11月9日〜11日、総勢23名の訪韓は、江原道での納骨堂に供養塔を建てること。そして、韓日の親善サッカーを実現することでした。
参加者の年齢は幅広く、高校生から60代まで。軍人軍属の裁判支援を開始してから、初めての大規模なツアーとなりました。
太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会の事務所に到着するなり「あっ!来た!
来た!」という会長・金景錫さんの声に迎えられ、早速、挨拶を受けました。
「反日感情の強い家から、徴用者を出すことが目的で、兄が徴用された。その兄は帰らない。兄の遺骨を探して、この春川につれて帰るのが母の遺言。兄の遺骨を探して、北海道から九州の知覧まで何回となく日本を訪れたけれど、兄の遺骨はわからない。しかし、名前のわからない遺骨が日本のお寺に多く安置されているのを知り、持ち帰ってきた。その遺骨が513体ある。日本が、私たちに行った無惨な仕打ちを後世に残し、悲惨な出来事の戒めとするために、納骨堂を作った。日本名しかわからない。せめて、韓国名がわかれば、遺族の元に返せるのに・・。納骨堂は、市役所から永久貸与してもらったが、整地や納骨堂建設のために、2000万円の私財を投じた。私の10年来の悲願であった慰霊碑が、GUNGUNのみなさんの協力で、完成する。こんなうれしいことはない。いっさいを私財で行うのが私の意志であったが、ありがたく協力を受けます」。
仕事を終えて9日の夜遅く春川に到着したメンバーや、日本からの留学生3名も加わって、10日は総勢23名で、納骨堂の草引きと清掃を遺族会の人たちとともに行った。
サッカー強国・韓国の人とサッカーをする事が目的で参加した若者たちも、次第に厳粛な気ちになり、非常に熱心に草を刈りとった後、自らが名前を刻んだ石を敷き詰めた慰霊碑に礼拝した。
持 この慰霊碑は、の呼びかけに応えて、匿名や、メッセージを添えて、多くの人から寄付が集まり、そのお金GUNGUNで建立できたものだ。敷き詰めた石は、過去の過ちを見つめ、真の日韓交流を実現しようと願う日本の人々の心、意志(石)を持ち寄ったもの。
韓国式のお供え物と慰霊祭の料理を振る舞われて、「そんなに飲んだら、試合ができる霊か?」など冗談を飛ばしながら、慰碑の前で歓談した。留学生と、日本の若者、通訳で参加した韓国の若者も個々に交流した。
「韓日知識人親善サッカー大会と銘打ったその意味は?」と問うと、金景錫さんは、こう答えた。
「自分の国が犯した過ちを認めて、それを改めようと行動に起こすことは、簡単にできることではない。政府の動きとは反対の行動を起こすことは並大抵の勇気ではできないことです。みなさんはそれをしている。知識人の真の意味は、先導者のことです。だから、知識人とはみなさんのことです」。
「そうか、私たちは知識人なのか・・と、身の引き締まる感動を覚えた」と、参加者の木村さん、山口さんは語った。
プレー開始! いよいよサッカー大会。なんといってもグランドがすごい!通常の大会では滅多に借りることができないグランドである。参加者は、思わずため息。サッカー青年は、こんなグランドで試合できるだけでも、すでに感激の極み!
日本チームは、「グングンいこうぜ」チーム。嘴本監督の下にポジションも確定した。
対する韓国チームは、「心ひとつ(ハンマウム)チーム」筋肉も引き締まって日に焼けて、いかにも強そう。何故か、御園生さんの足の白さが、古川さんのぷよぷよした足に目がいく。しかし、当人たちはすこぶるやる気満々。まっ、いいさ。とにかく、プレーしよう!
女性選手の畑さんは、ガッツがあった。御園生さんは、靴擦れをしながらもまさかの大奮闘。古川さんも足はもつれながらも体を張って頑張った。監督嘴本さんは、足が速い。転んで一回転。けがなし。大阪からの、職場サッカーチームの小川、細川、寺坂さんらは、さすがに心が通っているのか安定したプレーを展開。韓国チームから「ブラザー」と呼ばれて気をよくした。後半ゴールキーパーを努めた西野さんは、口でプレーした。しかし、歌で鍛えた声がグランド中に響いていた。玉ちゃんこと延山さんは、何故かボールが来ると顔を覆ってプレーした。
結果は、5対2で、GUNGUNチームの完敗。でも、楽しかった!
金景錫さんは「国と国との力関係では、韓国は日本に勝つことはできない。日本に抑圧された歴史が『恨』となって血に受け継がれている。どうしても日本に勝ちたいという血の叫びをわかってやってほしい」と言われた。しかし、実力は明らかに韓国チームの優勢であった。負けてさわやか。今回は第1回目。次回は、もっと、頑張るぞ!
記念に用意した、軍手人形にメッセージを書き込んで、「心ひとつ」チームに手渡して大いに交流会は盛り上がった。若者たちは、そのまま2次会へと流れ込み、サッカー談義に花が咲いた。
女性参加者の村上さんは、韓国の女性は花嫁修業はするのかと尋ねて「韓国の女性は花嫁修業などしない。なぜなら、母親のすることを習い覚えて、自然と家事などは幼い頃から身につける」と聞き、女性としての結婚観に思いを深めることができた。
細川さんは、「初めて韓国の人とサッカーをし、話をもして、韓国の人が好きになった。来てよかった」。
「韓国チーム」から、夕食会は是非とも我々に持たせて欲しいと申し出があった。「単にサッカー交流ではなく、戦後補償の運動に関わっている日本の人たちに、私達の心を受けとめてもらいたい。私達も非常に楽しんだ」。私達は心を受けることにした。
教科書問題、靖国問題、歴史認識の歪曲・・韓日の関係は、政府間では非常に危うく、冷え切っているけど、大事なのは市民の力。若者の中に、韓日交流の意識が広がってきたのが、今回の大きな成果。そして慰霊碑は、私達市民レベルの共有財産。歴史歪曲を許しようのない侵略の証拠である。まさに、知識人としての自覚を持って、大切に守っていきながら、その守り手を若者の中に育てていきたい。
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