2004年11月23日

GUNGUNフィールドワーク
  猪飼野・コリアタウンを歩く


 春の大阪城フィールドワークに続き、今回も朝鮮半島と日本列島との歴史的関係に造詣の深い、宮木謙吉先生にご案内をお願いして、“おいしい”フィールドワークを開催しました!

 食べることと買い物好きな私は、国際市場とコリアタウン(朝鮮市場)について報告しますね。歴史的な物語がお好きな方は、次回の機会でね。

 
比売許曾(ひめこそ)神社の説明をする
宮本さん
 

 コリアタウンはどのようにして形成されたか? 生野の小工場への労働者として多くの朝鮮人が渡来し、1923年済洲島と大阪の直通航路が開設したことで済洲島からの渡来者が増えるにしたがって多くの食材、雑貨へのニーズが生まれ市場が形成されたとのことでした。とはいえ渡来した朝鮮人への差別と抑圧は厳しいものがあり、在日の人々は生活不安に脅かされていた。とりわけ敗戦後の大阪最大の闇市は、在日の人々の生活を支える活動の場所となりました。そこから発展した現在の国際市場は、青果エリア、雑貨エリア、焼肉エリア、鮮魚エリアの4つの部分に分かれ深夜に開店する鮮魚市場が明け方まで活気づき、24時間フル操業しています。

 
 

猪飼野ウォークの最後は平野川

 そしていまコリアタウン人気はなぜか? それは在日の人々が連綿と続けてこられた地域運動がもたらしたものだと言うことでした。(確かに韓流ブームの影響はあるでしょうが・・)在日の人々が自らの衣食住、文教の環境を整えていく営みが、日本の排外主義の体質を変化させてきたのだという考えに、私は深く考えさせられました。おりしも「不法滞在」の外国人がロープでぐるぐる巻きにされ強制送還されたという、今なお根強い私たちの国の排外性を示す報道が続く中では、私たち日本人が韓流現象で歩み寄ったのではなく、在日の地域運動の努力だと痛感します。

 「共生と人権」について、地域からの国際化・民主化について宮木先生から大きな宿題を頂きましたが、コリアタウンから元気も頂きました。ありがとうございます! (小川)