李さんにはじめてお会いしたのは、今年5月東京での戦後60周年国際集会であった。通訳のために参加した私は、午前中の予定が二つに分かれ、参議院会館で待機することに。そのとき隣にいらしたのが李さんだった。挨拶を交わしてから2時間半、集会が始まるまで、私は李さんから靖国神社に関する集中講義を受けることになる。李さんの話は、通訳や翻訳の中で知っている靖国神社にかかわる問題とは、全く質を異にしていた。しかも今までの漠然としてしか理解できていなかった靖国神社の本質ともいえるものが見えたような気がした。自分の聞いた貴重な話を学生たちと分けたい、というのが講演を依頼した動機であった。
講演は7月12日、午前10時50分から和光大学にて始まった。約50分にわたる李さんの話、それに続く20分くらいの質疑応答で行われ、参加者は40名弱であった。具体的な講演の内容は、学生らが書いた感想とともに紹介したい。
多くの学生に共通した感想は、自分が戦争のない今の時代に家族とともにいることが、どれほどありがたいことなのかを改めて感じたと言っている。李さんの子供の父のいない、そして新しい父を迎えるときの寂しさや悲しみ、子供ながらの我慢といったものが伝わったからだろう。
靖国問題に関しては、小泉首相の靖国神社参拝に対して、アジア諸国からの反対を理解できなかった。しかし、李さんの話で理解できたという意見がほとんどの感想で見られた。死亡通知もせず、合祀してしまい、名簿からの取り除きも不可とはあまりだと、日本は、小泉首相は謝罪すべきだと感想文では書かれている。自分がしたことではないが、同じ日本人として恥ずかしい、謝罪したい、という感想もみられた。これこそ自虐的な歴史観だと思う人は、どうかいないことを祈る。これは学生らが自分の体に傷をつけ、それを楽しむマゾキスト的な気質があるからでは決してない。ただ、彼ら、彼女らが持っているモノは、人の話を聞き、相手の心情を納得し、それに共感できるだけの心構えがあった。そして、日本の靖国神社問題を取り上げるのを、自分自身への人身攻撃と勘違いしないだけの良識があったから可能であったと、私は理解している。
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無断合祀を取り下げよ!と靖国神社の
絵馬に書いた李熙子さん |
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講演と学生たちの感想を通して、本質でなく現象だけを伝える今のマスコミが抱えている問題を改めて認識した。そしてそれを鵜呑みにしないための一つの方法として、相手に自分の声を聞かせること、相手の声を聞くという、双方の積極的な歩み進みの可能性を再確認した。
「父が亡くなったのが23歳だから、ちょうど皆さんの年頃かも知れません。」といった李さんの言葉に、ちょうど23歳の二人の男子学生がいつまでも教室を離れず、李さんに声をかけようとしていた。習ったばかりの「パンガワヨ」「カムサハムニダ」「チョヌン○○○○イムニダ」などのことばで…。日本側から補償してもらい、自分が幸せになるため、60歳を過ぎてこんなことをしているのではない。これからの世代に決して戦争が起きてはならないので、このようにやっていると李さんは言った。その真意がきちんと伝わっていることをなかなか帰れない学生らの姿で見受けることができた。
影の部分を言うのは人間誰しもが好むことではないだろう。しかも家族にまつわることを、誰かもはっきりわからない不特定多数に言うのは特にそうであろう。それなのに辛い記憶を取り出して話してくださった李熙子共同代表に深く感謝したい。「聞いてくれた学生や手伝ってくださったみんなに感謝したい。こうして感謝の気持ちがこみ上げるとき、コンサート会場ではこう言うらしい。「みんな、愛してる!!!」。 |