在韓軍人軍属裁判を支援する会ニュースレター

「未来への架け橋」 NO.64 (2011.8.7発行)


ノー!ハプサ(合祀)原告たち
(2011年7月21日、東京地裁前)
 

本質から目を背けた東京地裁 ノー!ハプサ(合祀)判決 
韓国人に「受忍・我慢」を強いる不当判決糾弾!

 7月21日、東京地裁でノー!ハプサ(合祀)訴訟の判決が行われました。「棄却」判決の中身は、GUNGUN地裁判決と同様、被告の言い分を100%認め、韓国人原告の主張から全く目を背けた、勇気のない判決でした。
 中でも注目された、生きたまま植民地支配の象徴・創氏名で合祀されている金希鐘(キム・ヒジョン)さんについて判決は、「霊璽簿には今も創氏名が残されていることになるが、靖国神社の教義上、極めて神聖なものとされている霊璽簿の記載を訂正することは許されないとされているものであること、・・原告金希鐘の人格権又は人格的利益に対して受忍限度を超える侵害がされたものということはできない。」と、靖国神社を擁護し、韓国人に「我慢」を強いたのです。これは、戦前から現在に至る支配構造を直視することからの逃避以外の何物でもありません。
 昨年8月10日菅首相は、韓国併合100年の談話で、「歴史の事実を直視する勇気とそれを受け止める謙虚さを持ち、自らの過ちを省みることに率直でありたい」と語りました。それから1年。談話内容を司法の場で実行させる闘いは続きます。引き続きご支援をよろしくお願いします。
 

ノー!ハプサ(合祀)訴訟判決を傍聴して(大幸)

「理由をちゃんと述べなさいっ!!」

 
  東京地裁前でデモンストレーション 靖国応援団がいっぱい

 7月21日(木)、東京地裁でノーハプサ訴訟の判決が出ました。14時半ごろに裁判所に行くとすでに、支援者やマスコミや傍聴を求める人が狭い歩道に。130人の傍聴希望者のうち71人が傍聴できるということ。傍聴券の当選者番号が発表されるのを待って、列を作って待つのですが、私たちの横には、背広姿の一群がずらりと並んでいました。これが噂の「靖国応援団」なのかと見ていると、まもなく当選番号の発表があり、運よく当選して、傍聴席に座ることができました。
 映像撮影のための1分間が過ぎると、裁判長がよく聞き取れない声で判決を言い始めます。「原告の訴えを棄却する」「訴訟費用は原告が負担する」の2文の主文を読みあげ、退廷し始めます。あっけにとられていると、李煕子(イ・ヒジャ)さんが立ち上がって「理由をちゃんと述べなさいっ!!」と抗議の声をあげましたが、裁判長はそそくさと出て行ってしまいました。足かけ5年、19回にわたる口頭弁論の結論を理由も読まずに終えてしまうその態度に唖然としました。

金希鐘さんの人権より靖国の教義を優先させた判決に怒り

 報告集会でも、川村弁護士が「普通は、理由となる文を読み上げるものなのだが、一切読まずに退廷してしまった。点数でいうと、ゼロどころかマイナスだ」とその姿勢を批判。「合祀行為によって遺族への強制や不利益を伴うものではないと断定したのは、1988年の「山口県自衛官合祀取り消し訴訟」最高裁判決をそのまま踏襲しているからであり、事案が違うのに本文で全く同じ事実認定をしてしまっている。これは、ヤスクニの本質を見ようとせず、宗教一般論に逃げ込んでいるからである。原告が8月15日に靖国神社に行って検証してほしいと訴えても行こうとしなかったことからも明らかだ」と指摘しました。また、生きたまま合祀された金希鐘(キム・ヒジョン)さんについて、「我慢すべき限度を超えて人格権が侵害されたわけではない」という言い分に対して、大山弁護士も「靖国の教義を金希鐘さんの人権より優先させたものであり、高裁では裁判官の歴史観を問い続けたい」と発言。
 記者会見から戻った大口弁護士は、「記者の質問で、生きた英霊とされる金希鐘さんに関して『承諾なしに合祀されていることが許されるのか?』と質問があった。歴史認識の欠如した不当判決である」と報告。
 今回の法廷には、原告4人が来日されていました。父親をニューギニアで戦病死させられた高仁衡(コ・インヒョン)さんは、「ひとことも言いたくない。しかし支援者の顔をみると闘っていける」と語りました。口数少ないその姿からより一層その無念さが伝わります。

判決後の東京地裁前 記者会見 高仁衡さん

 

 

尹玉重さん(中央)と申明玉さん(左)

 
 

李煕子さん

 

魂まで奪われて、家族になんと報告したらいいのか

 今も、祖母と母と三人で父の帰りを待ち続ける尹玉重(ユン・オクチュン)さんは、「父の顔も知らないころに戦場に連れて行かれた。奴隷のように働かされ、魂まで奪われて、家族になんと報告したらいいのか」と泣きながら語られました。
 申明玉(シン・ミョンオク)さんは、夫の名前を靖国神社から撤廃されることを願い続けた義理の母の思いを受け継いでこられました。「8年間介護をしてきた姑は2年前に67歳で他界してしまった。亡くなった夫の霊魂を解放させなければ、夫のそばには行けないと言っていた。ヤスクニからせめて3文字をはずしてほしい」と静かに語られました。

「失望はしたが絶望はしない」

 最低の判決に、どう声をかけたらいいのかわからない私たちに李煕子さんの言葉が胸にズシンと響きました。「みなさんの顔を見れてうれしい。3・11以来みなさんと会えなくなったらどうしようとずーっと考えていた。私は愛する人と別れる辛さをよくわかっている。本当に悩みました。日本語で大丈夫と聞けなかったことを後悔しました。今回の判決は皆さんのほうが失望されたのではないか。私は失望はしたけど絶望はしない」。
 私たちを気遣い、いたわるそのやさしさに応えるために「あきらめない」心を持ち続けたいと思いました。


あとで申明玉さんの思いを知って


 原告の方々とは、その夜のホテルでの交流会や羽田へのお見送りまでご一緒させていただきましたが、こちらから何も話すことができませんでした。家に帰ってヒジャさんからいただいた「強制動員被害者に聞く、まだ終わってない話」というタイトルの小冊子を読み、みなさんの思いを改めて知ることになったのですが、とりわけ胸をうったのが、申明玉さんの「お父様、お母様への手紙」です。これは、5月28日望郷の丘での追悼式で追悼の辞として読まれたものです。中国で戦死させられた夫の代わりに一人で息子を育てあげた姑さんを、ミョンオクさんは夫とともに介護をつづけてきたのですが、その夫が去年突然 亡くなってしまうという、新たな不幸に見舞われてしまったのです。お葬式が終わる時までその死をお義母には告げられなかったと言います。中国で戦死させられた義父、夫の魂を取り戻したいと最期まで言い続けた義母、介護の途中で突然死した夫、言葉で言い尽くせない悲しみをかかえながら、ミョンオクさんは来日されたのです。「いかに多くの母親がお母さまのような人生を歩んでこられたかを考え、」「私の家族が持つ悲しみが、全ての犠牲者の家族の痛みだと心の中から深く感じられます」というミョンオクさんの思いを今回の判決は踏みにじってしまったのです。
 

判決の要旨(抜粋)

 靖国神社による合祀に対して強い拒絶の意思を示していること自体について、原告らの歴史認識を前提にすれば、理解し得ないわけではない。しかしながら、原告らの主張する利益は、結局のところ、他者の宗教的行為により自己の感情を害されることを拒否するというものである。最高裁昭和63年判決の判断と本質的に異なることはないというべきである。

 霊璽簿には今も原告金希鐘の創氏名が残されていることになるが、被告靖国神社の教義上、極めて神聖なものとされている霊璽簿の記載を訂正することは許されないとされているものであること、生存者がお祀りされていない旨の説明がされていること、霊璽簿が人目に触れることなく保管されていることを照らせば、原告金希鐘の人格権又は人格的利益に対して受忍限度を超える侵害がされたものということはできない。

 靖国神社の教義に基づき行われる合祀について、一般国民に対する協力よりも積極的な協力をする意図が全くなかったとはいい切れない。またその行為の規模の大きさ、期間の長さ及び合祀者の数などにも照らすと、一般人において靖国神社を特別に優遇するものではないかと感ずる可能性も否定することはできない。さらに靖国神社が合祀を行うに当たり、国の第3025号通達及びその別冊により構築された事務態勢に基づく情報提供の協力が靖国神社の合祀に一定の役割を果たしたことも否めない。しかしながら、@国の情報提供は、靖国神社からの依頼又は照会を契機とするもの・・、A合祀の最終決定は靖国神社が行っており・・、B靖国神社の総代会に最終決定権限があり・・、C国の合祀予定者の決定が靖国神社の合祀の権限に影響を与えていなかったこと、D靖国神社は独自に調査業務を行っており・・、以上の事実によれば、・・国の情報提供行為等により、合祀における靖国神社の自立性が失われるような事情を認めるに足りる証拠はない。

 上記行為が長期間にわたり組織的に行われたのは、対象者が約150万人もいて、事務量が膨大であったからであり、靖国神社を宗教法人として特別に手厚く支援する意図、目的に基づくものとはいい難いし・・上記行為が、直ちに他の宗教に対する圧迫、干渉等になるとまでいうことはできない。

残念ながら全抑協が解散!
シベリア抑留者支援・記録センターとシベリア立法推進会議に引継ぐ!(御園生)

 5月23日、シベリア抑留者の団体である全国抑留者補償協議会(全抑協)の「解散・報告と感謝の集い」が憲政記念館で開かれた。解散の理由は、会員の平均年齢が88歳にも達し、もはや役員会さえも開くことができないからとのこと。車椅子で出席者に挨拶をする平塚会長を目にしながら、やむを得ないこととはわかりながらも、寂しさと残念さを隠すことができなかった。

 日本人シベリア抑留者の立法化で成果
 
 会場の憲政会館には、多くの国会議員、そして、元気な全抑協会員がつめかけた。主催者を代表して大野福会長が、シベリア特措法の全会一致での成立に感謝の辞を述べるとともに、13条(強制抑留の実態調査等に関する基本的な方針)の実現、そして、に韓国・朝鮮・中国・台湾の元強制抑留者の立法化にも言及した。
 数多くの国会議員も出席。鳩山由紀夫前総理大臣、大塚耕平厚生労働副大臣、山口那津男公明党代表、谷博之シベリア議連会長、円より子シベリア議連前会長、中野寛成国家公安委員長、塩川鉄也共産党衆議院議員、長妻昭前厚生労働大臣、尾辻秀久参議院副議長らから挨拶も行われた。各界、遺族からも挨拶が行われた。ジャーナリストの岩見隆夫さんは「よくぞお続けになった。ご苦労さまでした。政治の「薄情」が問われる。」と、また、日ロ歴史研究センター代表の白井久也さんは「歴史と国際法を守ることの大切さ」を訴えた。遺族からは、北海道、宇都宮、東京から挨拶があった。前寺内良雄の長男・寺内誠一さんは「本当に少人数になった。遺族としても協力していきたい」と。
 最後に、参加者全員で「異国の丘」を合唱し、幕を閉じた。

 
 

李炳柱前会長と平塚会長

 
 

李在燮会長(中央)

 グングン裁判も多くの方々にお世話になりました

 韓国シベリア朔風会のグングン裁判への参加以降、全抑協の行動に積極的に参加し、そのパワーに何度となく圧倒されてきた。多くの日本人軍人軍属が韓国人等の要求に背を向けている中で、グングン裁判提訴前から韓国シベリア朔風会を受け入れてくれていた全抑協の皆さんに頭の下がる想いであった。提訴当時の寺内会長、そして、副会長をされていた福岡県連の下屋敷さん、そして、東京の平塚会長ら多くの方々にお世話になった。しかし、残念ながら、今回の立法に日本国籍以外のものは含まれていなかった。

 旧植民地支配出身者も対象に

 この集いに向け、韓国シベリア朔風会の李在燮(イ・ジェソプ)会長からは「十分ではないでしょうが名誉回復されて幸いと思います。」「私たちの問題は解決できていないので、今後とも全面的なご支援を」とメッセージが寄せられた。そのことを受け、平塚会長はお礼の言葉で「シベリアで苦労をともにし、帰国後は日本人以上に厳しい状況におかれ、長きにわたって一緒に運動してきた韓国や台湾・中国などの元抑留者の問題が残っています。」と日本人以外のシベリア等抑留者問題の解決・立法化に言及した。
 グングン裁判を支援する会としても、韓国人シベリア抑留者、韓国人BC級戦犯者問題の立法化に力を尽くしたいと思う。

(*李炳柱・前会長は、健康上の理由で会長職を副会長の李在燮さんに譲られました。李熙子さんに連絡してもらったところ、「リハビリに励んでおり、元気」とのことです。)
 

池田幸一さん(シベリア立法推進会議世話人)
シベリア立法運動の到達点を語る

 6月11日、大阪・住道で行った「帰還証言ラーゲリから帰ったオールドボーイたち」上映会での池田幸一さんのお話しです。(古川)

 
 

池田幸一さん

政官財の巨悪の誰が責任を取るのか

 スターリンが第一の犯人だが、スターリンに天皇の命乞いをした共犯者としてのわが国の姿がある。我々をソ連に売り込んだ情けない事情があった。責任を誰が取るか。1960年鳩山一郎がソ連に行き、日ソ共同宣言を行い、その中でお互いに戦争による損害請求権を放棄しようという条約を結んだ。そのことで労働賃金の支払い責任は我が国に移ったが、ソ連の道義的責任は消えない。1993年エリツィンが日本に来た際に謝罪をしたが、我が国の首相は一度も謝ったことがなかった。同情はするが謝ることではないという態度だった。明らかに「スターリンに洗脳されたアカに一銭たりとも支払わない」という考え方だ。政官財の巨悪があるが誰が責任を取るのかという根源的な問題は現在の原発問題も同じ。
 
 奇跡のシベリア特措法通過
 
 昨年6月16日、念願のシベリア特措法が成立した。突破口を開いた。シベリア抑留者たちの運動として全抑協があるが、斉藤六郎が代表で裁判を起こした。膨大な資料を作り、訴状を書いて16年間争った。しかし1997年最高裁で棄却。戦争被害は国民が等しく受忍しなければならないという国民受忍論だ。国家無答責という厚い司法の壁が立ちはだかっていた。私は1993年4月に大阪地裁にいわゆるカマキリ裁判を提訴、2004年に最高裁で敗訴が確定したが、「法律がない」というのがその理由だった。裁判で正しいか正しくないかを裁いてくれると思っていたが違った。裁く法律があるかないかが入り口にある。なければ法律を作ろうじゃないかという話しになって、シベリア立法推進会議に合流した。長妻議員が2002年に予算規模5000億円の試案を作ってくれたが、外国籍の被害者は除外された。それに納得できないとがんばったが、理想と現実に隔たりがあった。敵は民主党の中にもいた。1000億円にまで削られ、一方で10万円の旅行券でおしまいという法案ができて衝突した。政権交代がないと法律が通らないと痛感したところ、夢にまで見た政権交代が実現した。しかし内閣法制局という壁があって、200億円という予算規模の法律になってしまった。会期末ぎりぎりの4時間で通過したのは奇跡だが、めでたしめでたしではない。次の法案を目指して残り少ない命を燃やしたい。

 
 

全抑協と韓国朔風会メンバー

 外国籍兵の補償実現のために

 給付金だけでなく、実態調査、遺骨収拾を国の責任でと菅首相に要望しているが、3・11以降は何もできない状況。厚生労働大臣は夏には基本方針を出すと言っているが、我々は引き続いてやる。私は90歳。全抑協は5月に解散した。立法推進会議を引き続いてやっていこうと、新しく「シベリア抑留者支援センター」を立ち上げた。「早く謝ってください」「外国籍兵、遺族の除外は恥」というのが今の要求。ぜひお力添えをお願いしたい。
 李炳柱さんたち(韓国シベリア朔風会)のような外国籍の方は、今回の給付金も、前の旅行券も一切除外。天皇の赤子、一視同仁と言って徴集しておきながら一銭も払わないというのはこの国だけ。インド・グルカ兵もイギリスから、セネガル兵もフランスから補償を受けている。「被爆者はどこに行っても被爆者」というのと同様に「シベリア抑留者はどこに行っても抑留者」だ。共に闘った戦友に対して申し訳ない。
 

 

「シベリア抑留者支援センター」のサポーターになってください。
郵便口座:00180−3−464926「シベリア抑留者支援センター」
年会費:3000円 

 

菅首相談話から1年
談話に基づく遺骨・文化財の返還に向けた動き進行中(古川)

 

朝鮮王室儀軌

 

 

大倉集古館の五重石塔

 

 韓国併合から100年の昨年8月、菅首相は、「当時の韓国の人々は、その意に反して行われた植民地支配によって、国と文化を奪われ、民族の誇りを深く傷付けられました。・・この植民地支配がもたらした多大の損害と苦痛に対し、ここに改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明いたします。このような認識の下、これからの百年を見据え、未来志向の日韓関係を構築していきます。また、これまで行ってきたいわゆる在サハリン韓国人支援、朝鮮半島出身者の遺骨返還支援といった人道的な協力を今後とも誠実に実施していきます。さらに、日本が統治していた期間に朝鮮総督府を経由してもたらされ、日本政府が保管している朝鮮王朝儀軌等の朝鮮半島由来の貴重な図書について、韓国の人々の期待に応えて近くこれらをお渡ししたいと思います。」との談話を発表しました。
 あれから1年。4月27日には、「朝鮮王室儀軌」等1,206冊の韓国への返還に関する「日韓図書協定」が衆院通過、6月10日発効しました。8月返還に向けた調整が両国間で行われているところですが、韓国・朝鮮文化財返還問題連絡会議(荒井信一代表世話人)は、「利川市から五重石塔の返還を求められている大倉集古館はじめ、朝鮮半島由来の文化財を多く所蔵する各地の博物館や美術館、大学などはむしろ警戒感を強めているのではないかと懸念される。日本政府と国会のなすべきことは、問題を封印したり、隠蔽するのではなく、むしろ所有者が抱える不安や後ろめたさを解くためにも、進んで情報を公開し、調査し、長期的でスムーズな返還の仕組みやルールを、ユネスコなどの勧告や知見も活用しながら、検討・研究してつくっていくことである。」と立法措置の提言を行っています。
 一方、日本の寺院等で保管されている朝鮮半島出身者の遺骨についても、返還に向けて政府レベルでの協議が継続されています。
 文化財にしても遺骨にしても最も大切なことは、菅談話にある「痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」を伴った行動でなければなりません。引き続き日本政府に対して、植民地支配の清算に向けたアクションを起こしていきましょう。
 

神戸で真相究明ネットの研究集会開催(中田)

 

 

研究集会

 

 

鄭惠瓊さん

 5月28日〜29日、神戸学生青年センターで、強制動員真相究明ネットワーク・強制動員真相究明全国研究集会が開催されました。韓国から来日された鄭惠瓊(チョンヘギョン)さん(韓国・日帝強制動員&平和研究会会創立準備委員、歴史学博士)から「戦時体制期半島内人的動員(労務動員)被害〜死亡者現況を中心として〜」について報告がなされました。
 「朝鮮半島内の労務動員数は、延べ650万人、実数100万人と推定されている。現在、確認できる『作業場』は約7200か所余り、そのうち炭鉱・鉱山が5500、工場が800、軍事施設構築が200、道路・鉄道が170、土建(発電・港湾を含む)が220か所など。死亡確認659件のうち鉱業・土建430件で死亡者の大部分を占めている。また死亡者も1943年以降に集中」など朝鮮半島内部での労務動員の実態を分析するレポートでした。
 戦後補償に取り組んできた私たちにとっては『侵略戦争遂行過程で生じた労働力不足を補うために朝鮮半島から若者達を連れて来た』のが強制連行であったという認識でしたが、植民地に対して人的・物的・資源を計画的に収奪を行ったうちの人的側面が「強制連行」であったという側面、つまり日本帝国の「総力戦」遂行のための朝鮮、台湾、樺太、南洋、さらに満州、中国、モンゴルも含めた大東亜共栄圏建設のための植民地収奪の一側面として強制連行=戦時労務動員を捉えようという重要な視点に気づかされました。
 しかし韓国の強制連行被害者への支援法は、軍人も含めて朝鮮半島内の動員は適用の対象外とされ、また朝鮮半島北部では、間島地方(朝鮮の国境の北側)の犠牲者については補償の対象として扱われるが、朝鮮に動員された労務者は国内動員として現在の「国境」によって救済されないという、同じ被害者でも補償に格差が生じている現状も報告されました。これからの大きな課題が提起された集会だったと思います。
 

ソウルの姜庚旻(カン・キョンミン)さんからのメール
   ノーハプサ判決日の夜

 

昨年ボランティアツアーでの姜庚旻さん

 

 ソウルのカンです。また長い間、連絡もせずにすみませんでした。お元気でしょうか。
 今夜は古川さんと皆様に長い夜になってるかも…まだお飲みになってますか?私もニュースを通じて判決を確認しました。またそんなどんでもない法理を繰り返すとは…。
 古川さんにお会いして話したいことがたくさんあります。歴史は本当に進歩しているのか私はずっと疑問に思ってます。良くなったり、悪くなったり結局同じ所をぐるぐる回ってるのではないか、またはずっと平行線を走ってるのではないか…これが21世紀の日本でありえる判決か・・結局権力の前で法律家も無力ではないか…など。
 しかし誰よりも悔しいのはグングンの皆様、そして遺族の方々でしょう。ニュースの写真でイ・ヒジャさんとグングンの方々、大口先生、そしてちょびっと古川さんのお顔が見えて、皆さんは今どんな気持ちだろうかと思い、涙がぽろぽろ出ました。実は「ほんとうにお疲れ様でした」と書こうと思いましたか、違いますね。「またこれから、頑張りましょう!」のほうが正しいでしょう。結局一緒に繋がってる人々に支え、支えられながらやることをやるしかないでしょう。これが私たちの「運命」だから。私も早く「使える戦力」になれるようにがんばります!
 私の近況をちょっとだけお話すると、もうロースクール過程も半分が終わり、後半を迎えてるところです。上手くやってるのかちょっと自信がなくなる時もありますが、なんとか前向きに、そしてまっすぐ進もうと思っています。出来る間に、出来るだけの知識を身につけておきたいと思います。
 グングンの皆さんはこの秋にもいらっしゃるのでしょう。心よりお待ちしてます!
 

韓国・春川にあった「強制連行被害者納骨堂」が天安の「望郷の丘」に移転
今年は「望郷の丘」で韓日合同慰霊祭を開催・参加者募集!

 
  昨年のツアー
 
  望郷の丘に移転した納骨堂の碑
 

 GUNGUN裁判の発起人であった金景錫(キム・ギョンソク)さんが私財を投じて春川に建立した「強制連行被害者納骨堂」が4月11日、天安の「望郷の丘」に移転しました。昨年までは納骨堂の草刈りを行っていましたが、今年は、韓日合同慰霊祭への参加のみとなります。事前に春川へ行き、同時期に移転した金景錫さんのお墓参りを行った後、春川遺族会の皆さんと同じバスで天安に向かいたいと思います。参加希望者はメールでお知らせください。
 gungun@mx4.canvas.ne.jp

(基本日程:途中参加も可)
9月29日(木) 日本⇒韓国(ソウル泊)
   30日(金) 推進協メンバーとソウル⇒天安へ 合同慰霊祭
          春川メンバーと天安⇒春川へ(春川泊)
10月1日(土) 金景錫さんのお墓参り 遺族会役員の方と会食会
          春川⇒ソウル(ソウル泊)  
   2日(日) ソウル ⇒ 帰国
 

 読書案内

 『 国家神道と日本人』  

 
   

                     島薗 進 著 岩波新書(800円+税)
 
 戦前、日本人の精神的支柱として機能した「国家神道」とは何か、どのように形成されてきたのか。「国家神道」は「天皇と国家を尊び国民として結束することと、日本の神々の崇敬が結びついて信仰生活の主軸となった神道の形態」であるが、天皇と皇室の崇敬に関わる儀礼システムが学校行事を典型として浸透されていく。そして、神道的な国家儀礼として重要な役割を担ったのが靖国神社である。まずその関係と形成過程が明らかにされる。そして、戦後「解体されたのか?」が追及されていく。7月21日ノーハプサ判決内容にも出てくる“信教の自由とは”の問題にも関わり、ぜひ読んでいただきたい。(木村)

GUNGUNインフォメーション

8月13日(土) 「2011平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」
             13時〜 全電通労働会館(御茶ノ水駅から徒歩4分)
             シンポジウム「3・11後の東アジア〜原発とヤスクニが強いる国家と犠牲」
                パネリスト:高橋哲哉(東京大学教授)、韓洪九(聖公会大学教授)、石原昌家(沖縄国際大学教授)
             コンサート・遺族証言
8月15日(月) 「許すな!靖国国営化8.15東京集会 良心をのみこむ国家〜日の丸・君が代強制反対〜」
             14時〜16時
             在日本韓国YMCAアジア青少年センター
             講師:下嶋哲朗氏(ノンフィクション作家) 800円(高校生以下無料)
8月23日(火) 「2011年シベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集い」
             13時〜 国立千鳥が淵戦没者墓苑(地下鉄「九段下」2番出口徒歩10分)
             終了後、韓国シベリア朔風会代表を迎えての懇談会もあります。
10月2日(日) 「東アジア歴史・人権・平和宣言」発表大会
             −植民地主義克服のためのダーバン宣言から10年−
             13時〜 明治大学駿河台キャンパス・リバティータワー1001教室