在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.69 (2012.7.15発行)

岩淵さん講演会で
ニューギニア遺族たちとともに
(6月22日、韓国国会議員会館)

相次ぐ植民地支配清算に向けた判決
韓日ニューギニア遺族の共同行動へのご支援を!

 5月24日、韓国大法院で画期的な判決が出されました。日本製鉄、三菱重工の強制労働被害者が日本で起こした訴訟が敗訴した後、韓国内の同企業を相手取って起こした訴訟で、これまで韓国司法も「既判力」という論理で日本の判決を踏襲し、請求を棄却してきました。しかし大法院は、下級審判決を破棄し、差し戻す判決を出したのです。大法院は日本の判決について「朝鮮植民地支配合法論を前提とし、国家総動員法、国民徴用令を有効と評価している」とし、「大韓民国憲法の核心的価値と正面から衝突する」と「既判力」を否定しました。時効は認めず、別会社論での責任逃れも退け、日韓請求権協定で解決済み論も否定したのです。昨年8月韓国憲法裁判所による、日本軍「慰安婦」被害者への具体的解決努力をしない韓国政府を断罪した違憲決定に続く快挙です。
 今、まさに植民地支配の清算が日本政府に突きつけられています。GUNGUNも全力で韓国の原告をバックアップしたいと思います。いよいよ8月、韓日遺族によるパプアニューギニア訪問が実現します。皆様のご協力をよろしくお願いします。

岩渕さん ソウルの国会議員会館で講演(同行記 上田)

 

講演する岩渕さん

 

 6月21日から3日間、太平洋戦史館会長、岩渕宣輝さんとともに、韓国を訪問しました。目的は22日の「韓日過去事清算のための強制動員韓日遺骨問題」招請講演、23日は韓国の12の市民団体が集まって行われた韓日過去清算市民運動報告大会に参加、報告することです。
 既に、グングンニュースでは、ニューギニア遺骨問題および郵便貯金問題について、日本での取り組みを報告していますが、今回の訪韓はその2つの取り組みを韓国の中でも、問題化・焦点化させるという大きな成果を得ました。
 韓国で先の戦争に動員されて死亡した方は22,000人といわれていますが、その内、5,000人弱の方が、パプアニューギニアで死亡されているのです。ニューギニアに限らず遺骨問題は韓国ではほとんど手付かずの状況です。岩渕さんは東部ニューギニア(パプア)から、パプア政府と協力し1万柱の遺骨帰還事業を成功させ、政治的・地理的に困難といわれてきた西部ニューギニア(インドネシア)から1100柱の遺骨帰還を実現し、今もなお継続しています。岩渕さんのエネルギー、経験、実績が韓国の遺骨返還運動に結びつく今回の岩渕さんの訪韓は、それ自体が画期的なことです。


主催者の韓国国会議員と面談

 
 

ハンギョレ新聞の記事

 順を追って報告します。21日、推進協事務所に到着して、ハンギョレ新聞の取材が来ました。岩渕さんへのニューギニア遺骨問題への取材です。岩渕さんは、遺骨問題のことを聞くと、靖国問題のことを話し出します。私たちが、初めて戦史館を訪問したときもそうでした。後日、人欄に「ニューギニアの遺骨問題のことを聞くと、思いもよらず靖国神社のことが返ってきた・・・」という書き出しの記事が出ました。
 22日は、国会議員会館の立派な会議室で、同時通訳で、岩渕さんの招請講演がありました。講演会の前に、主催者のカンチャンイル国会議員に面会しました。岩渕さんからは、@日本の遺骨返還事業に韓国側からも参加する。A硫黄島にも170人弱の朝鮮人兵士の遺骨があるはず。これに関与してはとの提案がされました。「日本政府はどうするのか」と繰り返していたカンチャンイル議員でしたが、政府の委託事業としてニューギニアの遺骨収集事業が行われているのを聞くと、「可能性があるということだね。」と、急に様子が変りました。
 22日の講演会参加者は80名程度。遺族は50人。その内ニューギニアの遺族は10人程度でした。この3日前、ニューギニア遺族会の方が推進協に来て、「自分たちが知らないのに何がニューギニア問題か」と抗議に来られたそうで、それならと韓国ニューギニア遺族会も共同主管になったそうです。とにかく注目されているということです。

遺族の一体感を生み出した講演会

 講演は韓国の遺族に大きな衝撃を生んだようです。岩手放送のDVDが韓国語字幕入りで10分にまとめ流され、現地の遺骨の状況が映し出されました。そのあと、岩渕さんはゆっくりした口調で遺族に語りかけました。自分も父がいなくて幼少期、日本で苦労した同じ仲間であること。そして、お父さんは今どこにいるのだろうかと問いかけました。また遺族のお子さんたちが亡くなられたお父さんの年齢を超えている事実もみんなで確認しました。死者は動けない、死者は語れない、だから私たち遺族が迎えに行って上げなきゃならない。と語る岩淵さんの言葉に会場は大きくうなづいていました。また岩渕さんが中学生のとき、靖国神社に行って、父がいると思い、多くの参加者の中で、1人大声で泣いたそうです。後で、父がそこにはいないと知ったと語りました。ニューギニアと靖国、一言では語れませんが、岩渕さんにとって靖国こそが、父たちを故国に帰すことを妨げている原因であると感じた一場面であったのだと思います。参加者が「日本人がここまでがんばってくれているとは、感謝する・・・」と絶句し、涙する発言もありました。
 皆さんの感想を事務局の方に聞くと、「遺骨問題と言っても、みんな今まで壷に入った遺骨しか知らなかった。DVDをみてびっくりした」「ニューギニアだけでなくほかの地域の方も何とかしなきゃと、言ってました」「泣いてる人もいましたよ」と、大成功のようでした。国会議員も3名が参加し、民主党の院内トップの議員もいたそうです。あとで、李ヒジャさんと話をしましたが、「DVDも東京で見たが、今回まったく違うように見えた。みんな集中していた」それと「日本政府の責任を民間人が肩代わりしている」とか「なんでニューギニアだけ」とかの反発が起こらなくてよかったと言っていました。岩渕さんの同じ遺族としてのニューギニアでの具体的な活動・実績そして映像を通して目の前にせまる事実が、家族としての死者(父・兄)への責任・遺族の一体感を呼び起こしたのだと思います。

講演会の模様 遺骸を63年間放置 靖国ついて話す

郵便貯金問題に大きな関心

 翌日は、韓国の12の市民団体が集まって行われた「韓日過去清算市民運動報告大会」。市民運動の活動家たちが集まった報告大会ですが、ここでも戦史館の報告は注目を引きました。
 ここでは、郵便貯金の報告を、私がしました。@38件の回答がゆうちょ銀行から出ており、軍事郵便貯金に限れば40%の方の貯金の存在が確認されたこと、A日本政府は韓国政府から要請があれば「特別の理由がある場合。」として郵貯銀行から回答をする用意があり、すでに900件については韓国から照会が来てゆうちょ銀行は日本政府に回答したこと。だから、6月30日の未払い金、申請期限は延長されなければならない。Bこれらの成果は3人の遺骨・記録を求める遺族証言集会より始まったことであり、郵貯の記録は行方不明者にとっても重要な資料になりえることを具体的に報告しました。「何で6月30日が締め切りなのか」「サハリンの場合どこに申請すればいいのか」と続けて2つの質問が出ました。さすがに最初の質問は李ヒジャさんが「延長はされなければいけない。韓国支援委員会は900人の照会を行い、さらに3000人を追加紹介したと言っている。ところが上田さんの確認によれば、ゆうちょ銀行は900人は日本政府に答えたが、3000人の照会は知らないといっている。どうなっているのか?誰かがうそを言ってるのか明らかにしなければならない」などと現状を説明しました。またサハリンのことについては、「ご依頼いただければ責任を持って取り組みます」と答えました。
 
東亜日報が取材 詳細な調査記事でうやむやにさせない機運が!
 
 そうこうしていると、東亜日報に記者がインタビューしたいと申し入れがあり、集会中に1時間以上の取材を受けました。予定には無かったけれど、話を聞いていて記事にしなければと突如の取材になったようです。このインタビューは週間東亜という雑誌に「特別公開―日帝徴用被害者達の“郵便貯金”現況―日本ゆうちょ銀行に残っている。遺族がお金をうけ取る決定的根拠:政府は“日本から資料を受け取れない”と弱腰な対応」という特集記事になりました。資料も載った詳細な記事で、政府間のやり取りも2012年4月の2次照会が3300であったこと。更に5月に3次として2400を追加照会していることなどが正確に記されています。また、対日強占期強制動員被害調査及び国外強制動員犠牲者など支援に関する特別法19条が「委員会が存続期間を満了すれば当時の委員会の所管事務は行政安全部長官がこれを引き継ぐ」という規定を根拠に、委員会審査第3課長から「今年の末に委員会は終了するが、承継する部署が日本政府からの資料をもらえば被害者に補償出来る。」との言質も引き出すに至っている。今まで韓国でもマスコミになかなか取り上げられなかったが、東亜日報という大きな新聞社に、大きく詳細に取り上げられたことで、うやむやにできない問題になったことは確実である。韓国の新聞記者から難解なテーマだとなかなか取材に応じてもらえなかったそうだが、今回、行方不明の遺族の記録調査資料という運動の端緒が記者の心にすっきり落ちたようです。
 
有意義な交流会でのできごと

 
 

参加者全員で

  22日、23日両日集会後に行われた交流会のことにもふれなければならない。交流会には、遺族の方ほとんどが参加していました。私のほうは軍事郵便貯金で回答のあった方たちのところに案内されました。20人ほどのグループです。挨拶をし、お話をしていると次々調査のリクエストが来ます。聞いていると、やはりお父さんの消息のことなのです。「日本の病院で亡くなったのだろうか、トラック諸島でなくなったのか?芝浦とは何か?どこか?」と聞かれるのです。政府の調査報告では、「芝浦海軍施設部に所属し、トラック諸島で、赤痢で死亡」となっており、芝浦は海軍の基地で、亡くなったのは、トラック諸島の野戦病院であろうと思われると説明しました。後日、芝浦海軍についても調べて送ると約束しました。また銀行の預金はどうなるか調べて欲しいと、銀行名などもいただきました。またニューギニアのどこで亡くなったのか調べて欲しいとの依頼も。私のサイドバックはいただいたメモやコピーでいっぱいになってきます。これは翌日の集会後の交流会も同じで、「サハリンの軍事郵便貯金について、原簿がないけれども申請可能か調べて欲しい」との宿題もいただきました。後日戸籍謄本・委任状などを送っていただく予定となりました。グングン裁判には負けたけれど、支援する会はグングン裁判で要求していた被害者・遺族の要求は一人一人の要求として消えていないし、具体的な解決を進めていく責任がますます高まっているのを感じます。
 まずは、8月25日からの韓日合同パプア巡礼民間外交使節団の成功に向け皆様のご支援をよろしくお願いします。

パプアツアー相談会で横山邦彦さんのお話を伺って(大幸)

 

横山さん

 

 6月2日、大阪で行われた「パプア訪問団のツアー相談会」の場に、長年岩淵さんとともに遺骨収集に携わってこられた横山邦彦さん(芦屋市在住)にお越しいただき、貴重な経験談を聞かせていただきました。
 一昨年、東部ニューギニアでは、生ゴミや建築廃材にまじって捨てられている遺骨を発見したそうです。ある時は鉄かぶとを脱がせたら、頭蓋骨から背骨、大腿骨と順に姿が表れてくる場に遭遇。それは白骨化してはいるが、自分には死体に見えたとのこと。目にした限りは何かやりたい。野ざらしのまま放置された遺骨の写真展を重ねて、延べ12000人の人々にこの実情を知らせてこられました。
 横山さんは、小学校高学年の時に、軍用列車に乗せられたお兄さんの出征を見送った光景が、いまだに忘れることができないと言います。プラットホームの喧騒。歌や喚き声。最後の別れ。万歳万歳の声。そして空の白木の箱。遺族の気持ちは未帰還兵であり、行方不明のまま。これらの光景がよみがえると頭が真っ白になり、「お前が送り出した兵隊がこのザマだ」と頭が真っ白になったそうです。
 父、母、兄、弟、姉、妹のために軍隊に入って戦地に赴いた、それに対する報いがこれなのか!人間として、放置されたことへの怒りが鎮まることはありません。この人たちをふるさとへ送り返してくれ、手に抱かせてくれ。横山さんには、放置された兵隊たちの悲痛な叫びが聞こえるのです。遺族の気持ちは未帰還兵、まだ行方不明のままだということが胸の奥まで伝わってきました。
 現地での遺骨収集には、信頼関係を築くこがとても重要だと言います。「何しに来た。うちのじいさんをヒドイ目にあわせて。60年以上も放っておいて。我々のやりかたで、弔いをやり、霊を慰め、鎮めてきた」という地主の思いを理解し、それなりの礼儀の尽くしかたを積み重ねることで、信頼を得てきたということです。村に贈呈する鍬も、ホームセンターなどで買うのではなく、熟練の職人による手作りの上等のものを10本用意して誠意を伝えました。遺骨の引渡しには、長老から署名をもらい、村の行事として亡くなった人の霊を鎮める式をきちんと執り行うのだそうです。現場保存の大切さも経験上わかったと言われていました。遺骨が見つかったと言うので行って見たら遺骨がきれいに洗って並べられていたんですが、そういうことが3回も続いたというのです。なにかストックされているのではという疑念がわいたということです。
 最後に、今回のツアーは「巡礼」というより「捜索」の方が正しいのではないかと指摘を受けました。戦友会などは政府が建てた碑を巡る旅をしている。「碑」を否定はしないがその前に、亡くなった方々、迷惑をかけた現地の方々へのお詫びをするのが先ではないかというものです。
 横山さんのお話は、亡くなった人びとの「尊厳」を守ること、戦場にされた現地の人々に対する真摯な思いが貫かれたものでした。体調を崩されているにもかかわらず、お話しくださったことに感謝します。 

帰れないアボジ・オッパを探して 娘妹たちの写真展

8月12日(日)10時〜17時   13日(月) 9時〜20時 
会場:大阪市総合生涯学習センター(大阪駅前第2ビル5階)
写真の内容:岩淵さんが厚生労働省の訪問団として2011年3月4日から15日にかけて西部ニューギニアへ行った際の写真を展示します。関西在住の阪本良子さん、横山邦彦さんも同行され、帰国後、製作されたパネルを今回お借りします。

2012年ヤスクニ・キャンドル行動 8月11日(土)豊島公会堂に参加を
テーマは「60年目に考えるサンフランシスコ条約体制とヤスクニの『復権』」

 
  大法院判決を報告する原告 徐勝さん

 2012年「平和の灯を!ヤスクニの闇へ」キャンドル行動の準備が4月の連続講座から始まっている。第一回目は、4月26日。高橋哲哉東大大学院教授を招いて「犠牲のシステムーヤスクニ・原発」講演会を開催。
 5月25日は、立命館大学の教員、徐勝(ソ・スン)氏を招いての第二回が開催された。テーマは「2012年東アジアの植民地主義の克服とヤスクニ問題」。徐勝氏は前日に出された韓国大法院の判決―新日鉄・三菱重工の強制動員・強制労働は韓国の憲法規範に違反―に触れながら、東アジアに行われてきた不正義=侵略、戦争、植民地支配の謝罪と正義の回復が必要であると強調した。
 6月22日には連続講座の最後である三回目として、内田雅敏弁護士(ノー!ハプサ弁護団)を講師として行われた。テーマは「ヤスクニ合祀取消訴訟の現状と課題」。靖国神社は、戦後の日本の出発点(日本国憲法)と全く相容れない宗教的軍事施設であり、それは韓国憲法にある韓国憲法の規範ともいえる植民地支配批判に真っ向から対立するものである。それへの合祀を受け入れるわけがないことを明らかにされた。
 ノー!ハプサの証人尋問(徐勝氏)でも明らかにされ、三菱、新日鉄の強制連行裁判での韓国大法院判決の韓国民の規範であるとされた韓国憲法前文は下記のとおりである。
 悠久の歴史と伝統に輝く我が大韓民国民は、3・1運動により建立された大韓民国臨時政府の法統及び、不義に抗した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に立脚して、正義、人道及び同胞愛により民族の団結を強固にし、すべての社会的弊習と不義を打破し・・・
 ここにある3・1運動とは、1919年3月1日日本の植民地支配に抗して、韓国全土に広がった独立運動である。日本はこの決起に対して軍隊まで動員し、暴力的弾圧を加え多くの多くのものが投獄、殺害された。この植民地支配排撃の精神を規範としているのである。
 今年2012年は、サンフランシスコ条約が発効して60年になる。1952年4月28日サ条約発効してすぐに「援護法」が成立し、さらに廃止されていた軍人恩給が再開され、国・靖国神社一体となったヤスクニ合祀も財政措置を含み本格的に開始された。また、1950年朝鮮戦争により発足した警察予備隊を踏まえ本格的に再軍備が開始される。BC級戦犯のヤスクニ合祀が1952年から厚生省の一復(旧陸軍関係)・二復(旧海軍関係)で検討されていたことが朝日新聞の報道で明らかにされた。国・ヤスクニ一体となった合祀の一端である。1952年それは、日本の再軍備、軍人軍属の優遇、ヤスクニ合祀等々戦争国家への出発点だったのである。

第24回自衛官合祀拒否訴訟(中谷訴訟)最高裁不当判決抗議集会に参加して!(御園生)

 
 

中谷さん

 6月9日、山口市で行われた「第24回自衛官合祀拒否訴訟最高裁不当判決抗議集会」に参加した。この訴訟の原告として闘った中谷康子さんには、グングン裁判としても大変お世話になり、映画「あんにょん・サヨナラ」にも出演していただいた。昨年11月30日グングン裁判が最高裁に上告を棄却されたこともあり、ご挨拶も含めて山口県を訪れた。

 挨拶に立った中谷さんは、元気に「この日を待っていた。何としてでも闘い続けていかなければならない。皆さんで力強いものになりますように。」「新しい裁判を一生懸命頑張っている。なにがなんでも勝利を。将来が安心できない。」と挨拶。現在入院中にもかかわらず、外出許可をもらって本集会に参加された。6月末には退院できるということでした。
 メインは、田中伸尚さんからの「『冬の時代』に単独者/隣人たりうるか 〜中谷訴訟と現在」をテーマとした講演。最初に、田中伸尚さんは、今年は不当な合祀が行われて40年。来年は、提訴40年、最高裁不当判決25年であること、そして、中谷さんのこの40年という長きにわたる苦悩に言及。田中伸尚さんは、現在研究中の「未完の戦時下抵抗」(岩波「世界」で連載)を踏まえて、現在の「冬の時代」の象徴として、短絡、狭量、不寛容、扇動的・暴力的な橋下政治への圧倒的な支持、「君が代」強制問題、ニコン問題など表現者の自由を奪う問題、震災での自衛隊の高評価、天皇元首化の志向、宗教界のヤスクニ問題での消極姿勢等々を上げ、その中で、抵抗者の存在とその隣人足りうるかと、問題提起する。中谷さんが、隣人を想定せず「単独者」としての抵抗を長期間にわたって行ったことの意義を確認し、自分は中谷さんになれるのか?新たに現れる中谷さんの隣人足りうるのか、と問いかけ、「祖国のための死を拒否」するということ、ヤスクニを超える思想の創造が必要ではないかと提起された。
 来年は、中谷訴訟提訴40年、最高裁判決25年。今なお、この最高裁判決が「韓国人の犠牲者」にまで援用されている。ノー!ハプサ訴訟への期待は大きい。韓国では、新日鉄、三菱重工の強制動員・強制労働について、「韓国憲法」の定める規範に違反するものであり、損害賠償請求は正当との大法院(最高裁)判決が下された。ヤスクニ合祀は、まさに韓国憲法に違反するものである。

田中伸尚さん

2012全交(平和と民主主義をめざす全国交歓会)案内

<韓国からの参加者>
李熙子(イ・ヒジャ)さん…太平洋戦争被害者補償推進協議会共同代表。
南英珠(ナム・ヨンジュ)さん…兄が軍人として動員されニューギニア戦線で戦死した遺族。

分野別討議
日時:7月29日(土)9時〜12時 場所:エルおおさか606号会議室
 「韓国大法院の歴史的判決をどう生かすか−日韓請求協定の壁を突破する闘いの構築を−」
 5月24日の日鉄ソウル訴訟、三菱釜山訴訟の大法院逆転勝訴判決は、強制労働問題について「日韓請求権協定解決済み論」を真っ向から覆した。日本の植民地支配からの独立を建国の精神とする韓国憲法の理念に反するとした判決は、靖国合祀訴訟等にも大きな影響を及ぼすものである。「5・24大法院判決をどう生かすか」が今後の戦後補償運動の共通テーマである。
・基調報告・特別報告「5・24大法院判決の歴史的意義と展望」(李熙子さん)
・報告「対新日鉄闘争の現状と課題」(日鉄裁判支援する会 中田)
・報告「強制動員立法解決の現状と課題」(強制連行全国ネット 矢野)
・討議交流

遺族証言集会
日時:7月29日(日)13時00分〜14時30分 場所:エルおおさか 研修室2
「オッパ絶命の地ニューギニアに思いを馳せて−韓国人遺族の手に遺骨を取り戻すために」
 肉親を奪われた遺族の思いを受け止め、日本による植民地支配とその理不尽な戦後処理の実態を学ぶとともに、「ニューギニア訪問団」への支援を南英珠(ナム・ヨンジュ)さんが訴えます。

パネル展示
・ニューギニア訪問団に関するもの
・5・24大法院判決に関する韓国社会の反響

読書案内

 証言集 
 『 朝鮮人皇軍兵士 ニューギニア戦の特別志願兵』
  

 
   

                林えいだい 著   柘植書房   2500円+税

 龍山の陸軍第20師団は、対ソ戦に備えて訓練をしていたが、突然行先変更で南方戦線行きとなった。その中に多くの朝鮮人志願兵が含まれていた。朝鮮人は1分隊1人の割合で配属され決してまとまることはなかった。隊内での反乱を恐れてのことだった。ニューギニアからの帰還兵は約5%である。彼らは帰還後も祖国の裏切り者として冷たい目で見られ戦争体験を語ることはなかった。本書は戦後50年を経てようやく語りだした生存者、遺族の貴重な証言を丁寧に記録したものである。希少な本だが、古本屋や図書館で探してぜひお読みいただきたい。(古川)
 

GUNGUNインフォメーション

7月29日(日) ZENKO分野別討議 9時〜12時 
           「韓国大法院の歴史的判決をどう生かすか」
             エルおおさか606号会議室(地下鉄・京阪天満橋駅下車5分)
          遺族証言集会 13時30分
           「オッパ絶命の地ニューギニアに思いを馳せて−韓国人遺族の手に遺骨を取り戻すために」
             エルおおさか研修室2
8月11日(土) 平和の灯をヤスクニの闇へキャンドル行動「60年目に考えるサ条約体制とヤスクニの復権」
             13:30〜豊島公会堂(JR池袋駅下車7分)  www.peace-candle.org
8月12日(日)10時〜17時 13日(月)9時〜20時
          「帰れないアボジ・オッパを探して 娘妹たちの写真展」
             大阪市総合生涯学習センター(大阪駅前第2ビル5階)
8月25日(土)〜9月1日(土) 韓日合同パプア巡礼民間外交使節団ツアー