第10回口頭弁論 2003年12月17日 東京地裁。
韓国人シベリア者問題が法廷に! 一次・二次提訴併合を決定!
横浜大空襲で大火傷を負った黄圭鐸氏が意見陳述!
やけどのあとを見せる黄圭鐸さん |
年の瀬も押しつまった12月17日、10回目の口頭弁論が開催されました。韓国から原告・黄圭鐸(ファン・キュタク)さんが来日し、法廷で意見陳述を行いました。
この口頭弁論は、一次提訴と二次提訴の併合後初めての法廷であり、靖国合祀問題での書証の提出など重要な口頭弁論となりました。
靖国合祀で政府関与を示す書証を提出!
第10回口頭弁論では、原告より国家無答責に関わる書証とともに、靖国合祀への直接的な政府関与を示す書証を提出しました。旧陸軍の部隊留守名簿には「合祀済」という印が押されており、旧海軍の身上調査票には「靖国神社/34・7・31/合祀手続済」という丸印と欄外に「34年10月17日靖国神社合祀済」という記載がなされています。これは、日本政府から韓国政府に引渡された資料の中から、原告らの請求によって韓国にある政府記録保存所で交付されたものです。この名簿は、「合祀手続済」「合祀済」とされた1959年(昭和34年)当時、日本政府が所有しており、1956年に厚生省が出した「靖国神社への合祀協力」通知を踏まえて行われた大量合祀に日本政府が直接関与していたことをはっきりと示すものです。
今なお、空襲の恐怖が残っている!
黄圭鐸さん |
黄圭鐸さんは、徴用前に10代で日本に渡り、広島に住み、仕事をしながら夜間学校に通い、自動車の運転免許も取りました。1943年陸軍の運転手募集に応募して軍属として採用され、満州に配属。満州ではソ満国境で陣地構築作業に従事し、続いて44年には八丈島で、45年2月には横浜に移動させられ同じく陣地構築作業に従事させられました。この横浜で、横浜大空襲に会い、大火傷を負いました。幸い病院に収容され治療を受けたものの今なお、その癒されぬ傷は心深く残っています。「日本人と同じ」と言いながら戦争に引っ張り出し、戦争が終わると「日本人ではないから」と何もしない、未払い賃金さえ支払わないのは非道だ、と訴えます。
二次提訴を一次提訴に併合!
今口頭弁論では、他にも政府の主張する国家無答責論を「現行憲法及び裁判所法の下においては『国家無答責の法理』に正当性ないし合理性は見出しがたい」とする東京高裁判決を書証として提出しました。そして、原告側より申請していたシベリア抑留生存者原告30名を含む二次提訴の一次提訴への併合が決定されました。
グングン裁判は、いよいよ、遺骨返還、死亡結果未通知、未払い金の返還という最も基本的な問題を基礎に、靖国合祀問題、韓国人のシベリア抑留問題という戦後起こされた問題を焦点化してきています。