在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.66 (2012.1.14発行)

推進協議会から届いた年賀はがき(部分)
写真は09年11月に撮影したもので昨年亡くなった李炳柱さん(前列左から4人目)が写っています。
文章の全体はこちらをクリックすると見ることができます。
 

GUNGUN 最高裁不受理!!!
「憲法判断から逃げた」棄却決定に抗議する!

 11月30日、最高裁判所第2小法廷は、GUNGUN裁判の上告を棄却(不受理)しました。あろうことか、大阪で提訴していた「合祀イヤです」訴訟も同じ裁判官構成で同日付で棄却決定をしています。理由として、民訴法312条(憲法違反があるもの)に該当せず「単なる法令違反を主張するもの」と、門前払いをしたのです。
 東京高裁判決は、国の合祀手続き関与を「一般人がこれを靖国神社を特別に優遇するものではないかと感ずる可能性も否定できない」とまで言及し、「イヤです訴訟」大阪高裁判決は、明確に「違憲性」を認めています。にも関わらず門前払いをしたことの意味、それは「判断したくなかった」に尽きます。地裁、高裁、最高裁まで原告が韓国人という点について何ら考慮がされなかったことも残念でなりません。私たちは心底からこの決定に怒り、抗議します。
 一方、今回の棄却によって、違憲性を認めた大阪高裁判決が確定しました。問題が何ら解決されていない限り、これを足がかりにし、原告たちとともに闘い続けます。今後もご支援をよろしくお願いします。
 

司法の役目を放棄し、逃げた最高裁

 
 

2001年 グングン裁判提訴

2003年 第二次提訴

 昨年11月30日、在韓軍人軍属裁判の上告が何の理由も示されず、棄却されました。以下の声明にも触れているように、グングン裁判の控訴審判決で、国の行為をほとんど「違憲」であるとしているにもかかわらず、これに検討を加えることもなく、棄却しました。大阪の「靖国合祀イヤです訴訟」では、「(国の行為が、靖国神社を)援助、助長する」行為であること、すなわち違憲であることを明確に認定しています。今回の最高裁の上告棄却は、この高裁判決を確定させたことになります。「違憲」であることを事実上認めたのです。そうであるならば、最高裁ははっきりと「違憲」判決を出すべきです。韓国人原告の被侵害利益=「痛み」に一切触れようとしない日本の司法は、自らの父らがナチスヒットラーの英霊として合祀され続けるとしても、それで「よし」とするのでしょうか。そんな屈辱を韓国人に今後も強いるように、最高裁は自らの立場を放棄し、逃げたのです。これほど卑劣なことはありません。自分の保身が原告たちを深く傷つけているのです。わたしたちは、原告たちの要求を実現するために、今後も闘い続けます。

2006年 東京地裁判決 2009年 東京高裁判決 高裁判決時の李炳柱さん

 

在韓軍人軍属裁判  最高裁の上告棄却の決定を糾弾する!
 
 11月30日、最高裁判所第二小法廷は、在韓軍人軍属(グングン)裁判の上告を棄却した。憲法20条(政教分離)違反、日韓請求権協定、いわゆる措置法(1965年法律第144号)の憲法違反、その解釈の誤り等を提起しているのもかかわらず、上告については「単なる法令違反を主張するもの」として、また、上告受理申立てについても「受理すべきものとは認められない」と何のコメントも付けず、上告を棄却した。最高裁は「憲法の番人」としての責務に背き、憲法判断を回避したのである。しかし、これにより、控訴審判決が確定した。韓国人原告の請求に正面から向き合おうとせず、請求を棄却し、非人道的事態を放置したことに、満腔の怒りをもって抗議する。
 
 グングン裁判控訴審は、靖国合祀問題では「国の側に一般の国民に対する協力よりも手厚く靖国神社の合祀を支援する意図が全くなかったとは言い切れず、その行為の規模の大きさや期間の長さにも照らし、一般人がこれを靖国神社を特別に優遇するものではないかと感ずる可能性も否定できない」とした。このような事態は憲法20条違反であることは明らかである。大阪高裁の靖国合祀イヤです訴訟判決では、「(国の行為を)靖国神社が行う合祀という宗教行為そのものを援助、助長し、これに影響を与える行為」と、国・靖国神社の合祀行為の違憲性を明確に認定した。国の行為は明らかに違憲にもかかわらず、最高裁は上告を棄却した。逃げたのである。

 グングン裁判の原告は、韓国人である。日本の司法はこのことを徹頭徹尾無視してきた。植民地支配を反省すべき日本が、その日本の司法が、植民地支配の結果引き起こされた軍事動員、戦死、靖国神社への合祀を全く裁こうとしないのだ。侵略した加害国の「英霊」として祀られることがどれほど屈辱的なことか、どれほど心身を苛なむことなのか、韓国社会では到底受け容れられないことなのかは、あますことなく立証されてきた。この事実からも最高裁まで逃げたのである。
 われわれは、これからも、この不当極まる判決をはね返し、原告と固く連帯し、原告らの要求が実現するまで闘うことを誓う。靖国合祀取消しをもとめ、ノー!ハプサや他の訴訟、「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」等と一緒にあらゆる手段を尽くして、原告の要求・合祀取消しを求めていく。

 グングン裁判は、靖国合祀取消しのみを要求しているのではない。シベリア抑留、BC級戦犯問題、生死確認・通知、遺骨問題等々、韓国人軍人軍属の多くの要求の解決を求めてきた。日本政府は日韓請求権協定の解釈を変更・拡大し、実態的な財産のみならず、あらゆる請求権を「解決済み」とし、司法はそれを追認してきた。しかし、韓国で沸き興る戦後補償要求の高まりが、問題が何も解決していないことを如実に示している。「慰安婦」問題での韓国政府の「不作為」についての違憲判決(韓国憲法裁判所)、日本の戦犯企業の韓国政府機関へ入札制限、日本企業の参加も呼びかけられている強制動員被害者のための財団の来春設立等々はその証左である。韓国強制併合100年の年であった昨2010年、韓国(朝鮮)植民地支配が全く清算されていないことが明らかにされた。何にも解決されていないのである。
 
 われわれは韓国の原告、支援運動とともに、シベリア抑留、BC級戦犯問題、軍人軍属強制動員問題の解決のため立法化を含めこれらの解決へ向けて全力を挙げることを宣言する。
 
 2011年12月8日
 
              在韓軍人軍属裁判弁護団
              在韓軍人軍属(グングン)裁判を支援する会


【資料】
     主    文
本件上告を棄却する。
本件を上告審として受理しない。
上告費用及び申立費用は上告人兼申立人の負担とする。
     理   由
1 上告について
 民事事件について最高裁判所に上告することが許されるのは、民訴法312条1項又は2項所定の場合に限られるところ、本件上告理由は、違憲をいうが、その実質は単なる法令違反を主張するものであって、明らかに上記各項に規定する事由に該当しない。
2 上告受理申立てについて
 本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
  平成23年11月30日
   裁判長裁判官 千葉勝美 裁判官 古田佑紀 竹内行夫 須藤正彦 
 

韓国から遺族2名と、岩手から岩淵さんを招いて遺族集会を開催
遺骨と記録に「解決済み」は通用しない(古川)

 戦後66年が経過した今なお、亡き父や兄の消息が知らされていない遺族が韓国にいます。日本政府は「日韓請求権協定で解決済み」と言うが、遺骨やどこで生活を送ったかの記録については当てはまりません。昨年11月11日から14日にかけて、一昨年に引き続き韓国から2人の戦争動員被害者遺族を招いて、大阪で証言集会を開きました。

テーマは「遺骨と郵便貯金」

 今回のテーマは「遺骨と郵便貯金」。多くの戦争動員被害者は、逃亡予防のために貯金を強制的にさせられていました。貯金の記録がわかれば、どこで労働していたかがわかるはず。一昨年、福岡貯金事務センターに戦後全国の企業から集められた朝鮮人の貯金通帳が存在していることが新聞に載りました。その後の調査で、軍事郵便貯金が70万件、外地貯金が1866万件のほか外国人の郵便貯金が存在していることが判明しています。軍事郵便貯金とは、軍隊と共に動く野戦郵便局や海軍軍事郵便局のことで、約400箇所存在したといいます。外地貯金とは、旧外地(朝鮮、台湾、関東州、樺太、千島,南洋、沖縄)の郵便局で預け入れた貯金のこと。金融庁は、これまで「保管してある通帳について記載情報の整理を進めているが、通帳が数万冊に及んでいるうえ預金者名の一部が読み取れない通帳があり、整理を継続中」と調査に応じてきませんでしたが、今回ようやく「現存確認申請」が受理されました。郵便貯金の資料は、@行方不明の父・兄の記録としての意味を持つ A遺骨さえ戻らない中で死者の形見になる B韓国内の「支援法」によって支払われる支援金の積算根拠となる といった重要な意味を持っています。
 
来日遺族と「ゆうちょ銀行」窓口に

 

ゆうちょ銀行で回答を聞く

 
 

父の写真を説明する崔洛さん(右)

 

 今回来日したのは、崔洛(チェ・ナックン)さんと南英珠(ナム・ヨンジュ)さん。調査の結果を聞くために、お二人とともにゆうちょ銀行大阪支店を訪れました。崔さんのお父さんは、42年に日本に渡しました。福岡の炭鉱で働いたらしく、家族宛に送られた「協和訓練隊員昭和17年9月13日 記念撮影」と書かれた写真以外に何も資料が残されていないません。崔さんにとって郵便貯金の確認申請は、藁をもすがる思いで行ったものです。
 窓口サービス担当のF課長と、上司のHさんが対応。しかし回答は「お二人の資料はありません」でした。「こういった問題のマニュアルが決まっていないため回答は口頭でしか行えない」と言います。調査が手作業で行われている点に対して「調査対象が何件で、どの範囲をどのように調べたのか」との質問に「ゆうちょ銀行本店の広報しか答えられない」の一点張り。南さんの場合、ニューギニアに動員されていることから軍事郵便貯金があるはずで、記録がないこと自体が不可解であり、不満が大きく残る回答でした。しかし一方で、申請すれば回答するという流れを作ったのは画期的な一歩です。今後国会議員を通じて総務省、金融庁に指導を求めたいと思います。また韓国での支援金の算定にも関わるため、全資料を韓国政府に引き渡すべきで、今後の課題です。ゆうちょ銀行では、追加で3人の記録開示を申請し、この日の行動を終えました。
 良い回答こそ得られなかったが、崔さんの表情は明るい。実は来日の前日、韓国真相糾明委員会から資料が届き、残された写真の裏に記載された父の同僚が、福岡県の「貝島炭鉱」で働いていたことが判明したのです。昨年3月に日本政府から韓国政府に渡された供託記録から判明したものと思われます。父の記録はわからないままではあっても、昨年から確実に一歩ずつ解明に近づいていると確信しているのです。

「韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」としてニューギニア訪問を検討

 
 

岩淵さん(右)と対面

 
 

遺骸の状況を説明する岩淵さん

 
 

兄と近くなったと泣く南英珠さん(右)

 
 

11・14 証言集会

 二日目には、南さんのお兄さんが亡くなったニューギニアに関して、日本人遺族の岩淵宣輝さんを岩手から招いて交流会を持ちました。南さんの兄、南大鉉さんは、42年に陸軍に動員され、その後の生死は不明。両親は亡くなり、兄の生死を確認しようと探し回った結果、2003年に記録をようやく確認。陸軍第20師団、歩兵第80連隊に配属され、44年8月にニューギニアのヤカムルで戦死していました。さらに驚いたのは、遺族に無断で靖国神社に合祀されていたこと。南さんが一昨年来日した際に、岩淵さんが今も年に数回ニューギニアを訪れて遺骨調査を行っていることを伝えると「ぜひ会いたい」というので、3月末に一緒に岩手に行く予定でした。しかし東北大震災が発生、日本側だけで岩手を訪問、交流し、今回の企画につながったのです。岩淵さんは、NPO法人「太平洋戦史館」の会長理事で、父が戦死したニューギ二アなどで40年以上、遺骨帰還活動を続けています。現地訪間は270回以上、1100を超える遣骨を日本に持ち帰っており、今年7月にもビアク島などで20人分以上の遺骸を発見しています。
 今回実現した韓日ニューギニア遺族の対面で、岩淵さんは「ヤカムルは海がきれいで、のどかな漁村。そこへ行く拠点のポートモレスビーに私の仕事の後継だった息子の墓がある。亡くなった人に近づくには、死んだ場所に行くのが一番。靖国などへ行くことなどありえない。南さんが今日ここまで来たことで、お兄さんとの距離が近づいている」と話すと、南さんは涙を流し「お兄さんと会えたような気持ちです」と応えました。「妹の私が遺骨を探して父母や先祖の恨みを晴らしてあげたい。岩淵さんの活動を聞いて、そこへ行って何かできるのではないかという気持ちが高まっている」と言う南さんの思いを受けて、ニューギニアへ行く話しが急速に進められました。岩淵さんの都合や天候のことを考慮して、来年8月末の開催予定で、ツアーの名称は「帰れなかった家族のために・韓日合同パプア巡礼民間外交使節団」。韓国と日本で実行委員会を作り、日韓の遺族が現地に行くだけでなくパプアとの交流親善を含めて行い、その企画への協賛を大きく広げていくという案がとんとん拍子でまとまりました。この日、南さんはお兄さんの遺影を抱いて寝たと言います。

 三日目には、「ゲゲゲの遺骸放置と靖国合祀・ニューギニア、韓国からの証言」と題して集会を開催。南さんは、「自分は70歳を過ぎて時間が残っていない。一日も早く靖国から兄の名前を除いて、遺骨を探し出したい」と決意を語りました。岩淵さんは、3月ニューギニア訪問時の写真を見せながら「こういう白骨化した遺骸がごろごろ出てくる。中には現地の生活ごみ捨て場の横から出てきた骨もある。死んだ人の思いを代わりにしゃべってあげるのが自分の義務。日本人は靖国という欺瞞を受け入れ、一方でこういう実態を見過ごしてきた。この人たちの人生は終わっていない。年に数度、無念の遺骨を抱いて帰国するが、その時に達成感を感じる。来年の8月にミッションを考えているが、民間が主導して若い人に伝えることが大事」と語りました。
 集会後の二次会で私は「戦後、遺族会の中から遺骨を返せという運動がなぜ盛り上がらなかったのか」というかねてからの疑問を、かつて遺族会青壮年部長を経験した岩淵さんに尋ねました。すると「戦前からの戦陣訓が戦後も生き続けた。出征するときに爪や髪を形見として残し、戦死しても死体は帰らない覚悟で出て行ったので遺族もそれを受け入れた」とのことでした。ニューギニアでの戦死者は東部、西部を合わせて20万人を超えます。その大部分が補給を無視した無謀な作戦がもたらした餓死と栄養失調での病死です。ニューギニア現地での遺骸放置の現状はそうした戦争の実相と、靖国の欺瞞性を包み隠さず66年後の今に伝えてくれています。ぜひこの日韓遺族の共同行動を成功させたいと思います。
 

「朝鮮人軍人軍属名簿の分析からあきらかになったこと」研究会に参加して(御園生)

 昨年12月24日、クリスマス・イブにもかかわらず、東京タワー近くのセミナーハウスで、「朝鮮人軍人軍属名簿からあきらかになったこと」という研究会が開催された。朝鮮人軍人軍属ということで、11月30日に最高裁により上告を棄却されたとはいえ、グングン裁判に直接かかわるものであり、今後の闘いのためにもぜひ参加したいと想い、出席した。

 研究会の趣旨は、長年にわたり、朝鮮人軍人軍属名簿の死亡者リストの入力を行ってきた菊池英昭さんの労苦をねぎらい、同時に、その成果を全体化し、発展させるために開かれたものであった。
 まず、菊池英昭さんより報告がなされた。菊池さんが入力されたのは、厚生省が作成した「旧日本軍在籍朝鮮出身者死亡者連名簿」であり、これが、1971年、韓国に渡され「被徴用死亡者連名簿」(韓国・財務省)として保管されているものである。ガリ版刷りの非常に読みづらく(まだ、陸軍の「部隊留守名簿」よりははるかにましであるが)、判別不能のものもあり、氏名、地名とも想定するしかないものも多い。しかに、にもかかわらず、海軍死亡者13279名、陸軍死亡者数8425名、計21704名の主要項目について入力したのである。頭が下がる思いである。エクセルで入力されたこのリストにより(まだ修正が必要なようであるが)、様々な使い方ができるであろう。研究会には、死亡地、出身地別、部隊別の集計が出されていた。われわれは、グングン裁判の原告414名の死亡地・配備地を分析したが、その比ではない。しかし傾向は同じで、多くの韓国人軍人軍属が、聞いたこともない、ほんとに数知れない島々で戦死(戦病死)、餓死を余儀なくされているのである。

 
竹内さんの調査の新聞報道

 

 続いて、竹内康人さんから、被徴用死亡者面名簿、陸軍・部隊留守名簿、工員名簿、海軍身上調査票、履歴原票等のスポット的分析からわかったこともあきらかにされた。その上で課題として、いくつかの指摘がなされた。
◆ 韓国の真相究明運動のなかで出された20万余の被害申告を、日本での現地調査と結んでいくこと。被害申告を歴史的証言として広く共有化し、日本での立法化での基礎資料ともしていくこと。
◆ 軍人軍属関係名簿を公開させ、その名簿の分析を進め、連行された部隊や場所を確定すること。
◆ 政府・企業のよる強制労働関係の名簿資料等を公開させ、現に明らかになっている史料の公開させること。特に、政府が保有する年金名簿、供託名簿や企業の殉職名簿等々様々な名簿資料がある。
◆ 遺骨の状況、真相調査が必要。行政が保有する埋火葬許可証関係史料の悉皆調査等により、朝鮮人死者の実態を明らかにすること。(筆者:国内だけでなく、外地での軍人軍属の死者の調査も必要)。
◆ そして、日本政府・企業による和解へ向けた賠償基金の設立を行うこと。
等々があげられています。

 議論は、戦没船問題や、靖国合祀問題、個人情報保護という壁の問題等々多岐に渡った。結論を求める集まりではないものの、今後、さらに確定していく作業が必要であろう。この研究会が出発点かもしれない。グングン裁判の成果をさらに発展させ、結実させていくため、この取り組みに協力していく必要があるだろう。そんな感想を強く持った研究会であった。
 

 映像紹介

  『 妖怪 水木しげるの「ゲゲゲ幸福論」』  

 
   

           BS・JAPAN放映作品
           販売:(株)やのまん(0120-124-394) 3,990円(税込)

 2006年3月に放送された作品の完全保存版DVDで、第43回ギャラクシー賞を受賞した作品。「食って、寝て…ときどき描いて。お父ちゃんの頭の中って」と次女悦子さんが、水木さんの日常の中からその謎に私たちを導いていく。作品半ばを過ぎて出てくるパプアニューギニアの映像にその“根っこ”が現れ、幼少の頃の話や戦後から今に至る日常の謎めいた言葉にも繋がる。かつて15万人近い日本兵が命を落としたパプアニューギニアで、水木しげるも死と隣り合わせの2年間を過ごした。そして爆弾で左腕を失った。今でもこの国の老人たちは日本の軍歌を鮮明に覚えている。日本軍について「やつらは俺たちの土地に勝手に来て、勝手に殺し合いを始めた。憎かったけど、一方で悲しかった。なぜ彼らは、祖国でもない遠い異国で戦い、血を流し、死んでいかねばならないのか…そんな若者たちの姿は、見るに耐えなかった」と語る。水木にとって戦争のすぐ隣にあった現地の人々の豊かな暮らしは、生涯忘れ得ぬ「楽園」だった。戦後、何度となく足を運び交流する姿が映像に納められている。「HAPPY」と生きている喜びが体から湧き出る。「戦争と言うのはね、殺し合いはほんの一瞬なんです。瞬間に生死が決まるんです」「餓死しかけたという経験は無いでしょう。死にかけたという経験を2,3回持っているやつでないとだめ。死にかけたっていうのは強いですよ。」大上段に構えた“反戦”でなく語られる言葉の一つ一つがズシンと胸に迫ってくる。
 この作品の制作コーディネーターを務めたのが太平洋戦史館の岩渕さんの息子さん。移動中の飛行機の中で喘息発作を起こし亡くなりました。彼の遺作として見てください。
 

GUNGUNインフォメーション

1月25日(水) 新日鉄本社行動 8:30〜9:30 (東京駅丸の内口徒歩5分)
1月26日(木) 公開フォーラム「戦後補償・到達点と今後の課題2012」 18時30分 東京弁護士会館1003号室
1月27日(金) 新日鉄大阪支店行動(8:15〜8:45地下鉄淀屋橋駅10番出口三井ビルディング3階)
2月 1日(水) 「帰国 ダモイ」上映会 19時開始 場所:東京国立近代美術フィルムセンター
                   (東京駅八重洲口より徒歩10分、地下鉄銀座線「京橋」より徒歩1分)
2月4日〜6日 ソウル・春川でGUNGUN裁判最高裁決定報告原告集会
2月 8日(水) 新日鉄本社行動 8:30〜9:30 (東京駅丸の内口徒歩5分)
2月10日(金) 新日鉄大阪支店行動(17:30〜18:00地下鉄淀屋橋駅10番出口三井ビルディング3階)
2月21日(火) 東京総行動(新日鉄本社行動12:00〜12:20予定)