第18回口頭弁論 2005年9月1日 東京地裁


本人尋問9・1−原告たちの証言−

【金景錫さん】
 韓国を滅ぼした日本兵と一緒に合祀、恥辱だ!
                 戒厳令下の日韓条約は無効だ!

 
   

* 強制連行したものとされたものと一緒の器の中にいるということは、同じ神でも心苦しいと思います。そこには、朝鮮独立運動を弾圧して死んだ日本兵も祭られております。けど、それを同じ社に入れ祀るということは常識外の問題です。(国を滅ぼした日本兵と一緒に合祀)恥以外のなにものでもない。
* (元大統領の朴正熙は)戦前日本の士官学校を出て満州国の士官になり、その後、軍事クーデターを起こして韓国の大統領職に強引に就いた人なんです。彼らがいることによって日本をけなすことも日本に対して悪口をいうことも余りできなかった時代です。
* 日韓条約なるものを、私どもは贓物協定と呼んでいます。つまり、国民の意志とか権利を奪い、銃剣を押し付け、戒厳令をしいて、その上に奇襲的に、一瞬に通過させたという法律、これは認めない。そういう手段を相手にした日本政府にも問題がある。
* いつも戦後補償裁判になると思うんですけど、被告側の反対尋問がないんですね。何か一言言って、物の道理、人間の生きる道とかいうものをお互いにひざを接して語り合うのが裁判の質を高める上でも重要なことではないでしょうか。

 

 

羅鉄雄さん(左)と李洛鎮さん

 

【羅鉄雄さん】
息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせない
  父は日本軍に徴用されてからですけど、大変な苦労をしました。それで、こんな苦労を自分の子供たちには、日本の軍隊によるこういう苦労はさせないという風に言っていました。ですから、息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせないようにする、という話は聞いていました。
 父と我々の家族を大変苦しめた日本よ。お前に耳があるのか、もし、耳があるのなら、この絶句をしている声が聞こえないのか。多くの罪を犯した日本よ、原爆のつらさを言ってみろ。二度と考えたくないだろう。私も父がなく暮らしていたこんなつらさを二度と思い出したくもない。強圧的に私の家庭の平和を踏み倒した日本よ、真実な顔で、私のほうを見ろ。良心的な支援団の美しい姿を見習え。歴史を歪曲することなく、一日も早く補償せよ。純粋な人々を連れて行って、10年もの間、監獄生活をさせるようにした日本は、一日も早く補償しろ。

【李洛鎮さん】
60年もの間戦死通知の1枚も送ってこない。これが日本の良心か!
  (韓国での補償申告について)法律には1945年8月15日を基準とし、その前に亡くなった人ということだったので、私たちはそれを受けられませんでした。
 (生きているのではないかと)すごく期待しました。ですから、戸籍のほうも整理せずに、そのままずっと、ただ年月だけが過ぎていったわけです。
 (遺族会を通じて死亡記録を入手して)もう、怒りがこみ上げました。もし、戦死したのであればすぐに知らせるべきではないですか。それを50年もたってからですよ。我々が請求してやっといやおうなしという感じです。それに、謝罪の一言も思いやりも全くなくい血の通っていないもの。
 我々の家の大黒柱である父の香山文雄を帰ることができなくなった戦場に送っておいて、これまでどれだけの涙を流したであろうか。25歳の知のあふれる若者を本人が望んでいない戦場に追いやり、そして殺しておいて60年もの間、戦死通知の1枚も送ってこない。そのような行為が日本の良心なのか。」

 

 

羅鉄雄さん(左)と李洛鎮さん

 

【羅鉄雄さん】
息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせない
  父は日本軍に徴用されてからですけど、大変な苦労をしました。それで、こんな苦労を自分の子供たちには、日本の軍隊によるこういう苦労はさせないという風に言っていました。ですから、息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせないようにする、という話は聞いていました。
 父と我々の家族を大変苦しめた日本よ。お前に耳があるのか、もし、耳があるのなら、この絶句をしている声が聞こえないのか。多くの罪を犯した日本よ、原爆のつらさを言ってみろ。二度と考えたくないだろう。私も父がなく暮らしていたこんなつらさを二度と思い出したくもない。強圧的に私の家庭の平和を踏み倒した日本よ、真実な顔で、私のほうを見ろ。良心的な支援団の美しい姿を見習え。歴史を歪曲することなく、一日も早く補償せよ。純粋な人々を連れて行って、10年もの間、監獄生活をさせるようにした日本は、一日も早く補償しろ。

【李洛鎮さん】
60年もの間戦死通知の1枚も送ってこない。これが日本の良心か!
  (韓国での補償申告について)法律には1945年8月15日を基準とし、その前に亡くなった人ということだったので、私たちはそれを受けられませんでした。
 (生きているのではないかと)すごく期待しました。ですから、戸籍のほうも整理せずに、そのままずっと、ただ年月だけが過ぎていったわけです。
 (遺族会を通じて死亡記録を入手して)もう、怒りがこみ上げました。もし、戦死したのであればすぐに知らせるべきではないですか。それを50年もたってからですよ。我々が請求してやっといやおうなしという感じです。それに、謝罪の一言も思いやりも全くなくい血の通っていないもの。
 我々の家の大黒柱である父の香山文雄を帰ることができなくなった戦場に送っておいて、これまでどれだけの涙を流したであろうか。25歳の知のあふれる若者を本人が望んでいない戦場に追いやり、そして殺しておいて60年もの間、戦死通知の1枚も送ってこない。そのような行為が日本の良心なのか。」

 

 

羅鉄雄さん(左)と李洛鎮さん

 

【羅鉄雄さん】
息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせない
  父は日本軍に徴用されてからですけど、大変な苦労をしました。それで、こんな苦労を自分の子供たちには、日本の軍隊によるこういう苦労はさせないという風に言っていました。ですから、息子たちの足を折ってでも軍隊に行かせないようにする、という話は聞いていました。
 父と我々の家族を大変苦しめた日本よ。お前に耳があるのか、もし、耳があるのなら、この絶句をしている声が聞こえないのか。多くの罪を犯した日本よ、原爆のつらさを言ってみろ。二度と考えたくないだろう。私も父がなく暮らしていたこんなつらさを二度と思い出したくもない。強圧的に私の家庭の平和を踏み倒した日本よ、真実な顔で、私のほうを見ろ。良心的な支援団の美しい姿を見習え。歴史を歪曲することなく、一日も早く補償せよ。純粋な人々を連れて行って、10年もの間、監獄生活をさせるようにした日本は、一日も早く補償しろ。

【李洛鎮さん】
60年もの間戦死通知の1枚も送ってこない。これが日本の良心か!
  (韓国での補償申告について)法律には1945年8月15日を基準とし、その前に亡くなった人ということだったので、私たちはそれを受けられませんでした。
 (生きているのではないかと)すごく期待しました。ですから、戸籍のほうも整理せずに、そのままずっと、ただ年月だけが過ぎていったわけです。
 (遺族会を通じて死亡記録を入手して)もう、怒りがこみ上げました。もし、戦死したのであればすぐに知らせるべきではないですか。それを50年もたってからですよ。我々が請求してやっといやおうなしという感じです。それに、謝罪の一言も思いやりも全くなくい血の通っていないもの。
 我々の家の大黒柱である父の香山文雄を帰ることができなくなった戦場に送っておいて、これまでどれだけの涙を流したであろうか。25歳の知のあふれる若者を本人が望んでいない戦場に追いやり、そして殺しておいて60年もの間、戦死通知の1枚も送ってこない。そのような行為が日本の良心なのか。」