在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.95 (2022.9.24発行) |
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推進協の「訴訟現況・活動報告会」で |
遺骨は家族のもとへ! |
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李熙子(イ・ヒジャ)さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会代表)からのメッセージ
皆さま、長い間会えないままですが、いかがお過ごしでしょうか。私は、皆さまに会いたい気持ちでいっぱいです。皆さまが私たちの活動を共にしてくださったおかげで、私たちはいつも幸せでした。 日本に怒りを感じていた被害者の方々に良心で接してくださり、とても感謝しています。私たち遺族の悲しみ、苦しみ、痛みを共に分かち合ってくださり、本当にありがとうございます。 遺族にはまだ子としての道理を果たすべき宿題がいくつか残っています。遺骨問題や記録探しなどです。戦争に反対し、平和な未来のために努力しておられる皆さまと一緒に、諦めずに、一生懸命活動を続けていきたいと思っています。 次回はぜひ皆さまに直接会って、笑顔で、もっとたくさんの話を、情を、分かち合いたいです。 最後に、皆さまのご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。 2022年9月16日 ソウルから 李熙子 |
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追悼 権水清(クォン・スチョン)さん
2013年、「戦没者追悼と平和の会」塩川さんや具志堅さんとともに沖縄でお父さんの足取りをたどった。事前調査で「陸軍特設水上勤務第104中隊」「第3小隊第3分隊」の陣中日誌にお父さんの名前を発見。読谷村の渡具知集落に配属されたことが判明。この日、読谷村と部隊が宿営していた与那原小学校前の空き地を案内した。最後は同隊の名前が刻まれた糸満市大里にある「沖縄兵站慰霊之碑」でチェサを実施した。与那原で権さんは宿営地跡で無心に地面を探し、何らかの骨辺を発見した。その後人骨でないことが判明したが、権さんの遺骨への思いが強いことがよくわかった。「沖縄兵站慰霊之碑」背後のガマでも遺骨が残っていないか熱心に地面を探していた姿が忘れられない。 通常チェサでは遺影を飾るが、存在しないお父さんの遺影の代わりに厚生省からの「行方不明」通知が額に入れられていた。それは権さんの無念の思いを象徴していた。 私たちは、その思いを受け継いで今後も取り組んでいくことを改めて誓います。 |
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遺骨土砂を埋め立てに使うな!戦没者を家族の元へ! 激闘3時間
第2部 遺骨土砂問題の防衛省との意見交換会で 2020年11月1日、沖縄戦遺骨収集ボランティアの具志堅さんがいつものように遺骨収集に出かけたところ、業者が伐採作業をしている現場に遭遇した。そこで、2020年4月防衛省設計変更申請の中に辺野古基地建設で、軟弱地盤のため沖縄県南部の遺骨土砂を大量に使う計画があることを知った。具志堅さんはこの計画を告発・数次に及ぶハンストで広く県民に訴えた。沖縄では大きな反対の声が上がり、全国で220を超える地方議会から南部土砂を埋め立てに使うことに反対の意見書が出た。昨年2021年9月14日に行われた防衛省との意見交換会では、具志堅さんが沖縄から南部の土を持ち込み「これが遺骨収集が終わった後の南部の土砂だ。収集したと思っても、このように遺骨のかけらが残っている」と防衛省に直接見せつけた。
今年の意見交換会は、遺族からも「1年たって、何らかの進展があるかもしれないので期待している」との声も寄せられる中で開催された。ところが防衛省は何を質問しても、事前に用意した文書回答を繰り返し読み上げるだけで、実質的な意見交換を拒否する態度に会場はあきれ返った。具志堅さんも「これでは、話し合いになっていない。質問と全く違うことしか答えていない」と憤った。 質問は、「遺骨は業者によって適切に処理される」と業者任せにする防衛省に「遺族の声を聴かないで計画を進めるのは瑕疵がある」という対立軸を設定した。「土砂に混じる小さな遺骨は遺骨と考えるか?」「専門家でも遺骨は全部収容できないのを知っているか?」「血や肉が腐り染み込んでいる土砂を掘り返さないでほしいと言う県民の声は意味がないと考えるか?」「地方議会決議が200以上あがっているのはなぜか」「遺族の声を聴かないのか?」 8項目に及ぶすべての質問に、「遺骨問題は重要だが、まだ決まっていない」と同じ答弁を繰り返す防衛省。具志堅さんは戦没者を冒涜する計画を立てたこと自体が誤りだと追及する。しかし、防衛省は、全ては変更承認後のことであり、今は確定していないから答えることはなにもないと繰り返す。 「これからも遺族の意見を承る予定がない」−防衛省の本音
厳しい追及に、ついに、防衛省の本音が出た。「日本だけでなく海外の遺族の声も聞いてないのでは?」という遺族の質問に、「決まっていないので国内でも遺族の声は、今までも聞かなかった」と発言した。さらに予定について尋ねると。「計画は決まってもいないので、これからも意見を承る予定がない」と発言した。防衛省が、はじめて用意した文書回答と違うことを話したかと思ったらとんでもない遺族無視の発言を行った。遺族に対するこんなひどい態度は必ず遺族に伝わっていく。 遺族の声を聴かない進め方には瑕疵があるとして、すでに7月24日沖縄県南風原文化センターで遺骨土砂問題・遺族公聴会が実施された。小さな集まりではあったが「絶対に許さない」という遺族の声は沖縄県内で大きく報道された。今後、沖縄県那覇市・中部・北部と公聴会は開催される。ガマフヤー具志堅さんは、さらに全国で遺族の声を集め突きつけていくと防衛省に対し表明した。 第1部 厚労省・外務省との意見交換会で新たにわかったこと 沖縄のDNA鑑定の進捗状況の把握について、今まで沖縄では6体の遺骨が遺族に帰ったが、遺品など手がかり情報が遺骨とともにあったケースばかりである。ガマフヤーは多くの遺骨を収容し、遺品が遺骨と一緒に出なくても鑑定するように求め、多くの遺族のDNA鑑定集団申請を取り組んだ。しかし、どこまでできているのか、遺族にどのように通知されているのか全く闇の中だった。今回の意見交換会では、沖縄で実施されているDNA鑑定について、遺骨と遺族のDNA鑑定の状況が数字で初めて明らかとなった 新たに分かった数字だが、今まで@84体の歯のある遺骨からDNAがとれた以降、手足の716体の遺骨から373検体の分析が終了したこと。A南北の塔の地元から厚労省に移管された遺骨は300体あるがDNA鑑定できていない。B昨年3月報道された子どもも含め見つかった遺骨は琉球大学の鑑定で11体。 遺族の申請や、DNA鑑定の状況については、@当初、厚労省が連絡し申請した軍人遺族は332人Aその後、追加された他の県民など遺族のDNA鑑定申請は1409人、B 軍人と合わせると沖縄戦のDNA鑑定申請者遺族は1700人を超えることになる。 沖縄での遺骨と遺族の照合や通知は、@当初の84体の遺骨と332人の軍人遺族との鑑定は終わったが、332人の軍人遺族と手足の遺骨との照合は行っていない。B1061人の県民などと84体の歯、373体の手足の照合鑑定は終わったCしかし、沖縄県民を中心として400人については全く遺族の鑑定ができていない。 通知については@332人の軍人と84体の歯の遺骨について「合致せず」と通知したのみでAその後は合致すれば通知するのでしていない。と言うことであった。 「鑑定も通知も」放置 遺族の感情を逆なでする厚労省 はじめて聞く方には、なれない話でややこしいと思われる。どういうことか説明する。通知を受けたのは当初申請した332名の軍人家族のみである。歯のある遺骨と照合鑑定したもので、「合致せず」の通知を受けたご遺族は「もう駄目だった。遺骨はなかった」とあきらめている。ところが、そのご遺族と373の手足の遺骨とは鑑定は終わっておらず、まだ鑑定もされていない遺骨は最低でも300体もあるということだ。こんな話が、「合致せず」と通知を受けたご遺族に全く知らされていない。県民では全く鑑定されていない人が400人もいる。合致すればれ連絡するなどというのは「これを最後の機会として亡くなられた家族との再会を待ちわびている」遺族に対しあまりにも不親切、秘密主義といえる。我々は国際基準である年1回の遺族への報告を求めた。ご遺族からも、年に1回はどのような鑑定をして、どのような状況かも含めて知らせてほしいとの声が会場から上がる。また、「あまりにも遅い」と言う追及に「12大学で鑑定をやっていて、それぞれ教授としての本業があるので進まない」などと今更わかり切ったことを答えるのみだ。これでは太平洋地域で始まった鑑定もままならないだろう。これに対し、厚労省は「厚労省にラボ(研究室)をつくる準備をしている」と言うが、追及すると鑑定員1人と技師2人とのこと。遺族の高齢化と未鑑定遺骨に対応できる体制とはとても思われない。 しかし、ブラックボックスだった鑑定の実態が数字という形で浮き上がってきたことは意見交換会の大きな成果だった。長年の取り組みで、沖縄から太平洋地域までDNA鑑定を受け付ける形はできた。昨年10月から始まった太平洋地域の遺族の申請者は1028人であることも今回、初めて公表された。沖縄戦の遺族から太平洋地域へ拡大したこの事業を成功させるためには、あまりにも鑑定体制が不十分である。情報もご遺族に公開されなければいけない。ご遺族の高齢化を前に、私も具志堅さんも動かない厚労省をどう動かしていくか課題の大きさに、ため息がでた。 韓国人遺族の事業参加の問題 タラワ島の遺骨では、日米韓のDNA共同鑑定で1名の韓国人遺族、2名の日本人遺族が確認された。タラワ島の日本兵戦没者は6469人その4人に1人の1200人が韓国朝鮮人である。米国が収集した遺骨は、今まではそのまま日本に渡されるのだが、韓国政府がすべてを日本人として扱うことに米国に異議を申し立て、米国と韓国が2018年末に協定を結んだ。その結果、日米韓の遺骨の共同鑑定が行われた。タラワ島からの韓国への1体の遺骨返還(現在タラワ島にある)に厚労省は全く「知らぬ顔」をしてきた。今回、外務省に日本は返還に関与すべきであると追及した。外務省はこの戦没者の死は、「韓国を植民地支配した結果であり日本が関係ないことはない」と認め検討するとした。韓国が米国から返してもらえばいいだけとし、日本政府が「知らぬ顔」することは認めないことを外務省に突き付けた。 タラワ島の残る150体の遺骨については、米国から故郷に帰すための安定同位体検査を始めたことを厚労省は認めた。しかし、日本・韓国のどこで育ったかを確認するストロンチウムの検査について、準備段階の作業をしているとして、その進行を明らかに止めていることも明らかになった。タラワ島は、日米韓のDNA共同鑑定で大きな成果を生んだ。監視は必要だが安定同位体の検査も始まっている。この島の遺骨返還にしっかり取り組むことは、先行モデルとなり、その成功は日韓遺族の大きな利益となる。厚労省は「南洋では無理だ」と言っていたが、タラワ島の遺骨返還の成功が、硫黄島での2名の遺骨返還につながり、太平洋地域の遺族への呼びかけに繋がっていった。 沖縄戦での韓国人遺族170名の遺骨との照合が、韓国政府から求められている。しかし厚労省は、昨年の意見交換会で「韓国人を差別するつもりはないが返還条件が合意できていないので照合を始められない」と、回答した。我々は、この「返還条件」が韓国側からの「謝罪要求」を日本政府が拒否しているためだとの情報を得て、2010年の祐天寺で軍人の遺骨返還に関し謝罪をしている事実を明らかすることを求めた。外務省は「2010年5月、当時の外務大臣は、日本が「過去の一時期、植民地支配によって韓国国民に大きな損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ」「痛切な反省と心からのおわび」を表明したことを明らかにしたが、「12年間にいろいろあったので、謝罪が可能・不可能と、ここですぐに言えない」とした。謝罪をしたくないからDNA鑑定できないなどとんでもないことである。 韓国から「父の一片の遺骨でも母の墓に入れてあげたかった」 故人の声を紹介
今回、韓国人遺骨返還をめぐり何が問題になっているのかを明確にし、厳しく追及した。日本政府は、口だけでなく、本当に「植民地支配の反省」をするなら、遺族の謝罪要求に応え無条件に鑑定を始めるべきである。当初、この事業に沖縄県民は排除されていたが、県民の声を集め参加を認めさせた。さらに、韓国や台湾の戦没者遺族の参加を一刻も早く実現し、「戦争を反省し平和をめざす事業」としなければならない。 戦没者意見交換会は、3時間にわたり行われた。意見交換会には多くの国会議員・秘書の方の参加があった。次は国会で議論していくことになる。また遺骨土砂問題・遺族公聴会も継続して開催していく。 ■ 8・5意見交換会をめぐり2つの短いドキュメントがありますので是非ご覧ください。 琉球放送・ドキュメント「遺族の声聞く予定ない・・」 https://m.youtube.com/watch?v=OfFlPmNMLuw ヤフージャパン・ドキュメント:パオネットワーク制作 「すべての戦没者を家族のもとに〜遺骨返還に向けてDNA鑑定を求め闘う異色の公務員」 https://creators.yahoo.co.jp/teradakazuhiro/0200288302 (参考) パプアニューギニア訪問時のGUNGUNニュース70号 https://www.gun-gun.jp/sub/news70/news70.htm |
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8月5日戦没者遺骨問題意見交換会に参加して(木村)
こちらの問いかけに対する書面の返答が、いわゆる“コピペ”しかも対面の場においても“コピペ”を何度も読み直すだけにはあきれました。粘り強い問いかけでわかったことは、採石業者へのアンケート調査はする一方で、遺族からの意見は一度も聞いていないし、今後も聞く予定はないということでした。 今回の交換会では、遺族の方々の発言が重要でした。会場から3名とZOOMで沖縄と韓国から発言がありました。沖縄の祖慶正幸さんは、ご遺骨の問題が大変重要だと免罪符のように繰り返す防衛省職員に「機会を見て、摩文仁に向かう国道に面し一家全滅した民家の祠がいくつもあるが、そこからの悲痛な訴えに耳を傾けて欲しい」と訴えました。この言葉は、国に届くのか?届いて欲しいと願うばかりです。具志堅さんがいつも訴えておられる、遺骨が放置された上に沖縄で遺骨が混じった土で米軍基地を建設することが何重にも「人道に悖る行為」であることが、遺族の方々からの肉声として国へ訴えられました。戦争をした国の責任として、遺族と遺骨の人権が守られるべきだと思います。 韓国に遺骨を返還する際の謝罪がネックだということで、2010年祐天寺で遺骨が返還された際の謝罪に習えば良いのではという問いに「当時と今では日韓関係が変わっていることはお判りでしょう」との返答で、遺骨を返したいという熱意も誠意も感じることができませんでした。 韓国の李ヒジャさんから 最後に「謝罪して一日も早く骨片一つでも遺骨を遺族に返して欲しい。我々遺族が死ぬ前に戻して欲しい。死ぬのを待っているのではないか。」との訴えが重く残りました。 *YouTube配信は、交換会に直接参加できなかった方にもリアルタイムに伝えることができました。会が終わると同時に大阪にお住いの遺族の方から、見ましたとTELがあり、京都の人からも見ましたと教えていただきました。 |
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ノー!ハプサ第2次訴訟控訴審 第5回口頭弁論報告(山本)
しかし、この関係性が日本の敗戦、朝鮮半島の解放で解消したわけではないことは、靖国神社が原告らのお父さんを天皇のために死んだ英霊として祀り、合祀取り消しに応じないことに示されている。そして、これを象徴する出来事が2005年にあった。韓国のKBS主催で開催されたシンポジウムで東条英機の孫である東条由布子が李熙子さんに対して、「お父さんを日本がお祀りしていることに感謝すべきだ」と言ったのだ。今回の裁判には李熙子さんの陳述録取書が提出され、その中で李熙子さんは「日本の侵略戦争にかり出され死なされた、私の父のような数多い戦争の犠牲者、そして家族の死により言葉では計り知れない苦しみに逢った、私のような遺族の痛みには全く共感できない東条氏も発言は、すべての犠牲者や遺族を侮辱することであり、絶対に許せない反人道的、反人権的な発言」と厳しく批判しました。 「裁判は終結する」に抗議! 「原告らの意見をお伺いする」に修正させる 次回は1月17日(火)午後2時 訴訟進行について弁護団が意見を表明しようとしたところ、裁判長が「前回裁判では今後の進行について態度を決められなかった。その後、合議を重ね、証人については採用せず、裁判は終結することにした」と発言した。弁護団は「現在、コロナ禍で原告らは裁判に出廷したくてもできない状況だ。裁判所がこれまで配慮してくれたことは理解するが、このまま当事者が参加できない状況で日本側だけで決めてしまって恥ずかしくないのか。政府が今後海外渡航を緩和する方針を示している中で、準備すれば来日できる可能性は高い。当事者の意見を聞くということが裁判所としても必要ではないのか」と切々と訴えた。 裁判所は再度合議に移り、およそ10分後に「次回で弁論は終結するが、原告らの意見をお伺いする時間を取る」と説明。弁護団の訴えは何とか届いたようだ。次回裁判は2023年1月17日(火)午後2時から約2時間、東京高裁101号法廷で行われる。次回は韓国から原告らをお迎えしての裁判となる。受け入れ及び傍聴の体制を万全にし、ぜひとも成功させたい。 |
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8月6日「2022平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動」に参加して(古川)
韓国からはオンラインで遺族の朴南順(パク・ナムスン)さんが発言。「郵便局で働いていた父は1942年に南洋群島のブラウン島へ連れていかれて戦死した。父からの手紙には暑くて我慢できないとか書かれていたという。父の戦死以降家族は幸せになれなかった。父を死なせた責任を日本に問いたい。2005年に靖国への合祀の事実を知った。強制的に父を連行し、死後も魂を閉じ込めたままだ。最も許せないのは日本政府が靖国にだけ情報を流し、遺族へは何の連絡もしなかったこと。合祀によって父を追悼する権利が奪われている。遺骨も戻らないまま。ブラウン島の遺骨を探し出して謝罪してほしい」と訴えた。 集会前に靖国神社を訪れた。遊就館に安倍元首相への「感謝」祭壇が設けられていた。 「戦後レジームからの脱却」と戦争責任に蓋をし、未来に向けては軍備増強で新たな戦死を美化しようとした安倍政治。安倍の「負の遺産」を追及し、過ちを繰り返さない土壌をどう作るかが重要だと認識したキャンドル行動だった。 |
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ドキュメンタリー紹介
3・11東日本大震災の津波で石巻市立大川小学校では全校108人中、74人の生徒が死亡・行方不明。教員も10人が亡くなりました。108人のうち当日欠席や保護者引き取りの児童は助かり、校庭に残ったほとんどが犠牲になりました。津波で生存児童は4人だけ。体育館裏の山は緩やかな傾斜で「津波が来る。あの山へ逃げて」と進言する親や。「山に逃げっぺ」と訴える児童もいました。しかし地震発生から51分、児童たちは津波に飲み込まれました。「なぜ愛する子どものかけがえのない命が奪われたのか」真相を知りたい。保護者の闘いが始まります。保護者が撮影した説明会や公聴会の映像。そこでは教育委員会の組織内にいる人たちの「嘘」の供述や「真実隠し」が描写されています。高裁判決ではそういった「組織的過失」を認める画期的な判決を勝ち取りました。判決では「学校が子どもの最後の場所になってはいけない」と結論付けます。保護者が大川小学校の教室に立ち、「このランドセルをかけていた名札が子どもの生きた証拠。先生の言うことを聞いていたのに」と語るシーンが印象的でした。 戦争も自然災害も「加害責任者は真実を隠蔽し、被害者のような態度をとる」ことが浮き彫りになる作品です。2023年春に全国で公開予定です。ぜひご覧ください。 ※監督の寺田さんとは、上田さんのもう一つのライフワーク「DV被害者保護」からの関係。犯罪被害者の取材からDNA鑑定にも詳しく、私たちに研究者を紹介していただきました。 (古川) |
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