在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター 「未来への架け橋」 NO.77 (2014.5.31発行) |
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下関の港を背景にチェサを実現した |
「諦めない」調査で2人の年金記録が判明、チェサを実現! |
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追悼:韓国シベリア朔風会・李在燮(イ・ジェソプ)会長を偲んで
(御園生)
偲ぶ会では、多くの方々が思い出を述べられた。日本人抑留者を代表して池田浩一さん、BC級問題の立法化を目指す李鶴来さん、グングン裁判から私、シベリア抑留された祖父を持ち、朔風会の映像を撮った久保田さん、千島、樺太等へ動員された韓国・朝鮮人を調査している北原さん他。李鶴来さんは「BC級、シベリア抑留の立法化運動を通じて知り合った。2010年シベリア抑留者の特措法が成立したが、韓国人ははずされた。是非対応が必要。BC級問題も厳しい状況だが、死んだ仲間の無念を晴らす」と強い口調で述べた。西日本新聞の記者は「李在燮さんの当時使った日本語そのままの方が良いと言った。あの戦争が何だったのか、若い層に伝えていきたい」と。またNHKの渡辺さんも「望郷の丘で初めてお会いしたことをきっかけに番組を作り09年に放映、10年追加取材し放送した。歴史認識が少しでも良い方にと思いながら、諦めず一歩一歩できることを」と述べられた。 韓国人シベリア抑留者の立法化、特措法の国籍条項の削除が必要である。戦後70年になる2015年に向けて、シベリア抑留の問題を広げていきたい。 |
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姜宗豪さんと崔洛さんの年金記録を発見しチェサを実現!
「アボジー!」の声が貝島炭鉱跡に響く 福岡空港で韓国からの一行を迎え、博多駅に向かった。その中でも、幾度となく「奇跡だ」という言葉が交わされた。フィールドワークには30名が参加、皆さんに急きょのコース変更へのお礼と、年金記録発見の説明をして。貝島炭鉱に向かった。チェサの場所は大之浦第5坑の跡。公園になっており、抗口の上に記念碑が建っている。まさにここが、お父さんが働いていた場所だ。ありがたいことに、既に横川先生が前日より地元の町内会にあいさつしチェサの了解をいただいている。「お父さん、やっと会えましたね」と書いた横断幕が張られ、果物や干物の魚、お酒などが供えられる。崔洛さんも祭祀の服装に着替えた。正面にはお父さんと同僚たちの写ったあの1枚の写真が飾られた。チェサが始まる。「アボジー!」(お父さん)という呼びかけから、崔洛さんは、解放後お父さんが帰ってこなかった以降のお母さん(7年前亡くなられた)の苦しさを、自分や家族の生活を小さい時から順番に語っていった。お父さんが聞きたかったであろうことを丁寧に報告されたのだ。しっかりと残された家族の歴史を一つ一つ順番に報告する崔洛さん。その立派な祭祀に、泣けて、泣けてしょうがなかった。順番に手を合わせた後、みんなで供物の酒を飲み、果物を食べる。時間をとって、お父さんが働いたその場所で、本当に立派な祭祀ができた。20年探し続けて、よくやり遂げたよ!ナックンさん。
年金記録を探し当てるまでの道のり なぜ、秋田の年金事務所から、福岡・貝島炭鉱の記録の連絡が来たのか?話は1年前にさかのぼる。崔洛さんが持っていた、8人の同僚との「昭和17年9月13日記念撮影」とある「第一協和訓練隊員」の父の写真。韓国の支援委員会の記録から同僚2人が貝島炭鉱大之浦から逃亡するまでの未払金の記録が出てきた。それで昨年5月崔洛さんを貝島にお連れした。横川先生の案内で炭鉱資料館を見た翌日、横川先生のアドバイスで何回も無いと回答されている年金事務所を訪問した。お父さんの記録は出てこなかった。ところが、同時に調査依頼した姜宗豪さんのお父さん(日本名、和田太休)の記録が船員保険にあることがわかったのだ。しかし会社名が不明なため、詳細は教えてもらえなかった。その後9か月間にわたり、別の年金事務所で戦没船名と、所有会社名から探し続けた。お父さんと友達が長崎で会い「これから南洋に行かなあかん。死ぬかも知れん」と言っていたという話を頼りに、長崎母港の船から福岡母港の船まで100ページを超える資料を提出した。資料はネットワークの研究者竹内さんの協力によるものである。そして9か月後の2月、山口県下関市の西大洋漁業統制株式会社(前身は林兼商店、現在マルハニチロ)、第26北新丸に機関長として勤務したことを確認したのだ。5月17日の福留さんの法要にあわせ、姜宗豪さんのお父さんの祭祀が計画された。チェサと地元の受け入れ体制は、着々と進んできた。下関年金事務所で正式に記録がもらえることも確定し、マルハニチロ九州支社に交渉に行くことも決まった。
真相究明ネット 故 福留さんのプレゼント ここで福留範昭さんの話をしたい。真相究明ネットワーク事務局長として全国を奔走し、遺骨と記録を求める証言集会等の運動を立ち上げた福留さんが2010年に亡くなった。福留さん死去の後、すでに計画されていた10年遺族証言集会の関西集会で、お二人の証言をお聞きし、私たちもそれ以降、お二人の記録と遺骨を探すため、「日本の家族として取り組む約束」をした。昨年夏、カンジョンホさんにお会いした際、「福留さんが、日本人の真心を見せる」と言っていたという話を聞いて、「必ず福留さんの遺志を引き継ぐ。日本人の真心を見せる」とカンさんに約束した。福留さんがいて、私たちが記録と遺骨を求める遺族の思いを知ることができた。福留さんの執筆したブックレットの表紙はチェナックンさんのお父さんの写真である。今回、偲ぶ会直前に記録が出てきたのは偶然ではない。お二人が「福留さんがこのプレゼントをくれた」と話すのはもっともなことだ。お二人は、お寺の納骨堂で、福留さんに挨拶をし、偲ぶ会にのぞんだ。 お父さんが間違いなく見た下関の海を背景にチェサを実現! 翌日からの下関市での行動は、実りあるものだった。下関在住の真相究明調査団の金静媛(キム・ジョンオン)さんが、当時の海岸や会社の様子を知るSさんを紹介してくれ、一緒に案内いただいた。朝から下関図書館で、当時の船着き場の様子など写真で確認。林兼商店の社史なども重要な本数点を確認した。竹内さんもかけつけてくれた。昼からは関釜連絡船の発着場、動員された朝鮮人の収容施設跡などを見学。そして会社跡地へ、跡地には太平洋漁業株式会社の小さな碑がある。数百メートルの海岸線と向こう岸一帯を林兼が独占していたそうだ。そこから100メートルほどの林兼焦点の船が出入りした海岸でチェサを行うことにした。私たちだけでは碑の存在も、会社の船着場もわからなかった。本当にありがたい。食事の後、チェサを始めようとすると、姜宗豪さんが果物を買いたいと言い出した。簡単に行うつもりだったようだが、現地に来てみると、果物も買ってしっかりやりたいと思うようになったという。みんな大至急買出しに行く。海岸に向かってのチェサは、また思いが入る。埋め立てで変貌したとはいえ、アボジが見た海が、アボジが南洋に出ていった海が目の前に広がっているのだ。「アボジー!」と海に叫ぶ姜宗豪さん。しっかりと祭祀をやり遂げた。お2人とも「アボジー!」と呼んだのは初めてだという。祭祀の時、お二人の目の前に、アボジがいたのだろう。そして姜宗豪さんはお父さんに対する恨みが消えたという。日本軍が強制動員したのになんて辛い話だろう。 チェサの後、北九州のペ・トンノクさんの案内で下関の強制動員の歴史の跡をまわった。
年金事務所で手にしたお父さんが生きた記録 翌19日、朝から貝島チームと下関チームに分かれた。私は姜宗豪さんと下関年金事務所を訪問し、年金記録を受け取った。金静媛さん、ネットワークの小林さん、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の内岡さんも参加いただいた。話し合いの中で、当時の紙記録のコピーも手に入れることができた。見にくいが第26北新丸と書かれている。給料は手当入れて66円。この船には約20人を超えた程度の船員が働いていた。年金加入時期、脱退時期はバラバラであり、死亡による脱退の可能性は少ないようだ。1944年2月2日加入、3月15日脱退。その後軍属に身分替えしたか、別の会社に移ったか?この規模の会社で同会社の別の船に移ったからと言って、年金記録から消えることはないという説明を受けた。さらに調査が必要だ。
18日お二人の祭祀を無事済ませた後の下関での打ち上げ会は、みんな泣いた。うれしくて、うれしくて、感動して、泣いたり笑ったり。炎天下、チェサで泣き、打ち上げで泣き、泣きすぎて体から水分がなくなってしまう。こんなおいしいビールも、いつ以来だろうか。 2000年日本政府は、崔洛さんたちの年金照会に対して、社会保険事務センターを通じて、「相当時間がかかる」と回答したまま放置した。記録は昔からあったものだ。「父がどうやって死んだか、どこで働いたかも知らなくては子としての道理が果たせない。死ぬことさえもできない」という遺族の思いを日本政府は知らなければならない。この秋、韓国で行方不明者遺族の調査報告・交流集会を国会議員会館で実施する計画だ。日本人の、真心が問われている。日本政府を動かす日本人の真心を集める時だ。 最終日にここでも奇跡が!崔洛さんと貝島炭鉱跡へ(古川)
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これまで調査した年金事務所の担当者の話を総合すると、『「消えた年金」が問題になった07年以降には戦前のデータの電算化は進んだ。ただし、本来個人の記録は、名前を「よみがな」で検索するのが基本であるが戦前のデータは、「画像」として保存されているがすべて「よみがな」が振られているわけではなく、振られていなければ漢字で検索をすることもある。今は、過去のデータも順次「よみがな」を振っている。しかし「よみがな」が違えば、記録としては上がってこないので、最終的には「画像」として保存されているデータを一枚ずつ調べることとなる。』つまり、一定の地域と事業所を絞り込むことができれば、かつて、照会をかけて不明であったものでも改めて照会すれば判明する可能性が出てきたということです。 崔洛さんのお父さんの年金記録は、秋田の年金事務所からの連絡でした。「漢字検索」をすることで九州の記録を秋田の事務所で発見できたということでした。また、姜宗豪さんのお父さんの年金記録の回答票を下関年金事務所で受領する際、当時の手がかりをつかむために、台帳の原本と名簿(本人以外は黒塗りでしたが)を合わせて開示してもらうことができました。年金事務所の「探し方」によっては、新たに記録を発見することができるケースがあることがこの間の調査活動で判明したことは大きな成果でした。 |
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新たな発掘遺骸のDNA調査に韓国人も参加させよ!
要望項目 1.日本政府の遺骸発掘事業に韓国遺族も正式に参加できるようにすること。 2.遺骨を遺族に返すために、発掘した遺骸からはすべてDNA検体をとり、可能な限り個体として情報および遺骨を保存すること。 3.遺骨探しを希望する韓国遺族たちのDNA情報を収集して遺骸調査事業を進めること。 4.厚労省は「墓地であれば名簿と遺骸の範囲が同一なので、遺骸と遺族のDNA照合をする。」と言っている。それならば、死亡地域が限定して判明している遺族については、墓地と同じと考えられるので、同一基準で直ちに希望する韓国人遺族からもDNA情報の収集・照合を始めること。 5.現在、遺骨を家族に戻すために日本人遺族に行われている情報提供・DNA調査の呼びかけなどはすべて、韓国人遺族にも行うこと。 |
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7月9日ノー!ハプサ第2次訴訟の第1回口頭弁論決定(山本)
新たな訴訟開始の意義 この間、安倍首相が昨年12月に靖国神社参拝を強行し、中国・韓国だけでなく、それほど日本に批判的でなかったアジア諸国やヨーロッパ諸国、米国までが安倍首相を批判しました。村山談話や河野談話の見直しを公言する安倍首相は、一方で集団的自衛権行使の憲法解釈変更や特定秘密保護法強行など戦争政策を次々と進めており、今やアジアの平和と安定の脅威となりつつあります。政権誕生後一度も日韓首脳会談も開けないという異常事態が解決する見通しも立っていません。このような中で、韓国人遺族の靖国神社合祀取消訴訟が新たに開始されることは、日本社会に対して改めて植民地支配の清算を問い、アジアとの関係構築に向き合うことを求める契機となるはずです。 安倍首相の靖国神社参拝に対して、4月21日の靖国神社春季例大祭の日に違憲訴訟が273名の原告により東京地裁に提訴されました。この訴訟には、韓国からもノー!ハプサ訴訟原告の遺族や太平洋戦争被害者補償推進協議会の会員や研究者、市民が原告として参加しています。4月11日には大阪でも違憲訴訟が提訴されました。提訴にあたり弁護団は「安倍首相による本件参拝行為は、政教分離違反という問題に加えて、多くの自由権を侵害しますが、中でも平和的生存権を脅かすものであるという点で憲法に違反する行為です。国家のために死んだ者を慰霊・顕彰し、国家のために死ぬことを美化し称揚する靖国神社への参拝行為は、そのような価値観を承認、称揚、鼓舞するという行為です」(声明)と強調しました。安倍参拝違憲訴訟では靖国神社も被告としており、連帯して靖国神社の本質を暴いていきたいと思います。ぜひ大法廷をいっぱいにする多くの皆さんの傍聴を呼びかけます。 |
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『海外戦没者の戦後史 − 遺骨帰還と慰霊』
浜井和文著 吉川弘文館 1800円+税 |
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