在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.98 (2025.11.16発行) |
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ソウルの植民地歴史博物館前で |
韓国国会議員への要請行動実現 |
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この日の交渉で、厚労省側は日本人の鑑定についてはメドがついたことを明らかにした。ところが、「韓国人遺族の鑑定参加を進めるのか」と尋ねると、「身元を特定した後の返還のあり方を外交交渉の中で解決する必要がある。その上で鑑定について考えなければならない」と別の理由を持ち出した。「返還のあり方とは何か」と追及しましたが「外交交渉なので明かせない」に終始した。会場からは「本当に交渉しているのか」と批判の声が飛んだ。 金英丸(キムヨンファン)さんは「朝鮮の人はアジア太平洋地域に何のために行ったのか。日本政府が戦争のために連れて行ったのではないのか。厚労省は遺骨返還の責任を感じているのか」と批判した。また竹内康人さんは、「戦時下の旧厚生省に動員部が置かれ、朝鮮人動員を担った。国家総動員法の時代、厚生省は労務動員のセンターだった。労使一体の産業報国会をつくり労働を強いたのも厚生省。あなたたちには遺骨を返還する歴史的責任がある」と訴え、厚労省の積極的な回答を迫ったが、上記を繰り返すのみだった。
・沖縄での米兵遺骨の返還の根拠は安定同位体比検査。 ・日米の識別では同位体比を使用する根拠があるが、日韓での識別ではまだ研究段階。 安定同位体比については研究成果を踏まえて令和8年度末に方針を出す。 ・タラワの遺骨返還は日米の覚書と米韓の覚書に基づいて行ったもの。 ・祐天寺の浮島丸遺骨納骨堂の鍵は遺族立ち合いで希望があれば開錠を検討する。 タラワの遺骨もすべての遺骨鑑定が待たれるほか、ペリリュー島で1086人の集団埋葬地が特定(2025.5朝日)、アッツ島80メートル海底で琴平丸など日米の沈没船を確認(2024.9読売)など、新たな大規模な遺骨発見に関する報道が続いている。 |
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日韓政府間の覚書締結を急がせるべく訪韓
日韓議員連盟顧問の李仁榮議員は、議題検討や政府への要望も約束してくれた。 今の遺骨をめぐる外交交渉に影を落としているのが「安倍談話」である懸念がある。「子や孫世代に謝罪の宿命を負わせない」とした談話であるが、よく読めば、そのあとに「過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」とある。そもそも遺骨収集は現在進行形の事業であり、今の世代のものだ。 次回の厚労省との交渉は12月19日。ぜひご参加ください。(以下の上田さん記事参照) 【参考】 厚労省社会援護局 令和7年度第1回有識者会議資料 https://www.mhlw.go.jp/content/12100000/001560092.pdf |
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長生炭鉱から遺骨を発見! 遺骨を家族のもとへ!
韓国人軍人軍属の遺骨問題でも厚労省交渉! 12月19日午後2時半〜衆議院第1議員会館国際会議室にて報道完全フルオープンにて「朝鮮から動員された軍人軍属厚労省交渉」が行われる。 2016年戦没者遺骨収集推進法ができて、ようやく日本人のDNA鑑定による家族への返還が始まった。しかし韓国人遺族のDNA参加は11年間にわたり交渉を続けてきたが、理由を変え拒否し続けている。最近は「日本人に鑑定のめどがついていないので理解してほしい」と「日本人ファースト」の理由を押し付けてきた。目途がついてきたら今度はまた返還の条件が調整できていない、つまり「謝罪しない」と言う条件を韓国側に押し付けているのだ。安倍晋三70年談話「子や孫の世代まで謝らせない」は、官僚たちに生き続けている。祐天寺の軍人の遺骨返還では謝罪している。謝罪についてイヒジャさんと議論した。時間がかかるがよいかと言う失礼な質問に「謝罪はさせなければならない」これがイヒジャさんの回答だった。日本は植民地支配下の朝鮮半島から父や兄を直接動員した。日本政府から謝罪がないなどあり得ないことだ。12月19日の交渉には厚労省社会援護局と対峙する、祐天寺の浮島丸犠牲者含む700名の韓国・共和国の遺骨、さらに壱岐の天徳寺の86名朝鮮人の遺骨なども返還への解決を求めていく。まさに政府が放置してきたのは長生炭鉱だけではないのだ。 【安倍談話とは】 2015年8月15日に安倍首相によって出された談話(一部抜粋) 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。 (略) 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」 以上のように、「子ども世代に謝罪の宿命を負わせない」としながらも「過去の歴史に真正面から向き合う」と言っているのです。遺骨収集は現在進行形の事業であり、今の世代のものです。何より「真正面から向き合う」「謙虚な気持ち」は具体的にどうなのかを問わなければなりません。
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ノー!ハプサ孫世代が第3次訴訟提訴!(古川)
記者会見後、場所を移して報告集会。 浅野弁護士から「2001年GUNGUN提訴、2007年ノーハプサ提訴(1次7名)2013年2次提訴(27名)を経ての第3次提訴になる。最高裁の三浦反対意見を参考にして訴状を構成した。今回は最高裁の「除斥」が最大の論点。三浦判事以外の多数が触れなかったからこそ、「除斥」一点で切り捨てたことから論点が鮮明化した。一からやり直す感覚でやれる。「除斥」の20年というと、1959年合祀から20年。その間に提訴が可能だったか。そもそも生死すら知らされず、軍事独裁政権下という条件でどう提訴しろというのか。権力の濫用以外の何物でもない。やりがいのある裁判だ。今回こそ結果を出したい」と決意を語った。 続いて大口弁護士が「最近の情勢を見ていると、歴史に対する無知、無感動を感じる。持続的な闘いの必要性が大きい。反対意見は十分ではないが、闘いは確実に歩を進めている。革新をもって進んでいこう」と決意。 井堀弁護士は、「今回は孫世代の裁判。朴さんは祖母や母親から祖父が亡くなってからの苦労や亡くなる経緯を聞かされてきた。家族の絆が提訴に結びついている。NHKのファミリーヒストリーという番組があるが、過去に遡って祖父の苦労に涙を流す。裁判官にも同じように涙を流してもらいたい。力ある限り闘いたい」と発言した。 続いて孫世代遺族の朴善Yさんが「祖父は中原ではない。朴憲泰だ。魂は家族のそばにあるべき。今闘わないと不当判決を認めることになる。」と発言。
次に私から午前中に行った遺骨に関する厚労省交渉について報告した。(記事は別掲)今回の提訴にあたって「2001年提訴以降どう遺族の悲しみや怒りを日本人の心に届けるかを考えてやってきた。あんにょんサヨナラはその中でできたが象徴的だった雪の靖国での3人(ヒジャさん、古川佳子さん、中谷康子さん)のシーンは象徴的。今回の孫世代提訴=ファミリーヒストリーから未来へのプロジェクトにしよう」と発言した。 続いて上田さんから「長生炭鉱の事故は1941年12月開戦の2か月後に起きた。増産を国家方針として求められた結果だった。私たちは国の手を借りず単独で坑口を開けた。命がけの潜水は5000万円市民からの寄付で可能になった。2月には世界のダイバーが集合して4体の遺骸を収容する。タラワのように遺骨を家族のもとへ返す。日本政府が動かなくても我々が動いていくので協力してください」と力強く宣言した。 【今回提訴した原告】 朴善Y(パク・ソニョプ)さん 朴孝善(パク・ヒョソン)さん 朴善才(パク・ソンジェ)さん 陸軍軍人で中国で戦死した朴憲泰(パク・ホンテ)(創氏名:中原憲泰)の孫。 父は在韓軍人軍属裁判原告だった朴元培(パク・ウォンベ)。 祖母はノー!ハプサ第1次訴訟原告の林福順(イム・ボクスン)。 吉亨旻(キル・ヒョンミン)さん 海軍軍属でギルワで戦死した李喜敬(イ・ヒギョン)(創氏名:李田喜敬)の孫。 母はノー!ハプサ第2次訴訟原告の李炳順(イ・ビョンスン)。 吳辰c(オ・ジンスン)さん 海軍軍属でブラウン島で戦死した朴滿秀(パク・マンス)(創氏名:新山満秀)の孫。 母はノー!ハプサ第2次訴訟原告の朴南順(パク・ナムスン)。米国在住。 李星雨(イ・ソンウ)さん 陸軍軍属でパラオ島で戦病死した李洛鎬(イ・ナッコ)(創氏名:松本洛鎬)の孫。 父はノー!ハプサ第2次訴訟原告の李明九(イ・ミョング)。
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青森「浮島丸」集会&フィールドワークに参加して(古川)
村上準一さん(浮島丸下北の会)は「大湊施設部への動員と浮島丸事件追悼活動」を報告、大湊は北の要として41年に大湊警備府となった。なぜ敗戦から1週間後の8月22日に朝鮮人を乗せて出港したのか、50年、54年舞鶴で船体の引き上げがあったがなぜ9年も放置したのかなど、真相を明らかにすべきと話された。 竹内康人さんは、青森県での強制連行の特徴は鉱山や発電工事、鉄道工事への労務動員で約8000人近くが動員され、また大湊警備府関係の動員が多く、大湊施設部に4500人が動員されたことを報告。判明分だけでも大湊関係で1万3000人を超える朝鮮人が動員され、他の労務動員と合わせれば青森は2万人を超える動員数だったと話された。 24日「下北フィールドワーク」
翌日、下北フィールドワークに参加した。行先は、下北半島北側の大間鉄道工事跡、大湊海軍工事関係の朝鮮人飯場跡、南側の大湊にある浮島丸出港桟橋跡など。 まず下北半島の北側。大間鉄道工事は大間の要塞化に向けて戦時下に軍用鉄道として工事が進められたが、中断した。風間浦村の下風呂には鉄路用橋梁が残っている。現在では手すりが付けられ、再塗装され、駅舎も作られ、足湯が置かれるなど観光の場となっているが、ここは瀬崎組が請け負った朝鮮人の強制労働の現場である。続いて大畑の海辺にある二枚橋に残る橋梁を見学。この橋梁は加工されずに当時の雰囲気を残している。戦争遺跡であり、強制労働を物語る史跡でもある。 続いて南側の大湊に移動。大湊には港を波から守るような形で芦崎があり、この芦崎湾一帯が海軍の拠点となった。海軍大湊警備府が置かれ、潜水艦隊、航空隊、海兵団、防備隊、工作部、施設部などの部隊が置かれた。海軍施設工事に協力する土建会社の数も多かった。現在も自衛隊の部隊の拠点である。 戦時下、釜臥山の麓には地下壕が多数掘削され、地下工場や軍需物資の格納に利用された。この工事に多数の朝鮮人が動員。海軍施設部に動員された朝鮮人は海軍施設部の宿舎に入れられ、海軍施設工事を担った土建会社の朝鮮人は宇曾利川周辺や大平の飯場に住んだ。フィールドワークでは朝鮮人が集住した宇曾利川近くや地下壕が掘られた地区を歩いた後、常楽寺に行き、海軍の戦没者の追悼碑をみた。(この寺で下北の会による朝鮮人に関する過去帳の調査が行われた。『アイゴーの海』に掲載され、今回の集会資料に反映された。) 寺の前の坂道を海に降りていくと、海を埋め立てた菊池桟橋跡に出る。そこの沖合が浮島丸が係留され、出発した場所だ。案内役の竹内康人さんが「8月22日という敗戦直後に浮島丸が出港した意味は何か?当時ソ連が参戦し南下。朝鮮人軍属の脱走が起こったり、ミレ島では脱走者虐殺なども起こっている。そうした治安対策や、朝鮮人による解放運動予防の一面が、早期出航の背景に考えられる」と説明。納得した。その船に林萬福さんが乗っていたのだ。浮島丸の姿と、林西云さんを思い浮かべながら黙とうを行った。
フィールドワーク後、有志で竹内さんに場所を確認し、永下のトンネル跡に向かった。細い坂道を上がっていくとそれらしき広くなった場所に出たが見当たらない。まだ先かもしれないと進むと、別の参加者も探している最中で、一緒に先ほどの広くなった場所に戻り全員で探した。すると「あった」の声が。一段と細い道の先にトンネル跡があった。200mくらいの想像より長いトンネルだった。先に出口が見えていたので、反対側にも行ってみたが立派な工作物だった。竹内さんによると1944年完成で、敗戦時には毒ガスを貯蔵。ガス弾(イペリット弾60キロ爆弾)2000発で、戦後はむつ湾に投棄されたという。 終戦直前まで強制労働させ、戦後は証拠を消すかのように、一まとめに送り返そうとした浮島丸事件の真相に近づけた集会とフィールドワークでした。最後に浮島丸事件の真相究明と記録を続けてこられた「下北の会」をはじめ現地の皆さんの活動に敬意を表します。
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日本政府は台湾有事、朝鮮半島有事を念頭に軍事力整備を進めている。この中で当然想定される自衛隊員の戦死に対応する為、どう祀るかが課題となってくる。再び戦争動員の為のシステムとして靖国が動き出そうとしている。今年のキャンドル行動のテーマは、「戦争する国と『ヤスクニ・システム』の復活」である。高橋哲也さん「戦争する国と『ヤスクニ・システム』の復活」。沖縄から石原昌家さん「沖縄戦と靖国」。韓国からノヨンギさん「韓国軍『政治化』の歴史的起源」台湾から「台湾原住民・高砂義勇隊は日本人ではない」各々テーマで講演があった。主催者の今村嗣夫さんから日本国憲法前文があげられ、「ヤスクニ・システム復活の動きに警鐘をならし前文に立ち返るキャンドル行動を今日も これからも休まず続けていきましょう。」と呼びかけられた。韓国から遺族の李熙子(イヒジャ)さん、パクナムスンさん、パクジンブさんが来られた。イヒジャさんは「裁判で靖国と闘い何度も敗訴したが、失望はしても絶望はしていない。希望がある。みなさんがいつも連帯くださったおかげだ」「今まで諦めず闘ってきた」と話された。台湾のチワスアリさんからは「反靖国神社の運動は 反ファシズム運動の歴史において無くてはならない重要な一環です」というメッセージが届けられた。靖国が戦死を美化し後に続く者を生む装置としてこの先も戦死を奨励する装置として働くことを許してはならない。 集会の後、参加者はペンライトを手に、時々現れる右翼の妨害もあったが小雨の降る中「靖国NO」の声をあげながら最後まで行進した。 |