在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.76 (2014.2.15発行)

ノー!ハプサ2次訴訟原告と弁護団
(1月12日、ソウルの推進協事務所)

戦争被害者の傷口に塩を塗る行為、発言を許さない!
東日本大震災のように戦没者の遺骨を家族の元へ!

 「靖国史観」に立つ安倍首相と安倍によって権力を得た人物から、確信犯的行為、発言が続いています。12月26日の安倍首相の靖国神社参拝に続き、1月25日にはNHKの籾井勝人新会長が就任会見で「従軍慰安婦はどこの国にもあった」と発言。2月4日には同じNHK経営委員の作家・百田尚樹氏が「南京大虐殺はなかった」と発言。当然のことながら、戦争被害各国をはじめ、アメリカ、欧州からも批判が相次ぎました。戦争被害者、遺族の傷口に塩を塗る行為、発言を私たちは断じて許しません。
 「靖国」は、戦前戦中戦後を通して戦争の真実を覆い隠す「忘却装置」としての役割を果たしてきました。「戦死」の大半が餓死や栄養失調による病死でした。無謀な作戦を強いた者や多くの戦争犯罪者への責任追及、そして遺族の遺骨返還要求など、戦後日本人が行なうべき真相究明をかき消した犯人は、靖国による「英霊化」でした。安倍首相は、南太平洋諸国やミャンマーなどで放置され遺骨収集を方針化し、立法化を検討していると報道されましたが、靖国参拝の正当化に利用させてはなりません。東日本大震災犠牲者の遺骸は、現在でもDNA鑑定を経て家族の元に返す努力がされていますが、戦没者も韓国人遺族を含め、故郷へ返す努力を規定した法律にしなければなりません。
 今年も「記録と遺骨に解決済みは通用しない」の運動にご支援ください。

李煕子さん(太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表)から

  GUNGUN裁判を支援する会の皆様へ(新年のご挨拶)

 こんにちは。イ・ヒジャです。2014年午年の新春になりました。グングン裁判を支援してくださっている皆様のご家庭に健康と幸せが共にやってくることをお祈りします。
 
 
  李煕子さん(2013キャンドル行動で)
 私たちはグングン裁判を通して何を為したのでしょうか、得たものと失ったものは何でしょうか、今までの活動を振り返ってみます。かつての日本の過ちを正し、平和で全うな未来を願う多くの方々の心を確かめることができたということがあります。グングン裁判をしながら、原告たちが大阪と東京に行ったり来たりして、日本から被った「恨」の積もり積もった悲しみを語ることのできる機会が設けられました。文化と言語の壁はありましたが、お互いの顔を突き合わせて話し合っている間に、被害者たちはたくさんの日本の方々の温かい心を感じることができました。悔しさと恨めしさは、その気持ちを理解してくれる人と出会うことにより解きほぐされ始めると思います。私をはじめ原告たちはグングン裁判を支援する会の皆様の温かく思慮深い心を忘れないでいます。

 また、グングン裁判の過程で製作されたドキュメンタリー『あんにょん・サヨナラ』を通して遺族たちの悲しみと願いを多くの人びとに見せることができ、靖国神社の隠された問題が本格的に暴露されるようになった点があります。これを機に、私たちが共にやらなければならないことが何であるのか、広い視野に立って思い悩むようになりました。被害者たちは被害者であるだけであり、自分の力でやれることはありません。心の中には日本に対する怨念と憤怒が残っているだけです。心の中にからみついた糸を少しずつ少しずつほどいていくことが、私たちが共にやらなくてはならない民間交流の役割であり、すでに私たちはそれをしていると思います。

 日本に引っ張って行かれ何の連絡もない父の行方を捜す活動や、父がおられた現場を訪ねて行く巡礼、放置されている犠牲者たちの遺骸問題を解決するための努力などを通してグングン裁判を支援する会の皆様との連帯が益々固くなることを祈ります。また、韓国の被害者と遺族たちが支援する会の皆様の温かい心を感じて理解する契機を広げていきたいと思います。日本と韓国の政治的環境が変化したとしても強制動員問題に対する被害者たちと遺族たちの気持ちは変わるはずがありません。被害を被ったという事実はなくなりはしないからです。こうした時であるほどグングン裁判を支援する会の皆様の温かい心が間違いなく必要だと思います。私は過ぎ去ってゆく歳月が無情であると思うときがたくさんあります。しかし流れゆく歳月をとどめておくことはできませんから、与えられた時間の中で最善を尽くそうということが私の覚悟です。

 グングン裁判を通して失ったことは何でしょうか。裁判の結果です。しかし全くの損失であるとは思っていません。裁判を通して多くの事実が明らかにされましたし、残された宿題が確認され、その宿題を解決するための色々な分野の新しい活動が活発に進められています。そして裁判の過程で残されたたくさんの資料は記録として残り、強制動員被害問題を解決するうえで礎石になるだろうと思います。そのような歴史的な足跡を残した皆様との出会いと活動は被害者たちにとって息苦しい気持ちをすっきりさせる契機になりました。皆様と会うたびに残されていく思い出は大きな力となり慰めとなりました。皆様の助けがあったからこそ持続的な活動をしてここまで来ることができたと申し上げたいと思います。そしてこれからもたくさんの交流を通して平和を築いていく活動が続いていくことを祈ります。2014年は皆様のご家庭に健康と幸せが満ち溢れますよう手を合わせてお祈りいたします。

                                                 2014年2月
 太平洋戦争被害者補償推進協議会 共同代表 李煕子

姜宗豪(カンジョンホ)さんの父の記録見つかる!
1944年2〜3月、下関市、西大洋漁業統制株式会社、「第26北新丸」で働く(上田)

 
姜宗豪さん  
 
神戸の戦没船資料館で  
 姜宗豪(カンジョンホ)さんの父の記録が見つかった。西大洋漁業統制株式会社は、林兼商店が、昭和18年9月8日水産統制令による西太洋漁業統制株式会社設立命令に基づき同社に所有権移転したことにより設立された会社(現在のマルハニチロ)である。乗船していた船の名前も確定できた。次はこの船、「第26北新丸」の1944年2月〜3月の記録を探す調査を始める。3年前、姜宗豪さんら3人をお招きし、神戸、大阪、京都で証言集会を開いた。私たちは、日本にいる兄弟・家族として、3人の父・兄の記録と遺骨を探す約束をした。(このうち2人には全く記録がなかった。)

 戦没した船と会員の資料館(神戸市)での調査を手始めに、韓国に引き渡された供託金資料の再確認、そして日本での軍事郵便貯金・通常郵便貯金の個別申請運動などもおこした。軍事郵便貯金では多くの個人の記録が出てきて、韓国政府に2000倍のウォンに換算しての請求が行われた。400万円が支払われた人もいたが、3人の記録は出てこなかったが、昨年全国の地方紙の1面に、通常郵便貯金の存在が強制労働の証拠と大きく報じられた。この個別申請運動は今も継続して行われている。強制労働の証拠である通常貯金の該当者はまだなく、現存確認がされれば大きな波紋を再度呼ぶことになる。

 何としても、記録を見つけ出すべく我々の取り組みは、年金調査に進んでいる。郵便貯金と同じように年金記録も簡単には出てこない。グングン裁判開始当時韓国遺族側から厚生労働省に年金記録の問い合わせがなされたが、ほとんどが「会社がわからないから調査できない」という回答だ。行方不明だから探してほしいという韓国の遺族に「働いた会社を示しなさい」これが日本政府の態度なのである。

 行方不明の父や兄の記録は、遺族にとってかけがえのないものである。記録を見つけても徴用され亡くなった父は帰っては来ない。しかし「どこへ連れていかれ、どこで亡くなったかだけでも、探すことができなくては子としての道理に反する。死ぬこともできない」これが遺族の切実な思いである。姜宗豪さんの場合、生まれてから父と会ったことがなく、父の死が原因でお母さんとも生き別れた。加えて8歳のとき、済州島の4・3事件(政府による左翼狩り、島民の大虐殺)が起きた。父が連行されたことを示す記録や、死亡したという通知さえなく、戸籍上生きているはずの父がいないため逃亡したとみなされ、その代わりに祖父母が連行され銃殺されたのである。その後の少年期・青春期の苦労も、筆舌に尽くしがたいものだった。

 日本政府は、また日本社会は姜宗豪さんたち遺族の苦しみにこたえなければならない。そして私も「日本の家族となって記録と遺骨を探し出す」約束を果たしていくつもりだ。 

 現在、その後「記録」のない韓国人遺族から託された資料をもとに、グングンスタッフで年金事務所や郵便局で調査交渉を続けています。数が多いこともあり、手助けしていただける方を募集しています。メールで事務局までご一報ください。

「遺骨と記録に解決済みはない−戦没者の遺骨を故郷・家族のもとへ」
12・7日韓遺族の証言集会報告(大幸)

 昨年私たちは、塩川正隆さん(NPO法人「戦没者追悼と平和の会」理事長)と出会い、日韓遺族の共通した要求である「戦没者の遺骨を故郷・家族のもとへ」について交流を深めてきました。今回は塩川さんを大阪に招き、今後の運動をどう発展させるか議論するために証言集会として開催しました。
 塩川さんは、沖縄戦で父親を亡くした遺児です。昨年ソウルで、沖縄戦に動員された韓国人遺族である権水清(クォン・スチョン)さんの訴えを聞き、昨年11月には沖縄で、権さんの父、云善(ウンソン)さんの足跡をたどる旅を企画していただきました。レイテ島での災害支援活動から前日に帰ってこられたその足で、大阪に駆けつけていただきました。
 会場には、NPO法人太平洋戦史館(岩手)の岩淵宣輝理事長の尽力で実現したパプアニューギニアでの戦地追悼の写真や、今なお放置されたままの遺骸の現状をパネルにして展示しました。

パネルを展示 証言集会 沖縄での塩川さんと権水清さん

 まず、パプアや沖縄でのこの間の取り組みを紹介した映像を上映し、塩川さんにご講演いただきました。以下は発言の要旨です。

塩川正隆さん
 
  塩川正隆さん
 前日の「秘密保護法」成立してしまったが、これは、一言でいうと英霊を作るための法律で、このままでは自衛隊員がどこで戦闘行為があり、死んで行ったかなども市民の目から隠されてしまいます。「新たな戦没者」を出させないための行動に力を尽くしたい。
 靖国合祀と遺骨問題は、一つのものです。靖国神社に名前はあっても実態は戦場に野ざらしのままです。遺骨を家族の元に戻すという取り組みを希望を持って活動しています。
 明日、権水清さんと私のDNAを厚労省に受け取らせるために行ってきます。DNAは50年保存がきくのです。例え自分の代で遺骨が見つからなくても、次の世代に託せばいい。硫黄島の発掘事業は終わっているので、次はニューギニア、フィリピン、沖縄での発掘に取り組ませ、戦没者の遺体を家族の元へ返していくよう厚労省に迫りたい。DNAのデータベース化は国がやろうと思えばできるものです。また遺骨収集法の制定にも力を尽くしたい。現在、政府は発掘した遺骸を焼いて白木の箱に入れて日本に持ち帰った後再度焼いて、千鳥が淵に収めていますが、墓地ではないところに埋葬しているのは違法であり、言うならば「仮安置が60年続いている」事です。そこで、遺骨収集法を実現するために議員への働きかけを強めていきたい。

<韓国から参加のお二人の訴え>
李煕子(イ・ヒジャ)さん
 会場に飾られているニューギニアの写真を見て、高仁衡(コ・イニョン)さんのことを思わずにはいられなかった。どんなに行きたかったであろう父親の最期の地に足を踏み入れた一か月半後、急逝してしまった。なぜそんなに早く亡くなったのか。骨のかけらでも探し出して、お母さんのそばに置いてあげたいという願いも果たせずに。90年頃から共に活動し、共に多くのことを計画し、裁判でも共に闘った。相談しながら多くの遺骨を探すはずだったのに。
 グングン裁判は最高裁で棄却されましたが、私たちの名前を外してほしいという要求は間違っていない。棄却されたとは思っていない。南英珠さんをはじめ27名の原告が第2次訴訟を始めた。靖国のことをもっと多くの人に知ってもらいたい。

南英珠(ナム・ヨンジュ)さん
 ニューギニアに行ってより一層感じました。「兄を取り戻して先祖の墓に名前を刻みたい」と。ちゃんとしたチェサをして祀ってあげたい。そのために、ヤスクニからどうしても名前を取り戻したい。そういう思いでノーハプサの2次訴訟に参加することにしたのです。
 日本政府はなぜ遺骨を探そうとしないのか理解できない。身内のところへ戻すのが当然ではないでしょうか。遺体も名前も祖国に返してもらえない。両親の気持ちを考えると悔しくてなりません。力の限り闘っていきたい。

李煕子さん 南英珠さん 松岡さん

<会場からの発言>
松岡勲さん
 父は1944年に大阪港から中国へ送られ、1945年1月に河北で戦死と知らされた。遺骨は返って来ているものと思っていたが、最近になってそれが石ころだということがわかった。「遺骨を」との韓国遺族の思いがわかった。

吉田文枝さん
 戦後も日本では、戦死者を国家が独占してきたが、法的権利はない。政教分離、信教の自由が憲法で規定されているからだ。しかし靖国神社の例大祭には、天皇からの勅使が参加して供え物を献上している。親族が靖国神社に合祀されているが、精神的苦痛を受け続けている。肉親の死を悲しむことから立ち上がることで、ヒジャさんの怒りと連帯していきたい。「靖国合祀イヤの声」を遺族の中で積み上げていきたい。

証言集会を振り返って

 昨年12月、安倍首相は靖国参拝を強行し、「英霊を讃えることは当然。どこの国でもやっている」と発言。教育面では高校の日本史を必修科目として、「竹島」「尖閣諸島」「北方領土」を「日本固有の領土」と教え込もうとしています。また遺骨収集事業に強い意欲を見せ、硫黄島に関して厚労、防衛、外務省による作業チームを結成。10年間で約500億円を投入し、自衛隊基地の滑走路下にある遺骨収集に26年度から着手、30年度をめどに滑走路を移設したうえで作業を本格化する方針を決めました。安倍が遺骨収集事業を利用して、アジア・太平洋戦争で散っていった兵士を誉め讃えるキャンペーンを展開していくだろうことは容易に想像できます。「美しい日本を守ろう。自信を取り戻し、国のために行動をおこそう。かつての兵士のように」と。しかし、その中には祖国を日本としない兵士の骨が無念に置き去りにされているんです。遺骨の返還を要求する遺族が韓国で待ち続けているのです。戦争美化のための遺骨の利用を許してはならないと思います。

厚労省交渉報告(古川)
 
  厚労省交渉を行なう塩川さん

 12月7日の証言集会の翌々日、塩川さんが行なった厚生労働省へ交渉に同席しました。
簡単にまとめると、
1 朝鮮人軍夫の行方不明者の調査については、
 「権水清さんに何ができるか、上司と相談してお答えしたい」
2 日弁連意見書について(火葬は続けるか?DNA鑑定は?)は、
厚労省が行なっているDNA照合の方針がH15年に定められた方針のため、その「DNA検討会」代表の属する東京歯科大の先生に塩川さんが意見を聞く。また東北大震災の被害者身元特定にどうDNAが生かされているのか、双方で確認することに。
3 来年度遺体収容予算の概要については、
 沖縄への予算獲得に向けて次回交渉することに、それぞれなりました。

次回は2月13日(木)に行い、GUNGUNから上田さんが参加します。

不当判決乗り越え、新たな闘いへ(ノー!ハプサ事務局長 山本直好)

 昨年10月23日の第1次訴訟控訴審判決は、一審判決をさらに後退させ、靖国の主張に全面的にすり寄る不当判決でした。しかし、判決の前日の22日に、新たに27人の遺族が合祀取り消し・遺骨返還・戦死通知等を求める第2次訴訟を提訴し、新たな闘いに踏み出しました。1次訴訟につきましては、太平洋戦争被害者補償推進協議会から、「検討した結果、1次訴訟は上告せず、2次訴訟に集中したい」との意向が伝えられ、上告手続きは行いませんでした。

 
2次訴訟原告からヒアリング  
 1月11日〜13日にかけての弁護団訪韓調査では、6名の2次訴訟原告の皆さんからの聞き取り調査を1日かけて行いました。昨年の提訴準備のための訪韓とあわせて、これまでに10名の原告の聞き取りを完了しました。今後も数次の訪韓調査を行い、早期に27人全員からの聞き取り調査を行い、訴訟内容や運動に反映させていきたいと思います。

 また訪韓期間中に聯合ニュース及び中央日報英字新聞の取材を受けました。そして、柳基洪(ユ・キホン)議員とも面会し、支援を訴えました。昨年10月23日の東京高裁不当判決に対して、韓国政府が初めて「韓国人の強制徴兵・徴用犠牲者の意志に反して帝国主義侵略の歴史を美化する靖国神社に合祀する行為は、当事者とその遺族の名誉・人格に対するとてつもない侵害だ」とコメントし、韓国人合祀問題を外交問題へと押し上げました。

 韓国人合祀問題への理解を広げることは靖国神社の本質を世界に広げることにつながります。運動の軸は2次訴訟に移りますが、1次2次原告含む韓国の被害者の皆さんと一緒に靖国合祀の不当性を広く世界に訴えて行きたいと思います。今後ともご支援よろしくお願いいたします。

「沖縄戦没者遺体収容の旅」に参加して(木村)

 1月17日から19日にかけてNPO法人「戦没者追悼と平和の会」主催の、「第10回沖縄戦没者遺体収容の旅」に私と古川さんが参加しました。参加者は追悼と平和の会会員を中心に25名。17日各地からの参加者が那覇空港で合流、南風原文化センターで説明会。塩川さんから「今まで遺骨収容に関する法律がなかったが、今度の国会には議員立法で出来るのではないかと云うところまできている。ボランティアの皆さんの行動が力になって日本政府を動かしたといえる。父を沖縄で亡くし37年前から遺体収容をしてきたが、当時は相手にしてもらえなかった。“遺骨が残っている。”と言っても、“そんなの人間の骨でない。”と言われた。今やっと沖縄でも情報センターをつくって進められるようになった」と挨拶があった。続いて当時女学生で16歳だった塩川さんが沖縄戦体験を語られた。「20年3月23日大空襲から戦闘が始まった。目の前に米兵を見ても、勝つとしか言わなかったが、毎日爆弾が落ちる、人の首が足が目が飛ぶのを見た。戦争は人間の心まで狂わす。昼は隠れて夜は逃げ、激戦地の南部へ向かった。小さな壕に隠れた際、手榴弾を持った兵がこれで死になさいと言ったが、母は「生きている子どもをどうして殺せるか」と止めた。目の前で投降しようとする人が日本兵にスパイだと首を切られるのも見た」「松代大本営はこの目で見た。水洗トイレまであるあの壕を掘る為に 沖縄が捨て石にされた」と話された。最後にスタッフの山本さんから諸注意があり、手榴弾等危険物が出た場合どのように扱うかと聞き、戦場に入るのだと気持ちが引き締まった。

塩川さん 塩川さん

 その後、明日作業に入る糸満市真栄里へ。野戦病院のあった壕を見に行く。スタッフにより事前に藪の刈られた道を進む。壕の入り口から梯子を伝って下りると、這い這いの状態で奥へ進む。持参した膝サポーターが役に立つ。何度もヘルメットがゴツンゴツンと音をたてる。屈んだまま中に入ると、通路の右側に人が2,3人横になれる場所がある。蟻の巣の様に通路の左右にこのような場所があるという。ここが明日の発掘場所だ。

公園の頂上にガマの入り口が 下見で入ったガマ

 夜の交流会で自己紹介、近くに座った方は何度も参加されていて少し話もでき緊張も解けた。交流の後、国吉さんの自宅兼資料館に連れてもらう。発掘された遺品は20万品という。種類別に整理され、薬ビンなど、大きさ、色別にきれいに並べられているのに驚く。最近見つかった「李自強」と名前の彫られた印鑑もあった。名前のわかる物は、塩川さんが遺族を探すことになっているようだ。

国吉さんの私設資料館 発掘物が整理されて ビッシリと

 翌朝ホテルを出発し、遺体収容へ。長靴をはき、ヘルメットをかぶり、昨日行った壕へ。通路から最初に右手に広がった場所を掘ることにする。50センチぐらい土が後から被さっているらしく、そこまで掘り上げることが最初の作業となる。始めは中村さん夫妻と私の3人で、後から事務局の清藤さんが加わった。まず「ここを掘らせてもらいます」と手を合わせてから始めるが、固くて土が動かない。大きな石を片脇にのけて、とにかく土面をたたいては除く作業の繰り返し、20〜30センチ掘ったところで、1センチ四角柱の物が出てくる。回って来られた具志堅さんに見てもらうと、当時のバッテリーだと。一つ見つかったことで、掘る手にも力が入る。午前中には、3人が入って各々掘り進めることができる程の穴となり昼からの作業場所ができた。

  昼食を終えもう一度壕に入るが、中の暗さに戸惑う。これほど暗い場所だったとは。昼からの作業で 薬のアンプルが一つ 中に薬液が入ったまま出てきた。周囲からアンプルのガラス片が多数見つかる。ここが病院壕であったことを証明するように。こんなゴツゴツしたところに、傷を負った人だったろうか、病気で動けなくなった人だったのか、ただ横たわっておられたのか、この壁にもたれておられたのかと思うと、胸が痛む。終わるころには、深さ50センチ程で3人はスッポリ入れる穴ができていた。

  各々の発掘場所から出てきたものがビニールシートの上に並べられた。私たちの壕から出たバッテリー数個、木炭、アンプル 他の場所からもアンプルが6本箱に入った状態で出てきた。スコップ、軍人のアルマイトの食器、照明弾、米製の地雷の一部等々、そして 人骨も二片出てきた。これはDNA鑑定にかける。この壕は 2月国吉さんが学生アルバイトと共に最終的な発掘調査をするそうだ。

 帰りのバスの中で、塩川さんは「防空壕の暗い中で一日作業をしていたことは戦没者の方には必ず届いていると思います」と参加者を労ってくださった。

二日目ガマへ 低い天井での作業
人骨らしき骨片 発掘物を並べる

1月19日 平和祈念公園で追悼式典と報告会  

 摩文仁の丘にある国立戦没者墓苑の仮安置所の前に祭壇が設けられる。毎年準備されているスタッフで手際よく組立式の佛壇が備え付けられ、香炉やお供え物が並べられ花が供えられる。昨日壕の前にも来られていた糸満市長谷寺の岡田住職がお経をあげ、参加者一人一人が線香を供えた。

 報告会は、平和祈念資料館の会議室で行なった。参加者からの感想が続く中で、若い女性の一人中村さんからの感想が印象的だった。昨日壕の入り口で怖くて入れなかったそうだ。その時前日仲程さんに聞いた話「壕の中に明りはあったのか」と聞くと、「明りはなかったが、水さえあれば幸せだった」と聞いたことを思い出したことで、中に入ることができた。「体験された方が残っている内に生まれて来た私たちは、今は生き方を選択できる時代だが、どう伝えるか、どう生きていくか今後考えていこうと思った」と声を詰まらせながら語った。今回初めての経験で不安も大きかったが、最後まで気持ちよく参加させてもらえた事に感謝したい。塩川さんは「戦後70年 国が戦没者をどう扱ってきたか。焼骨した骨は東京湾に捨てられていることを見ればわかる。英霊を二度とつくらないということで 突っ走っていきます」と参加者に決意を語りかけられた。安倍の靖国参拝、NHK新会長の「慰安婦はどこにもいた」発言、NHK経営委員の「南京虐殺はなかった」と歴史を改竄する発言が後を絶たない。戦争の事実からまだまだ学ぶべきである。

摩文仁での追悼式 感想交流

映画紹介
 
   

  『60万回のトライ』 

 監督 朴思柔 共同監督 朴敦史 製作コマプレス106分

 1月18日大阪でのプレミア上映に参加した。会場は早くから満員になった。この映画は2010年から3年間の密着取材でラグビーに青春をかける大阪朝鮮高級高校ラグビー部員の奮闘を描いたドキュメンタリーである。監督の朴思柔さんがそもそもこの映画を撮るきっかけとなったのは2007年。朝高のグラウンドが東大阪市に取り上げられそうになっていることだという。雨でぬかるんだ運動場でサッカーと分け合って練習する生徒たち、終わった後運動場に深々とおじぎする態度に感銘を受けた朴思柔さんは、ひたむきな生徒の練習場がなくなることに対する関心を持ってもらおうと韓国社会に発信。映画では部員と指導者との厚い信頼関係、怪我で大切な大会に出場できなくなった部員とそれを支える部員の葛藤などを中心に、ラグビーにかけるひたむきな姿をありのままに映し出している。日本の学校の高校生となんらかわることはない素顔が、時に笑いを誘う。しかし、朝鮮高校は「授業料無償化」制度からの排除、自治体からの補助金カット、ヘイトスピーチ等の差別にさらされている。「ラグビーでは敵、味方として戦っていても、試合が終わればその垣根を越えて互いの健闘をたたえあい交流を深めるというノーサイド精神がある」と主将が語る場面がある。それ以上彼は言葉にはしていないが、日本社会にもっとノーサイドのこころが広がってほしいという思いがこめられている。状況はひどいが、それでも「60万同胞の思いをうけて、優勝へ!!」その夢を実現していこうとする彼らに熱いエールを送りたくなる。(大幸)

《「60万回のトライ」今後の上映予定》
2月22日(土) 東京プレミア上映
  東京・日暮里サニーホール 開場13:00 上映13:30 監督舞台挨拶あり
  一般1,300円(前売1,000円) 学生800円
3月15日(土)〜28日(金) 東京・オーディトリウム渋谷にてロードショー
3月下旬以降、大阪・第七藝術劇場にてロードショー
以降、全国順次ロードショー予定。(韓国でも夏頃劇場公開予定)

GUNGUNインフォメーション

2月18日(火) 東京・権利総行動
           9:50〜 新日鉄住金本社前(東京駅丸の内口)
3月 1日(土) 3.1朝鮮独立運動95周年集会
           18:30〜 文京区民センター
           講演:高橋哲哉氏「平和も民主主義もあきらめない(仮題)」
3月15日(土) 第7回強制動員真相究明全国研究集会 テーマ「強制動員問題解決への道」
           13時〜18時 立命館大学衣笠キャンパス充光館B1講堂  資料代1000円(学生500円)
           懇親会 18時〜20時 会費 3000円 (学生1500円)
  基調報告:
   @韓国と日本の最高裁判所判決と法的責任(弁護士 山本晴太さん)
   A植民地支配責任と強制動員問題(同志社大学 板垣竜太さん)
  証言:不二越女子勤労挺身隊のハルモニ(予定)
  特別報告:
    「遺骨を家族のもとへ!日本弁護士連合会の意見書を受けて戦没者収容に関する法律の制定を!」
       (戦没者追悼と平和の会 塩川正隆さん)
3月16日(日) フィールドワーク「京都市左京区・朝鮮ゆかりの地を歩く」
           9時30分集合(叡電「出町柳」駅改札口)   案内:水野直樹さん(京都大学)