2013年4月29日

ソウルで日韓遺族交流集会を開催 (古川)


 GUNGUN原告でニューギニア遺族の高仁衡(コ・イニョン)さんとNPO法人太平洋戦史館会長理事の岩淵宣輝さんとの対面実現が2007年、6年前のことでした。昨年8月には高仁衡さん、南英珠(ナム・ヨンジュ)さんの西部ニューギニア・パプア戦地追悼が実現し、今年2月には東部ニューギニアでの遺骸調査活動に初めて韓国人である金敏普iキム・ミンチョル)さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会執行委員長)が同行し、現地で遺骸が放置されている現実をその目で確認しました。そしてその報告会を兼ねた日韓遺族の交流集会が4月29日ソウルで開催されました。

※ ニューギニア現地の写真はNPO法人太平洋戦史館の提供で公表させていただきます。(転載禁止です)

70回忌を見越した日韓遺族の交流を提起

 早朝に岩手を出発した岩淵さんは、仙台経由で仁川空港入り、ソウルでの夕食会場で、李煕子(イ・ヒジャ)さん、南英珠さん、金敏浮ウんたちの歓迎を受けた。李煕子さんは「これから遺族が現地での遺骸発掘を岩淵さんがやってきたように具体的にすべき」と、今回の遺族集会を通じての意気込みを語り、一方で「発掘された遺骸を火葬する前に祭祀行事をやったほうがよいのではという意見もある」と韓国人側から見た祭祀の方法について問題提起。岩淵さんからは、遺族の父や兄の70回忌となる2014年を見越して「来年計画がある。KIJANPTIL(韓国、インドネシア、日本、アメリカ、ニュージーランド、パプア、台湾)遺族連盟を結成し、戦争の反省、総括を促していきたい」という構想が明らかにされた。

70回忌構想を語る岩淵さん 岩淵さんとの再会を喜ぶ南英珠さん

大勢の遺族を前に放置された遺骸の状況を報告

 翌日29日の集会は、ソウル駅近くの東北アジア歴史財団の大会議室で開催。約50名の参加があり、マスコミもTVカメラも含め数社が取材。
 冒頭の主催者挨拶で李煕子さんは「最近日本で靖国参拝をやっているが、韓国・中国からの反対意見を内政干渉というのであれば、まず私たちの親の名前を消すべき。今後も糾弾していく」と今後の意気込みを語り、集会がスタートした。
 
 まず金敏浮ウんから2月にニューギニア現地で遺骸放置の現場を調査報告。
 「昨年8月にGUNGUN裁判を支援する会のバックアップで南英珠さんと高仁衡さんがパプアニューギニアへ岩淵さんと一緒に訪問することが実現した。11月には私と李煕子さんが岩手へ行って岩淵さんと交流。そして今年2月に私が岩淵さんたちとともにニューギニアでの遺骨調査団に参加して、ニューギニア州都のジャワプラで遺骸を発掘した。これからの映像はその調査結果」「2月だったが現地は30度以上の気温で暑かった。こういう風に遺骸がたくさん発掘されたが、状況から集団埋葬地として埋められたのではないかと推測される」「これは道路上から頭蓋骨が発見されて掘っているところ。戦死した韓国人はニューギニアでは戦没者の2%になる」「プアイ村に行くのに2日間、帰るのに2日間かかった。今回は飛行機の乗継など岩淵さんのおかげでスムーズに行けたが、遺族の父や兄は船で、しかも夜間のみの移動だった」と今回の調査の意義と自分自身が参加した感想を報告した。

集会には大勢の遺族が参加 金敏浮ウんが現地報告

岩淵さんの報告(写真)に食い入るように見る韓国の遺族たち

 ついで、岩淵さんが「2月にミンチョルさんたちとニューギニアへ行った」と、写真を映し出しながら報告を行なった。
 写真を繰るたびに、多くの遺族は身を乗り出して現実を確認している。遺骸を集めて焼骨している写真で岩淵さんは、「国家儀礼というのであれば、ここまでやってはじめて儀礼だ」と、今回の靖国参拝を批判した。
 「今回は、バリ経由だったから遠かったが、仁川発でパラオ経由であればもっと早く行ける。今回こちらに来る飛行機でコリアタイムズの記事を読んで思ったが、靖国参拝を韓国の方と一緒に怒りたい。これは天皇が靖国を参拝したときの新聞記事。天皇が神様だった時の作り話。皆さんの親も皇国臣民の誓詞を暗記させられて神社で頭をさげさせられた屈辱として忘れないと思う。靖国参拝をなぜ今年やったのか、それは今年参議院選挙があるから。私たちの父親の魂を選挙に利用するなんて許せない」と、遺骸放置の一方で国家や靖国によって父・兄の「死」が利用されていることへの怒りを吐露した。

写真を使って報告する岩淵さん 「焼骨までやって初めて儀礼」と語る

身を乗り出して見る参加者 写真に息をのむ

遺族の痛みや悲しみは同じ〜日韓連携の思いを共有

 

ニューギニア行きに同行した上田さん

 
 

決意を語る李煕子さん

 
 

参加者みんなで記念撮影

 
 

二次会は恒例のノレバン

 

 岩淵さんの報告を受けて李煕子さんは、「遺骨というのは儀礼の済んだ骨のこと」「今回の報告会に至るまでにいろんな人の協力があった。今の映像と写真で遺骸がどのように放置さている状況なのかがよくわかった。遺族の痛みや悲しみは同じ。岩淵さんの協力を得ながら関係機関に圧力をかけたい」と抱負を語った。

 私(古川)からは、フィリピンで遺骸発掘活動を続けておられる佐賀県のNPO法人「戦没者追悼と平和の会」の塩川正隆さんの活動を紹介。岩淵さんと同じ思いで活動されている遺族は日本国内に少なからず存在している。フィリピンはアジア太平洋戦争で最も多い50万人以上の戦没者を出したエリアであり、放置された遺骸の中に朝鮮半島出身のものが必ず含まれていることを問題提起した。また塩川さんの働きかけによって、昨年11月に日本弁護士連合会から政府に対して「戦没者の遺体捜索・収容等の扱いに対する意見書」(別掲)が提出されたこと、その内容に多くの注目すべき点があることを報告した。

 昨年8月パプア追悼と今年2月遺骸調査という両行動に参加した上田さんからは、同行報告が。「昨年の南さん高さんのパプア行きに同行した。ボイキンには行けたが、大雨で川が氾濫しヤカムル側へ渡ることができず、南さんが「お兄さんは私に来るなというのですか」と叫んだ。翌日船で4時間かけて行くことができた。そのときは遺骸の状況を見ることはできなかったが、今年2月にミンチョルさんと遺骸発見に同行することができた。発見の翌日は道具を買って発掘を準備した。頭蓋骨が出てきたときは「本当にこんなことがあるのか」と思った。現地の人が日ごろ歩いている道のど真ん中から頭蓋骨が出てくる。あいにく現地へ行くには高い費用が必要。皆さんが行くためには、韓国・日本政府に圧力をかけなければならない。この映像は日本政府としてはみせたくないもの。何でもよいのでどんどんやっていきましょう」と今後の連携にエールを送った。

 集会最後に金敏浮ウんから、「現地で追悼碑を建てたいという計画を話すと、誰も行かない限りただの石になってしまうので、それよりは橋を建造してそこに名前を彫るほうが亡くなった人を記憶することにつながる。橋でも学校でもよい。という助言があり、私も考えてそちらのほうがよいと思っている」「現在、韓国も日本も過去清算に反対だった勢力が政権を取っており、困難な点も多いが、韓国日本のネットワークを生かして連帯していくことが重要」と抱負を語った。
 そして李煕子さんからは「8月にキャンドル行動があるが、10人は参加して、靖国の前で何らかのパフォーマンスをやりたい」と決意表明があり、集会は終了した。

映像を撮りにニューギニアへ行ったことが発展につながる

 集会後、李煕子さんは「映像の重要性がわかった。この映像を撮りに行ったことに意義がある。ニューギニアへ行ったことが発展につながる。今回ミンチョルさんが行ったことが大きい。映像をどう活用するかを考えよう」と今回の集会の意義を語った。
 岩淵さんが提唱した「日韓遺族外交」も3年目になる。遺族の共通の思いである「遺骨調査・戦地追悼」の連携をさらに広げ、靖国の虚構を打ちくだこう。