2000年12月5日
戦没船の資料館(神戸)の名簿に原告の名前を発見!
今回の原告である、船ごと徴用されたまま、生死確認すらされていない韓広導さんの父・明竜さんについて、調査していた矢先の話です。昨年11月に行なわれた神戸東灘での平和まつりに参加したところ、海員組合の方の方と交流し、元町の組合ビル二階に「戦没した船と海員の資料館」があることを知りました。週明けにさっそく訪問、朝鮮人徴用者をはじめ、すべての戦没船に乗っていた犠牲者の名簿があることを確認しました。
そして日鉄総行動があった12月5日に再度訪問し、名簿を見ていくうちに、韓さんの日本名「くにだ なかとみ」に極似した「韓田永富」の名前を発見しました。その遺族名が「妻用仁」だったので、後に金景錫さんに照会したところ、妻の名前が「用任」であることが わかり、間違いないことが判明しました。(船名は拿捕船で「暁空丸」。1944年荷衣島から上海に向かったが9月18日魚雷を受け沈没。682名が戦死、うち4名が韓国人でした。)しかもこの名簿の原型は、慰霊碑を建立するために、実行委員会が1970年に厚生省調査課・業務二課において、「厚生省の保管する戦没者原簿」をもとに作成したものであることも判明しました。(基礎調査は1966年に開始。)日韓条約を有利に締結するために隠した、強制連行の名簿がこの時すでに整理されていたことを示しています。研究員の方は親切で、「ここにある情報ならどんどん使ってほしい」とおっしゃってくれています。(資料は事務局にもありますので、お問い合わせください。)
戦没した船と海員の資料館(078-331-7541)JR・阪神元町駅南西へ徒歩5分平日のみ