2007年7月8日(東京)
シンポジウム「新資料から見える靖国合祀の真実」
「文字どおり国・靖国神社一体」(田中伸尚さん)
7月8日、田中伸尚さん、辻子実さんを招いて、新資料集に関するシンポジウムが行われた。50名くらいの会場ではあったものの、満席となった。新資料集を読めば読むほど、これまで、国が言っていた「回答事務の一環」、判決の言う「行政サービスの一環」が嘘であったか、を如実に示している。この新資料集をテコに、国を追い詰めていこう。
【田中伸尚氏報告要旨】
この新編資料集は大別して3つに分かれている。一つは、国会議事録、二つ目は、靖国神社が所蔵している「合祀資格審査方針綴」、そして、三つ目は、中曽根首相時代の「靖国懇」の資料である。これまでの資料を通じて「国家の度の過ぎた関与」と考えていたが、新資料を見ると「国・靖国が全く一体」で、「国・厚生省が祭祀部門を抱えていた」とさえ言える。
全てではないと思われるが、この資料の中だけでも靖国神社と厚生省は、17回の合祀基準等の打合せをしている。1952年以降、合祀基準を「援護法および恩給法の適用者」としたが、それ以外にも拡大していく。沖縄戦の「6歳以下65歳以上の戦争協力者、対馬丸戦没者」などなど、こういうことを厚生省と靖国神社は打ち合わせて合祀していた。旧植民地出身者もこの打合せの中で、合祀されている。
昭和33年4月9日の「合祀基準に関する打合せ(第4回)」において、 |
靖国神社は、大阪で始まった「合祀イヤです訴訟」で「合祀基準は(無断合祀も含め)教義」であると主張している。教義に国が関与していることになる。この合祀問題は、靖国問題の要と言える。靖国神社は、国・天皇のために亡くなった人を讃えることを通じて、戦争を賛美し、第4帝国・日本の核となる装置である。ここに合祀問題の重要性がある。2001年GUNGUNの合祀取消提訴には衝撃を受けた。「ヤスクニの檻」に閉じ込められているという。日本人がはっきりと言えなかったことだ。ノー!ハプサ、グングン裁判は重要。(M記)