靖國の亡霊に取り憑かれた見識ゼロの靖國護持判決を弾劾し強く抗議する

 日本帝国による植民地支配時代に、その世界戦争政策に強制的に動員され「皇軍」とされた上、各地で悲惨な戦死を遂げた韓国人元軍人軍属が、遺族の同意・了解はおろか通知すら行われないままに、一方的に靖國神社に合祀されてきた。このような甚だしい違法状態に対して、その絶止や損害賠償を求めて2007年2月に提訴された訴訟(ノー!ハプサ訴訟)について、東京地裁民事14部(高橋譲裁判長)は2011年7月21日、原告10名の請求を全て棄却する判決を下した。
 その理由として判決は、@一方的合祀によって、原告らが現に深刻な苦痛・被害を被っているにもかかわらず、その法益侵害性を否定し、A現存の市民を勝手に死んだことにした「生きた英霊」については、被害は「受忍限度内」と言いなし、B政教分離違反問題については「靖國神社を特に手厚く支援する意図・目的はなかった」などとして、違反性を認めなかったのである。
 しかしこの判決の論述は、甚だしく低レベルのものであって、この裁判体の見識の無さが露呈されている。
 すなわち判決は、日本帝国の植民地支配・戦争政策、また靖國神社の現実の組織・機能・実態について、歴史的客観事実に関する基本認識を完全に欠落させており、単なる原告らの歴史認識という主観的感情としてのみ問題を扱う誤謬を犯すことによって、日本国・靖國神社に完全に同調してしまっている。また、日本政府・神社側の事情のみに重きを置いて組織的合祀政策およびその結果を合理化しており、そもそもこのような日本帝国の強行した戦争政策についての、日本本位の自分勝手な後処理の結果、利用するだけ利用して放り出され、無視され続けている旧植民地の人民の立場に対しては、一片の人間的想像力も働かせていないのである。靖國神社は、現在に於いても「大東亜戦争の正当性」「日本人として戦って斃れられた英霊の顕彰は当然」などと喧伝しているのであるが、本判決は、究極的には上記論理に於いて、靖國神社と同一の立場に立っているのであって、問題の多い1988年の山口自衛官合祀事件最高裁判決などを殊更に誤用・悪用しつつ、靖國神社を護持しようとしているものと言わざるをえない。
 旧植民地支配をそのままに前提とするこのような判決は、とりわけアジアの近隣諸国・国民に対する侵略戦争の惨禍についての深甚の反省から出発している現平和憲法の根本規範に違背するものであり、日本人として黙過することは許されない。
 もとより、この惨禍の直接の犠牲者である韓国国民・原告らにとって、この判決は到底認めがたいものである。原告らは、判決後直ちに厳しい抗議の意思を明らかにした。
 当弁護団は、原告らの激しい怒りを当然のものとして受け止め、控訴審を徹底的に闘い抜き、必ずやこの誤った判決の匡正を実現する所存である。

2011年7月21日
靖國神社韓国人合祀絶止訴訟(ノー!ハプサ訴訟)弁護団