2001年12月22日

菱木政晴さん(小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団事務局長) 交流・学習会


 学習会では、菱木さんより靖国神社の歴史やその教義などを詳しく教えていただきました。「聖戦のために死ぬことは、崇高である」「英霊が神になる」という靖国の教義によって、『戦争神社』と呼ばれていること。国民の戦争への疑問とか、犬死ではないかという思いを押さえつける働きをしていただけでなく、「後に続け」の思想まで植え付けたことがよくわかりました。死んでも神になるということで父や夫、息子の死を受け入れさせられただけでなく、後の戦死者を継続的に産み出す役割を靖国が果たしていたわけです。むごい、また許せないと感じました。 靖国参拝した理由を小泉首相は、「二度と戦争を起してはいけないという気持ちをあらわした」というが、国のため戦ったとされる軍人は祀るが、空襲犠牲者など民間人を排除している事実をどう考えるのか。彼の本音は、自衛隊の殉職者を堂々と国家として祀りたいのでしょう。年末の「不審船」に対する先制攻撃など、自衛隊や政府の対応などを見ていると、ますますこの「英霊サイクル」が加速することを危惧します。

菱木さん講演メモ
●靖国神社の教義は3つの柱で成り立っている。 @聖戦のために死ぬのは崇高である A英霊が神になる (あとに続けの思想) B顕彰
●小林よしのりがよく「爺っちゃんを悪く言うな」と強調して言う。「つらい運命だったが逃げたりせずとにかく行った。立派だと言ってあげたい」と、普通の人が言ってしまうことで、結局「任務の内容が立派だ」と言わされることにつながる。問題はA級戦犯と同じように祀られる。そしてその祭神に感謝し、敬意を捧げることによって「あとに続け」運動にいつの間にか協力していること。
●普通、怨霊を鎮めるために、敵方を祀るのが当然なのに、靖国は違う。空襲犠牲者は祀らない。沖縄戦で殺された人も祀っていない。ここで遺族年金との関連が浮かんでくる。集団自決では、命令があれば「戦闘協力」という名目で年金が出る。命令がなければ出ない。ここから「祀られないのは残念=犬死に」につながり、逆に「祀られることは名誉=喜ばしいこと」につながってしまう。
●靖国は「まじめにやってきた者を認めないのか」という発想で庶民をからめとって大きくなった。「死者に鞭打つな」という発想は、小林よしのりの主張と同じ。そういう世論形成の中で先鋒的に「正しい!」と言い出す子をもはや止められない世の中にしてはいけない。戦前がそうだったのだ。