在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.77 (2014.5.31発行)

下関の港を背景にチェサを実現した
姜宗豪さんを囲んで(5月18日)

「諦めない」調査で2人の年金記録が判明、チェサを実現!
6月23日遺骨DNA鑑定実現に向け厚労省・国会議員へ要望行動

 8年前の遺族証言集会で来日した崔洛(チェ・ナックン)さんと姜宗豪(カン・ジョンホ)さん。お二人とも戦時中お父さんが日本に動員され、記録を探し求めてきました。昨年来、年金記録の調査を行なってきた結果、崔さんは福岡の貝島炭鉱で、姜さんは下関の林兼商店(現在のマルハニチロ)の船で働いたことが判明しました。5月に来日し、お父さんの生きた地でのチェサ(祭祀)を実現しました。記録発見のキーワードは「諦めず粘り強く」でした。
 沖縄では現在も多くの遺骸が発掘されます。沖縄遺族のDNA鑑定申請に合わせて韓国遺族の権水清(クォン・スチョン)さんも申請します。またNPO法人戦没者追悼と平和の会・塩川理事長協力の下、6月23日沖縄慰霊の日に韓国遺族が要望書を厚労省に直接提出し、国会議員への説明会を行ないます。要請内容のポイントは「日本人遺族と同じことを韓国人にも行なえ」ということです。
 「記録と遺骨に解決済みはない!」韓国遺族の要求実現に向けて引き続きご支援をよろしくお願いします。

追悼:韓国シベリア朔風会・李在燮(イ・ジェソプ)会長を偲んで (御園生)

 
全抑協の皆さんと(左、2009.10)  
 
李在燮さん(右、2012.2)  
 3月29日、韓国シベリア朔風会・李在燮会長を偲ぶ会が東京で開催された。前会長の李炳柱さんが亡くなられるまでは、二人三脚で活躍され、李炳柱会長逝去以降は,会長として朔風会を率い、何度も来日され活動されてきていた。しかし今年3月4日ソウルの病院で亡くなられた。88歳であった。李在燮さんとの出会いは、2003年グングン裁判二次提訴に韓国シベリア朔風会30名が原告として参加以来のこと。日本でもソウルでもいつも李炳柱さんと李在燮さんは一緒だった。2011年11月30日グングン裁判が最高裁で上告棄却された後、最後にお会いしたのは、翌年2月に報告訪韓した際の昼食会だった。最後まで、日本人だけの立法化の不条理に怒り、韓国人への立法化を求めてやまなかった。

 偲ぶ会では、多くの方々が思い出を述べられた。日本人抑留者を代表して池田浩一さん、BC級問題の立法化を目指す李鶴来さん、グングン裁判から私、シベリア抑留された祖父を持ち、朔風会の映像を撮った久保田さん、千島、樺太等へ動員された韓国・朝鮮人を調査している北原さん他。李鶴来さんは「BC級、シベリア抑留の立法化運動を通じて知り合った。2010年シベリア抑留者の特措法が成立したが、韓国人ははずされた。是非対応が必要。BC級問題も厳しい状況だが、死んだ仲間の無念を晴らす」と強い口調で述べた。西日本新聞の記者は「李在燮さんの当時使った日本語そのままの方が良いと言った。あの戦争が何だったのか、若い層に伝えていきたい」と。またNHKの渡辺さんも「望郷の丘で初めてお会いしたことをきっかけに番組を作り09年に放映、10年追加取材し放送した。歴史認識が少しでも良い方にと思いながら、諦めず一歩一歩できることを」と述べられた。

 韓国人シベリア抑留者の立法化、特措法の国籍条項の削除が必要である。戦後70年になる2015年に向けて、シベリア抑留の問題を広げていきたい。

姜宗豪さんと崔洛さんの年金記録を発見しチェサを実現!
    5月九州行動報告(上田)

 「見つけた!見つけた!見つけたよ!」私は電話で興奮して推進協代表の李煕子(イ・ヒジャ)さんに電話した。「え、何を見つけた?」と、ヒジャさん。「崔洛(チェ・ナックン)さんのお父さんの記録見つけた。貝島炭鉱ですよ。秋田の年金事務所から電話があった。1942年6月1日から43年4月18日、菊村天鎬、貝島炭鉱」と叫ぶ私。こんな奇跡が起こるのだろうか?姜宗豪(カン・ジョンホ)さんのお父さんの年金記録が、下関市の西太洋漁業統制株式会社(前身は林兼商店、現在のマルハニチロ)と判明し、下関市へ行く九州訪問(5月17日から)の2日前のことである。17日は、真相究明ネットワーク主催のフィールドワークで福岡の研究者、横川輝雄先生の案内で、炭鉱跡を見学し、その後、故福留さんの法要、偲ぶ会を行うことになっていた。ネットワークの小林事務局長・横川先生らが、「福留さんなら、遺族の思いを知り崔洛さんのためにコース変更するはず」との決断で、急きょ予定外の貝島炭鉱の訪問、チェサ(祭祀)の実施となった。韓国側にもコース変更を伝え、全力でチェサ(祭祀)の準備を依頼した。来日1日前、横断幕を作る慌ただしさであった。推進協事務局のキムジニョンさんに、「崔洛さんどんな様子?」と聞くと、「ナックンさん泣いてましたよ、私も泣きました」との返事に胸が詰まる。
福岡空港で出迎え 崔洛さんと姜宗豪さん

「アボジー!」の声が貝島炭鉱跡に響く

 福岡空港で韓国からの一行を迎え、博多駅に向かった。その中でも、幾度となく「奇跡だ」という言葉が交わされた。フィールドワークには30名が参加、皆さんに急きょのコース変更へのお礼と、年金記録発見の説明をして。貝島炭鉱に向かった。チェサの場所は大之浦第5坑の跡。公園になっており、抗口の上に記念碑が建っている。まさにここが、お父さんが働いていた場所だ。ありがたいことに、既に横川先生が前日より地元の町内会にあいさつしチェサの了解をいただいている。「お父さん、やっと会えましたね」と書いた横断幕が張られ、果物や干物の魚、お酒などが供えられる。崔洛さんも祭祀の服装に着替えた。正面にはお父さんと同僚たちの写ったあの1枚の写真が飾られた。チェサが始まる。「アボジー!」(お父さん)という呼びかけから、崔洛さんは、解放後お父さんが帰ってこなかった以降のお母さん(7年前亡くなられた)の苦しさを、自分や家族の生活を小さい時から順番に語っていった。お父さんが聞きたかったであろうことを丁寧に報告されたのだ。しっかりと残された家族の歴史を一つ一つ順番に報告する崔洛さん。その立派な祭祀に、泣けて、泣けてしょうがなかった。順番に手を合わせた後、みんなで供物の酒を飲み、果物を食べる。時間をとって、お父さんが働いたその場所で、本当に立派な祭祀ができた。20年探し続けて、よくやり遂げたよ!ナックンさん。
アボジー! チェサ みんなで見守る

年金記録を探し当てるまでの道のり

 なぜ、秋田の年金事務所から、福岡・貝島炭鉱の記録の連絡が来たのか?話は1年前にさかのぼる。崔洛さんが持っていた、8人の同僚との「昭和17年9月13日記念撮影」とある「第一協和訓練隊員」の父の写真。韓国の支援委員会の記録から同僚2人が貝島炭鉱大之浦から逃亡するまでの未払金の記録が出てきた。それで昨年5月崔洛さんを貝島にお連れした。横川先生の案内で炭鉱資料館を見た翌日、横川先生のアドバイスで何回も無いと回答されている年金事務所を訪問した。お父さんの記録は出てこなかった。ところが、同時に調査依頼した姜宗豪さんのお父さん(日本名、和田太休)の記録が船員保険にあることがわかったのだ。しかし会社名が不明なため、詳細は教えてもらえなかった。その後9か月間にわたり、別の年金事務所で戦没船名と、所有会社名から探し続けた。お父さんと友達が長崎で会い「これから南洋に行かなあかん。死ぬかも知れん」と言っていたという話を頼りに、長崎母港の船から福岡母港の船まで100ページを超える資料を提出した。資料はネットワークの研究者竹内さんの協力によるものである。そして9か月後の2月、山口県下関市の西大洋漁業統制株式会社(前身は林兼商店、現在マルハニチロ)、第26北新丸に機関長として勤務したことを確認したのだ。5月17日の福留さんの法要にあわせ、姜宗豪さんのお父さんの祭祀が計画された。チェサと地元の受け入れ体制は、着々と進んできた。下関年金事務所で正式に記録がもらえることも確定し、マルハニチロ九州支社に交渉に行くことも決まった。
 
  お父さんの写真
 一方で、崔洛さんもこの行動に参加する。胸が痛んだ。お父さんの記録を探し求め続けている崔洛さんの複雑な思いがわかるからだ。何としても崔洛さんの調査に目処をつけねばならない。昨年の調査で、寮の造りがもっと寒い秋田以北のものではないかということや、福岡に近い広島のダムなど高いところではないかなどの仮説も立てられていた。貝島まで来たのに、また離れていく。おじさんの話では福岡だという話もある。混乱する中、立てた結論は、年金調査を全国で行うことであった。結局福岡160ヶ所の事業所、広島のダムおよび関連下請け事業所、山口県宇部市のダムおとび全市事業所、島根県のダムおよび20事業所の全県調査、秋田県20ヶ所の全県調査、新潟県50ヶ所の全県調査を6年金事務所に依頼した。寮の写真、同僚9人の名簿、戸籍、IDカード、委任状、証言記録をいれた郵送請求に踏み切った。こんなことは今までやったことがない。事業所は竹内さんの全国強制労働事業所の資料からとった。「こんな不確定なこと調べられない」と電話があれば、9か月で100ページの資料提出をした船の資料提出の経験で、何としても食い下がる覚悟だ。無いと言うなら次は長崎、青森だと腹は固まっていた。そして秋田年金事務所から電話があった。「秋田の事業所ではないけど、貝島炭鉱大之浦で記録が出ました。写真の内4人も入っています。写真の日付も合致します。写真のメモにも貝島ってありましたね。(未払金のこと。)貝島だと確定できるのでお知らせしました」あの写真が、ついにお父さんの記録も確定的証拠となった。秋田からわかったのは、消えた年金問題以降戦争中の資料の電算化が進んでいることがあるが、やはり担当職員の誠意であろう。

真相究明ネット 故 福留さんのプレゼント

 ここで福留範昭さんの話をしたい。真相究明ネットワーク事務局長として全国を奔走し、遺骨と記録を求める証言集会等の運動を立ち上げた福留さんが2010年に亡くなった。福留さん死去の後、すでに計画されていた10年遺族証言集会の関西集会で、お二人の証言をお聞きし、私たちもそれ以降、お二人の記録と遺骨を探すため、「日本の家族として取り組む約束」をした。昨年夏、カンジョンホさんにお会いした際、「福留さんが、日本人の真心を見せる」と言っていたという話を聞いて、「必ず福留さんの遺志を引き継ぐ。日本人の真心を見せる」とカンさんに約束した。福留さんがいて、私たちが記録と遺骨を求める遺族の思いを知ることができた。福留さんの執筆したブックレットの表紙はチェナックンさんのお父さんの写真である。今回、偲ぶ会直前に記録が出てきたのは偶然ではない。お二人が「福留さんがこのプレゼントをくれた」と話すのはもっともなことだ。お二人は、お寺の納骨堂で、福留さんに挨拶をし、偲ぶ会にのぞんだ。

お父さんが間違いなく見た下関の海を背景にチェサを実現!

 翌日からの下関市での行動は、実りあるものだった。下関在住の真相究明調査団の金静媛(キム・ジョンオン)さんが、当時の海岸や会社の様子を知るSさんを紹介してくれ、一緒に案内いただいた。朝から下関図書館で、当時の船着き場の様子など写真で確認。林兼商店の社史なども重要な本数点を確認した。竹内さんもかけつけてくれた。昼からは関釜連絡船の発着場、動員された朝鮮人の収容施設跡などを見学。そして会社跡地へ、跡地には太平洋漁業株式会社の小さな碑がある。数百メートルの海岸線と向こう岸一帯を林兼が独占していたそうだ。そこから100メートルほどの林兼焦点の船が出入りした海岸でチェサを行うことにした。私たちだけでは碑の存在も、会社の船着場もわからなかった。本当にありがたい。食事の後、チェサを始めようとすると、姜宗豪さんが果物を買いたいと言い出した。簡単に行うつもりだったようだが、現地に来てみると、果物も買ってしっかりやりたいと思うようになったという。みんな大至急買出しに行く。海岸に向かってのチェサは、また思いが入る。埋め立てで変貌したとはいえ、アボジが見た海が、アボジが南洋に出ていった海が目の前に広がっているのだ。「アボジー!」と海に叫ぶ姜宗豪さん。しっかりと祭祀をやり遂げた。お2人とも「アボジー!」と呼んだのは初めてだという。祭祀の時、お二人の目の前に、アボジがいたのだろう。そして姜宗豪さんはお父さんに対する恨みが消えたという。日本軍が強制動員したのになんて辛い話だろう。
 チェサの後、北九州のペ・トンノクさんの案内で下関の強制動員の歴史の跡をまわった。
下関図書館で調査 チェサの場所に立つ
目の前の海はアボジが見た海 初めてアボジと呼ぶ

年金事務所で手にしたお父さんが生きた記録

 翌19日、朝から貝島チームと下関チームに分かれた。私は姜宗豪さんと下関年金事務所を訪問し、年金記録を受け取った。金静媛さん、ネットワークの小林さん、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の内岡さんも参加いただいた。話し合いの中で、当時の紙記録のコピーも手に入れることができた。見にくいが第26北新丸と書かれている。給料は手当入れて66円。この船には約20人を超えた程度の船員が働いていた。年金加入時期、脱退時期はバラバラであり、死亡による脱退の可能性は少ないようだ。1944年2月2日加入、3月15日脱退。その後軍属に身分替えしたか、別の会社に移ったか?この規模の会社で同会社の別の船に移ったからと言って、年金記録から消えることはないという説明を受けた。さらに調査が必要だ。
 
  夜の交流会でお二人
 午後から、博多のマルハニチロ九州支社に向かう。「社内の資料が何かないのか?」私たちの問いに、「船員の死亡者名簿がある」という。第26北新丸に限定せず、名前で探し出してほしいという依頼に対し、「やってみます」という返事をもらえた。門前払いの心配もあったが、期待が持てる話し合いとなった。今後本社とやり取りすることも確認した。また、下関市のお寺で過去帳関係の資料がないかも、今後調査をすすめる。過去帳関係の調査は多くの帰国途中の未帰還者の調査にもつながるかもしれない。

 18日お二人の祭祀を無事済ませた後の下関での打ち上げ会は、みんな泣いた。うれしくて、うれしくて、感動して、泣いたり笑ったり。炎天下、チェサで泣き、打ち上げで泣き、泣きすぎて体から水分がなくなってしまう。こんなおいしいビールも、いつ以来だろうか。
 2000年日本政府は、崔洛さんたちの年金照会に対して、社会保険事務センターを通じて、「相当時間がかかる」と回答したまま放置した。記録は昔からあったものだ。「父がどうやって死んだか、どこで働いたかも知らなくては子としての道理が果たせない。死ぬことさえもできない」という遺族の思いを日本政府は知らなければならない。この秋、韓国で行方不明者遺族の調査報告・交流集会を国会議員会館で実施する計画だ。日本人の、真心が問われている。日本政府を動かす日本人の真心を集める時だ。

最終日にここでも奇跡が!崔洛さんと貝島炭鉱跡へ(古川)

 
  当時の様子を知る山中さん
 2日前案内していただいた横川輝雄さんと石炭記念館で待ち合わせ。崔洛さんの希望にそって、当時の朝鮮人寮跡などをこの日も案内いただいた。朝鮮人や中国人、連合軍捕虜などの寮として使われた土地は、戦後地元の人が使用することを嫌い、現在も未利用とのこと。2箇所目の土地は貝島炭鉱の流れをくむ、貝島興産という会社が所有している。そして3箇所目の寮があった場所の近くにある竪坑跡の公園に行くと、横川さんが下見のために3日前に訪れた際に出会った老人(山中勇さん)がこの日もおられ、話を伺った。公園と集会所を管理しているという山中さんの親は貝島炭鉱で働き、坑内の木枠の組み方を朝鮮人労働者にも教えたという。何という偶然か!山中さんは1931年生まれの83歳で、終戦時は14歳だったが、朝鮮人の子供と遊び、その家に行ってマッコリをなめさせてもらったという。また朝鮮人の葬式は朝鮮式で行なわれ、輿を担ぎ、大きな声でアイゴーと泣いていたという。当時の朝鮮人の生活状況などを覚えておられたが、その中に崔洛さんのお父さんがいたかも知れない。まさに奇跡としかいえないような貴重な出会いだった。崔洛さんのお父さんの写真を見ていただくと、「寮は確かにこのような窓枠だった」と話された。家に父親が残した古い写真があるそうなので、探していただき、古い風景や人物が写っている写真があれば連絡いただくことをお願いした。最後は記念撮影し、寮跡へ向かった。高台にあり、周囲を俯瞰できるそこは散髪屋の隣で整地されている。当時父が見たであろう景色の中に自分がいる。木陰で崔洛さんが目頭を押さえた。その後、2日前チェサをした場所に移動し、再度献酒し、お父さんに別れを告げた。「アボジー!!」誰に遠慮することなく呼びかけた声は広大な貝島炭鉱跡に広がった。

年金記録こそアボジの生きた記録〜年金調査の意義(中田)

 
一昨年も年金事務所で調査  
 今回、崔洛さん、姜宗豪さん二人の遺族のアボジの足跡をたどるのに「威力」を発揮したのが、厚生年金の加入記録でした。厚生年金の始まりは、1942年に施行された民間企業の現業男子を対象とした「労働者年金保険」です。これは、日本が太平洋戦争という「総力戦」を戦い抜くために、戦時下の労働力の確保と「強制的貯蓄」として戦費調達のために導入されたとも言われています。
 これまで調査した年金事務所の担当者の話を総合すると、『「消えた年金」が問題になった07年以降には戦前のデータの電算化は進んだ。ただし、本来個人の記録は、名前を「よみがな」で検索するのが基本であるが戦前のデータは、「画像」として保存されているがすべて「よみがな」が振られているわけではなく、振られていなければ漢字で検索をすることもある。今は、過去のデータも順次「よみがな」を振っている。しかし「よみがな」が違えば、記録としては上がってこないので、最終的には「画像」として保存されているデータを一枚ずつ調べることとなる。』つまり、一定の地域と事業所を絞り込むことができれば、かつて、照会をかけて不明であったものでも改めて照会すれば判明する可能性が出てきたということです。
 崔洛さんのお父さんの年金記録は、秋田の年金事務所からの連絡でした。「漢字検索」をすることで九州の記録を秋田の事務所で発見できたということでした。また、姜宗豪さんのお父さんの年金記録の回答票を下関年金事務所で受領する際、当時の手がかりをつかむために、台帳の原本と名簿(本人以外は黒塗りでしたが)を合わせて開示してもらうことができました。年金事務所の「探し方」によっては、新たに記録を発見することができるケースがあることがこの間の調査活動で判明したことは大きな成果でした。

新たな発掘遺骸のDNA調査に韓国人も参加させよ!
6・23厚労省へ要請書提出へ 同時に国会議員説明会を開催 

 
  厚労省交渉(2013.12)
6月23日、太平洋戦争被害者補償推進協議会からの遺骨要望書を、NPO法人戦没者追悼と平和の会の塩川理事長を代理人として厚労省に提出します。国会議員説明会も同時に行う予定です。(詳細が決まり次第HPに載せます)

要望項目
1.日本政府の遺骸発掘事業に韓国遺族も正式に参加できるようにすること。
2.遺骨を遺族に返すために、発掘した遺骸からはすべてDNA検体をとり、可能な限り個体として情報および遺骨を保存すること。
3.遺骨探しを希望する韓国遺族たちのDNA情報を収集して遺骸調査事業を進めること。
4.厚労省は「墓地であれば名簿と遺骸の範囲が同一なので、遺骸と遺族のDNA照合をする。」と言っている。それならば、死亡地域が限定して判明している遺族については、墓地と同じと考えられるので、同一基準で直ちに希望する韓国人遺族からもDNA情報の収集・照合を始めること。
5.現在、遺骨を家族に戻すために日本人遺族に行われている情報提供・DNA調査の呼びかけなどはすべて、韓国人遺族にも行うこと。

7月9日ノー!ハプサ第2次訴訟の第1回口頭弁論決定(山本)

 ノー!ハプサ第2次訴訟の第1回口頭弁論期日が、7月9日(火)午後3時半から、東京地裁103号法廷で開かれることが決まりました。この間、弁護団と事務局では第2次訴訟の訴訟救助を勝ち取ることに全力を注いできました。韓国の太平洋戦争被害者補償推進協議会のスタッフと連日のように連絡を取り合い、無理なお願いもしながら、必要な資料の収集や裁判所に提出する陳述書の準備、翻訳作業を進めてきました。その結果、3月17日に無事、「訴訟上の救助を付与する」決定を勝ち取りました。靖国神社は、2月19日付で訴訟救助申し立てに対しても意見書を出し、「勝訴の見込みがない」「資力要件充足の疎明が不十分。(1次で)毎回来日し意見陳述している」などと主張してきました。すでに、同種の合祀取り消し訴訟では最高裁判決が出ており、韓国人関係でも第1次訴訟が控訴審で敗訴という厳しい状況の中でも、靖国神社の主張を斥けて、訴訟救助決定を得ることができたことは大きな一歩です。昨年10月22日提訴から半年以上が経過しましたが、いよいよ新たな闘いが始まります。これまで支えてくださった皆様、ありがとうございます。
一次判決後、地裁前で 10月22日の二次提訴

新たな訴訟開始の意義

 この間、安倍首相が昨年12月に靖国神社参拝を強行し、中国・韓国だけでなく、それほど日本に批判的でなかったアジア諸国やヨーロッパ諸国、米国までが安倍首相を批判しました。村山談話や河野談話の見直しを公言する安倍首相は、一方で集団的自衛権行使の憲法解釈変更や特定秘密保護法強行など戦争政策を次々と進めており、今やアジアの平和と安定の脅威となりつつあります。政権誕生後一度も日韓首脳会談も開けないという異常事態が解決する見通しも立っていません。このような中で、韓国人遺族の靖国神社合祀取消訴訟が新たに開始されることは、日本社会に対して改めて植民地支配の清算を問い、アジアとの関係構築に向き合うことを求める契機となるはずです。
 安倍首相の靖国神社参拝に対して、4月21日の靖国神社春季例大祭の日に違憲訴訟が273名の原告により東京地裁に提訴されました。この訴訟には、韓国からもノー!ハプサ訴訟原告の遺族や太平洋戦争被害者補償推進協議会の会員や研究者、市民が原告として参加しています。4月11日には大阪でも違憲訴訟が提訴されました。提訴にあたり弁護団は「安倍首相による本件参拝行為は、政教分離違反という問題に加えて、多くの自由権を侵害しますが、中でも平和的生存権を脅かすものであるという点で憲法に違反する行為です。国家のために死んだ者を慰霊・顕彰し、国家のために死ぬことを美化し称揚する靖国神社への参拝行為は、そのような価値観を承認、称揚、鼓舞するという行為です」(声明)と強調しました。安倍参拝違憲訴訟では靖国神社も被告としており、連帯して靖国神社の本質を暴いていきたいと思います。ぜひ大法廷をいっぱいにする多くの皆さんの傍聴を呼びかけます。

読書案内
   
 

 『海外戦没者の戦後史 − 遺骨帰還と慰霊 

             浜井和文著 吉川弘文館 1800円+税

 2013年現在、約240万の海外戦没者のうち、約130万が野ざらしで放置されている。戦後70年経ても、残された遺族にとっての戦後は終わっていない。本書は海外戦没者に対して軍・政府の施策が場当たりな問題だらけのものであったことを歴史的に検証する。戦前、遺骨は「戦場掃除」(その場で火葬)、「内地還送」(遺品、遺骨等を家族に届ける)という原則があった。しかし太平洋戦争期にはこの原則維持ができなくなり「空(から)の遺骨箱」を遺骨だとして受け取らせ、靖国に英霊化することでマインドコントロールした。戦後、遺族の要求で遺骨収容を始めるが、50年代末、政府は「象徴遺骨」の収容に転換という名目で、印(しるし)程度の収容で区切りをつけようする。納得できない遺族の声で、60年代、一応再開したというが十分とは言い難く問題は残されたままである。遺族の願いは、DNA鑑定など最新技術を駆使しても、遺骨が家族のもとに帰ること。遺骨には朝鮮・台湾人もいる。そして何よりこの取り組みは「死してなお尊厳を奪われた戦没者たちに、人間として尊厳を取り戻す」ことであると。良書である。(大釜)

GUNGUNインフォメーション

6月17日(火) 東京総行動 新日鉄住金本社前 9:50〜10:10
6月20日(金)〜22日(日) 日韓市民がいっしょに開く「歴史NGO大会in東京」
          21、22日 10:00 在日本韓国YMCAスペースY(JR水道橋駅、御茶ノ水駅、地下鉄神保町駅徒歩)
6月22日(日) 反ヤスクニキャンドル行動事前学習会「今ヤスクニ・ヘイトスピーチを考える」 10:00 在日本韓国YMCA302会議室
6月23日(月) 韓国人遺骨に関する厚労省要請書提出&国会議員説明会(詳細未定)
7月 9日(水) ノー!ハプサ第二次訴訟 第一回口頭弁論 15:00集合 東京地裁103号法廷
7月25日(金) 日韓会談文書開示請求第3次訴訟控訴審判決 16:00 東京高裁809号室
8月1日(金)〜2日(土) 政教分離全国集会 金沢市教育会館
8月2日(土)〜3日(日) 平和と民主主義をめざす全国交歓会 クレオ大阪中央他
                  3日:分野別討議 エルおおさか他
8月9日(土) 平和の灯を!ヤスクニの闇へ2014キャンドル行動 13:30 在日本韓国YMCAスペースY