2011年4月15日〜17日

岩手・太平洋戦史館を訪問して


「死者の人権を尊重すべき」〜66年前と現在の共通課題(古川)
 
今回は日本人だけで訪問

 
 

太平洋戦史館

遺品の前で・岩淵さん

 4月15日から17日にかけて岩手を訪問しました。目的の一つは在韓軍人軍属(グングン)裁判・ノーハプサ訴訟でお世話になっている岩淵宣輝さんが運営する太平洋戦史館への訪問。もう一つは東日本大震災被災地の実態をこの目で見てお手伝いすることです。
 岩淵さんは、幼いときに父を日本兵としてニューギニアで失い、戦争孤児として日本遺族会青年部の役員を担いました。遺族会が靖国を信奉する一方で、自身がニューギニア航空極東支社長だったこともあり、ニューギニアに放置された遺骸の実態を目の当たりにしたことで、靖国への考え方が一変。以降はパプアニューギニア、インドネシア領西部ニューギニアそしてガダルカナルを含むソロモン諸島などへ、これまで270回以上渡航されています。ニューギニアで父を亡くしたグングン原告の高仁衡(コ・インヒョン)さんが来日した2007年に東京で対面以降、準備書面やノーハプサ学習会、講演会等で交流を続けています。昨年秋の「韓国遺族証言集会」で来日したニューギニア遺族の南英珠(ナム・ヨンジュ)さんに岩淵さんのことを話しすると「ぜひ会いたい」と言うので、高仁衡さんとともに3月25日から岩手訪問する計画でした。そこに地震が東北地方を襲い、岩手訪問は延期に。地震が起きた3月11日、岩淵さんはニューギニアで216体の遺骨を日本に持ち帰る作業中でした。帰国後、熱烈歓迎のコールをいただき、今回は日本人だけの3人(古川、木村、上田)で訪問しました。

死んだ人がどのように言っているのか聞いてほしい

 

岩淵さん

 

 平泉の中尊寺から見えるところに太平洋戦史館はある。平泉は内陸部だったため大きな被害はなかったが、余震で少し被害があったという。車で近づくと岩淵さんは玄関から飛び出して私たちを出迎えてくれる。ログハウスのおしゃれな建物。「丸太で組んでいるから地震には強いはずなんだけど余震ではミシミシいって怖かった」という。2階の玄関から入り、自己紹介後1階へ。1階は書籍コーナーと展示室になっている。震度6弱の余震で館内は展示物が散乱していた。
 衣川市でNPO第1号の太平洋戦史館は、設立10周年になる。岩淵さんのお父さんの遺骨はない。空爆で砕け散ったそうだ。しかしニューギニアに放置された遺骸にこだわる理由を今回の津波に重ねながらこう言う。「今回の津波で身元不明のまま、集団土葬された水死者は多数。未だに1万数千人の死体が確認されずにいる。死人にだって人権がある。彼らこそが最弱者。自分の口で無念を伝えられずに悶々としたまま。戦争で100万人の人たちが放ったらかしになっている。3月に216人分の遺骨を帰国させた。10年間で1000人の遺体を運んだ。死んだ人がどのように言っているのか聞いてほしい」と。

靖国問題に興味を持ってもらう工夫
 
 展示コーナーには、アジアと日本の関係として、地図を朝鮮・中国から見た向きに(世界地図を上下逆に)展示している。そして靖国に通じる皇民化教育、神社参拝強制の歴史を写真を交えて展示してある。その理由を岩淵さんは「ぶん殴った奴はすぐに忘れるが殴られた人は忘れない」と語る。朝鮮半島のコーナーにはグングン裁判訴状集もあった。
 書籍コーナーには靖国問題を論じた本が並んでいる。「『みたま』や『英霊』を口にする人が多いが全てヤスクニズムに通じている。NHKの記者が『尊敬している岩淵さんが、なぜ靖国を目の敵にするのですか』と言って帰っていった。どうすれば皆をヤスクニズムに蝕まれていることに気づかせるかが課題。靖国検定とか工夫して皆に興味を持ってもらうことが大切。先の戦争を総括する上でも必要」と靖国に対する批判的な視点を育てることの重要性を説いた。

韓国人遺族を戦没地ニューギニアへ案内するために

 
 

認識票

遺品の水筒

 反対側の展示コーナーには、認識票や出納などの遺品やニューギニアに放置された遺骸を描いた絵画や写真が展示されている。ここで韓国遺族の最大の関心である遺骨やDNA鑑定について聞いてみた。「朝鮮人の動員は主に第20師団(ソウルの龍山編成)が多いので東部ニューギニアに連れて行かれている。私が調査している西部は岩が多いので骨が残っているが、東部は土壌が肥沃なので分解されて骨があまり残っていない。DNA鑑定はやっているが形だけ。犬歯から抽出しやすいので、遺骸に犬歯があれば持ち帰るが、DNA鑑定は遅々として進んでいない。日本人遺族もそこまで要求していないのが苦しいところ」という。韓国人遺族の希望が強い「父・兄の死んだ地に行って供養したい」という要望について聞くと、「父の見た海や空をこの目で確かめて、どんな場所で死んだのかを確かめたいのは遺族として当然のこと。そんな場所で一本の線香でも立てたいはず。供養とは忘れないこと。韓国大使館にも立ち寄ればよい」とアドバイスをいただいた。また「岩淵さん自身にご同行をお願いできないか」との要請にも快諾いただきました。戦史館前で記念撮影し、別れましたが、後日さっそく岩淵さんからメールがあり、韓国からの行程案や安く安全に行く方法などを教えていただいています。今後、実施できるかどうかを含めて韓国側と協議していきたいと思います。