせらず、さぼらず、一歩づつ、みんなで着実に登らなければならない。 |