在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.67 (2012.3.17発行)

ソウルでの原告集会
(2012年2月6日)

「原告の要求実現を支援する会」としてGUNGUN再スタート
日韓市民の連帯運動を発展させて両国政府を動かそう!

 李明博大統領は3月1日、「(韓日)両国が真の同伴者として緊密に協力していくためには、何より歴史の真実を無視しない、真の勇気と知恵が必要です。特に軍隊「慰安婦」問題だけは、色々な懸案の中でも速やかに終えなければならない人道的問題」と述べ、日本政府への積極的な解決姿勢を求めました。運動の高まりは、昨年8月韓国憲法裁判所の違憲決定を出させ、大統領を突き動かしています。「解決済み」でない問題を、どんどん表面化させなければなりません。
 GUNGUNは最高裁決定(11月30日)を受け、2月に韓国原告への報告を行い今後の方針を議論しました。裁判は終わっても、靖国合祀をはじめ、遺骨調査、戦地追悼巡礼、郵便貯金記録調査など、「請求権協定で解決済み」にあてはまらない課題は残ったままです。12年間築いてきた日韓市民の連帯運動をさらに発展させて、両国政府を動かしていきたいと思います。そこで、会の名称を「在韓軍人軍属裁判の要求実現を支援する会」(略称は今までどおり)として、再スタートします。どうか今後ともご支援をよろしくお願いします。

最高裁決定の報告と方針討議のために訪韓(古川)

春川で、「もう会えないのかと思っていたが…」(韓省愚副会長)

 
 

春川の遺族会事務所で

 
 

韓省愚(ハンソンウ)副会長

金景錫前会長のお墓で

 在韓軍人軍属裁判の最高裁決定(棄却)が出たことを受け、原告たちに説明するために2月4日から韓国へ渡った。地裁、高裁と判決が出るたびに「次回の審理で全力を尽くす」と言ってきただけに気の重い訪韓だった。まず、太平洋戦争韓国人遺族会での報告のため春川(チュンチョン)に向かう。日本列島を大雪で包んだ寒波は緩んでいたが、ソウル市内を流れる広い漢江も上流に行くにつれ凍っていた。
 昼前に春川の事務所に到着、洪英淑(ホンヨンスク)会長をはじめ役員の方々が温かく出迎えてくれた。事務所の中にはこの12年間の闘いと、強制連行被害者納骨堂の草刈りボランティアを続けてきた日韓市民交流の足跡が写真などで展示されている。さっそく御園生関東事務局長と大口昭彦弁護士が最高裁決定の報告と今後の課題について説明した。
 「よい報告を持って来れず申し訳ない」お詫びの言葉から切り出した。
 2001年提訴前年の聞き取り調査から足かけ12年。この間、多くの関係者が亡くなった。発起人の金景錫(キムギョンソク)さん、浮島丸遺族の林西伝(イムソウン)さん、シベリア朔風会会長の李炳柱(イビョンジュ)さん、激戦のブーゲンビルを行き抜いた金幸珍(キムヘンジン)さん・・闘い半ばに倒れた方の思いをどう受け継ぎ、やり遂げるのか。また原告には夫が父が生死不明の方も大勢いる。彼らの無念の思いが最高裁で問われるはずだった。しかし一切が無視された。「日韓請求権協定及び措置法により解決済み」という壁を突き崩すことができなかった。展望を切り開いたものがあるとすれば、靖国合祀への国の関与に関して五つの要素を認めた東京高裁判決が確定したことである。「予算を取り」「要綱を定め」「組織的に」「長期的に」「直接的に」合祀に関与したと、極めて具体的に認めた。結論では「特に手厚く靖国神社を支援したものとも断定し難い」と逃げたものの、後の「合祀イヤです訴訟」大阪高裁の違憲判決に影響を及ぼしたことは間違いない。また414名という大訴訟団を構成する原告一人ひとりの陳述は、日本の犯した植民地支配の過ちや戦争犯罪を証言する、まさに「生きた教科書」だった。だからこそ、今日の日韓に広がる運動に発展したのである。また原告たちの運動は、韓国内での「真相糾明法」や「支援法」成立に結実した。一方、裁判は終わっても、課題は残ったままだ。靖国合祀の問題をはじめ、遺骨調査、戦地追悼巡礼、軍事郵便貯金記録など、どれも「請求権協定で解決済み」にあてはまらない。今後の運動にかかっている。また韓国人シベリア抑留者やBC級戦犯の補償立法化についても全力をあげる決意を伝えた。
 12年間の運動を振り返った上で大口弁護士は、「先般の韓国最高裁判決を受けて、李明博大統領が慰安婦問題の解決を日本政府に直接求めた。情勢は動いている。ノーハプサ訴訟も続いている。政治運動として今後も努力していきたい。途中、金景錫さんの死という悲しい出来事はあったが皆さんとの友情と信頼関係を築くことができた。今後とも継続した取り組みをよろしくお願いしたい」と語った。それを受け、洪会長は「皆様の努力に感謝している。今後も力をあわせてやっていきたい」と返した。
 韓省愚(ハンソンウ)副会長は、「私の兄はフィリピンで戦死したことから、戦地追悼巡礼事業の委員になっているが、中国では祭祀のための食料を持ち込むことが問題になったり、フィリピンのミンダナオでは現地に上陸できず、船で祭祀を行ったと聞いている。また日本国内が巡礼の対象になっていない」と事業の問題について語った。その後、韓副会長から「最高裁判決が出てもう会えないのかと思っていた。今後も会えるのか」との声に、「もちろんです。今後とも手を携えてがんばりましょう」と大口弁護士が応えて報告会を終えた。みんなで記念撮影し、春川タッカルビの昼食後、金景錫前会長のお墓参りに出かけた。見晴らしのよい高台に眠る金景錫さんのお墓にそれぞれが顔を寄せ来訪を報告し、日本から持っていったお酒で祭祀を行った。

 
 

李煕子(イヒジャ)代表

遺骨問題は遺族が終わりを宣言しない限り続く(李煕子さん)

  翌日、ソウルで太平洋戦争被害者補償推進協議会の李煕子(イヒジャ)代表、金敏普iキムミンチョル)執行委員長と今後の課題について話し合った。李煕子さんから遺骨問題に関して、「日本人遺族の立場から遺骨調査をやってきた岩手(太平洋戦史館)の岩淵さんの取り組みがヒントになる。調査を始めたきっかけや説明を聞きながら韓国政府への要請内容を固めていきたい。何もしなければ何も得られない。調査が難しいか難しくないかは遺族が現地に行って判断すること。遺骨問題は、遺族が終わりを宣言しない限り続く。岩淵さんに来てもらって説明を聞けば韓国でも方法がつかめるのではないか。6月に日韓市民宣言運動の集会を行うので岩淵さんを招請したい」と決意が語られた。また、岩淵さんとともに企画する「韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」についても韓国政府への働きかけなどの具体化が話し合われた。また軍事郵便貯金に関しては、ゆうちょ銀行が保管している郵便貯金の記録を韓国政府に引き渡すための取り組みが話し合われ、さっそく2月20日に行われる総務省、金融庁との交渉に李煕子さん、金敏浮ウんが同席することが決定した。李煕子さんは「そもそも貯金の存在も、それが支援金に反映されるということも知らないことが問題」と語った。
 この日の昼食は、推進協議会の配慮で、韓国シベリア朔風会の李在燮(イジェソプ)会長たち3名とともにとり、語り合った。李在燮さんは昨夏の来日以降、調子がよくないとのことで、以前は毎月行っていた会合も今は2ヶ月に一回、集まるのも4名とのこと。「解決を早く!」との思いを新たにした。

 

韓国シベリア朔風会のみなさん

ソウル原告集会

 
 

大横断幕

大口弁護士

 
 

真剣に聞く原告

権水清(クォンスチョン)さんと再会

 

 そして午後は事務所のあるビル5階の植民地支配時の記録展示フロアを会場にして報告会が開催された。前面には弁護団と支援メンバーのカラー写真を載せた大横断幕が飾られている。開始前にはフロアに入りきらないほどの原告がつめかけた。140ページの分厚い資料も準備されている。今回の最高裁決定の資料はもちろん、提訴から今日までの新聞記事や写真などがまとめられている。横断幕や立派な報告集の製作の速さと完成度の高さには、いつもながら感服する。
 前日同様、裁判結果とこれまでの成果、そして今後の課題について報告を行った。熱心に聴いている原告皆さんの表情は温かだった。日本側の発言が終わるたびに笑顔でうなずき拍手を送っていただいた。敗訴の報告会というより、これが新たな出発点という感じだった。質疑を受けて、金敏浮ウんが軍事郵便貯金について報告。グングン原告の高熙大さんの申請が今年1月19日付けで支給決定された。貯金額3462円に対し、1円あたり2千ウォンの決定である。問題はその成果を全体化するために、いかに貯金資料を日韓政府間で引渡しさせるかだ。郵便貯金問題をはじめ、靖国、遺骨問題など、今後の運動方針討議が深められた。
 報告会の最中から後方では、李熙子さんや女性陣が手づくりの小正月料理を準備していた。日本でいう七草粥のようなもので、10種類の草や穀が入っている料理とのこと。終了後参加者みんなで食べて飲んで交流する、韓国流のやり方は提訴時と変わっていない。私は飛行機の関係で中座したが、退出時に一人ひとりから笑顔で握手を求められ、全員と握手した。最後に出口の前で大きく手を広げている男性がいた。権水清(クォンスチョン)さん、お父さんが沖縄戦で生死不明の遺族で、6年ぶりの再会である。感激で抱擁しあった。12年間の運動で大きくした日韓市民の連帯の力で、残された課題を解決したい。そう決意を固めた訪韓だった。

郵便貯金記録開示について当局との交渉で大きな成果(上田)

 
 

いざ、出陣!

 
 

ゆうちょ銀行との交渉

 
 

ゆうちょ銀行で

 2月20日、韓国から李煕子(イヒジャ)さん、金敏普iキムミンチョル)さんが来日し、軍事郵便貯金などの関係で大きな進展がありました。参議院議員今野東議員の仲介で、同事務所において、2時から総務省(管理機構の監督庁)、金融庁(ゆうちょ銀行の監督庁)、郵便貯金・簡易生命保険管理機構(軍事・外地郵便貯金の管理)のヒアリングが行われました。また5時からはゆうちょ銀行本社(通常郵便貯金の管理および、管理機構から軍事・外地貯金の管理委託を受けている。)との話し合いも行われました。
 われわれ側の出席者は、推進協の2人、強制動員真相究明ネットワークの小林さん、強制連行企業裁判全国ネットの矢野さんほか、グングン裁判・日鉄裁判支援する会など郵便貯金問題に関わってきた仲間たちです。大きな成果をまとめると以下のとおり。
 
金融庁・総務省・管理機構と
1 韓国の支援委員会が韓国外交通商部を通して、日本側に軍事郵便貯金900件の調査を依頼し、日本政府はこれを受けて、「特別の理由がある。」として、ゆうちょ銀行が調査し、回答するよう準備している。
2 韓国政府から、さらに追加で軍人・軍属のリストが送られてきた場合、回答できるかとの質問に、「特別の理由がある」場合として検討するとの約束。外地・通常貯金関係の照合も検討する。
3 軍事郵便貯金については名前・部隊名が電算化されており、900名の調査についても2・3ヶ月でできることが明らかになった。
4 通常貯金(強制労働の未払い金)が、福岡の事務センターに集中されており、数万件にのぼることが、はじめて明らかとなった。

ゆうちょ銀行本社と
1 すでに16件なっている個別申請(現存確認申請)の回答について、ゆうちょ銀行としては、回答するための調整段階(金融庁との?)になっており、早急に回答できるよう調整の努力をする。
2 通常貯金の照合についても、国から依頼があれば行うようにする。

 このヒアリング・交渉を控えた前日、ホテルの一室で打ち合わせ会議が行われました。最初に驚いたのは、韓国での軍事郵便貯金が、未払い金として2000倍のウオンに換算して支給されるようにな ったが、その締め切りが6月30日ということでした。われわれ日本側ではこのことを理解しておらず、早急な対応を求めていこうということになりました。
 それと李ヒジャさんが韓国の支援委員会に来日の2日前に行ったところ、「外交通商部を通じて900名の軍人軍属のリストを送ったと聞いたが真実かどうかわからない。これを確認しなければ。また支援委員会からは日本側のリストを全部もらえるように日本側と話をして欲しいと頼まれた」とのことで、事態の進展に一同また驚くこととなりました。日本政府がこれにどう対応するのか、またゆうちょ銀行が個人情報だからと拒否しないか、明日の話し合いが、俄然重要になってきました。李ヒジャさんの話によれば、10月に日本で個別申請を始めたときに支援委員会に行ったとき、民間でこうやってがんばっているのに韓国政府は何もしないのかと追求したところ、2006年に申し入れたことがあるとの返事があり、今どうするのかと追及したそうです。あまりの進展に李ヒジャさんも真実かどうか不安がっていました。
 
グングン裁判で敗訴しても、裁判の要求を実現しつつある!
 
 緊張して迎えた当日、900件のリストの件は事実であり、回答の準備が進められていることが明らかになりました。更なる全名簿の照合要求が韓国側からあれば「特別な理由ある」ものとして可能であることもわかりました。個人情報の保護を理由に拒否しないかと、心配していたゆうちょ銀行の対応は、「この資料は民間会社のものというより、政府から預かったものなので扱いには政府の同意がいる。」とのことで、政府から依頼があれば照会要求には応じるとはっきり答えていました。これは、軍人軍属に留まらず、日本に連行された強制労働被害者の未払い金である、通常貯金を明らかにできるという意味で、大きな意味のある回答となりました。
 これらの成果は、日韓条約によって打ち捨てられた人々の権利を再び明らかにして取り戻すことにつながります。グングン裁判で敗訴した私たちが、その直後に裁判での要求を実現しつつあるのです。
 総括会議(と言っても打ち上げの宴会ですが)での李ヒジャさんの言葉を皆さんにお伝えします。
「今回の大きな成果は一度につくられたものではない。まず。1991年のグングン裁判の資料調査過程で22名の軍事郵便貯金の回答を得て、支援委員会に、行政審査委員会への提訴など、これへの支給を認めさせるたたかいがあった。そして日本で個別申請が始まった。それが10件20件となり支援委員会へ韓国政府としても何かをすべきであるという韓国側の追求が可能になった。そして今回の話し合いのために、小林さん(真相究明ネットワーク事務局長)が、長いかつ綿密な準備をしてくれ、それらがひとつになってこの成果につながった。日本の市民団体が今回作り出した大きな成果を韓国で結実させていく」とのことでした。また、参議院議員今野東事務所(戦後補償を考える議員連盟)が、個別申請の件で何度も金融庁・総務省に誠実に対応するように何度も連絡を入れていただき、その結果、今回のヒアリングが実現したことも皆様に報告しておきます。
 最後に、私たちグングン支援する会は、このような結果が生まれるとは考えもせず、個別申請を始めました。2年前からの遺族証言集会で行方不明の崔ナックンさん、カンジョンホさんのお父さんの情報捜索にいきづまり、日本が保有する膨大な資料として郵便貯金があるので、他に手段も無く、展望も無くはじめたことでした。22件の1991年の軍事郵便貯金の調査も韓国側事務局が中心に行っており 、実際のところ、私はよく把握できていませんでした。窓口になった、ゆうちょ銀行大阪支店も、初め何のことかチンプンカンプンで、数年前からの小林さんの調査資料を基に、手探りで話し合いをし、協力を得るに至りました。その時も、遺骨や記録を探す遺族の願いを訴え続けました。
 遺族証言集会で掲げた父・兄の遺骨・記録を求める運動は必ず日本人の心に届くはずであると信じています。そして一人ひとりの解決を確実に進めていくことが多くの人の解決につながっていくはずです。裁判の敗訴は日本の司法制度の限界を示しているだけであり、闘いは終わっていません。
 大阪での個別現存確認申請は、すでに34件になっています。大きな流れを確実にするためにも、気を抜かず回答を実現しましょう。

厚生省が52年サ条約後すぐに靖国合祀を検討したことが判明(御園生)

 
朝日新聞の記事 法務関係業務処理要綱  

 1月21日朝日新聞は、一面トップで「靖国戦犯合祀 国が主導」と報じた。すでに、ノー!ハプサ訴訟では、国が主導し、国と靖国神社が協議し合祀を決定して靖国合祀を行ってきたことを「新編靖国神社問題資料集」等を通じて明らかにしてきた。今回はBC級戦犯に限ってのことであるが、その立証にさらに新たな証拠がでてきたのである。

 新聞記事の内容を確認するために、地下鉄東西線「竹橋」駅近くにある国立公文書館に足を運んだ。
 該当の文書は、すぐに出てきた。厚生労働省から戦犯関係ということで法務省に移管され、法務省の文書として保管されている。表題「戦争裁判参考資料/法務関係業務処理要綱(一、二復共同研究のもの)」というものである。「一復」とは、旧陸軍を引き継いだ厚生省の組織であり、「二復」とは、旧海軍を引き継いだ組織。つまり厚生省内の復員関係の組織で検討され、実施に移されたのである。                  
 
「時機を見て靖国神社への合祀を図る」と記述

 詳しく見ていこう。上記処理要綱のなかにある、「昭和27年度戦犯関係事項処理要領」では、「4 刑死者の靖国神社の合祀問題の検討」として、(イ)暫く情勢、輿論の動向を見る (ロ)靖国神社の定款に関係あり、神社の性格如何に據る (ハ)本年度内に各地方毎に行う予定の慰霊祭の際、一緒に祀って貰う様にする(通牒を各地方に出す)とある。
 翌年「昭和28年度法調関係業務要旨」では、「ケ 刑死者の慰霊は輿論の動向に注意して先ず地方的に戦没者の慰霊に合同して行う如くし時機を見て靖国神社への合祀を図る」とはっきりと靖国神社打ち出している。さらに「昭和29年法務関係業務要旨」においては、「7 刑死者の慰霊は最終的には『靖国神社への合祀』を目標とし輿論の動向と公的援護面進展の情況に応じ順を追うて無理なく措置する。」と明確に合祀目標を掲げたのである。

 昭和27年、西暦でいうと1952年はどういう年であったか。52年4月28日、連合国との片面講和条約であるサンフランシスコ条約が発効した、その年であった。占領に終止符が打たれるやいなや、2日後の4月30日には、軍人軍属を対象とした「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が交付された。さらには恩給法が改正され廃止されていた軍人恩給が復活した。アジア太平洋侵略戦争を正当化する軍国主義・保守勢力は、占領の終了を待ちに待ち、占領が終了するや否や、新憲法の規定にもかかわらず、旧軍人軍属のあらゆる位置を元に戻したのである。靖国合祀はまさにその象徴であり、最終目標であった。当然、援護法等からは、旧植民地出身者は除外された。
 54年度(昭和29年度)、BC級戦犯者の合祀方針を決定した厚生省(一、二復)は、56年には「靖国神社合祀協力」通知を出し、3年間で靖国合祀にメドをつけるとし、公然と全面的に合祀にのり出した。戦前行われていたことが、そのまま復活したのである。それはBC級戦犯のみならず、旧植民地出身者の合祀、A級戦犯の合祀へと続いた。旧陸軍、海軍は、厚生省一、二復に鞍替えし、靖国合祀を推進して言ったのである。BC級戦犯の合祀が始められた59年は、韓国人等旧植民地出身者の合祀に機を一にしていた。

 新憲法が制定され、政教分離の原則がうたわれ、「特定の宗教への援助、助長」が禁じられたにもかかわらず、憲法違反の行為が公然と行われた。日本政府・厚生省、裁判所は、GUNGUNやノーハプサの原告が韓国人であることを全く無視している。人間として当然の父らを祀る権利を侵しているのである。

オーストラリア戦争記念館の資料を調査(木村)

 
 

南英珠さん(左)

 昨年、一昨年と証言集会に参加し証言された南英珠さんの兄(陸軍20師団第80連隊)は、ニューギニアのヤカムルで戦死という記録のみで、お兄さんに繋がるものが何か残されていないものか探してきた。全ての軍人が当時軍事郵便貯金に貯金させられていたことから、せめて通帳でもと、ゆうちょ銀行に郵便貯金の現存確認申請をしたが、「無し」の返答であった。80連隊のものが全て無いのか、南さんの分だけが無いのか、ゆうちょ銀行に再調査を依頼した。一方、ニューギニア遺骨返還に取り組んでこられた岩淵氏が出版した太平洋戦史館の本の中に、「オーストラリア戦争記念館が預金通帳を含む多数の文書を倉庫に保管していた」という記述があり、その旧日本軍軍人の遺品が日本に返還されているらしいという情報を得た。
 厚労省に確認したところ、「返還業務は終了し担当者も直接わからないので、資料を探しておきます」という返事だった。そこで分かったことは、当時(平成7年ごろ?)厚生労働省は、遺族に受領意志の確認をとり、オーストラリア戦争記念館より返還を受け、遺族に返還したという。
 その返還の手がかりとなった、桑田悦防衛大教授が現地調査をした報告書(1982.6.26)を入手した。報告書によると、作戦命令・計画に関する文章類は戦時中連合軍が翻訳し利用しており、目録と英文に翻訳されたものは残っているが原文はないようだ。保管されているものは、約423件(手紙・通帳・手帳等は数冊をまとめて1件とされている)あり、軍隊手帳、個人的手帳、郵便貯金通帳、給与支払証票、功績調査表、現認証書等 ご遺族にとって絶大な価値のあるものとある。また病院等の診療記録や兵站関係部隊の陣中日誌・業務記録等もあると書かれている。
 
資料から朝鮮人3人を発見!
 
 ニューギニアでは日本軍の兵士、軍属の18万人が死没している。そしてその中には多くの朝鮮から連れていかれた軍人軍属が含まれている。ニューギニアで死亡した朝鮮人のリストは1万6千数百人があげられている。遺品リストには朝鮮人のものがあるはずではないか。リストの中には、氏名不詳と内容だけ掲載されているものもある。氏名の出ているものを拾って、ニューギニアで死亡した朝鮮人のリストと照合していった。

 

放置された遺骸

 

 すると、3人の遺品を見つけることができた。
 岩本長護・一等兵(朝2086部隊古賀隊)の給与支払証票、これは各人別ノートの形で残っているようだ。死亡者連名簿には、慶北出身、野砲26連隊で、1944年8月2日アフアにて死亡とある。
 次に、高山聖徳・上等兵(歩兵78連隊)の功績名簿で、16名の名前が連記されていて、どのような形で残っているかわからない。死亡者名簿には、同じく歩兵78連隊で坂東川にて1944年7月10日死亡とある。
 3人目は、久山武助・上等兵(歩兵78連隊第一歩兵砲小隊)の功績名簿で、これも8名が連記されている。死亡者名簿では、歩兵78連隊で1943年10月18日サイパにて死亡とある。
 リストの照合をしながら、桑田教授が報告書に書かれている「ご遺族にとって絶大な価値のあるもの」という言葉が、胸に響いてきた。
 死亡者名簿にもあげられず、死亡した場所すら知らされていない遺族の方もおられるのだが、遺品は確かにここに存在しておられたということが感じられるものだ。
 南英珠さんのお兄さんの遺品に繋がるものを見つけることはできなかったが、朝鮮人をリストの中から見つけることができ、何とか遺品が遺族のもとへ届くようにしたいと思うとともに、できることがまだあるのではないかと思った。

 
 

岩淵さん

参加・カンパの呼びかけ
8月25日から7日間、「韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」を計画しています。

 太平洋戦史館の岩淵さんに案内をお願いし、東部ニューギニアを訪問します。南英珠さんたち韓国人遺族も同行します。父・兄の戦死した地に立って祭祀を行う一方で、遺骸放置の実態を知る旅になります。一緒に参加者しませんか。ツアーではこれまでGUNGUNに寄せられた寄付金を役立てますが、南さんたちの渡航費用や通訳費用などが必要です。基本は自己負担と言っていますが、できるだけカンパをしたいと思います。ぜひカンパにご協力よろしくお願いします。
 

読書案内

  『 7%の運命−東部ニューギニア戦線 密林からの生還』  

 
   

           菅野茂 著   光人社NF文庫 690円+税

 この著書は、1985年私家本として発表した手記を、2006年に光人社が再出版したものである。著者、菅野氏は、飛行機整備兵としてニューギニアに渡り、過酷な体験を経て帰還する。7%しか生還できなかった地獄の戦場を、一兵士の眼で振り返る。日常の兵隊生活を淡々と語り、派手な出撃や戦闘の場面はほとんど出てこないが、でも上陸した93%の兵士達は死んでいく。氏の戦隊は、1943年5月ニューギニアのウエワクに上陸するが、直後連合軍の手に落ち、以降密林の彷徨が始まる。現地の人たちとの人間味ある付き合いの場面もあるが、飢え、マラリア、赤痢、栄養失調で仲間を失う。終戦発表の後も、投降途中で日本に帰る船内で、内地の病院で、兵隊が死ぬ。栄養失調とマラリアによる衰弱死である。太平洋戦争での日本軍部の作戦は場当たり的で、ニューギニアなど食糧の現地調達の方式での多数の兵力投入は誤りであった。戦争を知らない世代に伝えなければならないという氏の熱い想いは、静かに語られているが故に、よけいに強く届いてくる。(大釜)

GUNGUNインフォメーション

3月25日(日) 龍谷大学アフラシア多文化社会研究センター&「韓国併合」100年市民ネットワーク共催
          ワークショップ「植民地支配と紛争解決に向けての対話―東アジアの相互理解のために―」
               13:00〜18:00 龍谷大学深草学舎紫英館2階大会議室
3月28日(水) 新日鉄東京本社前行動
               AM8:30〜9:30 JR東京駅徒歩4分
4月 7日(土) 第5回強制動員真相究明全国研究集会
               13:00〜東京大学駒場キャンパス18号館ホール(京王井の頭線 駒場東大駅東口<東大口>)
               資料代 一般1000円 学生500円
            「政策と法から見た朝鮮人被動員者」外村大(東京大学准教授)
            韓国から報告:張完翼弁護士
            「強制労働という過去への取り組み ―ドイツの経験から」増田好純(早稲田大学助手) 他
4月26日(木) ヤスクニ・キャンドル行動連続講座 高橋哲哉さん「犠牲のシステム」
               18:30〜 港区勤労福祉会館(JR田町駅、地下鉄「三田駅」下車)
5月25日(金) ヤスクニ・キャンドル行動連続講座 徐勝(ソ・スン)さん「東アジアの植民地主義の克服とヤスクニ問題」
               18:30〜 (場所未定)