2002年11月22日〜24日

第2回ボランティアツアー


2002年11月23日、第2回ボランティアツアーを開催。
韓国、春川の納骨堂の前で手を合わせる参加者。

日韓市民レベルの交流広げる

第2回GUNGUNボランティア・ツアーを開催(11/22〜24)

 直前に風邪が流行し、4名がキャンセル。14名(内6名が初参加)で行ってきました。サッカーも形になって、健康が危ぶまれた金景錫さんもお元気で(よかった!)、わくわく楽しいツアーでした。

 

納骨堂

 
 

清掃

 
 

原告の話を聴く

 
 

電気公社チームと

 
 

キムチづくり講習会

 
 

西大門刑務所跡

 

 私達を迎えた金景錫さんは「私は命がけ。命かけて闘います」と語り、拉致問題に触れ、「拉致された家族の苦しみは、誰よりも私達がわかる。私達は50年以上生死確認を求め、遺骨を探し、苦しみ続けているのだから。日本人も、私達遺族の痛みにも想像力を働かせて欲しい。コネズミ(小泉)日本政府のやり方は、逆拉致だ」と明解に語られた。いまだからこそ、戦後補償裁判を強く語らなければと力が入りました。さて力が入るとお腹もすいて、この夜は春川名物[タッカルビ]で舌鼓をうちました。

 23日は、朝から納骨堂の清掃とサッカー。納骨堂は金景錫さんが私財を投じられて改修し、非常に立派になっていました。日本より持参したお供え物を供え、皆で礼拝し、清掃をしました。報道陣に取り囲まれて緊張しながらも、昨年参加メンバーは慣れたもの。若い福祉労働者の細川君と寺坂君は鍬を持つ手も鮮やかに頑張りました。清掃後、GUNGUN原告・吉光植(キルカンシク)さんのお話を聞き取り。「徴用先の福岡の炭鉱で、不発の発破を手にしたときに暴発し、右手を怪我した。(親指がなく、第1〜4指は変形)5〜6ヶ月治療した。双子の弟は私より先に日本に行き、消息が知れない」 。19歳から6年もの炭坑生活、利き手を損傷した不自由なその後、50年以上帰らぬ弟さんを待ち続ける思い・・・。映像担当の加藤さんの目を通して、ビデオカメラにしっかりと取り込まれました。
 この日の昼食は、「カルビタン」。これが、何というのかおいしい!最高やね!試合前にはちょっとヘビーかな?なんて思いながらも、平らげました。

 いよいよサッカーです。今年の我らのチームカラーは「赤」。ユニフォームは真っ赤。東京から参加の海野さんは「いやーこれはうれしいなー!」を連発。今年の対戦相手は、電気安全公社の職場サッカーチーム。結成後3ヶ月で、ワールドカップに触発されて結成したとのこと。GUNGUNチームのメンバーが足りないので、相手チームから助太刀を4名いただいて、監督は大阪から参加の李亥鎮(イ・ヘジン)さん。
 前半中盤で、あろう事か、細川君の強烈なパスが留学生の丁(チョン)さんの右顔面を直撃!結果は大事には至らなかったが、細川君はショックからしばらく立ち直れず・・・。
 今年大いに頑張ったのは誰あろう、事務局長の古川さん。ゴールキーパーを努めました。最初はパンチングで防ぎ、その後はぷよぷよした胸やお腹にがっちりボールを受けとめて、前半は無得点で折り返し。本人は「ドッチボールを思い出した」とのこと。しかし、キック力はなく、蹴り出したボールが全くのびず、ぽとんと落ちて・・すかさずゴールされてしまったのでした・・・!
 何と云っても頑張ったのは、後半再出場の丁さん。相手チームのボールに、ちょこちょこと近づいては奪い、いつの間にかキーパーと一対一。得点にこそつながらなかったが、すごい根性!やっぱ未来の大阪のおばちゃんやね! さらに後半中盤で、監督からの交代の指示を待ちきれず自主参加の東京の加藤さん。走る、走る。やっぱり重量級のカメラ・ビデオを担いで走り回ってるだけのことはある。カットもするし、パスもできる。おみそれしました。結果は2−1で、ちょっと悔しい試合でした。

 サッカーのあとは、垢すり体験とキムチ講習会。垢すりは女性陣だけが希望しました。感想は・・・あなたも来年参加して体験すべし! キムチ講習会は、金景錫さんの奥さんの日本語教室のお友達と、料理学校の先生が私達のために準備してくださいました。そのキムチをいただいて、日本に持って帰ってきました。

 翌24日は最終日。朝早く春川を出発し、ソウルの西大門刑務所を見学。日帝時代、抗日運動に闘った朝鮮の人々に何をしたのか・・・。歴史を歪曲しようと目論んでいる人たちに、「事実」を塗り替えることはできないのだと語っているようでした。
 細川君が近づいてきて「ひどいですね。拷問死の写真を見ました。すごいことしたんですね」「(日本人も精神的に)ぶっとばされてたんですね」と。そう、人間の心をなくしていた過去を清算し、正常な知識人の心で、最も近い国・韓国の人たちと、友人として交流していきたい。

 「サッカーをしたり、清掃したり、キムチを作ったり・・・原告の方たちと直接触れ合い、交流することにこのツアーの意味があるのですね」と丁さんがツアーの感想を締めてくれました。私達の大切な友人の問題として、もちろん日本人としての自分自身の問題として戦後補償の運動に取り組むために、市民レベルの草の根交流「ボランティア・ツアー」。さあ!次はあなたも参加しましょう!(小川)

※紙面の都合上、参加者の感想は次号で!