2001年8月10日
グングン靖国学習会(大阪) 〜 古川佳子さんをお招きして
8月15日を前に、箕面忠魂碑訴訟元原告の古川佳子さんを講師にお招きして、靖国問題を学習しました。
古川さんは、戦死したお兄さんを「英霊」としてくくられることを拒否する思いを通して、戦死者の追悼のあり方を問題提起されました。お兄さんを殺した人たちの手によって祀られたくないこと、その向こうにいたアジアの人々・沖縄・広島の悲しみに思いを馳せ、戦争に反対して死んでいった人たちのことを悲しまなければならないことを語っていただきました。
古川さんは、下のお兄さんと同じ隊にいた詩人・竹内浩三の『骨のうたう』を紹介されました。
骨のうたう 竹内浩三
戦死やあわれ/兵隊のしぬるや あわれ/遠い他国で ひょんと死ぬるや/だまって だれもいないところで/ひょんとしぬるや/ふるさとの風や/こいびとの眼や/ひょんと消ゆるや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や
白い箱にて 故国をながめる/音もなく なんにもなく/帰っては きましたけれど/故国の人のよそよそしさや/自分の事務や女のみだしな
みが大切で/骨は骨 骨を愛する人もなし/骨は骨として 勲章をもらい/高く崇められ ほまれは高し/なれど 骨はききたかった/絶大な
愛情のひびきをききたかった/がらがらどんどんと事務と常識が流れ/
故国は発展にいそがしかった/女は化粧にいそがしかった
ああ 戦死やあわれ/兵隊の死ぬるや あわれ/こらえきれないさびしさや/国のため/大君のため/死んでしまうや/その心や
竹内浩三さんの詩『骨のうたう』を読み私は強い衝撃を受けました。34行にこめられた言葉一つ一つに、わずか23年で人生を終えなければならない哀しみ,虚しさがこめられています。故国を離れるころの戦況はすでに敗色濃厚で、戦地に臨んでも武器、弾薬はおろか食料の補給路も断たれていた頃ではないでしょうか。兵士が「白木の箱」になって帰ることが日常化する中で「英霊」と人々が称えることをきっぱりと拒否する思想を感じ取りました。特攻隊の方が残された遺書に「われ護国の鬼となって」とか「悠久の大義」という文言がありますが〔勇ましい言葉であるがゆえにより傷ましいのですが〕、まさに対極をなすものですね。古川さんが、「『骨を』ではなく『骨の』なんです。」と強調されていました。物言わぬ「骨」を都合よく解釈して、戦争を美化することは許されないとあらためて思いました。(大幸)