在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.68 (2012.5.19発行)

昨年に引き続き行なった
日帝下強制動員犠牲者合同追慕祭
(5月8日、韓国国立望郷の丘)

ゆうちょ銀行から16人中7人の貯金残高の回答
韓国政府への郵便貯金記録の引渡しを強く求める!

 韓国の李明博大統領は、5月13日野田首相と会談し、従軍慰安婦問題について「歴史を直視する基礎に立ち、知恵を集めれば両国関係はさらに強固になる」と早期解決の努力を求めました。一日も早い被害者が望む解決と戦争犯罪の清算が日本政府に求められます。
 現在韓国では、昨年成立の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者などの支援に関する特別法」に基づく「強制動員被害財団」の設立準備が進められ、近々財団が発足します。65年日韓条約の際、恩恵を得たポスコから財団への資金調達が検討されています。朝鮮人の強制労働で利益を享受した日本企業や日本政府から財団への拠出をさせなければなりません。
 5月、私たちがゆうちょ銀行に求めていた、軍事郵便貯金記録調査の回答がようやくあり、16人中7人の貯金額が確認されました。日本政府から韓国政府への記録引渡しを誠実にさせなければなりません。さらに過去清算を求める声を大きくしていきましょう!
 

ゆうちょ銀行から現存確認の回答 中には4481円の方も
「郵便貯金記録を韓国政府に引き渡せ」の要求を強めよう!(上田)

 
 

昨年、ゆうちょ銀行前で

 
 

左から崔さん、南さん、稲見議員、姜さん

 
 

2月、ゆうちょ銀行交渉

 5月2日、軍事郵便貯金の現存確認申請の結果が福岡から届いた。差出人は福岡郵貯事務センター業務管理課原簿修正担当となっている。大阪支店に36名分、札幌支店に2名分が出されていたが、今回は大阪16名、札幌2名の回答があった。回答では、全部で7名の貯金が確認され、最高で4,481.86円の方もいる。軍事貯金だけをみると13名中7人の預金が確認されたことになる。残念ながら、炭鉱などで働いた労働者の賃金である通常貯金、千島など外地として分類される外地貯金の該当は無かった。韓国では申請すると2,000倍のウオンに換算されるため、最高額の人は900万ウオン近くが韓国政府から支払われることになる。
 私たちの個別申請運動を韓国内で政府の被害者支援委員会にぶつけ、900名の照会が、外務省を経由してゆうちょ銀行・管理機構になされていることは、前回のニュースで報告した。その後も、3,000名の追加照会が行われるに至っている。今回の回答は、郵便貯金問題が目に見える形で、韓国内で明らかになった。これまで韓国の「支援委員会」は、軍事郵便貯金を根拠とする支援金の申請期限を6月30日としてきた。しかし、この問題を終了できない状況が作り出される見込みだ。日韓条約で葬られたはずの多くの戦争被害者たちの権利が、日韓の市民運動の力で再び蘇ってきた。13件のケースではあるが、5割を超える軍人・軍属に郵便貯金が存在するということが明らかになる可能性があるのだ。
 また、今回の個別申請運動は、一昨年大阪で証言した崔洛さん、姜宗豪さんの行方不明のお父さんの調査から始まったものだが、残念ながら2人のお父さんの貯金記録は出てこなかった。しかし、同じく行方不明だった朴萬秀さんの貯金の存在がわかり、改めて郵貯に照会したところ、貯金をしたある程度の場所がわかった。その内容は、「海軍第13軍用郵便所に新規の貯金がされた。昭和18年7月1日新規貯金。郵便所は軍艦の中にあった。この郵便所の概ねの方面は、クエゼリン島、ウエーキ島、ミレ島、大鳥島である」とのことだ。1枚の通帳でここまでわかるのは驚きである。
 貯金が見つからなかった人のことを思うと、心が痛む。しかし朴萬秀さんにように、今までわからなかった死没者の生きた足跡が貯金情報から判明することも明らかになった。ぜひ一日も早く貯金情報を日本政府から韓国政府に手渡すよう運動を強めたい。
 



以下、今回申請した一人一人の回答を見ていただきたい。
(真相究明ネットワーク小林さんのまとめ)

 
 

ゆうちょ銀行からの回答(部分)

郵便貯金現存照会申請した被害者の回答状況

(株)ゆうちょ銀行大阪支店で受理された16名の現存確認申請 
   ●は回答のあった金額

崔天鎬(通常) 【崔洛さんのお父さん】
          日本で強制労働、帰国途中に死亡。行方不明、遺族が手がかりを求めている。
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

呂運澤(通常) 日鉄大阪工場で強制労働。給料は貯金したから心配ないといわれ返還されず。
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

南大鉉(軍事) 【南英珠さんのお兄さん】
          ニューギニア、ヤカムルで死亡。第20師団歩兵80連隊、生きた証が欲しい。
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

朴萬秀(軍事) 横須賀海軍人事部長が戦死届け。行方不明、遺族が手がかりを求めている。
          ● 143.91円

姜太休(軍事・外地)【姜宗豪さんのお父さん】
          船ごと徴用され、南洋へ。行方不明、遺族が手がかりを求めている。
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

張鉉柱(外地) 千島に徴用、飛行場で働く。給料もらえず。
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

崔炳奭(軍事)  1943海軍工員として徴用、1943.9.19トラック諸島で死亡
          ● 2円

兪西濬(軍事) 支那北方方面軍直轄部隊第26野戦勤務隊所属、軍属とおもわれる。
          ● 262.60円

白従基(軍事) 1941強制動員、第4海軍施設部で軍属、1944乗船中に死亡
          ● 1419.46円と33.81円

尹三炳(軍事) 海軍軍属としてパラオに強制動員、1944ペリリウ島で死亡
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

金萬栄(軍事) 1942タイの秦捕虜収容所で陸軍軍属として労役、1944海南島東方で死亡
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

朴冕銖(軍事) 1942トラック島第4海軍施設部工員、1944,4,1メレヨン島で死亡
          ● 263.82円

李敏求(軍事) 東部ニューギニアで死亡、当時伍長 20師団とおもわれる。
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

林敬周(軍事) 1942海軍工員として動員、1944勤務中トラック島で死亡
          ● 444.70円

朴憲泰(軍事) 1944徴用、同年中国鳳陽県で爆弾で死亡、独混90旅団砲兵隊長が死亡を報告
          回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

金栄相(軍事) 軍事郵便貯金通帳あり。戦に329640,鰍艪、ちょに金額の確認を求める。
          ● 4481.86円

札幌から提出した2名について
朴進夫   父親が出稼ぎ渡航で北海道に住んでいたが、1943年ごろ徴用で連れて行かれ死亡、死亡場所などが不明で捜している。
        回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」

元済赫   父親が三笠の弥生炭鉱病院で死亡。
        回答は「保管中の書類から郵便貯金を確認することが出ませんでした」           

 

帰れなかった家族のために韓日合同パプア巡礼民間外交使節団
  派遣へのご支援を!

 韓国と日本の遺族が手を結び、「父・兄の死んだニューギニアを訪れ、遺骨調査のきっかけをつかむ」ためのプロジェクトが実現します。
 GUNGUN原告の高仁衡(コ・インヒョン)さんと「太平洋戦史館」の岩淵宣輝さんが初めて会ったのが07年の控訴審第1回口頭弁論の後でした。そして昨年、南英珠(ナム・ヨンジュ)さんと岩淵さんとの出会いがありました。
 韓国人は、戦争に動員された肉親が戦死した事実すら知らされず放置されました。90年代以降、遺族会活動で調査した結果、その事実が判明した人が少なくありません。日本人の場合は、「戦傷病者・戦没者遺族等援護法」によって経済補償がされ、戦地への慰霊巡拝事業も活発に行われました。一方その陰で利用されてきたのが「靖国」でした。
 アジア太平洋戦争の特徴は、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による戦死ではなく、餓死であったという事実です。ニューギニアでの無謀な戦争の実相はそれを余すところなく私たちに伝えてくれます。「靖国の英霊」の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、無謀な作戦が招いた飢餓地獄の中での無念の死だったのです。そして戦後67年が経過した現在もなお遺骸が戦地に放置されているのです。
 岩淵さんは、お父さんが戦死したニューギ二アなどで40年以上、遺骸帰還活動を続けています。現地訪間は270回以上、1100を超える遣骨を日本に持ち帰っています。
 今回の韓国と日本の遺族による共同行動が、韓国遺族の求める「遺骨返還」と「戦地追悼」の道筋を切り開くことにつながることを願います。
 
 今回のツアーは、全くの民間行事ですので、多額の渡航費や経費は全て自己負担です。どうか皆さんのご支援をよろしくお願いします。

岩淵さんと高仁衡さん 南英珠さん(中央)と岩淵さん 遺骸を調査する岩淵さん

        ◆ ご案内チラシはこちらからダウンロードできます。振込用紙つきです。(PDFファイル)
                           
 オモテ面  ウラ面

「帰れなかった家族のために・韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」参加者募集
日程案:2012年8月26日(日)各地発 ケアンズへ 翌日パプアニューギニアへ 
         ポートモレスビー⇒ウエワク(ボイキン・ヤカムル) 9月1日(土)各地着
費用:約35万円(まだ確定していません)

ツアー説明会
 6月2日(土)18時〜21時
 会場:大阪市総合生涯学習センター 第4会議室(大阪駅前第2ビル5階)


西部ニューギニア遺骨帰還派遣団が帰国・出迎え報告(木村)

 3月21日、厚生労働省のロビーには太平洋戦史館の花岡千賀子さん、先日大阪で写真展を開催されていた阪本良子さんもおられた。そこで、「今回遺骨を持ち帰ることができなかった」と伝えられた。次々と参加者が集まったところで会議室へ移動し派遣団を待つ。空港からバスで直行の派遣団が入場すると、「お疲れ様でした。」と声をかけながら迎えた。出迎え参加者21名、派遣団7名(内厚労省から2名)と外務省担当者2名同席で、簡単な解団式と報告会が始まった。厚生労働省社会・援護局援護企画課外事室の千島団長より、遺骨が持ち帰れなかったこと、各団員への労いとお礼がのべられ解団が告げられた。

派遣団のみなさん 岩淵さん

以下、「戦史館だより」(4月20日発行)から抜粋を転載させていただきます。


 3月7月〜22日までインドネシアを訪れた遺骨帰還派遣岡(団長・千島孝幸厚労省外事室専門官)は、ジャヤプラで約90柱、ビアク島で約240柱を収容する計画でしたが、インドネシア政府、ビアク・ヌンフォル市(以下ビアク市)の理解が得られず、1柱も帰還させることができませんでした。しかし、この騒動で両国の間に横たわる問題点が明確になったほか、遺骨帰還派遣団が、在ジャカルタロ本大使館の全面支援を受けて“官民一体"“オールジャパンで"という方向が見えた…などの前進もありました。
 3月14日ビアク空港に着くなり、ビアク市観光課長から「中央政府からは、訪問の目的は慰霊巡拝と聞いている。収容、焼骨は不可」と通告されました。千島団長が「中央政府から収容、焼骨ができるという許可をもらっている」と主張しましたがラチがあきません。
 マリエン市長は「10〜15(単位不明)なら持ち帰ってもよろしい。許可する」と言いましたが、千島団長は「遺骨帰還の許可をいただいたことに感謝する。しかし、もっと早く許可をいただいていれば鑑定や焼骨ができたが、今回の帰還には間に合わない。私たちはできるだけ早い時期に再びやってくる。次回は全面的な協力をお願いしたい」ときっぱり断りました。ジャヤプラでも収容・焼骨していなかったため、ゼロ柱帰還が決まった瞬間でした。
 ルトフィ大使は「インドネシアの法律の解釈が統一されたものがまだ出ていない。今回は30柱の返還と聞いているが、この問題の重要性は十分に分かっている。皆さんの活動が円滑に進むよう私も最大級の努力をしたい。本当に申し訳ない」と語りました。 
 「30柱の帰還を認める」や「10〜15なら許可する」という声がまかり通るのはなぜなのでしょうか?現地の役人の中には、日本兵の遣骸を帰してしまうと日本人遺族が来なくなって観光が成り立たない。遺骨収容をしないでほしいという考えを持つ人も多くいます。また「50年以上、インドネシアの土地にとどまっているものは全てインドネシアに帰属する」という趣旨の国内法にも原因がありそうです。この法律を沈没船や積載物に適用するのは分かりますが、戦死した兵士の死骸にも適用しているため、人道的に認められない奇妙な主張となっています。一方、マリエン市長のように「市長就任以来、遺骨収容に協力してきたが、日本は何もしてくれなかった…。」という根強い反発もあります。
 3月16日の夜の会議で強硬な姿勢を貫いたマリエン市長は、22日にジャカルタヘ飛び、鹿取大使を表敬訪問したそうです。市長は「帰還の柱数を減らしたのは情報不足によるもの…。遺骨帰還事業は今後も協力する用意はある。遺族が訪問したにもかかわらず、遺骨帰還ができなかったことをお詫びしたい。次回は、よりよい関係を築いて対応したい。地元への協力や支援を進めてほしい」と語ったそうです。

 後日、岩淵さんから次の追記が送られてきました。
 「これで終わった訳ではない。新たな、光り輝く、官民合同の外交交渉の幕開けの一歩がやっと始まった。ビアク市長が今回、遺骨帰還に異を唱え実力行使した事で、日本側に衝撃を与える事に繋がれば、それはそれで大いに評価できる。2007年にも同じ人物、マリエンビアク市長が、中央政府の対応の悪さと日本側の経済支援に対する冷淡さに不満を爆発させ、「遺骨収集、私が断れば、日本への帰還できないんだぞ!」発言。それにしても、隣国パプアニューギニアに手厚い経済援助をしてきた日本が、西側のパプア及び西パプア(旧イリアンジャヤ)州にかくも見事なくらい支援がゼロである事は改めて、衆議院外交委員会などで、問い質されなくてはならない事案である」と。
 

「奪われた野にも春は来るのか」
  〜高橋哲哉さんを招きヤスクニ・キャンドル行動連続講座@を開催!(御園生)

 

高橋哲哉さん

 

 4月26日、ヤスクニキャンドル行動の連続講座第一回が開催されました。テーマは「犠牲のシステム−ヤスクニ、原発」。講師は高橋哲哉・東大教授です。このテーマは、昨年のヤスクニ・キャンドル行動で取り上げられたものです。この中で特に興味深かったのは、ソウルにある平和博物館にある鄭周河(チョン・ジュハ)写真集についての紹介。写真集は3・11後の福島を写したもので、そのタイトルは「奪われた野にも春は来るか」。徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大学教授によると「今回の鄭周河先生の写真作品は、まさしく『不在の表象』である。まるで観光絵葉書と見間違うような華麗な錦?の風景を見つめながら私たちはぎこちなさや不安を感じることだろう。何かが決定的に損なわれた後の風景がそこにある。大震災と原発事故からやがて一年。時は確実に巡り再び春は来る。だが、春は奪われたのだ」と。「奪われた野にも春は来るか」―このタイトルは、1926年日本の植民地下の朝鮮において作られた李相和(イ・サンファ)の詩をモチーフにしています。その詩は「今は他人(ひと)の土地―奪われた野にも春は来るのか」で始まり、「しかし、いまは野を奪われ春さえも奪われようとしているのだ。」で終わる。その間は、朝鮮の田園風景の描写は中心となっている。1926年と言えば、朝鮮が強制併合され十数年が経ち、日本帝国による「産米増産計画」により多くの農民が土地を奪われ、流浪者になった頃。国を奪い、土地を奪い、人を奪い、全てを奪っていく日帝への抵抗の歌です。解放後60年以上もたちながらも今なお深い傷を残している植民地支配と同じように、何世代にもわたり深い傷を残していく原発被害の同質性を重ね合わせたのです。ヤスクニは植民地支配・軍国主義の思想的根幹でした。国家による犠牲を前提としなければ成り立たないシステムがヤスクニであり、原発なのです。

 今年の「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」は8月11日(土)、テーマは「60年目に考える・サンフランシスコ条約体制とヤスクニの『復権』」です。1952年は、サンフランシスコ条約が発効し、安保条約が締結され、米国の冷戦体制に本格的に組み込まれた年。そしてすぐさま「戦傷病者援護法」が制定、軍人恩給が復活され、再軍備の開始とともに、米軍施政権下で「こっそり」と進めてきたヤスクニ合祀が本格的に、公然と推進されていったのです。そのサ条約発効から60年。今年も、韓国、台湾、沖縄、そして本土の参加でシンポジウムとコンサート、キャンドル行動を中心に行われます。
 この成功のための連続講座第二回目(5月25日)は、徐勝(ソ・スン)立命館大学教員を講師に「2012年東アジアの植民地主義の克服とヤスクニ問題」をテーマとして、三回目(6月22日)は、ノー!ハプサ弁護団である内田雅敏弁護士を講師に「ヤスクニ合祀取消裁判の現状と課題」をテーマとして行われます。円高にもかかわらず、今年も韓国からも多くの若者が参加します。皆さんも積極的に参加を!

キャンドル行動

強制動員真相究明ネット全国研究集会開かれる!
韓国での財団設立情勢に連帯し、日本での取組み強化を!(御園生)

 
 

全国研究集会

 4月7日、強制動員真相究明ネットワーク主催の「第5回強制動員真相究明全国研究集会―朝鮮人強制連行と国・企業の責任」が東京大学駒場キャンパスで開催された。グングン裁判を支援する会も協賛団体に名を連ねさせて貰った。当日は、会場いっぱいの参加で、豊富な報告がなされ、様々な課題が浮き彫りにされた。
 基調講演として、外村大・東京大学准教授の「政策と法から見た朝鮮人被動員者」が行われ、その後、
 *「韓国からの報告」(張完翼弁護士)
 *「強制労働という過去への取り組みードイツの経験から」(増田好純・早稲田大学助手)
 *「韓国憲法裁判所決定と日韓請求権協定の意味」(小林久公・真相究明ネット事務局長)
 *「問題解決へ向けての提言」(強制連行企業責任追及全国ネットワーク事務局長)
 * 「明らかになった未払金・供託金の内訳」(竹内康人・真相究明ネット)
 *「強制動員資料について」(小林久公真相究明ネット事務局長)
の報告が行われた。
 その後、質疑応答がなされ、研究集会は成功裏に終了したが、ここでは、韓国での財団設立へ向けた韓国の張完翼弁護士からの報告について、以下、まとめてみる。

 

遺族による追慕祭

 
 

日本大使館前、慰安婦少女像

 
 

真相究明を求める遺族たち

 

 昨年6月29日に「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者などの支援に関する特別法(以下、特別法)(注)」に強制動員被害財団規定が新設され、財団準備が進められている。また、昨年8月には釜山で「日帝強制動員歴史記念館」の建設が始まり、13年7月には完成する予定である。
(注)この特別法は、強制動員真相究明法と被害者支援法が一体化されたもの
 準備が進められている財団は、2月27日には財団設立準備委員(遺族意代表2名、大韓弁護士協会弁護士2名を含む8名)が決定され、3月9日には財団設立準備委員会が構成、3月2日には青瓦台、総理府との協議が完了し、3月16日にはポスコ理事会開催時に正式に資金出資協力要請が行われた。現在、定款の内容、名称や目的事業の内容、役員の構成、基金調達等について検討されており、早ければ今年6〜7月に、遅くとも今年末までには財団は発足する。
 財団が行う内容は、特別法上の目的事業以外に、*被害者遺族への福祉事業、*歴史・平和・人権についての教育事業、*(個人的見解ではあるが)遺骨発掘事業等が考えられる。釜山の「日帝強制動員歴史記念館」の運営管理も行うことになる。 
 基金への日本企業からの出資については、日本企業が出資に際して「法的安定性」を求めてくる可能性が高い。その際どうするか?の検討も行う必要がある。まだまだ、克服していかなければならない課題は多くあるのだ。
 現在、真相究明・被害認定や「慰労金」の支給をしている特別法(同委員会)は、今年12月末に期限切れを迎える。特別法が延長されるのか、財団が発足した場合何が承継され、何が承継されないのか、また、その際、被害者はどうなるのか?毎年支給している医療支援金については、事務的には財団に承継できる。しかし、真相調査を承継できるのか、疑問である。委員会(特別法上の)の朴仁煥委員長は、「被害調査は数年かかる場合もある。業務が終われば自然に委員会活動も終了すればよい。」と常設化を主張している。少なくとも延長、または、同様のことをなせることが必要なのだ。
 しかし、日本でもっと問われているのは、郵便貯金など韓国で1円2000ウォンで支給可能となった郵便貯金についても、未だ日本政府は資料を韓国側に引き渡していない。これを引き渡させることが必要だ。また、今、強制連行全国ネットが行っている日本での「朝鮮人強制労働被害者補償のための財団設立に関する法律案(補償財団設立法)」を是非、陽の目を見させ、韓国で設立される財団との連携を図っていかねばならない。
 

読書案内

  『 朝鮮人強制連行』  

 
   

           外村大 著  岩波新書  820+税

  アジア・太平洋戦争時、多数の朝鮮人が移入した。その大半は、日本政府の決定による戦時労務動員計画に基づくもので、本書は、その動員を「朝鮮人強制連行」として論じている。「『強制連行』はなかった、本人の意志での就労希望者が相当いた・・」等、『強制連行』を否定する主張がある。しかし、「暴力的に朝鮮人労働者を連行した事実は、当事者の証言や行政当局の史料の裏付け」もある。「1939-1941の動員計画によって、日本内地に配置された朝鮮人のすべてが、なんらかの意味での強制力をもつ日本国家の政治的関与のもとで動員されていた」のである。動員の「強制」性は、太平洋戦争開戦後、次第に強まる。1944年、政府は動員体勢強化を方針化するが、日本国内では要員不足である。そこで、政府は、正確な状況把握のないまま朝鮮半島の面、村に動員を命令するが、「割り当てられた数を充たすことが至上目的とされ」たために、無理な暴力や強制が行われ、奴隷的な労働を担わされる人々もいた。しかし、「少数の朝鮮人を犠牲にすることで、多数の日本人が恵まれた立場」にいたわけではない。「マイノリティに不利な条件を押しつける国家や社会は、マジョリティをも抑圧する。」「その状況をマジョリティが自覚し改善し得ずにいたことが、“朝鮮人強制連行”のような加害の歴史をもたらした。」そのことは、「現代社会にも直面する問題」(外国人労働者等)でもある。だから、強制連行の歴史は、「“朝鮮人のために日本人が覚えておくべき歴史”ではない」のだ、と。(大釜)
 

GUNGUNインフォメーション

5月25日(金) ヤスクニ・キャンドル行動連続講座第2回
          「2012年東アジアの植民地主義の克服とヤスクニ問題」 徐勝氏(立命館大学教員)
            18時30分 豊島区民センター(池袋駅から徒歩5分)
5月28日(月) 韓国・朝鮮人元BC級戦犯者への立法の実現を!
            16時〜 衆議院第二議員会館第二会議室 ゲスト:高橋哲哉氏
6月 2日(土) 「帰れなかった家族のために・韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」ツアー説明会
            18時 大阪市総合生涯学習センター第4会議室(大阪駅前第2ビル5階)
6月11日(月) 韓国・朝鮮人元BC級戦犯者への立法の実現を!
            16時〜衆議院第二議員会館第二会議室ゲスト:交渉中
6月22日(金) ヤスクニ・キャンドル行動連続講座第3回
          「ヤスクニ合祀取消裁判の現状と課題」 内田雅敏弁護士(ノー!ハプサ訴訟弁護団)
            18時30分〜 豊島区民センター(池袋駅から徒歩5分)
6月23日(土) 韓日過去清算市民運動報告大会
           (岩淵さん講演 10時 ソウル 北東アジア歴史財団大会議室)
7月14日(土) 公開シンポジウム(主催:日韓会談文書・全面公開を求める会)
          「戦後補償問題は本当に日韓請求権協定で解決したのか?」
            14時 港区立勤労福祉会館(JR田町駅下車徒歩5分)
7月28(土)29(日) 平和と民主主義をめざす全国交歓会
            エルおおさか(京阪・地下鉄谷町線天満橋駅徒歩5分)  分野別シンポで戦後補償討議
8月11日(土) 2012 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動 www.peace-candle.org
          60年目に考える サンフランシスコ条約体制とヤスクニの『復権』
            1時30分〜 豊島公会堂(JR池袋駅東口より徒歩7〜8分)