2011年9月29日〜10月2日

GUNGUNツアー 韓日合同慰霊祭、金景錫さんのお墓参り


 GUNGUN裁判の発起人であった 金景錫(キム・ギョンソク)さんが私財を投じて建立した「強制連行被害者納骨堂」とそのそばに建てられた金景錫さんのお墓が、昨年まであった春川の墓地から、今年の4月にそれぞれ移転しました。「強制連行被害者納骨堂」の遺骨は4月11日、天安・望郷の丘に、金景錫さんのお墓も春川市東山西の市立墓地公園(安息公園)に移転しました。そのため、昨年まで10年間行ってきた草刈りボランティアツアーを、今年は合同慰霊式参加と金景錫さんのお墓参りという形で実施しました。 (大釜)

漢陽大学で「あんにょん・サヨナラ」上映会

 一日目は、ソウル市内漢陽大学(ハニャンデ)での、セミナーに参加。GUNGUNの心強い通訳で、自称「歩くGUNGUN・ソウル事務局」の姜庚旻(カン・キョンミン)君が「あんにょん・サヨナラ」上映会と交流会を企画し、学生に呼びかけてくれました。セミナー開始が夜の7:30で、場所も大学の教室というので、はたして観客が集まるのかと心配しましたが、20名近い学生が集まり、映画が始まるとたいへん真剣に見ていて、映画の後、主演の古川氏の解説にも聞き入っていました。質疑・感想を募ると、「なぜ、ヤスクニ裁判は負けるのか?」「教科書問題はどうなっているか?」と次から次に学生が発言。10時になっても交流は終わらず、場所を大学近くの居酒屋に替え、交流第二部に。セミナー参加学生は全員参加。話し合いのテーマも戦後補償だけでなく、政治、社会、女性、教育など、交流・討論会は夜中まで続きました。時間の過ぎるのを忘れるくらいGUNGUNのメンバーも討議に熱中し、また学生諸君からたっぷり元気をもらいました。    

望郷の丘で合同慰霊祭に参加

政府主催慰霊祭

春川の慰霊祭

慰霊祭で挨拶

慰霊祭で

 二日目、ソウル午前8時半バスで出発、 南へ83.6kmにある天安市へ。10時に国立公園墓地「望郷の丘」に到着。望郷の丘とは、海外で死亡した韓国人のための国立墓地として1976年に開設され、イヒジャさんの不明のお父さんの無銘の墓もここにあります。10.1は望郷の丘に埋葬されているすべての人々ための合同慰霊祭の日でした。GUNGUNの関係者は、まずこの合同慰霊祭に参列しました。 全体の合同慰霊祭は、墓地中央の慰霊塔前で、韓国政府、忠清南道、天安市、民団代表、墓参者など300名を超える参加により、荘厳に、しめやかに営まれました。その後、春川の納骨堂から移されたことを記された慰霊碑に移動し、個別に春川の「強制連行被害者納骨堂」に祀られていた人々の慰霊祭が行われました。その場所は望郷の丘の一番上にある見晴らしの良い場にあり、隣にはサハリン犠牲者同胞の慰霊碑、周囲には、日本各地で犠牲になった韓国・朝鮮人の無縁仏の碑がありました。春川の慰霊祭は、韓省宇(ハン・ソンウ)副会長の司会で進められ、江原道庁からの挨拶、古川GUNGUN代表から「金景錫氏の遺志を受け継ぎ、今後も韓日を繋ぐ気持ちは変わらない」など追慕の言葉に続き、日本から不二越訴訟団の中川さん、ソウル遺族会の李煕子さんなど参加者による献花が行われました。最後に、洪英淑(ホン・ヨンスク)会長が、「納骨堂は移転したが、慰霊は続けていきます。」 という言葉で締めくくられました。慰霊祭の後、赤とんぼが飛び交う秋空の下、慰霊碑の前で、韓日約50名の参加者で、昼食を共にして交流を深めました。

金景錫(キム・ギョンスク)さんの墓参り
 
 天安をバスで出発して、4時間後、春川市の郊外、東山西君子里にある春川市立公園墓地(安息公園に改名予定)に到着しました。車で20分ほど離れた市立墓地が春川市の都市計画のため、金景錫さんのお墓もここに移転しました。墓地公園は広大な敷地を持ち、出来たばかりで新しく、遠くから見るとよく手入れされた段々畑のようでした。秋夕の直後だったためか、どの墓にも原色の真っ赤や黄色などの菊の花(造花)が整然と並び、たいへん美しい眺めでした。その墓地の一番頂上に近い所に、金景錫さんが埋葬されているお墓がありました。その墓に遺族会の方とGUNGUNの一行で、白い菊の花束(生花)を供え、韓国式に清酒を一人一人墓に捧げました。「ギョンソクさん、日本から来ましたよ」と呼べば、「良く来たぁ」と野太い声で答えてくれそうな気持ちになりました。ご冥福をお祈りします。私たちも、ギョンソクさんの残した仕事を少しでも受け継いでいきます。

金景錫さんのお墓


春川市内を遺族会の方の案内でフィールドワーク

 三日目は、春川市内を遺族会の方の案内でフィールドワークに出かけました。春川博物館を見学した後、昨年、話に聞いて探しかけていた日本が朝鮮人支配のために建設した江原神社跡を調べに行きました。世宗ホテルの正門から下って江原道庁舎に続く坂が、江原神社階段だったらしいと、 近辺の人も言われていました。ヤスクニに繋がる侵略神社の実態について機会あれば、やるべき課題だと思います。

春川市内に韓日合同慰霊祭の横断幕

世宗ホテルの神社跡

道庁の階段跡

 その後、これまで10年間続けてきた草刈りツアーが今回区切りになり、これまでお世話になったお礼にと、春川遺族会の方々と会食会を催しました。一人ひとりがこれまでの感謝の気持ちを伝えたり、金景錫さんとの思い出を、時には涙声になりながら話しました。洪英淑会長からは、金景錫さんが亡くなった時もそれまでと同じように「健康復帰する」と思っていて、亡くなった後のことを全然話し合っていなかったこと、会長を継いだ後、崔ハルモニ(不二越の原告)たちが寄り添い、アドバイスをしてくれたおかげで、これまで運営することができたことなど、これまで知らなかった話を伺うことができました。本当に心温まる交流会になりました。GUNGUNも最高裁判決を残しており、今後も熱い連帯関係を継続、発展させていきたいと思いました。春川の皆さんありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

 

洪英淑会長と握手