在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.74 (2013.10.5発行)

沖縄戦遺族の権水清さんと塩川さん

フィリピン戦遺族の朴基哲さんと塩川さん

数万冊の通帳を返せ! 「記録と遺骨に解決済みはない!」
遺骨を韓国遺族の元へ返すためにDNAデータ化要求へ


 9月8日、共同通信が「貯金通帳数万冊を無断保管・強制連行朝鮮人の賃金か」との見出しで、「企業に強制的に貯金されられた朝鮮人名義の『数万冊』の郵便貯金通帳が、本人に無断で『ゆうちょ銀行福岡貯金事務センター』に集約、保管されていることが分かった」と報じました。この記事は2010年の証言集会以降、「父の生きた証」である貯金通帳の返還を求めてきた私たちの運動の成果です。7月10日ソウル高等法院での新日鉄住金の強制労働に対する歴史的な判決後、日本のマスコミは、「日韓合意に反する賠償命令だ」(読売)「日韓両政府とも重荷に」(東京)などとの社説を掲げましたが、今回の郵便貯金の記事が示すとおり、問題の根幹は「不誠実な日本の戦後処理」にあったことを忘れてはなりません。誠意をもった植民地支配の清算が求められます。
 8月27日神戸新聞は、「DNA鑑定、兵庫も自動化・約80検体同時対応」と、犯罪捜査として警察が40万件の犯人のDNAデータ化を既に行なったことを報じています。今なお113万の遺骸が未回収であり、その1%を占める朝鮮半島出身者の遺骨を遺族の元に返す展望になるものです。記録と遺骨に「解決済みはない」のです。
 GUNGUNではNPO法人「戦没者追悼と平和の会」の塩川さんと連携して、韓国人遺族の沖縄・フィリピンへの戦地追悼とDNAデータ化要求実現に向けた準備をしています。ご支援をよろしくお願いします。

NPO法人「戦没者追悼と平和の会」の塩川正隆さんと韓国へ


7月ソウルNGO大会に塩川さんと参加(木村)

 
 

権水清さん(左)と塩川さん

 7月韓国ソウルで開催されたNGO大会で報告者として参加した塩川さんをサポートして訪韓した。仁川空港から推進協事務所に直行、大会で上映する塩川さんの紹介映像を確認した後、沖縄でお父さんを亡くされた権水清(クォン・スチョン)さんの資料説明を受けた。配属された部隊の記録は残っているのに「死亡等の記録はない」という厚生省記録を見て、「本当に死亡通知もないのか」と驚いておられた。その後、フィリピン陸軍歩兵77連隊の韓半島出身者名簿から韓国の住所の方をチェックしてもらう。塩川さんのお父さんは沖縄戦で、伯父さんはフィリピンで亡くなった。伯父さんと同じ部隊だった永田さんはフィリピンの77連隊に所属し、ほとんどが戦死する中、九死に一生を得て生還された。その経験から、戦後は“戦没者追悼と平和の会”の理事長として活動を続けてこられた。そして亡くなる前に塩川さんにこの朝鮮人名簿を託し、「必ず遺族に会って欲しい」と遺言された。NGO大会には権水清さんも参加され、沖縄戦遺族同士の初めての対面となった。
 塩川さんは、用意された報告の前に、「韓国人が今まで行方不明のままだなんて信じられない。日本人もほとんどが行方不明だが、調査して死亡と扱っている。許せない」と語り、なぜ沖縄とフィリピンで遺骸収容を始めたか話された。「沖縄で初めて入った壕の中には軍隊手帳など様々な遺品があり、牛島司令官の遺品もあった。それでも日本政府は、収容は終わったとした。それなら自分たちでやるしかないと続けてきた。今沖縄に情報センターを作ろうとしている。継続してやってきてよかった。フィリピンには慰霊碑を作って17年になる。8万人が死亡して帰った遺骨は1万5千。フィリピンに行くと、「お前は日本人か」「肉親を殺された」と迫られる。遺骸収容・慰霊と共に友好親善を図ってきた。今年は150人分のカレーライスを現地で自ら作りふるまってきた」と会の活動を紹介。そして「自民党は“戦没者に尊崇の念を持って”と言いながら、遺骸収容を放ったらかしてきた。厚生省も海外に遺骸が113万残っていて、内60万が収容可能だと言っている。靖国神社は、本当に静かで安らかな所なのか。日本が恐ろしい国になって、いつか来た道をたどっていくのではないかと恐怖すら感じている。今、日韓関係が良くない状態にある。そんな時だからこそ、民間人が力を合わせて戦後補償、靖国問題の解決が 関係改善の突破口になると信じる」と語った。
 後日分かった事だが、集会後韓国遺族の間で話題が持ち上がっていた。塩川さんが集会報告の中で、ポケットからお父さんの「霊石」を取り出して見せた。それを見た韓国遺族の方々は、お父さんの大切な遺品をポケットから取り出して良いのかと心配したそうだ。集会後の交流でその石は、父の死亡を遺族に認めさせるため配られた「沖縄方面の霊石」と表書きされた小さな箱に入った3個の白い石であったことがわかり大笑いになった。以来この石は、塩川さんと韓国遺族の方々をつなぐ大切な石になった。

NGO大会 講演する塩川さん
参加者全員で 「霊石」


8月靖国キャンドルで来日の東京で塩川さんと交流

 
  塩川さんが説明 該当者を発見!

 この石は、8月靖国行動後、東京のホテルでの交流の場でも笑い合える話題として登場した。交流では沖縄戦遺族の権水清さんとフィリピン遺族の方を、それぞれ亡くなられた地にお連れしたいという塩川さんの提案を実現するために相談した。その場で嬉しいサプライズがあった。塩川さんの探してきた77連隊の朝鮮人名簿の中にノーハプサ新訴訟原告の朴基哲さんの父(木本豊鉉)の名前を発見。確かめるとNPOのサイトの名簿にも名前を確認することができた。塩川さんは「かつて日本軍が徴用したという足跡があるのに、人一人を虫けらの様に扱っている。それを多くの日本人に知らせないといけない。父の戦死も納得していないが、韓国の方は外国のために犠牲になった。日本政府がこんな扱いをしていることは許せない。このままでは日本は国際社会で生きていけない。まず権水清さんのお父さんの所属部隊が沖縄のどこにいたかは調べればわかる。(後に沖縄の具志堅さんが調査し渡嘉敷島の可能性が高いと判明)その地で祭祀をしてもらう。そして沖縄県に戦死を認めさせることとDNAを提出して遺骨調査を要請する。権水清氏が道を開く」と語り、今後の方向が決まった。


9月訪韓で「沖縄・フィリピン」遺族の戦地追悼とDNAデータ化への道筋を確認(古川)

 

船舶軍(沖縄)留守名簿

 
 
塩川さんと権水清さん  
 
権水清さん  
 
ヒジャさん・権さんと塩川さん  

 9月28日から10月1日にかけて、塩川さんと訪韓した。目的は、塩川さんから提案のあった、「沖縄・フィリピン」遺族の戦地追悼と、将来遺骸が発見されたときに備えてのDNAデータ化要求への道筋を確認するためである。初日は李煕子さんたちと行程について打ち合わせ。塩川さんから10月末に沖縄・渡嘉敷で調査。11月上旬に今度はフィリピン・ミンダナオに渡って調査を行い、11月中旬に権水清さんを沖縄にお連れしたいというスケジュールが提示された。ここで李煕子さんは「恨之碑」の姜仁昌(カン・インチャン)が90年代に韓国政府記録保存所で写し取った「船舶軍(沖縄)留守名簿」の分厚い冊子を持ってきた。名簿の存在に驚いた塩川さんは、「沖縄県史には2百数十名という記述があるが、この留守名簿には104部隊だけで700名弱、103部隊でも同じくらいいるので、この名簿を沖縄側に提供して調査を依頼しましょう」と提案した。
 そして29日、権水清さんを交えての打ち合わせが始まった。権水清さんは1938年生まれのGUNGUN原告で、お父さんを軍属として沖縄渡嘉敷で失い、戦後はお母さんが病死し、兄弟二人が残された。兄弟は叔父に引き取られるが貧しいために学校に通えず、韓国内を転々としながら生活してきた。3年前まではアパート警備の仕事をしていたが今は無職だ。2001年GUNGUN提訴の年に沖縄で行われた全交に原告として参加、韓国の塔で祭祀を行った後、泣き崩れられた。原告の思いに寄り添って最後まで責任を持とうと決意を固めた、私(古川)にとって大切な原告の一人である。
 塩川さんから「権水清さんのお父さんの部隊は陸軍特設水上勤務第104部隊だが、映画「命果報」に渡嘉敷島で部隊の生き残りの朝鮮人軍属(恨之碑の姜仁昌さん)の証言が描かれている。現地の人は触れたがらないが、証言できる人もいるはず。渡嘉敷島では特攻艇に500キロ爆弾を積み込む作業をさせられた。私も父が戦死したために戦後は母一人子一人では生活が苦しくて食べていけなかった。政府がこの「霊石」を持ってきたが、戦死を認めないと年金が出ないので、父の戦死を認めることになった。どの遺族も同じ境遇で「遺骨よりも年金を上げてくれ」という路線になった。900坪の田と300坪の畑、それに鶏を飼っていたので生活ができた。いつもはだしだったがそれでも年金があったのが大きかった。でも権さんは違う。単に補償の問題ではない。朝鮮の人を強制的に動員しておきながら戦後放置してきた日本人としてどうなのかという問題。渡嘉敷に連れて行って、痕跡があるだろうから調査したい。もう高齢だから日本政府に対して「将来遺骨が出てきたときのために自分のDNAをデータ化しておいてほしい」と要求すればよい。ぜひ渡嘉敷に行きましょう」と呼びかけた。
 権水清さんは、「父が連れて行かれて家庭が壊れてしまった。母も亡くなり、勉強ができなかった。ハングルは読めてもパッチムなど今もわからない。食べるものもなくつらかった。母は肺病になって解放1年後に亡くなった。母がもう少し長く生きてくれていれば、父が連れて行かれた当時(5歳だった)状況などを聞けたと思う。父の写真が一つもない。母の写真もない。どういう顔をしていたのかも思い出せない。母が死んだのが8歳の時。おばあさんも母が死んですぐに亡くなった。孤児院はなかったので、弟も自分もそれぞれ他人に預けられて生活した。その弟も最近亡くなった。勉強ができず読み書きができなかったので、その後の人生がつらかった」と語りハンカチで目頭を押さえた。聞いているこちらも目が潤む。「いつか帰ってくると思った?」との問いに権水清さんは「今でもそう思っている。解放後は帰ってくると信じていた。渡嘉敷には明日にも行きたい。遺骨は無理でも土を持って帰りたい。自分の人生を語ると何冊も本ができると思う。命があることが驚きだ。今の望みは遺骨を探すこと」と沖縄行きを快諾した。

塩川さん フィリピン戦遺族と待望の面会

 
 

残された父の写真(右)

 30日はフィリピン戦遺族の朴基哲(パク・キチョル)さんを訪ねて江華島へ向かった。島への橋を渡り田舎道を進み、丘のてっぺんに真新しい家があった。朴さんは笑顔で私たちを迎えてくれた。さっそく家のリビングで塩川さんから「この名簿は平壌で編成された陸軍77連隊のもので354名の戦死者名があり、多くはミンダナオ島で亡くなっている。私の叔父もこの部隊で死んだのだが、この名簿を92年に作った人が亡くなるときに「朝鮮人遺族にくれぐれもよろしく伝えてくれ」と言い残して亡くなったため、推進協を通じて遺族探しを行ったら、朴基哲さんのお父さんの名前があることがわかった。この部隊で生き残った人は二人だけ。今生きている人は一人もいない。私は遺族をその場所に案内している。朴基哲さんのお父さんが亡くなったミンダナオ島にも10回ほど行っているので、調査すれば亡くなった場所に行けると思う」と提案。「父は爆撃を受けて亡くなったと聞いている。遺骨を集めて埋葬されたと思っている」と語る朴さんに塩川さんは「靖国からの回答書に「ミンダナオ島バタン」とあるが、ミンダナオ島にバタンという地名はない。ブツアンならある。戦時中、日本軍は夜しか動けなかったので埋葬した可能性は低い。ミンダナオ島の場合、爆撃を受けたという記録はなく、日本兵は当初から飢餓との闘いだった。軍人手帳が重くて歩くのが困難だったという証言があるくらいだから、遺骸の多くはそのまま放置されたと思う」と考えを示した。朴さんは「フィリピンで飢餓という話を聞いて心が痛む」と複雑な表情を見せた。「戦争というと勇ましく戦って死んだと考える人が多いが、真実は違う。飢えでバタバタと倒れたのが真実。もし朴さんさえその気になれば、お父さんがたどった道を案内できると思う。11月にフィリピンへ行って、市役所で地名を確認したい。この名簿を作ったのは私のNPOの初代代表。参加していただければ、託された私の心の荷物は下りる」と塩川さんの思いを伝えると、朴さんは「いい仕事をしていますね。私は父がいなくて栄養不足で身体も小さく弱かった」と戦後の境遇を語り始めた。「私はもともと北朝鮮の地域に住んでいた。私が母のお腹にいたときに父は徴用された。戦後父の帰りを待つ祖母が先に亡くなったあと、祖父が先導して38度線を越えて南へ渡った。その後母も衰弱して伝染病にかかり、病状が悪化して亡くなった。母がいなくて孤児になったので両親の存在の重要さは身に染みてわかる。親がいない私を親戚は面倒を見てくれなかったので、その後すごく苦労した。父はお腹にいるときに出征したが、途中で手紙が来た。母が私の出生と名前を報告する返信を書いたが、その返事はなかったと聞いている。その手紙も北にいた時だったので今はない。あるのはこの写真だけ」と壮絶な戦後の生活を振り返った。塩川さんが「名簿を預かった者の責任としてお連れしたい。お会いできて本当によかった」と言うと、「本当にありがたくうれしい。南へ来て孤児の生活で、人生の最初から壊れたようなものだった。日本を恨んだし、私をもうけた父を恨んだ時もあった。人生の終盤でよい日本人と出会えて慰労になった」と朴さん。「朴さんのお父さんたちは違う国のために犠牲になった。そういう人への扱いは日本人以上に丁重に扱うべき。植民地支配が戦没者について今でも続いている。戦死の記録もない状態を続けている日本政府の責任を問いたい」と語る塩川さんに朴さんは「近くに池があって魚も捕れるので今度はメウンタンを食べに来てください」と最後は完全に打ち解けていた。健康の関係で少し時間をかけて検討することになったが、塩川さんの目的は達成することができた。 

田舎道を進む 朴基哲さんが出迎え
塩川さんから説明 家の前で記念撮影


カンパへのご協力をよろしくお願いします
 
 この秋、日本の戦後処理を問い、遺骨返還への道筋となる日韓遺族の連携行動が深まります。渡航費用は塩川さんが負担されることになっていますが、足しにしていただくために広くカンパを呼びかけたいと思います。ぜひご協力をよろしくお願いします。
 

「遺骨を故郷・家族の元へ」が一歩近づく
沖縄県議会「DNA鑑定を求める意見書」「既に40万件のDNAデータが登録」記事

 東京での塩川さんとの交流で、2012年12月に沖縄県議会で遺骸が誰のものかを判定するためにDNA鑑定を求める意見書が採択されていることを知りました。
 一方、8月27日付の神戸新聞に「DNA鑑定、兵庫も自動化・約80検体同時対応」との見出しで、既に警察の犯罪捜査で40万件ものDNAデータ化が完了し、高速で検索できるシステム化が稼動していることが報じられました。手放しでシステム化を評価することはできませんが、少なくとも権水清(クォン・スチョン)さんたち沖縄戦で行方不明のままの朝鮮人をはじめ、遺骨を故郷・家族の元へ返す展望となりえるものです。
 以下、意見書と記事を紹介します。

沖縄戦遺族のDNA鑑定実施を求める意見書(平成24年12月20日沖縄県議会)

 平成23年7月7日、厚生労働省は沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の要請に対し、戦没者の遺骨の身元を特定して遺族のもとへ帰すため、沖縄戦戦没者の遺骨については、全てDNA鑑定を行うと回答した。しかし、実際に遺族のもとへ帰すためには、沖縄戦全戦没者遺族側のDNA鑑定の作業を行う必要があり、遺骨と遺族の両方のDNA照合が必要となる。このことは、日本において初めてのことではなく、シベリアで出土した遺骨に対しては全遺族にDNA鑑定への参加を呼びかけ、800体余の遺骨が遺族のもとに帰ることができた。これまでに出土した戦没者の遺骨は、記名のある遺品を伴っていなければ身元の特定につながらず、しかも、兵隊ですら記名遺品を伴う出土は5%未満であり、住民に至っては皆無である。住民の戦死者の遺骨が遺族のもとへ帰るためには、DNA鑑定を行うしかない。よって、戦没者の遺骨を遺族のもとへ帰すため、そして国家が国民を戦死させた責任を果たす意味でも、沖縄戦遺族のDNA鑑定を早急に実施するよう強く要請する。以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出する。
                                                       平成24年12月20日
衆議院議長・参議院議長・内閣総理大臣・厚生労働大臣あて
 

8月27日付け神戸新聞記事(抜粋)

DNA鑑定、兵庫も自動化 約80検体同時対応

 事件解決の鍵を握るDNA型の鑑定が飛躍的に増えていることに対応するため、警察庁が2014年3月までに、約80の検体を同時に自動鑑定できる装置を新たに兵庫など6県警へ配備し、計11都道府県に拡大することが27日分かった。警察庁は、犯罪現場の遺留物と容疑者のDNA型の鑑定結果をデータベース化して捜査に活用しているが、12年の鑑定件数は05年の10倍以上の約27万件に上る。警察庁は12年度の補正予算で約9億4千万円を計上した。
【DNA型鑑定】体細胞のデオキシリボ核酸(DNA)の塩基配列や繰り返しのパターンが個人ごとに異なることを利用し、同じ配列の出現頻度から個人を識別する。日本の警察は1992年から犯罪捜査で本格的な運用を開始。個人識別に有効な配列を増幅する手法も導入され、微量の検体でも鑑定が可能になった。警察庁は犯罪現場の血痕などの型情報や容疑者の型情報をデータベース化した検索システムを運用。今年6月末までに約40万件が登録されている。
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201308/0006286278.shtml
 

 

10・23ノー!ハプサ控訴審判決
そして「靖国合祀取り消しへ新たな一歩」を!(山本)

 7月24日に控訴審第2回口頭弁論が東京高裁101号大法廷で行われた。今回は原告の来日はなかったが、原告・被告双方から大法廷はほぼ満杯となる傍聴者が集まった。
 原告側からは、国立公文書館で入手した戦犯の靖国合祀に向けて日本政府が主導して動いていたことを明らかにする内部文書を書証として提出した。そして、韓国側意見書の執筆者を中心として13人の証人を申請した。その中には靖国神社の現役の権宮司や「靖国神社を国にお返ししたい」と公然と表明していた湯澤貞元宮司も含まれる。しかし、裁判所は証人の採用について合議した後に「不採用」を表明し、弁論の終結と10月23日判決言い渡しを宣告した。原告側はさらなる弁論の続行と新たな主張を行う旨を裁判所に申し立て、「書面が出されれば参考にする」と裁判所は答弁し、この日の裁判は終了となった。
 この間、韓国では日本の植民地支配清算について重要な司法判断が相次いで出された。2011年8月には憲法裁判所が慰安婦問題と被爆者問題について、日韓請求権協定に基づく解決交渉をサボタージュしている韓国政府を「憲法違反」と断定した。さらに、昨年5月24日には強制労働事件について、日本で確定した戦後補償裁判判決が植民地支配が合法であるという立場で書かれており、植民地支配からの独立を建国の理念としている大韓民国憲法の精神と相いれないとして、韓国の裁判所での有効性を否定。原告勝訴の逆転判決を言い渡した。そして、その大法院判決を受けた差戻審で、7月10日ソウル高裁、7月30日プサン高裁が相次いで被告企業に損害賠償を命ずる原告勝訴判決を言い渡した。このような植民地清算を求める韓国社会の要求の高まりの中で、靖国神社への韓国人合祀を継続する靖国神社と日本政府への批判も高まっている。
 こうした世論を背景に、新たに合祀取り消し訴訟に参加したいという遺族が結集し、新たな訴訟を提訴する準備を進めている。その半数以上はグングン裁判の元原告だが、つい最近父親が合祀されているという事実を知り、参加を決めた遺族もいる。8月9日には東京で原告予定者と弁護団の提訴準備会議も開催された。10月23日の控訴審判決は厳しいことが予想されるが、新しい訴訟にバトンを引き継ぎ、共に靖国合祀取り消しを実現する新たな一歩を踏み出す日としたい。当日の夜には、高橋哲哉さんに基調講演をいただき、ノー!ハプサ原告と新訴訟原告と共に、「靖国合祀取り消しへ 新たな一歩」集会を開催する。ぜひ、多くの皆さんが控訴審判決への傍聴に参加していただき、新しい訴訟もご支援いただきたい。

ノー!ハプサ新訴訟原告 靖国神社 合祀取り消しを訴える

ノー!ハプサ控訴審・判決言渡
2013年10月23日(水) 午後2時 東京高裁101号法廷
※判決後、弁護士会館で記者会見兼総括集会を開催予定です。

「靖国合祀取り消しへ 新たな一歩」集会
2013年10月23日(水) 午後6時半〜9時(開場 6時)
  東京しごとセンター地下講堂(JR・地下鉄飯田橋駅下車徒歩8分 ホテルメトロポリタン隣)

 

2013平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動報告(大幸)

 
  シンポジウム
 
  金教授(中央)、志葉さん(右)
 
  高橋教授(左)、内海教授
 
  キャンドル行動

 今年のシンポジウムのテーマは「国防軍の名の下 ふたたび英霊をつくるのか」でした。
★志葉玲さんは、イラク戦争検証ネットワークを立ち上げ、政府に「イラク戦争支持・支援」「自衛隊イラク派遣の判断の是非」「イラク復興支援への日本の関わり」の三点を検証する独立した検証委員会を設置することを要求する活動の重要性を語りました。シリア攻撃は、オバマの思いとは裏腹に国際的な協力を得られずに当面は回避できましたが、それは「イラク戦争」の口実「イラクが大量破壊兵器を開発・保持している」の出鱈目が明らかになり、イギリスやイタリア政府による「検証活動」が大きな力となっていると思いました。日本では「検証する必要がある」という国会付帯決議まであげられたのですが、未だに検証委員会が設置されてもいません。昨年12月に外務省が検証結果として公表したのは「大量破壊兵器の情報についての検証」でわずか4ページの要約のみ。安倍政権はシリア問題もチャンスとばかりに自衛隊を派遣することをねらっているに違いありません。
★韓国の金東椿教授は、「韓国の戦死者追悼事業」の経過と問題点を詳しく報告。追悼に国家が関わることで戦死者の家族の嘆きは抑え込まれ、戦死が美化されている。日本とそっくりです。今日韓国では、植民地支配に加担し抗日の民衆運動弾圧の先頭にたった人物が顕彰され、国立墓地に埋葬されていることが大きな課題となっているそうです。親日反民族行為としてあげられる軍人は、関東軍に所属したり、満州国将校として八路軍討伐を指揮するなどの経歴があるのですが、日本軍の日常的暴行に象徴される非人間的文化の洗礼を浴びていることを指摘。人権という概念を持たされなかったことが軍への嫌悪感を内包させ、それが民間人へと向かったのではないかと考察されました。
★内海愛子教授は、「戦陣訓」が捕虜となった兵士を戦後も苦しめてきたと報告。戦後解放され帰国した人が「直ちに割腹して世間にわびよ」という手紙を受け取ったという事実。また捕虜を帰国させる際に日本政府は連合国側に「隠密裏にひっそりと受領したい」と要請を行い「捕虜となることが恥ずかしい」意識を兵士たちに持たせたという事実。また捕虜期間は休職扱いとなり恩給や年金の扱いにも不利益をもたらしたという。また有事関連法が制定された際、捕虜の取り扱いや軍法会議などの規定も作られたとか。自民党は自衛隊の海外派遣の口実を「国際貢献」とか「人道的支援」と取り繕っているが、本当に捕虜が生まれることまで考えている。このことに戦慄すら覚えました。
★高橋哲哉教授の自民党憲法草案の解説で、自民党がさかんに行なう「日本をとりもどす」キャンペーンの意味するものがよくわかりました。自民党がめざす「新しい国家像」とは「天皇の元首化」であり、天皇家の長い歴史と固有の文化とよき伝統を継承していくために国民は存在している」と規定していることに驚きました。そして日の丸・君が代を国旗・国歌とし国民に尊重することも明記されていることで、国旗掲揚や君が代斉唱などにものすごい強制力をもつものになってしまうこと。スポーツ観戦に行って国旗掲揚時に立たないことさえ許されなくなると想像するだけでぞっとします。すぐそこに「非国民」とレッテルをはられる時代がおしよせている恐怖を感じました。また「国防軍」の創設も明記されています。そのうち「靖国国家護持法」なんてものがまたぞろ復活するのでは!!!シンポジウムを聞きながら、アジアの被害者の声を語り継ぐこと、加害者とされた兵士の置かれてきた状況、今起きている戦争の実体を検証する意義を強く痛感させられました。
 集会後のキャンドルデモは蒸し暑い中、そして在特会や右翼の喧騒の中、粛々と行なわれました。特に李煕子さんたち韓国遺族が喪装で「合祀取消し」を訴える姿が目を引いていました。
 

12月7日 塩川さんと韓国からノーハプサ新訴訟原告を招き証言集会を開催(大阪)
DNAデータ化要求相談会・ニューギニア写真展も

 GUNGUNでは、NPO法人「戦没者追悼と平和の会」の塩川さんとの連携で、将来遺骸が発見されたときに備えてのDNAデータ化要求に向けて準備を進めています。日韓の遺族にとって共通の課題であることを明確にするために、塩川さんと韓国人遺族を関西に招いて講演と証言集会を開催します。同時にニューギニアでの遺骸放置の現状写真展と映像上映、そしてざっくばらんな相談会を行いたいと考えています。遺族でない方は学んで支援するために、遺族の方は新たな行動のために、ぜひご参加ください。

12月7日(土) 遺骨を故郷・家族のもとへ 日韓遺族の証言集会
場所:エルおおさか(地下鉄・京橋「天満橋」駅下車5分)3階文化プラザ
   13:30 写真展とニューギニアでの映像
   14:00 塩川さん講演「日韓遺族の連携に向けて〜遺骸調査にこだわる理由」
       ノー!ハプサ新訴訟韓国人遺族の証言・沖縄での戦地追悼とDNAデータ化要求の報告
   16:00 DNAデータ化要求相談会
 

読書案内

  『犠牲の死を問う−日本・韓国・インドネシア  

 
   

    高橋哲哉/イ・ヨンチェ/村井吉敬/内海愛子  梨の木舎 1600円+税

 靖国神社は過去「戦争神社」という前科があり、現在もA級戦犯合祀、政教分離等問題だらけである。しかし、アメリカではアーリントンがあり、他にも無名戦士の墓がある国は多い。国民のために倒れた人に対して、感謝し・追悼する場が『 靖国』以外の場にあってもいいのではという立場から、「無宗教」の国立戦没者追悼施設建設をという論議がある。し かし決着はついていない。どんな追悼施設をつくっても、たとえ国家のための謝罪のための施設であっても、政治性が必ずついてまわる。政治が替われば、同じ施設がまた全然ちがったものとして使われ、『第二の靖国』と化する恐れがあるのでは・・ この問題に焦点を当て、本書では、他国と対比させ論議が深められていく。侵略兵士を祀る靖国神社と1980年光州民主化運動の犠牲者を追悼する国立墓地は同じなのか?・・・(大釜) 
 

GUNGUNインフォメーション

10月14日(月・休) 「『反日』判決なのか? 7・10ソウル、7・30釜山判決を考えるシンポジウム」
             13:30〜16:30 中央区立日本橋公会堂3.4号洋室(地下鉄半蔵門線「水天宮}6番出口) 参加費:700円
             パネリスト:吉澤文寿さん(新潟国際情報大学教員)、五味洋治さん(東京新聞記者)
                   川上詩朗さん(弁護士)、張完翼さん(韓国・弁護士)
10月14日(月・休) 9条世界会議・関西2013
             10:00〜16:30 大阪市中央体育館
10月23日(水) ノー!ハプサ控訴審判決
             14:00〜 東京高裁101号法廷 終了後、報告集会
          靖国合祀取消しへ 新たな第一歩
             18:30〜21時  東京しごとセンター・地下講堂(「飯田橋」徒歩8分) 参加費:500円
             基調講演:高橋哲哉さん(東京大学教授)
             控訴審報告、原告の訴え(ノー!ハプサ訴訟、新訴訟)   
10月25日(金) 世界は「慰安婦」問題の解決を求めている!
             【国連人権理事会参加報告】講演:尹美香さん(韓国挺身隊問題対策協議会共同代表)
             18:30〜 エルおおさか7階集会室 
10月26日(土) 安倍「教育再生」は戦争への道〜教科書と歴史認識を問う〜
             講演 高橋哲哉さん
             13:30〜 阿倍野市民学習センター 
10月27日(日) いのちとくらしを守る10・27団結まつり
             10:00〜15:00 亀戸中央公園
11月 2日(土)〜22日(金) 笹の墓標「日本、韓国、在日コリアンの若者たちの15年の歩みを描く長編ドキュメンタリー映画」
             場所:シネヌーヴォX
11月 4日(月・休) 関西団結まつり
             11:00〜16:00 扇町公園
11月15日(金) 「君が代」不起立でクビ!私たちは許さない!11・15大阪集会
             19:00〜21:00 クレオ大阪西