2009年5月16日〜18日

グングン裁判原告集会(春川、ソウル)


 GUNGUN裁判の控訴審結審(2月)を受けて、李熙子さんから「これまでの運動の意義と今後の課題を論議する原告集会を持ちたい」との意向を受けて、5月に大口弁護士と支援する会スタッフ計4名で訪韓しました。

5月16日(土)

 関空から金浦へ。到着ロビーで座っていると李熙子さんと崔ナックンさんが迎えに来てくれ、しばらくすると15時頃東京メンバーが到着。国会議員への要請はキャンセルとの事で、いつもの会事務所近くの「スラッカン」で夕食。民族問題研究所の朴ハニョン室長と金ミンチョル推進協議会執行委員長が合流。朴室長からは「国恥100年事業」の構想が語られ、日本の市民団体との共同の取り組みの展開に関する相談がされた。

5月17日(日)

 
 

崩れた石塔

 
 

春川の原告のみなさん

   

 8時半に崔さんの車で春川を目指す。自動車専用道路を快適に飛ばし、10時半には春川の納骨堂に到着。納骨堂の扉から中をのぞくと2005年の草刈りボランティアの際に馬耳山のお坊さんと積み上げた塔が崩れていてビックリ。その後洪ヨンスク会長たちが到着。みんなでまず納骨堂で供養して、その後金景錫さんのお墓にお参りした。遺族会事務所には原告の呂ミョンファンさん、宋ランソクさん、李ナクチンさんが来てくれていた。3人の原告そして洪会長以下役員を前に、GUNGUN裁判の状況を報告し質疑交流した。

 「靖国に遺骨があるという報道がされたことがある。知人が訴状に靖国に遺骨があると書いていると言っていたが真偽は?」「靖国には遺骨はない。訴状にもそういう記載はない。裁判で求めているのは霊璽簿からの名前の削除」「陸軍の元大佐は『遺骨をそんなに収集することはない。魂は日本に帰って靖国に祀られ、天皇がお参りしてくれているのだから』と言った。朱剛玄先生の証言を得て、韓国人の習俗上相容れないから合祀を取り消せという判決を勝ち取りたい」「敗訴するのではないかと思うが今後はどうするか」「日韓協定解決済み論を打ち破るのは難しいが、この間日韓会談の文書公開を通じて日本政府の不当性が明らかになってきている。慰安婦、靖国、シベリア抑留までが日韓協定で解決済みと言う主張は不当。この裁判は問題を提起したことに意義があり、日韓両国民で闘っていかないと打ち破れない。金景錫さんが100年裁判だと言っていたのを思い出す。長期に構え闘っていきたい」「結局は日本政府対韓国政府という話になるのではないか」といった質疑応答を通じて率直な交流ができた。

 この後、春川タッカルビの店へ。食前に洪会長に「古川さん一緒に行こう」と誘われ、車に乗ると、すぐ近くの花屋さんへ。なんとそこは洪さんが開店した花屋さんだった。こじんまりしていて、きれいな店だった。「古川さん、そこ私のアパート」と指差した場所にはよくある韓国の集合住宅が。金景錫さんが眠っている場所の本当に近くに住居と仕事場を構えたという洪さんの金景錫さんに対する愛情がすごく伝わってきた。

 

林西云さんの娘さん(左)

 

 その後ソウルに戻って、原告集会の打ち合わせを行った。これまでの裁判経過がわかりやすいようにとパワーポイントで準備していた。報告集もいつもながら準備が短時間だったにも関わらず立派な分厚いものが製本されていた。この原告集会にかける李熙子さんの思いが伝わってきた。

 打ち合わせの最中に林西云さんの娘さんが事務所に来られたが、娘さんの表情には笑顔がなかった。口を開くと「母のこと、無念な死を考えると引き継ぐことが重要であると思うが、悲しみも残っていて、私の体調も悪く、受け継ぐのはしんどい」とのこと。この言葉を伝えるために今日来たという感じだっただけに、大口弁護士も「自主的に決められるべきで、残念ですが仕方ありません」と答えた。別れた後、李熙子さんから「時間をおいてからもう一度話し合ってみる」との提案を受け、とりあえず判決が近いので、林西云さんだけを別立てで判決を出してもらうことができるかの検討を大口弁護士にしてもらうことになった。


5月18日(月)

 
 

崔ウルチュルさん(右)

 
 

李熙子さんと金敏浮ウん

 西大門にある東アジア歴史財団の会議室が原告集会の会場。ソウル駅から伸びる国鉄の線路の脇に立つ立派な高層ビルだった。早く着いたので待っていると、続々と懐かしい顔ぶれが。まず金ヘンジンさん。続いて女性陣。高齢の崔ウルチュルさんも。そしてシベリア朔風会のメンバーが続々と入室。2001年の提訴から8年たつので、それぞれ年はとったがお元気そうで何より。

 いよいよ金敏普iキムミンチョル)さんの司会で開会。通訳は董ソンヒさん。パワーポイントで李熙子さんが提訴準備から今日に至る歩みを振り返る。原告の皆さんは懐かしい写真が出てくると笑いながら報告を聞いていた。大口弁護士から「裁判の経過報告」を行い、その後矢野さんから「GUNGUN裁判の意義」を報告した。次は原告からの質問と思っていると、国会議員の李ジュンヒ(女性)議員が来られたということで、急遽休憩中に議員との交流会が隣の会議室で設定された。大口弁護士から「遺骨・生死確認・靖国は日韓協定外の問題なので韓国政府として対応するようにお願いしたい」ことを。御園生さんからBC級戦犯、シベリア抑留者の問題解決を。私から遺骨がいまだに南洋に放置されその1%は韓国朝鮮人のものであることを伝え、韓国政府を動かすために尽力いただきたいとお願いした。李ジュンヒ議員は「植民地支配から100年解決できなかったことだけに必ず整理されなければいけない」と述べ、今後の努力を表明していただいた。

 

金幸珍さんと李炳柱さん

 
 

 この会議室に李炳柱会長が入ってきて、歓喜の握手!その後集会を再開。李炳柱さんがマイクを握り、「麻生太郎のような朝鮮人を差別した人が総理になっている。今度の日本の選挙で民主党が勝ち、政権交代を望む」と発言された。その後私から提訴したころの苦労話に触れながら、遺骨問題の課題について提起し、山本さん(ノーハプサ事務局長)が靖国訴訟、御園生さんがシベリア抑留での日本政府の対応批判と日韓での公正判決要請ハガキ運動について報告した。会場の時間の関係で、ここで集会が終わってしまい、私は飛行機の時間があり、ここで会場を後にした。

 今回の報告集会には、原告が34名参加された。提訴の頃の集会参加者からすると少なくなった感じもするが、高齢化を考えると多く集まっていただいたと思う。原告の方々の「笑顔」に何とか応えたい。そう強く思った訪韓だった。