第14回口頭弁論 2004年12月8日 東京地裁


太平洋戦争開戦日の12月8日 第14回口頭弁論行われる
浮島丸犠牲者遺族・林西云(イム・ソウン)さんが意見陳述

 12月8日、ちょうど64年前、日本がアジア全域を戦火にさらしたアジア太平洋戦争に突入した日。その戦争に父を奪われた原告・林西云さんが東京地裁の710号法廷で、悲しみの意見陳述をしました。

 アジア各国の共同アピール記者会見に参加

 

記者会見にのぞむ林西云さん

 

 午前10時、一日行動のスタートは、衆院第2議員会館会議室で、アジア各国犠牲者の「12月8日にあたり日本の国連安保理事会常任理事国入りに反対し戦争犠牲者への謝罪と個人賠償を求める国際共同声明」 (声明文)の記者会見が行われました。原告・林西云さんと金銀植さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会事務局長)が出席、戦後補償問題の解決を強く求めるアピールを行いました。会場には12月7日韓国国会に提出された「韓国人の靖国合祀の取消し、小泉首相の靖国参拝中止を求める決議案」も配られました。

 林西云さん意見陳述 〜 生活が厳しく、学ぶ機会もなかった

 
 

東京地裁前でビラを配布

 11時からの口頭弁論。まず原告側から、安全配慮義務違反、靖国合祀問題での準備書面と書証を提出。安全配慮義務では、来日原告の父・林萬福さんの浮島丸爆発沈没による死亡について、それが回避できるにもかかわらず回避しなかったことの責任を明らかにしました。また、二次提訴原告の餓死・玉砕の強要も問題として主張しました。
 そして最後に、林西云さんが意見陳述。父を亡くし、小さい時から一人暮らしを余儀なくされた林西云さんが、50歳を過ぎて学んだ言葉で、緊張しながらも切々と陳述しました。
「家族を破綻に追いやり、幼い年で苦痛の中で生活しなければならず、学ぶ機会を持つことをできなくした日本に対しての恨みは言葉では表現できない」「父が今も舞鶴の冷たい海の底にいるのかと思うといたたま りません」「父の魂が父を強制的に連れて行った人たちと一緒に祀られていることに対して父はやはり心落ち着かないだろうと思い眠れない日が続きました」と。
 
 沖縄公文書館所蔵の靖国関係書類を提出

 口頭弁論では、靖国合祀問題で新たな証拠(甲341号〜352号証)を提出しました。それは、沖縄県公文書館に保存されていた1954年〜1963年頃の靖国神社関係書類の一部で、合祀が日本政府(厚生省)、琉球政府(当時)、靖国神社一体となって行われていたことを示す貴重な資料です。
 裁判は大詰めを迎えています。一層のご協力を! 大きく前進する韓国での取り組みと連帯し、取り組みを強めましょう!

今回提出した書証
〜政教分離の憲法の規定にもかかわらず、こういうことが日本全国で行われていた!
【甲第343号証】 沖縄県公文書館に保管されている靖国神社に関する書類の表紙。
【甲第344号証】 靖国神社から琉球政府社会局宛に「昭和25年10月17日合祀。合祀者名簿、合祀通知状及び遺族特別参拝券の送付の件」という送付通知書。
【甲第346号証の1枚目】 上の通知を受けて、琉球政府社会局から関係市町村に合祀者名簿・合祀通知状を送付した通知書。
【甲第348号証の1、2枚目】1962年に琉球政府厚生局援護課で日本政府厚生省援護局業務第二課長宛に合祀に関する依頼文書を起案している。
【甲第349号証】
 1961年2月28日、厚生省引揚援護局未帰還調査部第四課調査室長から琉球政府社会局援護課長宛の「戦没者合祀(回答)」。上の文書とあわせて考えると明らか。