在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.82 (2015.11.8発行)

望郷の丘での合同慰霊祭で
春川・ソウル遺族の皆さんと
(10月2日)

日韓(韓日)議員連盟の共同声明が実現!
国籍に関係なく、「遺骨を家族・故郷の元へ」の声を高めよう

 7月11日、日韓議員連盟・韓日議員連盟の合同総会で、「日本の植民地時代に徴兵され犠牲になった韓国人の遺族からDNAを採取するなど遺骨探しに両国政府が積極的に対応するよう促すことで合意」(7/12東京聨合ニュース)し、共同声明を行いました。これは6月22日、私たちの厚労省遺骨交渉のあと、太平洋戦争被害者補償推進協議会が行った韓国側国会議員への働きかけと、民主党白眞勲参院議員の尽力による結果です。
 しかし10月9日付、厚労省からの上記交渉の文書回答では、「日本政府が行っている遺骨収集帰還事業は海外で戦没した日本人戦没者の遺骨を日本へ送還することを目的として行っているものであり、収容作業の過程において、遺留品等により朝鮮半島出身者と思われる遺骨があった場合は収容せず、現地政府機関に通報の上、適切に対応する」と、朝鮮半島出身者を排除する内容になっています。
 一方、「戦没者の遺骨収集の推進に関する法案」が9月11日衆議院で全会一致で通過し、その後参議院では継続審議となりましたが、法案では第2条の定義で、「戦没者」とは「今次の大戦で死亡した我が国の戦没者」と、朝鮮人・台湾人の戦争動員を無視する表現を行っています。外国人排除を意図したものか否かは今後の参院での審議にかかっていますが、文書回答が継続審議を待って出されたことに注意しなければなりません。
 いずれにせよ、冒頭の日韓(韓日)議員連盟の共同声明が今、力を持ってきます。沖縄、日本の遺族と連携し、「遺骨を家族・故郷の元へ」の声をさらに高めていきましょう!!

日韓・韓日議員連盟合同総会共同声明での
              画期的な「遺骨DNA対応」要求

 遺骨「国籍条項」を許さず日韓政府包囲網を築こう!(上田)

 
白議員、具志堅さんと  
 
白眞勲議員  
 6月22日厚労省遺骨交渉のあと、7月11日の日韓議員連盟・韓日議員連盟の東京での合同総会にむけ、太平洋戦争被害者補償推進協議会は韓国側国会議員に働きかけた。民主党白眞勲議員の尽力と韓国側の働きかけが実を結び、日韓議員連盟の共同声明に遺骨問題が明記された。「旧日本軍軍人・軍属の韓国出身戦没者の遺骨収集・安置の問題について、DNA検査などに関して両国政府が対応するよう働きかけることで一致した」という画期的な前進を実現した。これを受けて、8月3日に沖縄ガマフヤーの具志堅さんと我々「グングン裁判支援する会」で、「遺骨のDNAデータベース化と遺留品が無くてもDNA鑑定する」という政府の回答を引き出した民主党白眞勲議員と面談し厚労省に迫る4つの方針を確認してきた。@遺留品が無くても部隊の記録からDNA鑑定するという菅官房長官の発言を行程表として明らかにさせること。スピードアップを求めること。Aすべての希望する遺族からただちに検体を取ること。B遺骨を焼かないこと。C部隊の資料といっても記録と合致しない場合が多く柔軟に対応すること。これを直接に厚労省にぶつけながら、動かないときは国会で戦う。そして韓国人の問題についてはまず日本人のスキーム(方針の骨組み)を作り、韓国人にも適応するよう迫って行こうというものです。
 一方9月11日衆議院で、「戦没者の遺骨収集の推進に関する法案」が全会一致で通過したが、参議院は継続審議となった。法案で「戦没者の遺骨収集」とは「我が国の戦没者」とし、国籍条項を打ち出している。今後の国会で衆議院厚労委員長が参議院厚労委員会に提案説明することとなる。 
 
 
法案に配慮した?不誠実な厚労省回答
 
 このような動きの中、厚労省が6月22日行われた太平洋補償推進協議会との交渉の結果を10月9日付で文書回答してきた。回答では、「日本政府が行っている遺骨収集帰還事業は海外で戦没した日本人戦没者の遺骨を日本へ送還することを目的として行っているものであり、収容作業の過程において、遺留品等により朝鮮半島出身者と思われる遺骨があった場合は収容せず、現地政府機関に通報の上、適切に対応することとしているところです」として、遺留品が無くても部隊記録等の資料により関係する遺族にDNA鑑定の呼びかけを行うという方向を示しつつ、朝鮮半島出身者はいかにも別だとする文章を示してきた。
 交渉では、今回の文書回答を当初,口頭で述べたが、我々は「遺骨と遺族のDNA鑑定での照合をしなければ韓国人であるかわからない」ことを追及した吉田室長は、しどろもどろになりながら何度も我々の追求の正当性を認めざるを得なかった。にもかかわらず、数か月もかけて出してきた文書回答は当初の口頭の回答を文書回答したものであった。つまり、国籍条項の法案の衆議院通過・参議院継続審議確定を待って出されてきたものであるといわざるを得ない。
 衆議院での議論について沖縄のことについて少し前進したことがある。名護市にあるキャンプシュワブの米軍基地に大浦崎収容所がある。毎日マラリアで何十人が死に埋葬したという記録がありこれを共産党赤嶺議員が追及した。収容所での死亡は戦没者遺骨と同じであり基地の中であっても政府の責任で調査収容すべきとの発言に塩崎厚労大臣は、情報がある場合は米軍に要請すると答えるなど沖縄問題での前進があった。赤嶺議員には8月3日ガマフヤー具志堅さんと白眞勲議員の要請の後、収容所の遺骨問題をについて、お願いに行き、白眞勲議員をバックアップすると約束いただいていた。

着実に前進している韓国人遺骨問題 参院審議がポイント!

 
  今も発掘される遺骨
 我々は、今どこにいるのか?厚労省の居直りや、法案をどう評価すべきか。まず法案について、国の責務、10年の集中取り組み期間の設定、財政上の措置を明記した。また鑑定についても第9条で「戦没者の特定を進めるため、遺骨の鑑定及び遺留品の分析に関する体制の整備及び研究の推進その他の必要な措置を講ずる」としている。戦後国の責任を放棄してきた戦没者を、国の責務で収集し遺族に引き渡すことを明記したこの法案は通過を現実的なものとしており、日本兵や戦争に巻き込まれた沖縄の市民にとっての悲願が実現する。特にこの2年間の交渉の中で韓国人遺骨問題に白眞勲議員に参加いただき、遺骨DNAのデータベース化、遺品が無くても遺族のDNA鑑定をするという政府回答を同時に引き出していることは、「遺骨を日本に戻す」ことで終わりではなく「遺骨を家族に帰す」という悲願を実現するものであり戦後70年何としても参議院での通過が必要だ。しかし、同時に日本人遺族にとっての悲願は韓国人遺族にとっても悲願であり、韓国から戦地に動員された父の遺骨がそのまま日本の千鳥ヶ淵に入ってしまうなど許せるはずがない。
 しかし、法案でいくら国籍条項を入れたとしても、遺骨を家族とDNA照合しない限り日本人の遺骨か韓国人の遺骨は分からない。硫黄島ならば死亡した2万人のうち180人の朝鮮人のリストがあり。16万人以上が死んだというニューギニアでは5000人に上る朝鮮・韓国人のリストがある。日本政府が韓国に渡した死亡者のリストは2万1千人に上る。この事実は、無視できないので厚労省交渉で厚労省がしどろもどろになり、我々の指摘の正しさを認めざるを得ないのだ。日韓議員連盟の決議はどの党もこのことに異論をはさめないことを物語っている。よって今問題は衆議院厚生労働委員会において誰もこの問題を指摘しなかったことである。必ずこの問題は参議院で議論すれば一定の解決を見る問題である。「我が国の」というのは旧日本兵のことを含むとの解釈を衆議院厚労委員長からの回答を引き出す方法もある。法案が国籍条項であるということを譲らなくても、遺骨は韓国政府に韓国遺族からのDNA鑑定もしないと焼くことはできないという見解や韓国政府にも呼びかけるという答弁を引き出してもいい。また議論に進展によっては付帯決議とすることもできる。我々が実現した日韓議員連盟の共同声明が今力を持ってくる。参議院議員厚労委員全党にこの問題を訴えていけば必ず道は開ける。我々は、日本人遺族との連帯を掲げ運動を進めてきた。日本人遺族のもとに遺骨を帰す展望さえ切り開いてきた。国籍条項の法案を見て、ここで韓国人のことを議論しない参議院となったならばもう日本はおしまいだ。このことは、心ある議員にならば、また日韓の対立を危惧する議員には必ず通じるはずだ。政治的にも日韓議員連盟決議によって、その発言は可能なはずだ。
 すでに、準備は始まっている。10月23日参議院厚労委員会委員に要請活動を開始した。23日には3党の政策秘書の方と会い話をした。今年中に全党の議員に要請に入る。詳細には触れないが、良い反応が来ている。まだ3党との話であるが、この法案に対する我々の態度と考えは党を超えて受け入れられている。また日韓議員連盟の決議は我々の活動に、正当性を与える大きな意味を持っていると感じる。厚労省が自らの保身のために出したひどい文書回答が、逆に我々の主張の正当性を浮き立たせ、世論の反発を浴びることになるだろう。我々は決して後退していないし韓国人遺族、日本人遺族、沖縄の人たちとともに一歩一歩山を登っている。来年の参議院厚労委員会の議論を準備し、この険しい山の4合目5合目に到達していこう

強制連行被害者納骨堂の移設先・望郷の丘での慰霊祭
春川・ソウルでの遺族との交流に参加して(古川)

 
  韓副会長の司会で
 
  祭壇にお参り
 グングン裁判の発起人であった金景錫(キム・ギョンソク)さん(日本鋼管訴訟の和解を勝ち取った故人)がかつて春川(チュンチョン)に建立した「強制連行被害者納骨堂」が天安の望郷の丘に移設されて4年。裁判提訴の2001年から10年間、「日本人としての良心を態度で示そう」と年1回、草刈りボランティアを行ってきた。今回、10月2日に望郷の丘で行われた慰霊祭に4年ぶりに参加した。
 望郷の丘に眠る全てを対象にした合同慰霊祭が200人で営まれた後、小高い丘の上にある春川からの移設を記録する石碑へ移動。春川から貸し切りバスで参加した太平洋戦争韓国人犠牲者遺族会の20人、ソウルの太平洋戦争被害者補償推進協議会の15人、私たち日本からの参加者4人ほか総勢40人による慰霊祭が営まれた。提訴の頃から春川でお会いする懐かしい方々とも再会を喜び合った。
 石碑の前に祭壇を設け、春川から持ってきた果物やお供えを並べ、横断幕や花輪が立てられる。いつもながら遺族会にとって慰霊祭の意味の大きさを感じる。洪英淑(ホン・ヨンスク)会長、春川市、私の挨拶の後、全員がそれぞれの宗教で祈りを捧げた。終了後お弁当を囲む。韓省愚(ハン・ソンウ)副会長が亡くなったお兄さんのことを話してくれる。「兄は徴兵でフィリピンで亡くなったが、出て行く前の晩、私の頭をなでながら寝かしつけてくれたのが忘れられない」と語る。その後全員で記念撮影。 
 
金景錫さんのお墓参り
 
 
  金景錫さんのお墓参り
 この日は一旦ソウルへ戻り、翌日春川へ。かつては2時間かかっていた列車が今は電化が完成し、1時間で着く。南春川駅に洪会長と韓副会長が出迎えてくれる。小型バスに乗り込むと、不二越訴訟原告の崔福年(チェ・ポクニョン)さんの顔も。洪会長のお姉さん、妹さんが途中で同乗し、郊外にある金景錫さんのお墓へ向かった。こちらも納骨堂と同じ時期に移設されたが、私はほぼ毎年お墓参りしている。それぞれが祈りを捧げる。日本酒を献酒すると、崔ハルモニが大粒の涙を流して泣き崩れる。12歳で動員され、不二越で労働中に右手の人差し指を失った崔さん。金景錫さんとの闘いで名誉回復が実現したのだと推察する。お墓参り後、記念撮影し、タッカルビ屋さんで食事。韓副会長のお兄さんは、フィリピン、ミンダナオ島で亡くなっている。遺骨の箱は受取ったが、中身は見ていない。今でも発掘される遺骸とのDNA鑑定の道筋が見えてきたことを話すと「ぜひ参加したい」とのこと。兄の詳細な記録を調査するために、現在持っている資料を送ってもらうことになった。遺族にとって父や兄が「どこで、どうして死んだのか」そして死後の遺骨がどうなったのか知りたいのは当然である。それを戦後「外国人だから」と現在まで放置し続けている日本政府の責任は重い。

 
  遺族交流会
ソウル遺族交流会で記録調査の報告

 天安・望郷の丘での慰霊祭の後、私たちはソウルへ戻り、太平洋戦争被害者補償推進協議会の事務所で遺族との交流会を開いた。慰霊祭の会場から三々五々かけつけた遺族は約10人。どの人も父や兄が戦前や戦時中に日本に動員され、その後の詳細がわからない人ばかりである。手分けしてこの間日本で調査してきたことを説明したり、初めての人からは調査してほしい内容の聞き取りを行った。
 私は、グングン裁判提訴の頃からの顔なじみである朴進夫(パク・ジンブ)さんと、昨年7月のノーハプサ口頭弁論で来日した朴南順(パク・ナムスン)さんへの説明を行った。

お母さんは日本人の朴進夫さん
 
 
  朴進夫さん
 朴進夫さんは北海道平取町生まれである。お父さんの朴先鳳さんは戦前韓国から北海道の鉱山に出てきて、そこで日本人のお母さんと結ばれ、進夫さんが生まれた。1944年6月にフクサマ?炭鉱に連れて行かれ、その1か月後に爆発事故に遭って火傷負傷。直後に母が病院を訪れ、その1か月後に死亡したと、生前母から聞いている。静内警察署から遺骨を取りに来るように言われたとの情報もある。戦後は父の「韓国へ帰れ」の指示通り、お母さんは進夫さんら子どもを連れて韓国の父の実家に身を寄せた。一家の大黒柱を失った家族が戦後を生き抜くことが過酷だったのは、進夫も例外ではない。自分の子育てが終わってはじめて父のことを知りたいと思い、推進協議会の活動に参加した。「母からもっと話しを聞いておけばよかった」と悔しがる進夫さん。
 この間の調査結果として、(1)記憶にある「フクサマ」が函館の西にかつてあった「福島炭鉱」の可能性があること、(2)福島鉱山はマンガン鉱として東邦電化梶i現在の新日本電工梶jが所有し、襟裳岬手前の様似までの輸送ルートがあったこと、(3)様似までの途中に、「平取」「静内」があること、(4)様似町、平取に当時の「火葬許可」資料が残っていないかを調べる予定であること、などを説明した。韓国側からは「フクサマ」が平取の隣町、穂別「福山」にあった八田炭鉱の可能性があることの指摘を受け、さらに調査していくことになった。
 
 
  朴南順さん
 朴南順さんのお父さんは日本海軍に徴用された。推進協議会が韓国の国家記録院から取り寄せた海軍身上調査表から1944年2月24日にブラウン島で亡くなっていることがわかった。そしてその横に「靖国神社合祀済み」のゴム印を確認した。家族に詳細を知らせず、靖国へは通知した不条理を裁判で問うている。南順さんの要請に応えて、厚労省にその詳細を問い合わせたところ、「戦史叢書」の写しを交えて回答があった。「海上機動第1旅団」施設部は、44年1月にブラウン島(環礁)の「エンチャビ島」、「メリレン島」「エニウェトク」の3島に配属。朝鮮人はそのうち「エンチャビ島」、「メリレン島」の二つのどちらかに配属され、朝鮮人228名と日本人73名が飛行場と防備施設の作業に従事した。2月19日に米軍は「エンチャビ島」を占領した。「メリレン島」は米軍の攻撃を受け、25日に占領、日本軍は玉砕した。南順さんのお父さんの戦死日に符号する。「メリレン島」での総人員1347名のうち捕虜として生き残ったのは25名だけ。死体埋葬数は1027名と記録されている。また、79年に一度だけ遺骨収拾を行っており、その際8柱が帰還していること。遺留品の記録はないこと。国としてマーシャル諸島の「マジュロ島」に慰霊碑があること。戦後、米軍が埋葬していることから、埋葬地の詳細がアメリカの公文書館に残っているかも知れないことなど、調査でわかったことを太平洋の地図を前に説明した。
 孤島での埋葬は、DNA鑑定を通じて個人特定の可能性が極めて高い。南順さんはノー!ハプサ訴訟の口頭弁論で「わが家には家族墓地があります。ところが父の遺骨も探せていないし、今は靖国神社に合祀されているというので、父の墓地は空のままです。私は私が生きている間に、どんなことをしても父の遺骨を探し出し祀りたいと思います。」と陳述している。

 
  李煕子さん
 ここで韓国人にとって、遺骨とはどういう意味を持つのかについて、李煕子(イ・ヒジャ)さんに尋ねると「親や先祖のために、兄弟が何人いても、長男が責任をもって風習、お祀りであるチェサをする。それは韓国の文化で昔から変わっていない。遺骨は亡くなった人の身体の一部と考えられ、家族にとって大切なもの。特に強制動員された場合、全体でなく骨の一片だけでも探し出して、家族墓地(先山:ソンサン)の親元に祀ることが大切。自分が死ぬ前に骨片一つでも探し出して親元の墓の隣に埋葬することが、子としての道理。靖国問題で日本の裁判所は韓国人に「寛容」を求めるが、それは許せない。」と答えた。亡くなった家族をどう弔うかはその国の文化なのである。その文化を勝手に踏みにじり、横柄に扱ってきた日本の姿勢が問われている。

ノー!ハプサ2次訴訟・第5回口頭弁論報告(山本)

 9月25日、ノー!ハプサ(NO!合祀)第2次訴訟の第5回口頭弁論が開かれ、原告の董定男(トン・ジョンナム)さんが意見陳述を行った。
 董さんは1944年に日本の名古屋で生まれた。お父さんは名古屋の三菱の工場で働いていたが、董さんが生まれる前年に強制動員され、消息も分からない。空襲が激しくなり、一家は朝鮮半島のお母さんの実家に身を寄せた。董さんはお父さんの顔も知らないで育った。伯母さんが見せてくれた一枚の写真があるだけだ。
 苦労して大人になり、家族を持った董さんは、お父さんの消息を確認しようと決意した。独学で日本語を学び、1990年代初頭には、かつて家族で暮らした名古屋を訪れ、市役所や県庁を訪ね歩いたが、手掛かりはつかめない。その後、新しい情報を手に入れる度に、ウラジオストック、日本の青森県大湊(おおみなと)、北海道、サハリンにも行った。
 2013年9月6日、董さんはお父さんの「旧海軍軍属身上調書」を入手した。この記録によると、お父さんは大湊から千島施設部に配属され、北千島で勤務した後、1944年10月25日、北太平洋で乗船していた白陽丸という輸送船が沈没して行方不明となり、戦死と認定されていた。

「家族には連絡もせず合祀をしたとは・・」

 董さんは「故郷の地に帰ることもできず、家族を想いながら、あの冷たい海で死んでいった父のことを考えると、悲しみから立ち直ることができません」と意見陳述で訴えた。しかし、董さんが「最も衝撃を受け、怒りがこみ上げたのは別のこと」だった。記録に押されていた丸い印の中には、1959年7月31日、父が靖国神社に合祀されたという内容が記されていた。父が靖国の神として合祀されていることが分かったのだ。董さんは訴えた。「私は、長い間父を見つけ出すために努力してきたのに、父がどこでどのように亡くなったのか、もしかして生きているかもしれないという期待までしながら、日本全国を探し回り、ロシアにまで行ってきたのに、家族には連絡もせず、合祀をしたとは、どうしてそんなことができるでしょうか」「私の父は韓国人であって日本人ではありません。天皇のために死んでいった人ではありません。日本が引き起こした戦争のせいで若くして死んでいいたことも悔しいのに、靖国に合祀しているとは私には到底許すことはできません」。
 董さんは、安倍談話に対する痛烈な批判で陳述を結んだ。「植民地支配の苦痛を被った韓国人に対する言及を全くせずに、一体何を反省し、誰に謝罪するというのでしょうか。私のような被害者が今も苦しみながら生きているというのに、どうしてすべての問題が解決されたかのように述べることができるのですか。安倍首相が平和を口にしながら靖国を参拝し、さらに平和憲法を無視し、日本を再び戦争のできる国にしようとしているなんて、全世界が笑ってしまいます」。これこそがアジアの被害者の声なのだ。
昨年7月東京地裁前で

世界記憶遺産「南京虐殺」「シベリア抑留」登録の意義(中田)

 今年ユネスコの世界記憶遺産として登録された遺産は47件、1997年の登録開始から数えて登録件数は総計346件にも上ります。今年登録された記憶遺産の中に中国が申請した「南京虐殺文書」と「舞鶴港への帰還―日本人の抑留と帰国体験に関連する文書」という名称で日本が申請した「シベリア抑留」の関連資料が含まれていました。
 
  南京虐殺記念館
 そして、今年の登録遺産が発表されるや否や、外務省は即座に「南京虐殺文書」について「中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、文書は完全性や真正性に問題があることは明らかだ」「日本政府が申し入れを行ってきたにもかかわらず、記憶遺産として登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ」とする一方、日本が申請した「シベリア抑留」の関連資料と国宝「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」の2件の登録については「誠に喜ばしいことであり、関係者の皆さまとともに決定を歓迎したい」との報道官談話を発表しました。一方、日本が申請した「シベリア抑留」の登録についてロシア・ユネスコ委員会のオルジョニキゼ氏は「ユネスコに政治問題を持ち込むべきではない。戦争に関連した遺産を登録することは控えるべきだ」「こうした登録は『パンドラの箱』を開けることになる」「日本も、抑留問題を登録することで『パンドラの箱』を開けた」と述べ、ロシア外務省からは、日本大使館に対し申請取下げの要求が出されました。
 そしてさらに菅官房長官は会見で記者からの質問に答える形で「ユネスコへの拠出金の停止や削減も検討している」と発言、国際機関が自らの思い通りにならないから金で脅すというヤクザまがいの対応に出て、その非常識ぶりを世界に晒しました。
 そもそも、記憶遺産の意義についてユネスコのイリナ・ボコヴァ事務局長は「人類の宝である記憶遺産を保存し、人々の認識を高め、アクセスを奨励することは何より重要なことです。記憶遺産の保存は、文化遺産を守り、あらゆる社会のアイデンティティを保つために欠かせません。人類の社会の一員としての私たちを形作っていく力、それが私たちの記憶であり、私たちはその記憶を守っていかなければなりません」と述べています。そしてまさにそのように守っていかなければいけない記憶遺産として、今年登録された中に、反帝国主義、反植民主義、民族自決を掲げ「世界平和と協力の推進に関する宣言」を採択した1955年のアジア・アフリカ会議(バンドン会議)の記録と朝鮮戦争と冷戦によって分断された南北の離散家族を追った1983年の韓国KBS製作の「離散家族を探して」の生放送の記録が含まれています。ちなみに韓国の関係では、1980年の光州の民主化闘争の記録も記憶遺産として2011年に登録されています。
 欧米の帝国主義諸国の植民地支配から独立を求めてアジア・アフリカ諸国が民族自決を掲げ「第三世界」として登場し西洋中心の世界史を塗りかえる契機となった記録、差別や抑圧からの解放・民衆弾圧に対する抵抗運動の記録、そして戦争という「絶対悪」が人類にもたらす決して忘れてはならない悲惨な記憶としての「南京虐殺」と「シベリア抑留」、いずれも人類が二度と過ちを繰り返さないために後世に継承していかなければならない貴重な記憶遺産です。
 人類がそれを記憶し承継していかなければならない遺産の登録の撤回を求めることこそ「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とするユネスコの精神に悖る極めて「政治的」な行為であると言わざるを得ません。

読書案内
 
   

ものいわぬ人々に
      −若者を再び戦場に送るな−
            
                      塩川正隆 著  朝日新聞出版 1389円+税

 私たち、グングン裁判を支援する会は、朝鮮半島から軍人・軍属として徴用され、戦後、日本人にはされた補償は成されず、生死確認・通知もなく、遺骨も届かず、勝手に靖国神社に合祀され憤った韓国人生存者・遺族の訴えを支援するために、2001年結成しました。裁判は、2011年、上告が棄却となりました。しかし、何も解決していません。私たちは、地道に活動を継続していますが、その状況の中で 、塩川正隆さんという心強い存在に出会いました。「筋金入りの超新星」との遭遇でした。
 
  厚労省交渉で塩川さん
 塩川さんは、「戦後、70年たった今も、かつての『戦場』で眠っている遺体は110万体を超える。国は『ものいわぬ』旧日本将兵、そして民間人の遺体を放置したままなのだ」 と憤り、1977年から、沖縄、フィリピン、レイテ島等での戦没者の遺体収容、遺品返還活動続けています。活動の原点は、沖縄で戦死された父、レイテで不明だった叔父への思いから。詳細は、今回の著書中にあります。また、氏の生い立ち、ユニークな経歴、地域、世代、国を超えた幅広い取り組みが紹介されており、グングン裁判の原告らとの交流もあります。氏はそうした活動を続けながら、国の戦没者政策に対しても、2012年、日弁連が政府に「日本本土以外の、・・戦没者の・・扱いに関する意見書」を提出したことに対しての助力や、本人確認のためDNA鑑定の採用等、遺骨問題について様々取り組んでいます。
「戦争こそ最大の人権侵害だ」 
 氏が、著書で何度か語られている言葉です。 ( 大釜)

GUNGUNインフォメーション

11月12日(木) 今こそScrum! いまこそTry! 朝鮮学校を守るための裁判支援集会・大阪
      講演「民族教育と排外主義」金尚均さん 18:30〜 大阪 北区民センター
11月14日(土) 「『植民地歴史博物館』と日本をつなぐ会」結成の集い
      13:15開場 13:30開始 参加費:500円
      港区勤労福祉会館・第一洋室(JR田町駅から徒歩3分、地下鉄三田駅すぐ)
11月19日(木) 戦争法廃止!安倍内閣退陣!国会正門前集会 18:30〜
11月22日(日) 在日韓国人政治犯と相次ぐ再審無罪判決を考える市民集会
      14:00〜 浪速区民センター ホール
11月23日(休) 「慰安婦」問題解決のために扉をたたき続けよう!
      講演 尹美香さん「挺対協活動25年ついに解放へ!」 13:30〜 エルおおさか南館1023号室
11月28日(土) 南京ドキュメンタリー映画祭 9:50-16:10 エルおおさか南館5階ホール
      「ニューバージョン南京引き裂かれた記憶」「太平門 消えた1300人」「NANKING(南京)」
      南京戦参戦兵士の証言 リレートーク
12月 5日(土) 国連・人権勧告の実現を!集会とデモ
      13:16集会スタート 15:00デモ出発 代々木公園野外ステージ
12月 5日(土) 「不忘南京」証言集会 証言 陳徳寿さん(南京在住)講演 田中宏さん(一橋大学名誉教授)
      13:30〜 大阪 PLP会館5階大会議室
12月 8日(火) 不戦の日は一日行動! 
      11:00〜 朝鮮高校無償化裁判 東京地裁103号法廷(10:15集合)
      13:30〜 ノー!ハプサ第6回口頭弁論 東京地裁103号法廷(13:00集合)
      18:30〜 「戦後70年の12・8終わらない戦争」
              講師:栗原俊雄さん(毎日新聞記者)「遺骨問題から日本の戦後を考える」
              中央区立京橋区民館1号洋室(参加費800円)